第3話 ラプラタ沖海戦
12月13日
南米ウルグアイ沖
極北のフィンランドで激戦が繰り広げられている最中、赤道を挟んで反対側の高緯度海域でも、戦火は激しく舞い上がろうとしていた。
波を押しのけ盛大な飛沫を上げながら、大西洋上を単独で航行する戦闘艦。前後に備え付けられた三連装砲塔が、その威容を誇り、艦中央にそびえ立つ艦上構造物は、一際重厚さを醸し出している。
その最上部で監視に当たっていた見張員が、水平線上に浮かぶ複数の影を見つけた。
「敵艦とおぼしき艦影発見!距離30000。軽巡級1、駆逐艦級2~3!」
緊張の声音で見張員が上げた声が、来る戦闘の開幕を伝える。
「ずいぶんと遠いな。我が見張り員は優秀で結構な事だ」
「そうですね。交戦距離の範囲外、目視可能なギリギリの距離ですから」
報告を受け戦闘帽をかぶり直し、ダークブルーの海軍服に身を包む艦長と副長がそんなやり取りをしながら、急いだ様子で戦闘指揮所へと上がる。
夜明けを迎えたとはいえ、洋上は雨こそ降っていないが、暗雲が支配する曇天で視界は良好とは言えない。
「まさかこんな海域で会敵するとは思わなかったが、英仏海軍の哨戒は厳重を極めるということか……」
「我々の動きが読まれていたと?」
欧州から遠く離れた南米の沖を航行していたのは、ドイツ海軍ドイッチュラント級装甲艦3番艦アドミラル・グラーフ・シュペー。
第一次大戦で活躍したシュペー提督に因む。
28cm52口径三連装砲塔2基を装備した戦艦に準じた火力を持ち、戦艦よりも優速な事から、各国ではポケット戦艦、日本では豆戦艦と呼ばれる。
戦艦よりも高速、重巡洋艦より強力、とのうたい文句で広く知られており、英国海軍はポケット戦艦の動向を非常に警戒していた。
このポケット戦艦の存在により、英仏海軍は船団護衛にわざわざ戦艦を同伴させねばならない状況になっていたのだから、その存在そのものの脅威の程が窺える。
船団護衛に当たるのは、第一次大戦前後に建造されたリベンジ級戦艦などの22kt前後の低速艦が当てられ、船団に1隻が随伴する形となっている。
15in(38.1cm)砲との砲撃戦では、シュペーが勝てる要素はほとんどない。打撃を与えて離脱するのが正しい運用と言える。
しかし、再軍備開始から3年程度のドイツ海軍の戦備では、単純比較でおよそ10倍の戦力を誇る英国主力艦隊と戦闘を行う事は、質、数共に劣る以上、不可能であることは自明の理だった。
このことからドイツ海軍の方針は、当初から通商破壊を基本に戦備を整えることを主眼としていた。
もちろん大洋艦隊を整備する計画はあったが、計画は5年後以降の物で中止に追い込まれたが、大艦隊を整備する事は大国にとっての夢と言える。
ドイッチュラント級はディーゼル機関を採用し10kt20000浬という長大な後続力を活かし、通商破壊用艦艇の中核と位置付けられていた。
アドミラル・グラーフ・シュペー
性能諸元
全長186m
全幅21.6m
基準排水量12100t
速力28.5kt
SK/C28 28cm52口径三連装主砲2基6門
SK/C28 15cm55口径単装速射砲8門
533mm四連装魚雷発射管2基
そもそも、ドイツ海軍はイギリス海軍と交戦するのは1944年以降であるとの見通しから、英国戦艦戦隊と交戦する事も可能とする、かつて存在していた大洋艦隊の再建を目論むZ計画が、海軍総司令官エーリヒ・レーダー海軍元帥の主導の下で進行中だった。
しかし、英仏はポーランド侵攻は越えてはならぬ一線を越えたとの、国民の世論にも押され両国は宣戦布告。
見通しの甘さからイギリス、フランスと開戦に至ってしまった。
開戦によりアドミラル・グラーフ・シュペーは、イギリス本土を物資の多くを依存するカナダ・インド・オーストラリアの海外領土と、イギリスを支援するアメリカからの輸送ルートを遮断するべく、同型艦ドイッチュラントと共にヴィルヘルムスハーフェンを出撃。
これらのルートは物資だけに留まらず、当然ではあるが、戦闘員たる植民地兵も輸送している大英帝国の大動脈。これを遮断する事は必須事項と言える。
英国本土を大きく迂回し、デンマーク海峡を経由して中部大西洋に進出。
9月24日、海軍総司令部から通商破壊命令を受け、補給艦アルトマルクによる補給を受けながら英国商船を探し求めた。
現在までに大西洋からインド洋マダガスカル沖にかけて撃沈した商船は9隻、5万総トンに達する大戦果を上げていた。
対してこの損害を重く見た英国海軍本部は、リュツォウ、アドミラル・グラーフ・シュペー両艦を補足するべく、巡洋戦艦レナウン、空母アークロイヤル・フューリアス・ハーミーズを中心とした強力な捜索部隊を編制(A~Iまでの9つの部隊)して追撃を開始。
船団護衛のため低速な戦艦リヴェンジ・ラミリーズを含む部隊まで駆り出していた。おまけにフランス海軍戦艦ダンケルク・ストラスブールまでもが通商破壊艦捜索に加わっていた。
ダンケルク級もフランス最新鋭の戦艦であり、ドイッチュラント級を上回る強力な存在である。このダンケルク級の存在が、ドイツのビスマルク級、イタリアのヴィットリオ・ヴェネト級の設計に影響を与えた名艦だった。
明らかに強大な敵が跳梁するなかを、その間隙を縫うように立ち回っていたアドミラル・グラーフ・シュペーであったが、その幸運も長くは続かず、ついに英国海軍のG部隊と接触してしまったのであった。
「まさか、そのような事はあるまい」
「船団護衛の小部隊と思われます。戦艦らしき艦影なし、仕掛けても問題はないように思われますが?」
副長の問いかけに、艦長ハンス・ラングスドルフ大佐は「よかろう」と短く応えた。
戦艦がいないことで、たかを括っていた面があったのは否定できない。まさか、そこまで重要視はしてないだろうと。
たかだか軽巡1隻、駆逐艦2隻など何ほどのことがあろうか?
「本国の戦闘禁止令を破ることになるが、この程度の戦力ならば撃破するのに、それほど手間取ることもないだろう。面舵。接近した後、こちらから仕掛ける。全主砲塔戦闘用意」
「戦闘用意!」
戦闘開始を告げる伝令の声と、鐘の音が重なる。
「航海長、面舵一杯」
「ヤー、面舵一杯!」
アドミラル・グラーフ・シュペーは加速を開始し英艦隊へと早朝の海原を疾駆する。最初の見積もりならば、間違いなく即座に壊滅に追い込む事ができる戦力差であったはずだった。
英国南大西洋支隊巡洋艦戦隊G部隊
旗艦・軽巡エイジャックス。
「左40度、大型艦とおぼしきマスト視認!」
エイジャックスもアドミラル・グラーフ・シュペーにやや遅れて相手を発見。
「やはりいたか。私の読みも中々捨てたもんじゃないね」
報告を受けたヘンリー・ハーウッド准将は、満足げな表情を浮かべて会敵を喜んだ。
十日程前に撃沈された商船から発信された信号と、自軍の配置からシュペーが南米方面に避退したと予測し、それは見事に的中していた。
彼の下には重巡洋艦エクゼター、カンバーランド、軽巡エイジャックス、アキリースが配備されていたが、このうちカンバーランドは故障中につきフォークランドで整備中であり、若干の戦力不足であったがそれでもなお、装甲艦一隻を優に上回る戦力を有していた。
各艦諸元
ヨーク級重巡洋艦エクゼター
全長175.3m
全幅17.5m
基準排水量8400t
速力32.5kt
Mk8 20.3cm50口径連装砲3基6門
Mk5 10.2cm単装高角砲4門
533mm三連装魚雷発射管2基
リアンダー級軽巡洋艦
エイジャックス アキリース
全長166.5m
全幅16.8m
基準排水量7270t
速力32.5kt
Mk21 15.2cm50口径連装砲4基8門
Mk5 10.2cm単装高角砲4門
533mm四連装魚雷発射管2基
「エクゼターを分派し、頭を押さえさせるように指令。本艦とアキリースは右に回り込む。全艦砲戦用意!」
ハーウッドは艦隊で一番強力な火力を持つ重巡エクゼターを向かわせ、軽巡2隻でシュペーの退路を閉塞するよう艦隊を二分。包囲攻撃を企図する。
対して英艦隊の陣容が重巡1、軽巡2の強力なものであることを砲戦開始の前でハンス以下乗員も気づくが、もう後に引くことはできない。
「敵艦ヨーク級、並びにリアンダー級!」
抜かった!識別表を見ながら、ハンスは小さく舌打ちする。
「接近中のヨーク級に照準! 第一主砲塔、第二主砲塔射撃用意!」
先ずは強力な火力を持つ重巡を始末する!奴を始末できれば、活路は開ける!
ラングスドルフはそう判断を下した。
28cm三連装主砲塔が旋回し、左前方より接近中のエクゼターを射線に捉える。
「フォイヤ!」
ハンスの命令で前後2基ある主砲塔から6発の主砲弾が放たれる。距離17000で砲戦開始。
その様子はエイジャックスに座乗するハーウッドの眼にも映った。
「応戦せよ!目標アドミラル・グラーフ・シュペー。フォークランドで散ったシュペー提督と同じく、この海で沈んでいただく」
「ファイア!」
エイジャックス、エクゼター、アキリースが順次砲撃開始。第二次大戦が勃発して最初の英独海軍の大規模海戦となるラプラタ沖海戦の開始だった。
北東に向け航行する英艦隊を先に発見し北西方面より突入したシュペー号に対して、G部隊エクゼターは取り舵を切り西へ転舵。エイジャックス、アキリースの二艦はなおも北東に向かう形となり、先手必勝を期し艦長ラングスドルフはその砲口をエクゼターに向け砲撃を開始。
やや遅れてエクゼターが発砲、激しい砲撃戦が開始される。続いてアキリース、エイジャックスも砲撃を開始。
シュペー号の搭載する28年式28cm砲は10000m以下の至近距離では、イギリス海軍のクイーンエリザベス級戦艦の搭載するMk1 38.1cm主砲弾の貫徹力に匹敵する代物であり、先に接近したエクゼターはこの強力な砲弾の洗礼を浴びることになった。
自艦の発砲した砲弾が弾着する際発生する水柱よりも倍近いであろう大きさのそれが、周囲に連なっていく。商船相手とはいえ動目標を標的に砲撃を行っていたシュペー号乗員の技量は間違いなく向上しており、ドイツ海軍を三等海軍と侮っていたエクゼター乗員達はそれが間違いであったことを、身をもって知らされることになった。
「エクゼター、艦尾に被弾を確認! 続いて艦前部にも被弾!」
エイジャックスの艦橋からもエクゼターが集中砲火を浴び、滅多打ちにされている様子が伝えられる。
「いかんな、やはりカンバーランドが抜けた穴は大きかったようだ…。艦長、距離を詰め同航戦へ移行。やられたままでは済まされん事をドイツの青二才に教えてやりたまえ」
ハーウッドは落ち着き払った様子で艦長に命じる
「アイアイサー!方位0-1-0、取り舵10、距離8マイルまで接近」
北東方面から北へと針路を変え、被弾を覚悟の上でアキリースとエイジャックスは、有効打を喰らわせるべく接近を試みる。
「敵ヨーク級に命中弾、4発を確認。前部主砲は沈黙したものと思われます!」
回避行動をとりながらこれだけ命中させられれば言うことはないな、と燃え上がるエクゼターを見ながら、艦長ラングスドルフはまだ余裕の表情を見せていた。一番厄介な重巡を黙らせれば、あとは距離を置きながら残る軽巡をゆっくり始末すればよいと考えていた。
それほどに、砲撃戦開始より十数分という短時間でエクゼターの戦闘力を奪うほどの成果をあげている。鮮やかと言うにふさわしい速さであった。
「そろそろ魚雷が来るぞ。回避行動に移る、取り舵一杯!」
「取り舵一杯!」
ラングスドルフはエイジャックスとアキリースが搭載する魚雷を警戒した。533mm魚雷をまともに喰らえば、ポケット戦艦といえども大破は免れない。そして、その予測は幸いにして当たっていたことはすぐに証明された。
回避行動開始とほぼ同時に、その背後からエグゼターは起死回生の一撃として舷側に備え付けられた魚雷発射管から魚雷を四発放ったが、全弾回避されてしまうこととなる。
「第一主砲塔はヨーク級への砲撃を続行!第二主砲塔は敵リアンダー級に目標を変更! 戦闘を継続、英艦隊を撃滅する!」
ラングスドルフの号令に、艦橋はいよいよ勢いづく。
砲火に晒されたエクゼターは、28cm砲弾がB砲塔に被弾貫通し使用不能、A砲塔は旋回不能となり戦闘不能の状態に陥る。
この時期の英国海軍は、重巡よりも軽巡の方が防御が強力な存在になっている。ハーウッドがエクゼターに旗艦としなかったのも、この防御力によるところにある。
この事態にハーウッドは、エクゼターをフォークランド方面に避退させる指示を出すとともに、命中率を上げるため着弾観測用の水上偵察機スーパーマリーンウォーラスを発艦。
戦闘航行中の発艦成功により、エイジャックスとアキリースの命中率は飛躍的に向上することになる。戦局逆転の転機である、
軽巡の15.2cm砲弾では大した損害にはならないが、そのうちの一弾が予期せぬ結果をもたらす。
「右舷蒸気配管に被弾!」
この報告にラングスドルフは蒼白となった。この艦のアキレス腱を切られたに等しい致命的な損傷だった。
構造上の欠陥といってもいい、ディーゼル機関を採用したシュペーだが、ディーゼル燃料は粘度が高くボイラーの蒸気で加熱し、液化させたのちボイラーに供給する複雑な構造となっていた。
そして、その蒸気管は非装甲部であり、そこに命中弾を受けたことにより、残りの燃料を供給することが不可能となってしまった。
「航海長、中間タンクの残燃料でどれくらい持つ?」
沈痛な面持ちでラングスドルフは報告を求める。
伝声管で機関に報告させた航海長からの報告は、ラングスドルフの不安を的中させるものだった。
「持って20時間です……」
優勢な戦闘を推し進めていたラングスドルフだったが、決断を下さなければならなかった。
「やむを得ない、残念ではあるがこれ以上の戦闘は不可能。中立国のウルグアイへ一時避退する」
煙幕を張り西へと離脱し始めたシュペーを見ながら、ハーウッドは拍子抜けしていた。
「何故だ? 砲塔は健在で戦闘行動可能だというのに、なぜ引き下がる?」
腑に落ちなかった。明らかに優勢なのに勝てる戦いを放棄するというのか?
「司令、残念ですが本艦、ならびにアキリースも主砲残弾が底を尽きました。敵が引いてくれたのはありがたいことです」
初期の戦闘で命中弾を出せず、無駄玉を大量に消費してしまった結果だった。
「口惜しい、が逃がす訳にはいかない。このまま追撃する。それと南大西洋に展開する全艦隊に向け打電、アドミラル・グラーフ・シュペーはウルグアイ沖に向け逃走中、至急増援を送られたし」
予想以上に手強い相手だ。ここで始末を付けねば、また大西洋で暴れまわる事になるだろう。栄光あるロイヤルネイビーの名においてそのような暴挙を許す事はできない。
燃料、弾薬の補給の手配を済ませ、G部隊が追撃を再開したのは数時間後の事だった。
アドミラル・グラーフ・シュペーにとっては絶望的な状況であった。位置を特定されたことにより、立場が完全に逆転、狼の群れに囲まれた哀れな羊の様相を呈しつつあった。




