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心優しき狼よ、曠野を行け  作者: 柿ノ木コジロー
第一章 ― 2 ―
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17 長い夜 7

 恵に連絡を入れる。父が亡くなったことを近隣の親戚に伝えた際に、母親の妹が懇意にしている人が葬儀屋に勤めているから、聞いてやろうかと言ってくれたらしい。姉が葬儀屋に電話すると、病院まで遺体をひき取りに伺います、と話がついたというのでカケルもその電話番号を聞いた。


 深夜遅くに関わらず、葬儀屋はすぐに電話に出た。事情を話すと、警察が帰ったら連絡をくれればすぐに伺います、あの病院ですと地階ですね、分りました、とすぐに了解していた。


 電話をひとしきり終えてもとのベンチに座ろうとしたが、急にのどが渇いていたのに気づいた。


 警察はまだ到着していないようだった。カケルはうす暗い廊下を本館のほうへ歩いていって、自販機で冷たい缶コーヒーを買った。デミタスの微糖が美味いんだよねえ、と圭吾がよく言っていたので選んで買ってみたが、一口飲んで今夜の気分には合わないとすぐに気づいた。いっそのこと、もっと甘いものでも良かったかもしれない、それかブラック。中途半端な甘さが口の中に残る。洗面台に空けてしまおうかと一瞬思ったが、量が少ないので我慢して飲み干した。


 厄介払いをするがごとくに缶を捨てて元の場所に戻る。


 かなり経ってから通路の向うから先ほどの看護師がストレッチャーを押して戻ってきた。毛布とシーツできっちりと包まれた父親を軽々と押している。

 CTからの帰りだろう、身体はきっちりと覆われていて、青くなった足先とまばらな白髪がふわふわと生える頭頂部だけがみえている。息のできる人はあんな包み方はすまい。周囲の人に配慮したのか、人物はみえないようにしてくれてはいるのだが、明らかに死人だと分かるところがなんとなく病院らしいとも言える。

 カケルの姿をちらと認め、まずストレッチャーを処置室所定の場所まで戻してから、一人で出てきてカケルを呼ぶ。

「お髭、剃らせていただいていいんですよね」

 そんな事も確認するんだ、とカケルが素直に驚くと、ちょうど出てきた医師も苦笑した。

「たまにダンディに残している方もいらっしゃいますから」あのオヤジがダンディにまばらな髭を残していたのか、と思うと何となく可笑しくなって、カケルもつい声を出して笑う。潔癖症とも言える人だったのに。最後の方には、カミソリすら持てなくて髭をあたるのも恵が苦労して庭でや泡を立てては文句を言っていたり、近所の床屋に任せたりしていたのでよく汚い髭面であたりをウロウロしていたものだった。今夜連れてきた時にも、かなりの無精髭が張り付いていた。


 お支度できましたら、地階の霊安室にお連れします、警察の方も今、到着したそうです。もしご希望でしたら警察とはこちらの控室でもお話できますが下でも、どちらでも、と言われたので最終的に霊安室から遺体を運び出すのだと葬儀屋から聞いたばかりだったので、いいです、下で話を聞きます、とカケルは答えた。看護師が先に立って、地階へ案内してくれることになった。


 うす暗い病院内、非常口を示す緑がかった灯りと足もとにわずかにみえる白い光くらいでも、ぎりぎり彼女の後について歩くには支障はない。カケルが後に続くと、看護師は手慣れた様子で霊安室の扉を開け、明かりをつけた。


 霊安室なのに遺体はなく、がらんとした中に座り心地乗りよさそうな椅子が3脚、まん中ぽっかり空いた床を向いて並べられていた。奥行きのないつきあたりの壁には、どんな宗教でも対応できそうな白い棚がひとつ、しつらえてあった。


 カケルが椅子に座ると同時に、霊安室の引き戸が大きく開いて制服に無帽の警察官がふたり、大股で入ってきた。反射的に立ち上がると、「このたびはどうも」と前に立った男が歩を止めて頭を下げた。もう1人は戸口に立ちふさがるように立ち止まる。二人ともカケルよりずっとガタイがよく、背もやや高い。出口を塞がれたような圧迫感があった。それでもカケルは丁寧にお辞儀を返した。コーヒー缶を捨てておいて本当によかったと心の中で安堵した。

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