第7話 地獄の蓋3
6月22日3:30
白ロシア(ベラルーシ)・中央戦区
「砲撃開始!」
爆音をあげて上空を多数の空軍機が飛び越えていく中で、ドイツ軍砲兵指揮官の号令の下に、ドイツ地上軍の攻撃が開始された。
師団砲兵主力装備10.5cm leFH18、前線後方に大量に横一列に配置された各野砲が一斉に火を噴き、放たれた砲弾はソ連軍陣地に吸い込まれ爆炎と土煙とを上げる。
始まりは夜明けと共にドイツ側からの、容赦ない砲撃から始まった。前線歩兵部隊の後方からは師団砲兵部隊によって絶え間なく砲撃が続けられる。
数ヶ月に渡り偵察観測によってもたらされ用意周到に準備された濃密な火力支援は、何も知らずに寝ていた哀れなソ連兵をそのまま永久の安息へと導く。
「行くぞ!突撃だ!」
砲兵による支援を受けた、灰緑色の軍装にM40鉄帽のドイツ兵が、Kar98k小銃を抱え背を屈めながら陣地を越えて前進を始める。
これに機関銃MG34装備の機関銃小隊が支援として続く。
陣地から飛び出して行ったドイツ兵に対しての、ソ連軍による攻撃は一切なかったため、身を守るための塹壕は一切不要だった。
砲撃を受けるまで、警戒のけの字も思い浮かばなかったソ連兵は、着の身着のままで配置につかざるをえず、その途中でドイツ兵と鉢合わせになれば一方的に蜂の巣にされた。
歩兵の中に混じり、エンジンの爆音と駆動音を鳴らしながら、一際目を引く背の低い扁平な装甲の塊。
それが車体中央に備え付けられた75mm砲24口径の短砲身の砲口から火を噴く。
StuG(Ⅲ号突撃砲B型)
歩兵部隊支援用として随伴し(まだ配備数が300輌程度で大隊に1輌あるかないかほどの少数ではあったが)歩兵部隊と共に、あるいは先頭をきって進んでいく。
砲塔搭載型ではない突撃砲は歩兵の直接支援と言う性格上、陣地を相手にする火力と、砲陣地と直接撃ち合う防御力と求められた機動力よりも、直接的な戦闘力を重視した結果、砲塔ターレット直径に影響されない強力な砲と、ターレット荷重に影響されない強力な正面装甲は、重戦車並みの防御力を誇る。
主力であるⅢ号・Ⅳ号戦車の多くは装甲集団に配備され、歩兵を守る盾、火力支援として実戦にStuGは投入された。
ソ連前線部隊に配備された旧式の快速戦車BT-7などはそもそも練度が絶望的に低く、とても命中を望める状態ではなかった。たまに命中しても45mm砲弾ではStuGの正面装甲で弾き返され、Ⅳ号戦車と同等の75mm砲は、BT-7の避弾径始があるとはいえ15mm装甲を撃ち抜くのに十分過ぎる火力を発揮した。
中央軍集団編成
第4軍
第7軍団・4個歩兵師団
第9軍団・3個歩兵師団
第13軍団・2個歩兵師団
第43軍団・3個歩兵師団
第9軍
第8軍団・3個歩兵師団
第20軍団・2個歩兵師団
第42軍団・3個歩兵師団
第2装甲集団
第24装甲軍団・2個装甲師団 1個騎兵師団 1個歩兵師団
第46装甲軍団・1個装甲師団 2個SS自動車化歩兵師団
第47装甲軍団・2個装甲師団 1個自動車化歩兵師団 1個歩兵師団
第12軍団・3個歩兵師団
第3装甲集団
第39装甲軍団・2個装甲師団 2個自動車化歩兵師団
第57装甲軍団・2個装甲師団 1個自動車化歩兵師団
第5軍団・2個歩兵師団
第6軍団・2個歩兵師団
3つの軍集団の中で最強の2個装甲集団を擁する中央軍集団。東部戦線で投入された全17個装甲師団のうち、実に半数の9個装甲師団が配置されている。
装甲師団は対フランス進攻以後、再編が進められ師団数はほぼ倍増しているが、編成内容、戦車定数は引き下げられた。
中央軍集団が担当する白ロシア区域の進撃は、ドイツ軍の進撃の中でも特に劇的な速度での進撃を果たした。
作戦開始時、中央軍集団は北から第3装甲集団、第9軍、第4軍、第2装甲集団を配置。
中央軍集団の独ソ境界線は、南端と北端が突出部を形成しており、それぞれに装甲集団がその突端部に配置されていた。
ハインツ・グデーリアン上級大将率いる第2装甲集団は第3・第4装甲師団からなる第24装甲軍団と第17・第18装甲師団からなる第46装甲軍団主力が戦域南部から。
ヘルマン・ホート上級大将率いる第3装甲集団は第7・第20装甲師団からなる第39装甲軍団と第12・第19装甲師団からなる第57装甲軍団主力が戦域北部から。
両装甲集団はそれぞれ軍集団管轄の境界に沿って一斉に東へと突進、これは典型的な南北を突破して後方を遮断する両翼包囲であった。
そして、中央を歩兵主体の第4・第9軍が両翼を挟まれた敵軍を、ローラーのように正面から押し潰していく配置となっていた。
北から中央にかけての進撃は順調だった。しかし、全てが全てと言う訳ではなかった。
唯一、グデーリアンが担当する南端の突出部だけはやや様相が違っていた。
3:45
ブレスト=リトフスク
グデーリアンの第2装甲集団正面の都市。元はポーランド東部の都市で千年近い歴史を持つ古都、要塞の街。
先のポーランド戦でもグデーリアンは、ポーランド北部を横断し、最終的にこの街に迫った因縁ある場所。
南北に流れるブク川がブレストの前に横切る形で、まずはこのブク川を渡河する事になる。橋梁は数が限られるため、戦車が殺到すれば渋滞でだんごになってしまう。
グデーリアンの前には最初から躓く要素が揃っていた。
この差が、同じ軍集団の片翼となっているホート率いる第3装甲集団のミンスク突入に、遅れを取る事になる。
渡河にさしあたって特殊な戦車が戦場に登場する。
砲塔周りに装着されたゴテゴテしたカバーに、上向きに3メートル以上はあろうかと言う排気筒が通常よりもはるかに長い、見た目が戦車と分からない物が、ブク川沿いに並んでいる。
英本土上陸作戦に投入される予定だった、潜水戦車と呼ばれるⅢ号・Ⅳ号戦車のバリエーションの1つがここには多く配備されていた。
装甲集団の前面は、その戦車の配備数に対して狭い。
川幅40m程のブク川に、カバーで覆われた戦車が次々と入っていく。さながら川に飛び込むバッファローの群れと言った様子だろうか?
防水がしっかりなされていたのか、途中脱落する事なく全車両が渡河を完了し不要となった防水カバーを爆薬で吹き飛ばし、本来の姿を現した猛牛の群れは、何事もなかったかのように前進を開始する。
他の場所でも同様の光景が見られ、不要とされていた潜水戦車が多少なりとも活躍を見せた機会だった。
それでもそこまで準備していたのは少数であり、足周りが濡れる程度ならば問題ないだろうが、車体の半分近く水に浸かるようでは普通の戦車は無理に渡河を強行できない。
ブク川には工兵部隊が即席の河川舟艇を用いた浮き桟橋による架橋が複数箇所設置され、そこを起点に対岸の陣地を構築し、渡りきった装甲部隊はそのまま前進を開始する。
このあたりは、先のフランス戦でも経験を積んだ事で、その展開は凄まじく早い。
だが、順風満帆とまでいかない事が常にある。
ブレスト=リトフスクは要塞の街として知られており、その要塞は市街の南西端、つまり最前線に位置しブク川に隣接して古い石造り、煉瓦造り、中央には教会を備えた旧式要塞の防塁が、周囲20kmに渡ってあちこちに張り巡らされ、その防塁の間を複雑に水路が巡らされた非常に攻めにくい構造となっていた。
もちろんソ連軍もここに目を付け、改修が行われ防備は強化されていたが、全てを終わらせるには至っていなかった。
しかし、曲りなりにも要塞は要塞である。
「ファシスト共を先に進ませるな!総員戦闘配置につけ!我々に降伏の2文字はないのだ!」
自らを鼓舞するかのような、悲痛とも言えるソ連軍指揮官の声が要塞内に轟く。
絶望的な戦いに挑もうと言うブレスト要塞内には、状況を認めないかのような凄まじい熱気に包まれていた。すでにドイツ軍の砲撃は始まっている。
慌ただしく人種も雑多なソビエトと言う多民族国家一つにまとめられた兵士達が産まれも出自も違いながら、同じ軍服を纏い、侵略者に立ち向かうのだ!の号令の下で、その内容に一切の疑いを持たず従っていく。
他の場所が混乱の最中にあるなか、戦闘を行う目的で建てられた場所にいる、ということが士気を奮い立たせていた。
「敵戦車、数量不明!とにかく大量にブク川を渡河中!」
要塞の望楼で監視しているウクライナ兵が現状を伝える。
「各砲は直ちにブク川を砲撃!他の者は敵の侵入に備え障害物を設置!守りを固めろ!」
各指揮官、政治委員の命令に従って、要塞内に立て籠ったおよそ2個連隊に匹敵する8000名の要塞守備隊は徹底抗戦の構えを示した。
要塞内に配備され旧式とはなっていたがM30/122mm砲、M10/152mm砲は、ドイツ軍にとっては少なからず脅威となった。
攻撃を免れた要塞内のソ連軍砲兵は、その砲射程内のブク川を渡河中の部隊、或いは設置された架橋及び橋梁に対して、ドイツ軍の進撃を止めるために果敢に反撃を始めた。
「派手に撃ち上げて来てるな……」
前線部隊に随行し、偵察車両に搭乗してその様子を観察していたのは、装甲集団司令官グデーリアン。
ソ連軍の砲撃はブク川に沿って土煙と水柱を上げ、時たまにせっかく設置された架橋に命中し、その場所は吹き飛ばされて使い物にならなくなる。
あらかじめ照準が合わせられていたことが予想できた。
「さすがに古臭いとは言え要塞です。空軍も航空基地に後方の遮断と大忙しでここばかりに手を焼けませんからな」
そう言って双眼鏡で同様に確認しながらグデーリアンの傍らに控えるのは、装甲集団主席参謀フリッツ・バイエルライン少佐。剛直で直言する事を厭わない人柄なせいで、直情径行、即断即決を旨とするグデーリアンとは、細かな事を巡って口論になる事があった。
「前にもこんな事があったと思ったが、早急に手を打たねばならん。片翼を担う我々が、これではホートに遅れる事になるではないか!」
「その点については、仰る通りです。本官としましては、後方部隊の円滑な進撃を助けるために主力…、第18装甲師団の投入が理想かと」
バイエルラインの提案に、グデーリアンは難色を示す。
「18師団は先鋒の中核だぞ。このまま東に突入させた方がいいのではないのか?12軍団に任せてはどうか?」
やや気分を害したかのように、グデーリアンは反駁する。
「いえ、ここで長らく抵抗されますと、補給の調達に支障が及ぶ恐れがあります。ここならば重砲によっては第4軍の管轄まで砲撃が届き、橋梁が破壊された場合における我々の兵站に対しての影響が大であり、それはすなわち進撃速度の低下を意味します。強力な部隊を投入して、せめて砲火力を沈黙させるのは必要かと」
グデーリアンに臆することなく、バイエルラインは忌憚なく意見を述べる。
この時、装甲集団は軍に匹敵する規模ながら、あくまで軍に隷属する位置付けであり、この場合、グデーリアンの第2装甲集団の補給を担当するのは隣接する第4軍であった。
ある程度の独自性はあったが、まだ単独で自由の利くものではなく切り離せない存在となっていた。
装甲集団が兵站を独自に持つのは、装甲軍に格上げされるまで待たねばならなかった。
「第4軍か……。そうか。ならばよかろう」
意見を異にしながらも、結果的にはグデーリアンはそのバイエルラインの提案を煙たがりながらも受け入れている。
第4軍のギュンター・フォン・クルーゲ陸軍元帥と、グデーリアンは不仲でもあったが、この関係性が後に問題となって噴出してしまうのは、彼らをよく理解していなかった人事部門にも責任があったのだろう。
その後、バイエルラインは北アフリカ方面に異動し、ロンメルの下で彼を支える事となる。
全戦線の中にあってほぼ唯一の激烈な抵抗を示すブレスト要塞には、第46装甲軍団に所属する第18装甲師団が、攻略を担当する事となった。
14:00
「上空、シュトゥーカ!」
上空から迫る編隊を見上げ、砲撃にあたっていた兵士が叫ぶ。
中々砲撃が止まないソ連砲兵を黙らせる切り札の登場に、ドイツ兵は期待の込めた眼差しを送る。
午後になってから、付近の航空基地を破壊したドイツ空軍の急降下爆撃編隊、およそ2個中隊24機がブレスト要塞上空に飛来し、SC-1800、SC-500(それぞれ1800kg500kg通常爆弾)を地獄のサイレンを響かせながら投下していく。
「ファシストのハゲタカだ!」
これは同時に、要塞内のソ連兵も確認することができた。サイレンを鳴らしながら接近する機体から、巨大な円錐状の鉄塊が切り離されるのが見えた。
「砲撃中止!砲は放置し退避!」
砲兵指揮官の中尉は、砲撃を中止し砲兵全員を避難させる。
命中精度に定評のあるシュトゥーカの急降下爆撃は、狙いを外すことなく要塞内に設置されていた重砲を容赦なく吹き飛ばし、周囲の弾薬も誘爆させそれまでのドイツ軍の砲撃に倍する煙を舞い上げさせた。
SC-1800は城壁と要塞の一部分を見るも無惨に破壊しつくした。
シュトゥーカによる空爆の援護によって多くの砲陣地が破壊されたが、それでも全てを破壊するまではいかず、装甲師団と空軍が共同で数日に渡って猛烈な砲爆撃を加え、この攻撃によって、ブレスト要塞の砲陣地は壊滅に追い込まれた。
しかし、要塞内は水路と構築物によって複雑に遮蔽された部分を破壊するまでに至らず、最終的には歩兵部隊を投じた攻城戦へと突入する。
一段落がついたとして第18装甲師団は前進を再開するが、その時には既に第一の要衝ミンスクは陥落していた。
このブレスト要塞が初期における唯一の抵抗らしい抵抗であり、中央軍集団の他の各軍は一斉に無人の野を行くが如く、東へ東へと進撃していった。
この中央軍集団の正面に展開していたのは、ソ連西方面軍4個軍であった。
この攻勢に際してドイツ軍に幸いしたのは、ソ連軍の対応のまずさが顕著だった。
方面軍司令官ドミトリー・パブロフ上級大将は赤軍粛清に反対し、かつては重戦車シリーズとも言うべき戦車開発に関係した自動車戦車装甲部局長を務めた決して無能な人物ではなかったが、この時は完全な認識不足を露呈した。
前日21日は国境線の不穏な動きを報告されながらこれを無視、夜には劇場観劇に興じ奇襲を許した。
この時、パブロフの指揮下には前線に第3・第4・第10軍、28個狙撃兵師団と5個戦車師団、1個自動車化師団があった(第13軍は司令部のみ後方に所在)が前線にあり、これらの戦車部隊は局所的な反撃を実施するも、連携を欠いた反撃は、ポーランドとフランスでより洗練された戦車戦術を確立していたドイツ装甲部隊に容易に包囲され、なす術もなく蹂躙されるがままに撃破され、あるいは包囲の輪にとらわれて壊滅していった。
遅れながらパブロフは副官を派遣するなど状況の確認に追われたが、もうそのころには手の施しようがない状態だった。後にパブロフはミンスクを放棄。
後にパブロフは参謀長、第4軍司令官と共に、あまりにも稚拙な指揮と敗戦の責、そして総司令部のスケープゴートとして裁判の末銃殺される。
中央軍集団はわずか1週間の短時間に、独ソ国境から200km奥地の西方面軍司令部所在地ミンスクに到達。
ミンスクにおいてグデーリアンの第2装甲集団とホートの第3装甲集団が合流し、包囲が完成。その間にクルーゲの第4軍とシュトラウスの第9軍がその内側で更にソ連軍を東西に分断する二重包囲が形成され、4個軍290000名の兵士が捕虜となり、総計で400000名の兵力と2500輌の戦車と1500門以上の火砲をソ連西方面軍は喪失し、一部250000名が脱出には成功したが、継戦能力を失った。
7月3日までに包囲戦は終結し、首都モスクワに至る次の要衝スモレンスクを臨む形となった。
ソ連西方面軍が壊滅した時、ブレスト要塞は頑強に抵抗を続けており最終的に制圧まで1ヵ月の期間を必要とした。途中弾薬を消耗しつくした7000名が捕虜となり、900名戦死、残った数人が迷路のような要塞内で地下室にこもり、最後のその時まで抵抗して果てた。
「俺は死ぬ。降伏するものか。許せ、祖国よ。 41.7.20」
地下室の壁にはこのような文字が彫られていた。
要塞内で最後の生き残りが彫ったものであるのは疑いようがなかった。
このブレスト要塞と直接向かい合ったグデーリアンは、要塞守備隊の敢闘を「祖国を愛する気持ちは皆同じである」として讃えている。




