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心優しき狼よ、曠野を行け  作者: 柿ノ木コジロー
第二章 ― 1 ― 
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14 合宿所襲撃 3

 ぱっと目を移すと、もう1人残っていた『田中』が引きつった笑い顔にもみえる口元のまま狼の足をしっかりと両腕で抱えていた。友人から獣を引き剥がそうと思ったのだろうか。出ている声はすでに言葉ではない、しかし、それは「離せ、はなせ」とも聞くことができた。

 彼の肘の隙間にちかりと何かが銀色に光った。匂いは・・・・・・鋼、包丁だった。


 メスが気づいて先生の上からゆらりと身を起こした。

 先生の方はすでに動きを止めていた。


 メスが低くうなると、オスの脚を抑えていた田中はひっ、と息をのみ手を離す。そして、今度はメスに向って両手で包丁をかざしてみせた。女の子のようにひざを内側に入れて床にへたり込んで座っている。そのままの姿勢で後ずさりした時、落ちていた白いコーヒーカップを蹴ってそれはくるりくるりとダンスのように床を滑って隣のテーブルの下に消えた。


「あああ、えええ」泣いているのか、笑っているのか、それでも彼はびしょびしょに濡れた顔をしっかりとメスに向けていた。包丁の柄を握る手の関節が白く浮き上がる。

「あああ」すでに廊下側の壁にまで追いつめられ、田中の声が途切れた。メスが低く頭を下げて田中に照準を合わせ、そして


「なにかあったんですかぁ、」

「何さっきのゼッキョー」


 廊下から複数の足音が響いた。「先生らがうるさいんじゃ、眠れないよぉ」


 その声に今まで壊れた人形のようにくしゃくしゃの顔をして固まっていた田中が突如、叫び返した。


「来るな! 狼が出た! 逃げろおぉぉっっっ」


 オスはちょうど、出入り口のドアに二人の影をみた。女子高生が二人。どちらも髪が短く、日に焼けている、白いTシャツに黒いジャージ、双子のように似ている、顔は人間的には違いがあるのかも知れないが、今の狼には同じことだった。日向で遊ぶひよこの匂い。そしてもう1人の顔が脇からのぞく。

「どしたの、みんな」その顔も先の二つと同じように、静かにこわばった。すぐには状況が把握できないらしい。「犬・・・・・・?」

「ケーコ、早くみんなに! 逃げろっ」田中は年長者の威厳を最後に示そうとしているらしい、震えの激しい手で包丁の刃をメスに向けたまま、顔を動かさずに目線だけをありったけ彼女たちに向けてまた叫ぶ。「逃げろ!」

「せ・・・・・・んせい?」


 1人が長いながい悲鳴を発した。それを機にメスが少女たちに飛びかかる。すぐ近くにいた左側の子を軽くかみ伏せ、次に向う。

 オスは座り込んでいる田中を大きく飛び越すように弧を描き、開いている窓から廊下に飛び出した。後足の先が田中の額をかすった。狼は後も見ずに暗がりに逃げる少女たちを追った。

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