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流転の大戦記  作者: どらごんますたぁ
第1章 日米開戦への道1941
31/34

第6話 地獄の蓋2

1941年6月22日



ヒトラーとスターリン。

ドイツとソビエト、世界の強国に同時に存在した二人の独裁者。20世紀の二大巨頭が並び立つことは、世界が望んだのか、必然だったのか。

国家社会主義と共産主義、一般的な目で見れば根は同じように見える思想の対立。

それを目に見える個人の構図とした象徴的二人。

思想の線引きそのものは非常に曖昧だが、レーニンによる社会主義と共産主義の決別がその最たる事象と言える。

この二人の独裁者による悪魔の盟約によって第二次世界大戦が引き起こされ、その終焉をもって衝突する運命は、先の大戦が終わった時、既に宿命付けられていたのかもしれない。


互いの生き残りをかけた運命の日。


舞台は東ヨーロッパの大平原。幅2500km、奥行き1500km、375000平方kmの範囲。これは日本の国土を山岳部を平坦にして、ほぼすっぽりと納まる面積に当たる。この舞台こそが世界を激震させる地獄の蓋なのだ。

湿原と河川と平原と森林と丘陵が入り交じる、変化に富んだ地形となって、バルト海から黒海に至る範囲に横たわる。

独ソ国境からAA線(カスピ海沿岸アストラハン~大西洋沿岸アルハンゲリスク)に至るまでが、ドイツ国防軍が設定した攻勢終末点とされ、最終的には更に奥地に広がる。

この範囲内には、首都モスクワ、レニングラード、スターリングラード、キエフ、ドネツク、バクーと言った工業地帯、穀倉地帯、資源地帯、あらゆるソ連の力が集積されている。ソ連と言うユーラシア最大の領土を持ちながら、その4分の1の範囲にそれらが集中している。

工業生産の面で比較すれば、アメリカでいうところの東海岸、日本では本土太平洋沿岸地帯、イギリスで言えばインドそのものにあたる。

この広大な土地が、ヒトラーが「我が闘争」の中で提唱する、ドイツの陸続きの植民地である東方生存圏。その考えそのものは更にさかのぼり、プロイセン時代には存在していた、ドイツが長らく欲した土地。

そして、現代における癌とまで蔑み滅ぼすべき存在とされた共産主義によって支配された穢れた土地だという事が、その侵略行為に正当性を与えることとなった。

 対しソビエトの旧ロシア帝国領の回復という歪んだ希望は、ロシア帝国が崩壊し自由を勝ち取った周辺各国の最大の脅威となったのは言うまでもない。

 フィンランドしかり、ルーマニアしかり。バルト三国は既に併合され、ポーランドは崩壊した。

 領土問題ばかりでなく、既存の政治形態を採る全ての国々であっても、その共産主義は自国の崩壊を招きかねない危険思想であるため、容赦なく取り締まりの対象とされた。

 ドイツと戦争中であるイギリスであっても、共産主義は明確な敵であり、チャーチルの戦時内閣成立時には共産党は壊滅に追い込まれた。

 それは日本であっても同様。


 そして、この独ソ開戦に当たって、ドイツ以外の国々が派兵した兵数が、ソ連に対しての脅威度を物語っていた。

フィンランド・28万人

ルーマニア・32万人

イタリア・6万人

スロヴァキア5万6000人

ハンガリー・4万人


 ドイツ軍以外で合わせれば、80万近い兵を枢軸同盟各国が派兵している。このうちソ連と隣接するフィンランドとルーマニアに至っては、後に日本が南方戦線に投入する戦力に、それぞれが匹敵するだけの派兵が行われている。それだけの覚悟をもって両国もこの戦いに臨んでいるのだ。

 枢軸同盟軍はさながら異教徒から聖地を奪還する十字軍の様相と重なっていた。

共産主義国家ソビエトは現代における異教徒であり、ソビエトに挑むために集った枢軸同盟軍はまさしく現代の十字軍と言え、それを鑑みれば、バルバロッサことフリードリヒ1世はその指揮官でもあり、最もふさわしい作戦名称であったのだろう。


バルバロッサ作戦


ドイツ軍(総兵力150個師団)


北方軍集団・ヴィルヘルム・フォン・レープ陸軍元帥

第16軍・エルンスト・ブッシュ上級大将(3個軍団)

第18軍ゲオルク・キュヒラー上級大将(3個軍団)

第4装甲集団・エーリヒ・ヘープナー上級大将(2個装甲軍団)

軍集団予備2個軍団


中央軍集団・フェードア・フォン・ボック陸軍元帥

第4軍・ギュンター・フォン・クルーゲ陸軍元帥(4個軍団)

第9軍・アドルフ・シュトラウス上級大将(3個軍団)

第2装甲集団・ハインツ・グデーリアン上級大将(2個装甲軍団・2個機械化軍団)

第3装甲集団・ヘルマン・ホート上級大将(2個装甲軍団・2個軍団)

軍集団予備3個軍団


南方軍集団・ゲルト・フォン・ルントシュテット陸軍元帥

第6軍・ヴィルヘルム・フォン・ライヒェナウ陸軍元帥(2個軍団)

第11軍・オイゲン・フォン・ショーベルト上級大将(3個軍団・ルーマニア山岳軍団)

第17軍・カール・シュテルプナーゲル陸軍大将(3個軍団)

第1装甲集団・エヴァルト・フォン・クライスト上級大将(3個装甲軍団・1個軍団)

軍集団予備2個軍団


総司令部予備

第2軍・マクシミリアン・フォン・ヴァイクス上級大将(1個機械化軍団・2個軍団)


戦車 約4170輌

各砲迫 約42600門


第1航空艦隊(北方軍集団支援)

1個航空軍団・2個飛行団


第2航空艦隊(中央軍集団支援)

2個航空軍団・8個飛行団


第4航空艦隊(南方軍集団支援)

3個航空軍団・5個飛行団


ドイツ軍総兵力305万名

航空機 約4300機


これに各枢軸同盟軍が加わり、総計380万名に及ぶ。これらが対ソ連国境に配備され、ソ連と各国の国境線は4000kmを超える長大さで、史上空前、空前絶後の規模となる。


独ソ開戦時


ソ連軍(総兵力190個師団)


レニングラード軍管区(フィンランド方面)

北方面軍・マルキアン・ポポフ大将

第7軍(2個軍団)

第14軍(2個軍団)


バルト特別軍管区(北方軍集団対応)

西北方面軍・フョードル・クズネツォフ大将

第8軍(2個軍団)

第11軍(5個軍団)


西方特別軍管区(中央軍集団対応)

西方面軍・ドミトリー・パヴロフ上級大将

第3軍(3個軍団)

第4軍(2個軍団)

第10軍(2個軍団)

第13軍(2個軍団)


キエフ特別軍管区(南方軍集団対応)

南西方面軍・ミハイル・キルポノス大将

第5軍(2個軍団)

第6軍(2個軍団)

第12軍(3個軍団)


オデッサ軍管区(黒海沿岸対応)

第2軍(3個軍団)


総司令部予備

第19軍・第20軍・第21軍・第22軍


ソ連軍総計329万名

戦車 約15680輌

各砲迫 約59870門

航空機 約11530機


ソ連軍はフィンランドとの冬戦争で甚大な被害を受けていたが、その戦力は大幅に拡充され、この西部方面全体の69個師団から170個師団まで増強していた。

これは指揮官である将校の数も、払低している1939年時点とは比較にならない増加を意味し、ソ連赤軍は急速に改善される途上にあった。

ヒトラーが腐った納屋と認識していた赤軍は、既に変貌を始めていた事に気付いていなかった。


1940年3月~1941年5月の間は、赤軍再建と戦争計画の策定に狂奔していた時期であり、国防人民委員セミョーン・チモシェンコ元帥、新たに参謀総長に着任したゲオルギー・ジューコフ上級大将らの働きがあった事によるものだ。

二人は、ドイツがソ連領土に野心を抱き、遠からず独ソ戦が勃発する事を危惧し、工業地帯の集団疎開、距離を生かした縦深防御計画、マジノ線に匹敵すると言われたスターリンラインの整備に追われていた。

更に二人は、独ソ開戦不可避として非公式ではあるがソ連赤軍による対ドイツ先制攻撃の是非と作戦研究に着手してはいたが、それが日の目を見ることはない。


だが、赤軍最高指導者であるスターリンは「ドイツとの即開戦の可能性は無い」と断じ、国境周辺に展開する赤軍のドイツと衝突する可能性のある演習、偵察といった行為の一切を禁じた。

既にソ連領土内にドイツ軍の偵察機が侵入して盛んに偵察行動が行われ、独ソ間の貿易収支のドイツ側からの支払いは意図的に遅滞されていた。物資のソ連からの搬入は滞りなく行われているのに、だ。

独ソの開戦近し。しかし、その動きは封じられたままその時を迎えた。

 スターリンがここまで不可解な行動をとっていた背景には、間違いなく独ソ開戦の直前4月13日に締結された日ソ中立条約の存在が影響している。

 独ソ開戦の可能性を意識したスターリンは、ドイツとの関係悪化を阻止する信用としての価値をこの条約に見出だしていた。あるいはソ連の先制攻撃の目くらましとしての利用価値として捉えていたのか、どちらであったかまでははっきりとしない。

 その日本に潜伏しているコミンテルンスパイ、リヒャルト・ゾルゲからの報告と、イギリス外務省から再三警告を受けながらそれをスターリンは、独ソの関係を破壊するイギリスの陰謀であると黙殺した。

 日本は対英米の圧力をはね除ける手段として日独伊ソ四国同盟によるユーラシア連合構想を模索、いや真剣に検討すらしていた。

ソ連は自国の安全保障として、独ソ不可侵条約と日ソ中立条約に求める考えが根底にある。

それだけ日本の事、と言うよりも交渉に当たった松岡洋右が信用に値したという事なのだろうが、スターリンの猜疑心の強いその心中を窺い知ることはできない。

 そもそも、独ソ不可侵条約も日ソ中立条約も相互の利益によってのみ成立した条約で、破棄されるべくして破棄された代物であり、それに拘束力を期待するのは愚かであるという事なのだ。



2:30

独ソ国境近郊のドイツ空軍野戦飛行場


 夜明けを迎える前の暗闇の中、ダイムラー・ベンツ発動機の爆音が周囲に轟いている。

 地面を綺麗にならし、更に転圧し用意された滑走路の側近くの駐機場に、一定の間隔で並ぶ数十機の単発機の群れ。

 出撃を前にしたメッサーシュミットBf109F。その排気筒からは青白い炎が漏れている事がわかる。滑走路へ向かう前、これから出撃を迎えるものが見せる、送り火にも見えるある意味で幻想的な光景。 

 1機、また1機と滑走路へと移動し、そして暗闇の中へと飛び立っていく。

 ドイツ軍による第一撃は、これらの野戦飛行場から飛び立った、空軍航空部隊によって始められることになる。

攻撃に参加した機体内訳

爆撃機・1085機(水平・急降下含む)

戦闘機・920機(単発・双発含む)

偵察機・710機


 このバルバロッサ作戦においては、ドイツが今現在保有する戦闘機・攻撃機・偵察機等4900機のうち3分の2を投入するものだった。だが、これは昨年の対フランス進攻・黄色作戦発動時と総機体数は変わらず、むしろ爆撃機の数においては減じてさえいる。

 バトルオブブリテンの痛手が大きく響き、そこから立ち直れずにいた。

 これに対し、ソ連空軍は旧式機を含め総数8000機、うちヨーロッパ方面6000機配備とドイツ軍情報部は分析していたが、その実数は総数約12000機に及び、うち9000機がヨーロッパ方面、3000機が極東に配備されていた。ただ質に関して言えば、最新戦闘機Yak-1 Mig-3 LaGG-3の配備数は相当多く見積もられていたが、ソ連空軍の機体の更新はそこまで進んでいなかった。

 この年の春、ドイツ空軍は視察の名目でソ連航空機生産工場を見る機会があり、相当規模の航空機増産が進行中と報告があったにもかかわらず、それらは無視されて分析が進められた。

 味方でさえ意思疎通ができぬことの弊害が出ている事は、被害にあうまではまったく見直される機会はない。

 明らかな過小評価による見積もりがヒトラーの楽観論を後押し、その潜在能力を見誤ったまま作戦は強行されることになってしまった。後にドイツ空軍は自身の3倍近い敵機を相手取らねばならなくなる。

 ただ初撃に関してだけを言えば、攻撃側であるドイツ空軍の想像を遥かに上回る戦果を叩き出すことになった。



3:00


 野戦飛行場を飛び立ったドイツ空軍機は、地上軍が進撃するのに先立ち第1目標であるソ連空軍前線基地に迫った。敵機が飛び立つ前の夜明けを期しこれを徹底的に叩くこと。

 ドイツ軍の攻撃があるなどと思ってもいなかった(兆候があったのに無視するというのもおかしな話だが)ソ連空軍機はなすすべもなく撃破されることとなった。

この攻撃で威力を発揮したのは、破片爆弾SD2と呼ばれる空中榴散爆弾。目標上空で円筒状の箱に数十個の爆薬と金属片の入った子爆弾を種のようにばら蒔いて、空中で炸裂させて金属片を飛散させそれによって航空機を破壊する爆弾が、絶大な威力を発揮した。

前線基地に整然と並んでいたソ連空軍機は、この爆弾によって機体を穴だらけにされて破壊され、飛行場は即時使用不可の状態に追い込まれた。

基地周辺に対空砲の設置がなかったのが幸いし、ドイツ軍機は低空まで侵入し爆弾をばら蒔き、次々とソ連空軍基地を無力化していった。一ヵ所に数十機単位、88ヵ所の空軍基地が容赦なく叩き潰され、その日の午前中までにそれら全ての空軍基地が無力化された。

この初日に地上撃破されたソ連軍機は900機、撃墜破機数300機に上り、総数1200機を殲滅した。

「そんな馬鹿な話しがあるものか」と、この報告を信じなかったのは、何あろう空軍トップのゲーリングだった。バトルオブブリテンの敗戦を経験したゲーリングにしてみれば、信じられないのも当然だった。

架空計上か誤認だろう、とゲーリングは決めてかかり厳重な調査を命じたが、それが事実であると確認されて驚愕した話しがつたわっている。



同時刻


ドイツ及び枢軸同盟軍360万の兵士がソ連国境を越えた。

バルバロッサ作戦計画では2つの大綱の下に纏められていた。

1・レニングラード、モスクワ、キエフ、これら重要地点の確保

2・敵野戦軍の撃滅

重要でありながら、相反する要素。


ドイツ軍とソ連軍の配置には、それぞれ偏重している部分があった。

ドイツ軍の主力は2個装甲集団を擁する51個師団からなる中央軍集団がその主攻勢軸として、モスクワ街道をベラルーシ(白ロシア)、関門スモレンスクを経由し、モスクワへと向かう。

道路、鉄道網が最も整備されたモスクワ街道を攻勢軸として選択した事は、戦車の機動力を十分に発揮する事を狙ったものだ。もちろん目的地は、モスクワを指向している地点の確保にある。


対して、ソ連軍の配置は穀倉地帯と工業地帯となる戦略拠点であるキエフ・南方方面に重点的に配置されている。全体の約4割に当たる70個師団。ドイツ南方軍集団の40個師団の倍近い戦力が展開している。

もちろんキエフは地点の確保するべき内の一つではあるが、その野戦軍の規模は、ドイツ軍の南方軍集団を遥かに上回る規模で、簡単に包囲撃滅を図れるような物ではなく、地点の確保である中央軍集団と、野戦軍の撃滅を図る南方軍集団のどちらを重視するかで判断を悩ませる事になる。


南方戦区最南端では同盟国であるルーマニアもまた、その戦闘に身を投じる。

ルーマニア第3軍及び第4軍、14個師団が参加。

黒海沿岸区域はドイツ軍の兵員配置が手薄な場所であり、ソ連・ルーマニア国境約600kmの範囲をカバーするルーマニア軍は、ショーベルト上級大将指揮・ドイツ第11軍と共に、南方軍集団の右翼を補完する重要な役割を担っていた。


ルーマニア北部に広がる草原地帯に、ルーマニア軍がソ連軍陣地に放つ砲声が轟き続ける。

砲弾が着弾したところからは砂煙が立ち上ぼり、それは草原に点在する家屋や簡易トーチカ等の人工物を薙ぎ払っていた。もちろん、そこにいる兵士達も。

失地回復に燃えるルーマニア軍の士気は恐ろしく高く、この正面に配置されていたソ連第12軍に襲い掛かった。特にペトレ・ドゥミトレスク大将率いる第3軍に所属する第1王立戦車師団は、この方面唯一の装甲部隊としてソ連軍部隊の中を突破する。

 第1王立戦車師団は第1、第2戦車連隊の2個連隊からなり、およそ70輌あまり。ドイツ軍では旧式となりつつある37mm砲搭載チェコ製R2軽戦車と、フランス製ルノーR35を中核として編成されていた。

 その旧式戦車であっても、ソ連軍も前線には最多生産数を誇った旧式戦車T-26が配備されていたことが幸いし、R2軽戦車、ルノーR35の短砲身37mm砲でも十分な威力を発揮し、極度の混乱で行動不能であったソ連機甲部隊を遭遇するたびに一方的に撃破。

 かつてソ連が不当に占領した、ブゴビナ・ベッサラビア地方奪回へと邁進していく。


 そして、戦線北端極北の地。



4:00

フィンランド共和国

首都ヘルシンキ


 夜明けを迎えたこの国もその激動の波は押し寄せていた。

 ヘルシンキ大聖堂の側近く、大統領官邸にも独ソ開戦の一報は届けられた。

 報告を受け取った大統領リスト・リュティは、ソファーに座り瞑目しながら上を向き大きく息を吐いた。

「来るべき時、来る…ですな。我がフィンランドは中立を国際連盟と各国に向けて表明します。軍の方は当初の予定通りにお願いいたします元帥」

 そう言ってリュティは、対面に座る老元帥を見据える。

「その事については委細承知。血気にはやった行為は厳に慎むよう命じてある。後はドイツの動き次第……」

フィンランド軍総司令官C・G・E・マンネルヘイム元帥は落ち着いた様子で前屈みになり、手を組んで応える。

「ドイツが動き、ソ連が我が領土に攻撃を加えたのを機に、宣戦布告を行う。卑劣な奇襲を行わなかった事を連合国各国が認めてくれるならばいいのですが」

失地回復の千載一遇の好機が到来したはずだが、リュティは不安を隠せずにいた。

 ルーマニアと同じくソ連の圧力に屈したフィンランドもまた、この戦いに参加を余儀なくされる形となる。

しかし、フィンランドは奇襲による先制攻撃をせず、中立を表明し即座の戦闘参加はしない方針だった。

この時点で、冬戦争の苦闘を耐え抜いたフィンランド指導者・リスト・リュティ大統領とフィンランド軍最高指揮官C・G・E・マンネルヘイム元帥の、この戦いが如何様な結果に終わろうともその結果を見据えた外交における妙を垣間見せている。

形式だけであろうが、申し開きのできる逃げ口だけは必ず準備しておかなければならない。

「例え同盟国ではないと主張しても、簡単ではないでしょうな。国内にドイツ軍を引き入れた段階で、明らかな同盟行為。離れた者からは我々の立場など、枢軸同盟の一員としか見てはくれないでしょう」

重くのし掛かる救国の英雄の言葉。

「それでも我々は、理不尽かつ不条理なこの困難に挑まねば……」

「前にも申し上げたが、大国に頼りきる事は、大国に抗うのと同じ位に危険な事だ。自らの行動と責任において、越えてはならぬ明確な一線を引いて、それ以上踏み込んでは…、現在に生じたこの地獄に引き込まれてはならない」

この言葉にリュティは同意する。

イデオロギー対立による今度の大戦は、下手をすれば絶滅戦争に発展しかねない、極めて危険な戦いであると感じていた。


独ソ開戦により、旧フィンランド・ペツァモ地区の戦略物資ニッケルを産出するペツァモ鉱山を占領する目的で、ノルウェーから移動しフィンランドに駐留していたエドゥアルト・ディートル大将率いるドイツ軍山岳軍団はトナカイ作戦を実施。

2日後、このドイツ軍を攻撃するべく、ソ連空軍機がフィンランド領内を空爆し、その報復としてフィンランドは、冬戦争が再開されたものとして、また枢軸同盟国ではなくドイツは協戦国としてソ連に宣戦布告。ここに継続戦争が開始される。

フィンランドはトナカイ作戦に続き銀狐作戦を発動し、ルーマニアと同じくソ連によって占拠されたカレリア地方の奪回を目指すことになる。



5:00

ソビエト連邦

首都モスクワ


共産主義の牙城、ソビエトと言う国家を滅ぼしかねない非常事態。

その非常事態のソビエト全土にラジオを通して響き渡る声があった。

「本22日未明、我がソビエトに対して如何なる要求も、宣戦布告もないまま、ドイツが我が国を攻撃」

マイクの前に立ち演説しているのは、スターリンではなく外務人民委員(外相)ヴェチャスラフ・モロトフの姿だった。

スターリンは、クレムリン内の自室に引きこもり、誰からの呼び掛けにも応えずベッドの中に踞って震えていた。

足下から全てが崩壊し、今まで自らの命令で命を奪った、数千万の死者達の怨嗟の声が満ちる闇の中に引きずり込まれる錯覚と妄想に囚われながら、ただ震えて時を過ごしていた。最後はピアノ線で群衆の前に吊るされ、辱しめの限りを受けるのだ、と。


書記長(スターリン)はどうされました?」

「ダメだ。何の反応もない」

ソ連軍参謀総長ゲオルギー・ジューコフ上級大将と国防人民委員(国防相)セミョーン・チモシェンコ元帥の2人。クレムリン内、スターリンの居室の側近くの一室。

スターリンの居室でチモシェンコが呼び掛けたが、他の側近達と同様で無反応であった。

「ヴォロシーロフや、あのモロトフですら反応がなかったのに我々が行ったところで変わるはずがない」

チモシェンコは肩をすくめる。

「だからあれほど言っていたのに。予期された事が訪れただけだ。冷静に対処する他ないのに」

若きジューコフは言う。確かに彼の言う通りであるのはチモシェンコにも分かった。

「だが、勝手に行動する事は許されていない」

「では集団指導体制に移行する事を考えるべきです。このままでは、本当に手の打ちようがなくなる……」

チモシェンコは無言で佇む。

恐らくこのままでは、前線はズタズタに引き裂かれる。

事前にスターリンを押しきって、シベリア・極東から80万も召集をかけていた事は幸いした。予備として進撃中のドイツ軍にぶつけて、モスクワにドイツ軍が迫るのを遅らせる事ができる。

「選択の一つではあるが最後の手段だ。今は死守命令で凌ぐしかない」

チモシェンコはそう答え、ジューコフは憮然とした表情を見せた。

「それにしても、あの男がこれほどの名口上を口にできたのは正直驚きです」

置かれていたラジオにジューコフは視線を送り、ラジオから流れるモロトフの声に2人は耳を傾ける。

「……祖国のために戦うのだ、人民達よ!侵略者から自由を守るために!我が赤軍とその同胞達は、最後は必ずや勝利を手にするであろう!」

演説を勇壮な言葉で結んだモロトフ。

「見かけによらぬあの頑固さが、こういう時に逞しさを発揮するのかもな…」

チモシェンコは意味深に呟いた。




この独ソ開戦の報は、世界中に激震を走らせた。

それは直接戦闘に関わっていない場所であってさえも、世界の列強と呼ばれる国々に津波のように押し寄せた。

イギリスは、敵の敵は味方と言う単純明快過ぎる原則に則って、即座にソ連に対しての支援を表明した。

これでイギリスは信用のあるなしに係わらず、ソ連と言う絶好の弾除けが出来上がった事によって、崩壊への道筋は消え去った。

安堵の一時を得たイギリスとは違い、決断を迫られる立場に追い込まれたのは日本だった。


 独ソ開戦によって、首相・近衛文麿と外相・松岡洋介が外交の切り札としていた日独伊ソ・ユーラシア同盟構想は完全に潰え去った。

 日ソ中立条約締結は、これまで敵対していたソ連を中立はおろか、味方に引き入れる事ができる足掛かりになると信じていた甘い見積りだが、社会主義思想に傾注していた近衛にとってみればそれだけに期待が大きかった。

 ドイツ・ソ連と結べれば、アメリカの圧力ですらはね除けられると言う、希望的観測による皮算用。それらは全て画餅と化した。

 当時、ドイツ以外の欧米各国派遣武官より独ソ開戦近しの報告はあったが、そのことは都合の悪い情報として外務省・陸軍・海軍の中央では無視された。

 このことを秘匿しようとしたドイツからの情報のみを信じ、他国からの正しい情報は完全にないがしろにされていたのだ。唯一、この独ソ開戦情報に基づいた行動が取れたのは、山下奉文陸軍中将が団長を務めたドイツ派遣視察団の帰国だった。まさにギリギリのタイミングで欧州から帰国することができた事くらいだろう。


 この時、日本の状況は英米を中心とする各国の風当たりはますます強くなり、その中でもアメリカからの経済制裁は段階的に強化され、屑鉄及び航空機潤滑油、燃料の輸入も途絶し、石油ですら輸出は許可制となっていて、後は全面禁輸を残すばかりの状況に追い込まれていた。アメリカ国内では世論が親中反日に完全に傾いてしまい、日本に同情的な意見を述べるものは極少数に限られた。

 更にアメリカに同調した周辺各国による経済的締め付け、俗に(アメリカ)(ブリテン)(チャイナ)(ダッチ)包囲網と呼ばれる対日制裁網が形成されていた。

 このうち、産油地インドネシアを擁するオランダとは、日蘭協商と呼ばれる石油輸入の交渉が進められたが、日独同盟と仏印進駐がオランダ領インドネシアに対して領土的野心ありと疑念を抱かれ失敗に終わっている。

 こうして事態がますます逼迫することを予想し、特に石油を大量に消費する海軍では石油禁輸に備えて、アメリカからの駆け込み輸入によって各種貯油総計700万トンの備蓄が進められていた。もちろん、これらには航空機燃料、潤滑油、重油、原油を含めたもので、この備蓄は初の戦略備蓄としての側面もある。これが正に海軍が行動する命綱となるのだ。

国内石油消費の約8割が海軍が消費している。

この貯油量は人造石油を含め1940年度石油消費量の約2年分の消費量に当たる。日中事変中ではあったが平時の消費量とされ、それを基準に算定している。

平時消費量での算出であるため、戦闘行動、範囲によって更に低下し供給が追い付かなければ、1年と持たない可能性すらある。

連合艦隊司令長官山本五十六が1年や2年は暴れられる、とした根拠に当たり、石油国外確保にしくじれば2年と経ずに備蓄は消耗しつくす計算になる。

艦隊行動は広範囲になればなるほど、その消費量は跳ね上がり、日本近海域の艦隊決戦ですら1回50万トンを超えると見積もられた。重油に関しては約320万トン程度で、艦隊を各地に展開させるだけで膨大な量が消耗されてしまう。

これだけ苦心して備蓄した石油量が、アメリカの日産70万トン計算で、わずか10日で充足し、国内全体備蓄量ですら2週間で生産できる事を意味している。

 アメリカと戦争の可能性を論じながら、アメリカの石油を溜め込まなければならないところに、持たざる者の日本の悲哀がある。滑稽とも言えるのかもしれないが、なりふりを構っている余裕はない。


 ますます追い詰められていくなかで、独ソ開戦によって日本の運命を左右する岐路に立たされていた。


日独同盟に従って対ソ連参戦か、あるいは日米関係悪化の保険としての南方進出。

陸軍が推す北進論と、海軍が推す南進論。

完全に方向が違う2つの何れかを選び取らねばならなかった。

日本の今後の行く末を決める帝国国策遂行要項。

しかし、7月2日に出されたその決定はあろう事か、対ソ対米二正面作戦。

対ソに対しては、関東特種演習の名目で大動員が実施される事となり、南方方面には南部仏印進駐をもって臨む事となった。

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