第5話 大国の意図
1939年12月14日
アメリカ合衆国
首都ワシントンDCペンシルバニア通り1600番地。大統領官邸ホワイトハウス。
南側のコンステテューション通りから大統領公園を挟んで見える左右対称の3階建ての本館と、そこから渡り廊下でつながるウェストウィング。樹木に隠されているため、本館以外のその全容を外から窺うことはできない。
そのウェストウィングの南東の角に位置する楕円の間、通称オーバルオフィスと呼ばれる大統領執務室。
冬の昼下がり、難しい表情でそのオーバルオフィスの執務席に座る第32代大統領フランクリン・ルーズベルトは二人の腹心と向き合っていた。
「偉大な国は必ず復活するだろう。連邦議会議事堂でそう言ってから6年あまり。真の敵は恐怖であると謳ったが、それは形を変え恐怖が迫りつつあることは、皆理解しているだろうか。今まさに、ヒトラーという名の狂った指導者に率いられた、狂信者集団であるナチズムのこれ以上の伸長を野放しにはできない」
前置きをしたうえでルーズベルトは語り出す。大統領就任直後に世界恐慌下からの脱出を図るべくニューディール政策を打ち出したのと、時を同じくして1933年にドイツでもアドルフ・ヒトラーが大統領ヒンデンブルクに指名され首相に就任し、ヒトラー内閣が成立する。それに伴いヴェルサイユ体制を打破するという名目で、ドイツは一切の賠償支払いを拒絶した。
この賠償は苛烈にして支払困難であることは自明の理だったが、それを理解したうえでアメリカはドーズ案、更にヤング案と支払いの緩和を行い、当初1320億マルクの負債を360億マルクまで軽減、在ドイツの米国資本を保護する名目があったとはいえ、それなりの譲歩をしてきたにも拘らず一方的なこの態度は、ルーズベルトにとっては責任の放棄に他ならず、将来その活動はさらにエスカレートしていくであろうことは容易に推察できた。
そしてその予想は的中し、欧州ではドイツ軍のポーランド侵攻により二度目の大戦の炎が巻き起こった。
「イギリスとフランスが、万が一にも敗れるようなことがあれば、大いなる海を隔てているとはいえ、否、欧州の内海を渡るように大西洋を軽く越えその魔の手はここまで届く事になるだろう」
「はい、そのお考えは至極妥当なものであると考えます大統領。当面の支援先は、直接彼らと国境を接するフランスに向けて、ですね」
ルーズベルトの忠実な部下であり、友人でもある財務長官ヘンリー・モーゲンソーは深くうなずき、彼が言わんとしている事を先に口にした。
「……その通りだヘンリー。フランスには大きな貸しがある。その貸しをフイにされては君としても困ったことになるだろう。無論、私もだがね」
おどけた様子で話しかけるルーズベルトの表情は、危機感を抱きながらも余裕のあるものだった。まだどうにでもなる、と考えているが故によるものなのだが。
「しかし直接、戦争当事国に対しての軍事関連物資の輸出に関しては議会の承認が必要となります。うまく立ち回らねば、議会から追及され徒労に終わりかねません」
難色を示すモーゲンソーの発言に、ルーズベルトも同意するように視線を落とす。
「議会、特に何かにつけ反対意見ばかり並べたてる共和党の議員達は危機意識というものが足りな過ぎる」
この時ルーズベルトは一人の共和党議員の話を思い出していた。
「ユーラシアを例え一国の支配下に置いたとしても、大西洋と太平洋を海軍を突破してこの本土に大軍を展開する事はできない、その為の両洋艦隊だ。国防に関しての予算は通させるが、他国の軍事的な直接支援は絶対に容認できない」
反ルーズベルト派、共和党の重鎮アーサー・ヴァンデンバーグの発言。
艦隊拡張法が予算審議中の状況下、アメリカ国防の根幹を成す艦隊戦力の整備に関しては、全面的に認めるとヴァンデンバーグ以下の共和党員も容認する発言をしており、これを受けて三次に亘る海軍拡張法は予算通過が確実なものとなる。
現在合衆国海軍の規模は英国海軍と比肩して世界一の規模を誇るが、これらの海軍拡張により、名実ともに世界最大の艦隊戦力を保有するにいたる。
「国防予算の問題はクリアしたが、それでもまだ満足のいくものではない」
ルーズベルトは視線を戻し、モーゲンソーの隣にたたずむ人物にその話を振った。
「まだ両洋艦隊が形を成すには足りない。特に日本海軍に対して対応力が不足するのは明白な事実だ」
鋭い視線を投げかけられたのは、海軍作戦部長ハロルド・スターク海軍大将であった。
ルーズベルトの信任が厚く、海軍最先任でもある前任ウィリアム・リーヒ海軍大将の後押しもあって、合衆国艦隊の一巡洋艦隊司令官から制服組のトップである海軍作戦部長へと飛び級の形で就任していた。
「リーヒの言う事に間違いはないだろうが、君にはいろいろと期待している。合衆国海軍の更なる増強はこの混迷した世界事情下では目下の急務だ。両洋艦隊の実現に向けてその原案の作成を急いでくれたまえ」
ハロルドの手腕に対しての評価はまだ定まっておらず、ルーズベルトはやや懐疑的だった。しかし、その対応に臆することなくハロルドは、「直ちに取り掛かります」とだけ応える。
(確かに現時点の合衆国艦隊では、質量的に見ても日本の連合艦隊に対しての優位はほぼないといって差し支えないだろう。ましてや大西洋にまでドイツの有力な艦艇が出撃している以上、全ての戦力を太平洋に振り向けられない現状では、かつて日露戦役の日本海海戦の戦力的に優位と見られていたバルチック艦隊が連合艦隊と交戦、一方的に撃破された事例を、我が太平洋艦隊が再現してしまう恐れすらある…)
ハロルドは即座に頭の中で計算を行う。しかも事はそう単純なものではない、大統領が目指すのは対枢軸国、特に日独に対しての議会に諮らず、大統領権限における封鎖の強行を意図するもの。
制裁は議会の承認が必要であるが、封鎖は便宜上の抜け道であるのだが、これを実際に実行するには相手国を圧倒する海軍力が必要となる。
ナチス政権成立時からルーズベルトが敵視していたのは承知の事実だが、ドイツの軍拡を留めるため、周辺国の英仏ソ波による期限付き軍縮条約締結を模索、周辺国が応じドイツがこれを蹴った場合には、対独封鎖を実行に移す事を考えていた。
もっとも、大方の予想に反してドイツ軍が先にポーランドに侵攻し世界大戦が始まってしまった事で計画は頓挫した。
(海軍次官から大統領となったルーズベルトらしい海軍主体の政策だが、少なく見積もっても日本海軍に倍する戦力が必要となるが、彼らとて我々と同じく軍拡の椅子に座りレイズを上乗せしてくるだろう。忙しい日々が続きそうだ……)
スタークは内心は心穏やかなものではなかった。
「一見したところ、このアメリカは確かに平和に見えるには見える。だがそれが見せかけに過ぎん事を理解しようとしていない、いや、あえて目を背けようとしているのだ。同じようにこの戦争がまやかしだとイギリスやフランスは考えているようだが、イタリアのファシスト、ソ連の共産主義以上にナチズムは危険極まりない存在だ。数年と時を置かずに我がアメリカの直接的な脅威となる。だができるのであれば、野蛮な事をせずとも紳士らしくスマートな手段で物事を解決したいものだがね。二人とも下がってくれ」
ルーズベルトは深い溜息をつき、そう言って椅子から立ち上がると二人に退出を命じた。入れ替わりに国務長官であるコーデル・ハルが入ってくる。
「大統領、ソ連のフィンランド侵攻の対応ですが…」
「……ソ連には遺憾であると、スタンドレイ(駐ソ大使・海軍大将)に伝えてくれ。それとこれまで行ってきた援助を停止する、とな」
窓の外をみたまま、ハルの方を振り向くことなくルーズベルトは応えた。ルーズベルトが大統領に就任した当時、ソ連はスターリン政権下での経済政策、第一次五ヵ年計画が遂行され、その国力を大幅に増大させていた。アメリカは世界恐慌の痛手から立ち直ってはおらず、再建途上の困難な時期にもたらされたこの報告は、政府による経済への積極介入政策であるニューディール政策へと繋がっていた。
「賢明なご判断だと思われます。では失礼いたします」
ハルはそう言うと素早く部屋を後にする。
(君の言う通りだろうよ、擁護できる事情ではない。次代を担う責任あるべき大国が一致協力するべきはずが足元をすくわれるとはな…)
「やはり大統領は枢軸国に対しての封鎖をお考えなのですか?」
北側に位置する正面玄関へと向かうスタークは、隣を歩くモーゲンソーに問いかけた。
「驚きましたな、あなたは軍人にしては鋭いようですね。リーヒ提督の推薦もうなずける」
驚いた様子をモーゲンソーは見せながらも、少し嬉しそうな顔をする。予想は当たっていた事をスタークは確認する。
「ですがドイツはともかく、日本相手とした場合そう簡単にはいかないでしょう。ナガトをはじめ、ミョウコウ、タカオクラスも侮れない強力な艦です。加えて軍縮の枷を外された新型艦も就役するでしょう。前線にあってこれらと戦う海軍の事情もお察しください」
「提督の懸念は尤もなことですが、我々が目指すのは紙上封鎖であり、我が国と英国の物資に頼る日本は戦うまでもなく屈服する道を選ぶことになるでしょう。それ以外に選択の余地はありません」
モーゲンソーは余裕の表情だったが、言いようのない不安を覚える。
「それでは、万が一にも開戦に至った場合には?」
当然の疑問を口にする。
「その時はあなた方海軍の出番となります。私は軍事の専門家ではないが、ランチェスターの法則…、いや海軍ならばフィクスの法則でしたな? 大統領は海軍次官出でもあり、よく存じているこの法則ならば決定的な勝利は揺るぎようがない。そのため財務を預かる私としては、全面的にバックアップを行うつもりです。もっともそれは、大統領が言われるスマートな手段とは言えぬ下策でしょうがね」
スタークは閉口する。確かに戦わずに済むのであれば、我が海軍としては予算拡充も果たすことができ利点が大きい。しかし、最悪の事態を想定して慎重に、かつ素早く策定を行わなければならない。
玄関前に停車しているキャデラックを前に、スタークはモーゲンソーに別れの挨拶を交わし乗り込む。向かう先はワシントン南東に位置するアナコスティア河河畔の合衆国海軍省作戦本部である。
スタークが着任する海軍省内ではひとつの問題が持ち上がっていた。海軍航空部門に絡む航海局と航空局の派閥争いである。
海軍内では海軍拡張に伴い海軍長官クロード・スワンソンの指導の下、艦隊戦力整備に邁進していたが、これと並行して人員の育成をめぐって二つの部門が対立していた。海軍航空部隊生みの親と言われ、飛行船墜落事故により非業の死を遂げたウィリアム・モフェットの子飼の部下である現航空局長ジョン・H・タワーズ海軍少将は、航空機調達を大幅に増やし39年度調達機数2000機から3年間で3万機に増強する方策を策定。アナポリス(海軍兵学校)卒業者をそのままペンサコラ(飛行学校)に入学させるべきだという暴挙に等しい発言を行っていた。
対して航海局局長はチェスター・W・ニミッツ海軍少将であり、人事教育を担当とする彼としてもたまったものではなかったのである。タワーズら航空閥は形振り構わぬ政治介入もあり、以前から航海局と衝突しており艦隊と航空のあり方を巡って内部事情は複雑だった。
中華民国
湖北省
長江中流域の大都市武漢から南に80km程に位置するこの地では、大規模冬季攻勢を開始した中華民国軍に対する反撃の狼煙が上がろうとしていた。
「夜明け前に敵軍に突入する。全員気配を消すことに留意せよ」
周囲はまだ闇に沈む山間の地に、鋭い眼光を光らせた男たちの姿があった。その数約200名余り。
先頭にいる壮年の男が、屈んだ姿勢で腰の軍刀に手をかけながら、後ろに続く兵士達に命じる。
湖北省とその南東江西省の境、東西に延びる山地に武漢奪回の為集結中であったこの地区を管轄する第九戦区、民国軍の最大兵力を誇る第9集団軍15個師約30万名が展開していた。
武漢は上海と、現民国政府のある重慶との中間点であり、昨年八月から帝国陸軍は総兵力35万を投入して発動した武漢作戦により陥落した要地であった。三ヶ月あまりの戦闘により、帝国陸軍は民国軍を一方的に撃破し作戦目標を攻略、蒋介石はこの戦闘で武漢を脱出、20万余りの犠牲を払った雪辱の地である。この作戦の動員に先立ち近衛内閣は国家総動員法を成立させ、経済統制体制へと移行していく。
満を持したこの冬季攻勢で、蒋介石は民国軍独力による武漢の奪回を目指していた。これに対して支那派遣軍はこの地区の名跡の名を取り九宮山作戦を発令。第11軍隷下第6師団、第13師団を反撃の第一弾とした。
山中を進むのは帝國陸軍最精鋭と謳われた第6師団の一個中隊であり、山岳戦に精通した者達が集められた、現状況下では文字通り最強の存在といえた。
対して民国軍は攻勢をかける側である事と、全域で反攻が行われていることから日本軍は寡兵であり、反撃に出る余裕はないはず、とたかをくくっていた。
寝静まった野営地に対して小野田大尉率いる夜襲部隊は息を殺しながら近づき、警戒中の歩哨の姿を認めるとその動きを止めた。包囲するよう静かに両翼に展開していく。
「大尉殿、敵は我々と同じ中隊規模の模様です。一気に仕掛けましょう」
30代の副長である少尉が進言する。
「うむ、ここでもたつく訳にはいかん。敵が発砲するまで発砲を禁じる。夜明けからは強襲となる、一発の無駄玉も許さん。総員抜刀」
腰の軍刀を引き抜く。軍刀を所持している将校は全員抜刀し、歩兵も三十年式銃剣装備の歩兵銃を握りしめる。周囲は敵だらけであり、いくら武器装備が行き届いていない支那兵と言えど多勢に無勢、包囲殲滅されてしまうことは分かった。
物陰に隠れながら歩哨の様子を窺い、その隙を狙う。気付かれてはいない。
その後すぐに若いらしい歩哨は欠伸をしながら後ろを向いた。気を抜き過ぎだ、と心の中で叫びながら小野田は先陣を切って駆け寄り、歩哨の首筋にむけ一刀を振り下ろす。
一瞬の出来事に、歩哨は振り向きざまの一閃に反応することはなかった。声にならない空気の音とともに、その音の発生源は宙を舞った。
歩哨が倒れ伏す音と共に、多数の足音が響く。さすがに寝ている他の連中も目を覚ましたが、その時には遅かった。
「鬼子…」
起きざまに相手の姿を見てそういった兵士の胸元には深々と銃剣が突き立てられていた。
野営地は血の色に染まった。攻撃開始からものの数分の間に戦闘とは言えぬ戦闘の幕は下りていた。
「中隊長殿、制圧完了です」
顔に返り血を浴びた軍曹が報告する。
「ご苦労。直ちに次の場所に移る」
「ハッ」
敬礼後回れ右し、駆け足で部下の下へと戻ていくその後ろ姿を見つめる。感慨など何もない。陽が登れば師団主力が総攻撃を開始する。それまでに敵内部に深く浸透し敵を攪乱せねばならん。
小野田中隊は素早くその場を離れた。
明くる15日早朝、第6師団主力と第13師団が九宮山北方より突入し、第9集団軍と交戦開始。攻撃は完全な奇襲となり、民国軍はその大兵力が裏目に出て極度の混乱の中で霧散していくことになる。
九宮山の西の平地に展開する第9集団軍主力部隊に対し、第6師団は夜間の内に密かに移動し、それらを射程内に納めていた。
山岳地に対して配備の容易な四一式、九四式(砲口径75mm)山砲装備の砲兵連隊、3個大隊からなる24門を敵側面となる北の山岳部に配置し、その砲火力の支援のもと、同じく師団配備の九五式軽戦車2個中隊24輌が2個歩兵連隊突入に随伴。
ろくな装備を持たない支那兵の頭上からは75mm榴弾が降り注ぎ、正面からは戦車を伴った歩兵部隊が突撃を開始する。
これを見た支那兵は我先へと敗走し始め、ソ連ゆずりの督戦隊の制止もまるで意味を成さなかった。




