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心優しき狼よ、曠野を行け  作者: 柿ノ木コジロー
第一章 ― 2 ―
26/148

01 諭吉からの電話

 メール着信音。カケルは、思わずちっと舌打ちして、それから誰も見ていないのに顔を赤らめて携帯を取り上げた。

 また、アイツからだ。


―― 今ヒマ?


 イライラしながらも、ついキーを押す。早く答えてしまわないと、次のメールが追いかけてくる、コイツの場合はいつもそうだった。レス遅いね、とか。


―― 今、暇じゃない


 三十秒もしないうちにまたメール。


―― 何してる? ウチにいるの?


 なんだっていいだろう、携帯に向かって小声で毒づきながらまた返事を入れる。


―― いるけど何か用?


―― 忙しいんだ?


 まるで馬鹿にしたような声まで聞こえる。へええ、忙しいんだ、平日の今ごろ家にいるのに? なっしー、家で一体何してるワケさ。


 高校の同級生、兼子原(かねこはら)諭吉は近くの食品加工会社で働いていた。

 主にうどん玉を作る会社で、パートのおばちゃんが多い中、正社員としてライン管理を担当している。


 こないだも、すごかったぜ。メールでは書き切れなかったと見えて、夜中に電話がきたことがあった。

 出てからカケルは後悔した。


 おばちゃんらがさ、ケンカになって。こないだ話したろ、フクイさん、つう五十五歳の古株と三十四歳の新人の女の子、つうかこっちもおばちゃんなんだけど、この二人が派閥に分れちゃってさ、三十四の方には№2がついてるからさ、ほら、気のキツい尖った目つきの、って前に言ったろ、前原まりも、四十八のくせにマリモ、だってびっくりだよな、独身だし、処女だぜきっと。そいつらが急に大声で怒鳴り合っちまって、ラインに流れてたうどん玉、掴んでバシバシ投げ合ってたんだぜもう止めるヒマもなくて、うどんが飛び交ってんだ、工場内を、玉がね。ぴょん、と端っこがしっぽみたいに出たり、ほどけかけたり、もう大笑いだよ、え、もちろんその場で笑える訳ねえだろ、でもさ、妙にシュールで。ところでさ、今度の日曜家にいるのか。


 延々と続くかと思われた。二時間近くダラダラと会話に付きあわされて(途中で便所に行きたい、と再三再四言葉を挟んだが、相手はあまり聞いてはいなかった、とうとう、カケルの言っている意味が分かったらしく「じゃあ」と言ったのでほっとすると「五分後にかけ直す」と言いだした。さすがにそれはハッキリと断った)、電話がようやく終わった時には、耳の上側がじんじんと痺れていた。


 しかもその後、話の続きとしてメールも届いていた。

 さすがにそれは無視して、カケルは翌朝まで連絡をしないで寝に入った。

 朝起きて携帯をみると、メールは一件だけだったので少しほっとする。

 しかし、開けてみて「なんじゃこりゃ」思わず大声が出た。

 巻物のような文面が、スクロールを繰り返しても長々と続いていた。


 その朝もカケルはどうしようかと少し迷ったが、返信をこう打った。


―― 何かとね。お前は今日休み?


 すぐに返信がきた。待ってましたといわんばかりに。


―― 会社くびになった


 はああ? マジかよ。何と答えていいのか判らず、とりあえず洗濯ものを干すために外に出る。

 わずかな干し物が終わって部屋に入ってみると、携帯のイルミネーションライトが激しく点滅していた。バイブ音が連続して響き、携帯はきもち浮き上がるような振動をみせて、かすかに前進を企てている。

 いそいで電話をとると、案の定

「こにゃにゃちわ」

 いつのギャグだか分からないような、しかも中途半端な明るさをこめたヤツの声がした。


 結局、昼に会う事になってしまった。珍しく姉から何も用事を頼まれず、のびのびと過ごそうかと思っていたのに、そういう時に限って他の詰まらない用事が入る。


 しかも会いたくない気分ばかりが先に立つ。サンダルで出てきてしまったのに気づき、のろのろとまた玄関まで戻って、スニーカーに穿き替えた。


 同類と思われているのが、癪にさわった。おいなっしー(その呼び方にも腹が立った、ヤマナシなのでなっしー、そんな呼び方をするのは諭吉だけだった)、オマエもくびになったんだろう? リストラだったんだろう? オレもなんだ、あのさ、ハローワークですぐ金貰えるってホント? 一回、説明会に出なきゃならねえんだよな。詳しく教えてくんない? いいじゃんかよ、センパイ。あのさ、ニトリの向かいにでっかいファミレスあるだろ、あそこでいいかな。昼飯一緒に喰おうぜ。十二時に、え? 忙しい? 頼むよなっしー、色々話したいこともあるし。


 色々話したいこと、そのことばを聞いただけで胃がずしんと落ち込んだ。それでもう腹はいっぱいだ、まあいい、ドリンクバーでも何でもあるだろう。珈琲でも飲んで適当に相槌をうっていればいいんだから、そう心に言い聞かせながら、カケルは車を走らせた。


 南の空に、何か不思議と白い雲がみえた。遠景の下の端にまでかかった、茫洋とした裾が霧のようにかすんでいる。海の上にかかっているのだろうか、あの雲の下は雨だろうか、それにしても白い。上の方は硬質な塊のようにもみえる。つい目が行きそうになる。道路に目を戻しながら、そのうちに車が混んできた頃にはその雲のことはすっかり忘れ果てていた。

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