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心優しき狼よ、曠野を行け  作者: 柿ノ木コジロー
第二章 ― 2 ―
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36 旅の支度 1

 皮肉にも、恵の下ろしてきた百万円がすぐに役に立つことになった。朝一番からほぼすべての窓口は機能停止したからだ。


 もともと大地震発生に備え、近辺のATM入口には『大地震警戒宣言発令時に閉鎖します』というステッカーが貼られていた。そこが全て、ロックされてしまった。


 当然、急激に狭まった各種金融窓口には預貯金を下ろそうとする殺気立った連中が押し寄せた。量販店、ドラッグストア、スーパーはごった返し、ガソリンスタンドには長蛇の列……退避勧告の出た地域と近隣の市町は大混乱に陥った。


 突然地震が襲ってきたのならばもう少し見た目でも分かりやすいのだが、かなり局地的で少し離れてしまえば全く見えない『災害』が、次に自分のところを襲う可能性がある、と言われても人びとはとまどうばかりだった。それに、一定のパターンを描いているという被害状況が本当に次に規則正しいものなのか、『意思無き排除』が予想された箇所を確実に襲うのか、具体的にどのような被害が考えられるのか、規模はどうなるのか、予測が外れて、または規模が予想より大き過ぎて万が一でも他の場所が被害に遭うことはないのか、テレビは次々と速報を流し、分かりませんが、とかその点は不明ですが、という言葉ばかりを発しながらいたずらに不安をかきたてていた。


 カケルがそっと返した白封筒を、恵は気まり悪げにうなずいてまたスモックのポケットにしまった。それから

「どうなるか分からないけど、着替えとか用意しなきゃね」

 誰に言うともなくそうつぶやき、どこか明るい目をして裏の物置へと去っていった。


 晴樹は電話の前に張り付いて、遠くの親戚との電話対応に追われていた。時おり、古い出来事や人の話で訳が分からなくなると傍らの籐椅子に縮こまる祖母に電話を代わってもらっていた。


 圭吾とカケルは、できるだけのものを買い揃え、先の見えない避難に備えることになった。

「ヤマワキ石油に行ってみる、俺」

 買ったばかりの容量二十リットルの金属缶を抱えるようにカケルが外に出ようとすると、圭吾が止めた。

「カケルくん、セルフじゃあ自分で缶に入れられない、今日みたいな日だとスタッフもドタバタしてるし事故が怖い、JAに行ってみてくんない?」

「分かった」いつもはダラダラしているようにしか見えないが、さすがこういう時には頼りがいがある。

「俺はもう一度、ヨシミホームセンター行って来る、カセットコンロとか燃料とか買ってくるわ、それと」

「母さん! ばあちゃんが来てって」ハルキが家の中から叫ぶ。

「母さん、どこ?」

 何度か呼ぶうちに、裏手から恵がプラケースを引っ提げてよろめきながら出てきた。

「何?」

「ばあちゃんが呼んでる」

「何だって」

「河原崎のオバサンから電話」

「だったらバアチャンに任せなさい、どうせあんなウチには頼まれたって避難して行かないから」

「ぜひ寄るように、って、メグちゃんに替わってくれってさ」

「外出してるって言って」

「ばあちゃんが『居る』って答えちゃったよ」

 アノクソババア、確かに恵は口を動かさずにそう吐き捨てカケルの方を見た。

 カケルはあわてて赤い缶を持ち上げる。「すぐ行かなきゃ」

 圭吾はすでに姿を消している、それは仕方ない。河原崎にいる叔母は、彼にとってはあかの他人だ。その上、圭吾は義母とその親族に対して微妙な距離を保っている。

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