幕間1 地中海
1940年7月3日
地中海西部
「提督、最後通喋に対しての返信ありません」
「こうなる事は分かりきっていた。他国の指揮下に入るか、自沈せよなどと言う命令を、戦闘艦を預かるものが従えるはずなどない。あるとすれば国が滅んだ時だけだ……」
アルジェリア北岸の街、メルセル・ケビール。
その沖合いに展開するのは、ジブラルタルから出撃したジェームズ・サマヴィル海軍中将率いるH部隊。
H部隊編成
旗艦巡洋戦艦フッド
戦艦ヴァリアント レゾリューション
空母アークロイヤル
軽巡洋艦エンタープライズ アリシューザ
駆逐艦フォーグナー フィアレス フォアサイト フォレスター フォックスハウンド他6隻
「ただの脅しではないことを分からせる。まずはフランス艦隊の退路を封鎖する」
「イエス・サー。空母アークロイヤルに機雷封鎖を通達。直ちに発艦せよ!」
真夏の灼熱の太陽の光が注ぐ中、その対比であるかのように影の濃い旗艦マイティ・フッド艦橋の司令官席に着き、落ち着いた様子でサマヴィルは命じ、参謀長が儀礼的に作戦発動を告げる。
「フランス海軍宛てに打電、17:00まで回答を待つ。総員戦闘配置」
それを合図に艦内はにわかに喧騒に包まれていく。
フランス艦隊編成
戦艦ダンケルク ストラスブール プロヴァンス ブルターニュ
水上機母艦コマンダン・テスト
駆逐艦モガドール ヴォルタ ランクス ティーグル ケルサン ル・テリブル
メルセル・ケビールはジブラルタルからちょうど真東に位置し、北側を向いた広い湾口を岸壁によって塞ぐことによって港湾としての機能を有していた。故に手狭な印象を受ける。
朝からフランス側の交渉役が湾口に停泊した英駆逐艦フォックスハウンド上で会談したが結局交渉はうまくいかず、昼過ぎにフォックスハウンドはその場を離れた。
そして、その出口を塞ぐべく、空母アークロイヤルから12機のフェアリー・ソードフィッシュとブラックバーン・スクアが発艦。湾口部に磁気機雷を投下し退路を塞いだ。
イギリス艦隊の行動を示しても、フランス艦隊から明確な回答は来なかった。正確に言えばしたくてもできなかったのだ。指示を仰ぐべきフランス海軍総司令部はトゥールからヴィシーへ移動中で、連絡がつかなかったのがタイミング的に災いした。
「中々、気持ちのいいもんではないね。動くに動けんよ、まったく……」
「英艦隊が15in砲24門に対して、こちらは34cm20門に33cm16門。全力で撃ち合えば撃破も可能、と進言はしておきますが」
戦艦ダンケルクの艦橋では、この状況をぼやく艦長と副長が取るべき手段を模索していたが、事態が好転するような良案が出るはずもなく、無為に時間だけが過ぎていた。
「まともにやりあえば、な。現状は6対1、しばらくは一方的になぶられるぞ。威力もあちらが上だ」
副長の進言に、どこか投げやりな様子で艦長は艦橋外の探照灯台に出ると、後方に陣取る英艦隊の様子を眺める。
「兵達には臨戦態勢を取らせていますが、にらみ合いがいつまでも続くと、予期せぬ事故が起きても不思議はありません」
「ま、できれば戦いたくはないわな。元々は仲間だった訳だし、それにR級とは行動を共にしたから、余計に……。皮肉なもんだ。ドイツの通商破壊艦狩りに従事して一発も砲火を交えなかったのに、沈むか沈められるかの瀬戸際に立った時の相手が、あのダンケルクの英雄サマヴィルとは、ね」
副長は無言だ。
実際問題、背後から銃口を突きつけられ、脅されている状況下で何ができるだろう?
大海原で相対していれば、砲の威力でこそ劣るが悪い勝負ではない。むしろプロヴァンスの方が、あらゆる面で同世代の英戦艦よりも性能で劣る。言いようは悪いが足手まといだ。
そう艦長と副長は考える。
それに相手はダンケルクの奇跡によって20万の同胞を窮地から救った恩人に等しい。よしんば勝ったとしても非常に後味が悪い。
「仕掛けてくるとしたら……」
「空軍の動けない薄暮、でしょう」
艦隊上空には監視するためのソードフィッシュが飛来し、威圧的に周囲を飛び回っているのを、二人は憂鬱そうに見上げる。
少し離れたコマンダン・テストの甲板上に設置されたカタパルトには、水上攻撃機テラコエール・Late298が準備され出撃の時に備えていた。
時速300kmに満たない速度性能は今一つだったが空力特性に優れ、全金属単葉の流麗なデザインもあいまって最良の水上攻撃機と評価されている。このあたりの凝り性なところも、どことなく日本に影響を与えているのだろうか?
フランス海軍の中ではベアルン以外の有力な航空打撃力で二個中隊24機が配備されていたが、そのうちの半数は沿岸基地に配属替えとなり、現在は9機しかいない。
この窮屈な港湾は、フランス艦隊にとって極めて不利に働いた。
第一次大戦前に計画されたプロヴァンス級のプロヴァンスとブルターニュの2隻は、34cm連装砲を5基搭載した(配置的には日本の戦艦扶桑の4番砲塔が無いようなもの)平凡な設計であったため影響は少なかったが、ダンケルク級のダンケルクとストラスブールの2隻は、前部に4連装砲塔2基を搭載した点が欠点としてもろに出てしまっていた。
港湾が狭いことによって、戦艦群は頭から陸側に突っ込むような形で停泊しており、ダンケルク級はその主砲は港外に向けて即座に撃ち放つ事は叶わなかった。
ダンケルク級の33cm砲は砲口径でこそ小ぶりだったが、威力ではプロヴァンス級を遥かに上回る。
その設計のコンセプトは強装薬による高初速による舷側装甲貫徹力向上と射程延伸にあった。34cm砲は構造上不向きで、砲弾の小型化と対抗馬であったドイッチュラント級に優越する、と言う点において合致するものだった。射程は仰角35度で40000mを超え、仰角45度で41700mにまで達している。
結果的には砲弾は小型でありながら重量弾を強装薬によって撃ち出す方式により、当時としては凶悪と言えるほどの威力を誇った。
このダンケルク級の登場は、イタリアの危機感を煽りカイオ・デュイリオ級の近代化改装と、ダンケルク級を上回るヴィットリオ・ヴェネト級の起工へと繋がり、対抗としてフランスはリシュリュー級を起工、最終的にはリシュリュー級を遥かに上回るアルザス級の策定へと入り、建艦競争は激しさを増していた。
イタリア、ドイツ両国を仮想敵国として直接的に接し、イギリスのように数量を揃えられない劣勢のフランス海軍事情は、アメリカに対しての日本の立場に似ていた。
数の不足を質で補うと言う点での類似点を見出だせる。帝國海軍のマル3計画が始動したときの1936年次の最新鋭艦はこのダンケルク級であり、設計に携わった技術大佐はフランス国立造船大学で学んだ人物であり、艦橋の配置を船体中央へと配置するといった点も、フランス造船工学の影響を受けたであろう事は成り立つと言えるだろう。ダンケルクの竣工は軍縮条約が切れた1937年5月、戦艦比叡大改装着手と一号艦起工の半年前と状況的にはほぼ一致している。
一号艦は、これまでに培った欧州の建艦技術の流れを汲み、日本独自に発展昇華させた戦艦の完成形と言えるものとなった。
ダンケルク級の主砲は、距離20000で舷側装甲360mmを貫徹する性能を有する。砲の配置上、正面対抗戦闘及び追撃戦においては無類の強さを誇る。
運用面では通商破壊艦への対抗と追撃任務であると共に、ダンケルク自体もその通商破壊任務に当たる事が可能だ。航続距離は10kt10000浬を越える長大さを誇り、通商破壊任務を目的とせず地中海内での本土~植民地間の防衛を主眼とする航続距離の短いイタリア戦艦群よりも、イギリスにとっては厄介極まりないものだ。
単艦でも暴れまわられれば、その動きを警戒・牽制するために少なくとも倍近い戦力を張り付けておかなければならなくなる。砲口径で勝るR級、QE級であっても、状況によっては撃ち負ける可能性すらある。
この事は、H部隊を率いるサマヴィルも承知しているがゆえに、かつての同盟国に対して心情的には手心を加えたいが、場合によってはそのような悠長な事を言っていられなる事も分かっていた。
サマヴィルは腕時計をおもむろに確認する。時計の針は17:00を指し示していた。
「時間だ。フランス海軍は我々の呼び掛けを無視した。カタパルト作戦開始!ヴァリアント、並びにレゾリューションに通達! フランス艦隊を殲滅せよ!」
「全艦砲撃開始!」
鮮やかに夕焼けで染まる海上に、その光を超える輝きが煌めく。
フッド、ヴァリアント、レゾリューション3艦による38.1cm砲合計24門の斉発が、メルセル・ケビールの港湾内に降り注ぎ、高々と水柱が上がった。
「測距もせずに撃ってくるか?! 機関右舷後進半速、左舷前進半速!急速回頭! 副砲群!攻撃開始! ソナー! 海底との接触に注意」
ダンケルクの司令塔内で矢継ぎ早に命令を下していく艦長。自分たちから先に動けば、その瞬間に攻撃を受けるとの判断から切羽詰まるまで粘ったが、結局は早いか遅いかの違いでしかなかった。
ダンケルクのタービンが唸りをあげて、スクリューシャフトを反転させる。同時に射撃準備態勢をとらせていた後部13.3cm対空対艦両用副砲が砲煙を上げた。
対空と対水上艦用の砲を統一したのは本級が最初ではあったが、結局は次級リシュリュー級で使い勝手の関係からか両用砲から副砲と対空砲へと戻している。
「ストラスブールは?!」
「本艦と同じく反転中!」
ダンケルクとストラスブールはほぼ同時に同様の対応をとった。
やや離れた位置で砲撃を受けるプロヴァンスを見ながら「遅い、遅い!」と声を上げる艦長。
改装は行われていたが海軍予算の縮小と経年劣化のため、20ktをやや越える程度のプロヴァンス級は、あまりにも鈍重過ぎた。あげく、ブルターニュはまだ動き出してすらいない。
「何をやっている!ブルターニュ!」
苛立ちを抑え切れず、思わず叫び声を上げる艦長。
プロヴァンス級も盛んに後部主砲塔2基を振りかざし、反撃しているが命中する気配はない。そもそも当てられても有効な打撃となるかどうかも怪しい。
「プロヴァンス、並びにブルターニュ被弾!」
突如、プロヴァンスの中央部に鋼鉄の破片が巻き上がり、爆音が響きわたる。
旋回行動中のプロヴァンスに、フッドが放った一弾が命中したのだ。距離のより近いブルターニュには砲撃が集中、滅多打ちにされている。
「クソッタレ!!」
司令塔の内壁を殴り付けながら、艦長は吐き捨てる。
プロヴァンスの舷側装甲を打ち砕き貫通。距離わずか10000m以内の至近距離からの命中は、装甲防御の意味を成さない。
主要区画はおろか、一撃で誘爆即轟沈につながる砲塔でさえも、貫通される恐れがある距離。
これほどの至近距離での砲撃戦を想定した戦艦など存在せず、新鋭艦ダンケルクと言えども例外ではない。
砲撃開始から10分足らずで、機関の不調で出遅れたブルターニュの後部は、まさしくスクラップ、金属片の山のような状況で、膨大な浸水により艦尾側から沈みつつあった。
その直後、ブルターニュは紅蓮と漆黒の入り交じった爆炎を噴き上げ、メルセル・ケビールの湾内にその身を沈めていく。
ブルターニュから生じた衝撃波は、ダンケルクにも波及。船体に衝撃に引き続いてブルターニュから飛び散った小さな破片が叩きつけられ、船外にいた乗員は体を背ける。
「ブルターニュが、爆沈……だと?!」
20分も立たずに海戦の王者である戦艦が沈没したことに、ダンケルクの艦内に動揺が広がる。
「まだだ! まだ終わってない!」
こんなところで諦める訳にはいかない。
「本艦ないし僚艦の脱出を最優先とする! 残念だがプロヴァンスの脱出は無理だ!」
艦長はやむ無くそう判断を下した。
姉妹艦を失いながら、集中砲火を浴びせられているプロヴァンスを救う手段はもはやなかった。
「さすがはダンケルク級。素晴らしい」
サマヴィルはフッドの司令塔内から、ストラスブールの夕陽の中にそびえる美しい尖塔と、狭い港湾内で発揮したその高い機動力に目を見張る。
「沈めるには惜しい、な」
軍艦美の極致と称えられるフッドに劣らない、その優美に、猛々しくも悶える姿は美しい。
「しかし長官、それは命令に背く事に」
「個人的な感傷だよ参謀長。心配するな職務は果たすさ。アークロイヤルと戦艦戦隊の護衛以外は湾口へ向かわせ、脱出を阻止させろ」
「イエス・サー」
予想以上に良好な機動性能だ。反撃できるプロヴァンス級から片付けようとしたのは失敗だったか。
そうサマヴィルは考えていた。
ストラスブールは一足早く旋回を終わらせ、港外へ脱出するべく巡航速度まで加速している。
「まだ加速するつもりか?! 無茶な操艦をしやがって!」
ストラスブールの形振り構わない操艦に、驚きを含んだ悪態を吐きながら、艦内電話を手にする艦長。
「砲術長!」
「聞こえます艦長!」
威勢の良い声が返ってくる。
司令塔の上に艦橋があり、その更に上、前部構造物の頂上に近い位置に主砲射撃指揮所があり、砲術長はそこで指揮を執っている。
「ストラスブールの脱出を援護する!まとわりついてくる駆逐艦共を始末しろ!」
「何故ですか?!」「戦艦を狙った方がいいのでは?!」
艦長の命令に不服だと、副長と砲術長が同時に怒気を含んだ声で意見を述べる。ブルターニュを殺ったあの忌々しい連中をやっつけなければ、怒りが収まらない。
「いや、出口で沈まれたら万事休すだ。ストラスブールが走り出せば奴らには止められん。悠長に撃ち合っている猶予はない!Fクラス駆逐艦に照準!準備ができ次第…撃て!」
「……了解!主砲射撃目標Fクラス!」
英戦艦相手にとって不足なし、と息巻いていた砲術長は命令を聞いて落胆したが、状況が状況なだけに仕方ないと諦めた。
「第1第2主砲搭!交互射撃用意!」
1931年式33cm四連装砲搭が戦艦群から、湾口へと移動しつつある4隻の駆逐艦へと旋回を始め、砲塔が正面を向くとほぼ水平に近い角度で駆逐艦に照準を合わせるために砲身を上下させ微調整に入る。
「撃てっ!」
ダンケルクから2門ずつ放たれる砲弾は、英駆逐艦の周囲へと着弾し、絶え間なく水柱を上げ続ける。
F級駆逐艦は頭文字がFから始まる。全長100m、1400t程度の駆逐艦で、ノルウェー沖で沈んだグローウォームの前級に当たる、英国海軍ではスタンダートな艦型。
ダンケルクの主砲は560kmの重量砲弾、秒速870mの高初速で撃ち出し、格上の戦艦の装甲さえもぶち抜く。戦艦の主砲は戦艦を狙うためにこそ存在するが、そんな桁違いな砲に狙われた駆逐艦は回避運動を強制された。どこに当たろうが一撃で粉砕されることを意味する。
これによってストラスブールが、駆逐艦の魚雷攻撃にさらされる心配はなくなった。
「ストラスブールより発光信号!援護感謝ス!」
「返信せよ。先に行かれたし!」
ひとまずは安堵の息をもらす艦長。これで英艦隊が分離してくれればしめたものだが……
「まさか主砲で駆逐艦を追い払うとは中々大胆に動くじゃないか。いたずらに戦力を減らす訳にもいかん。駆逐隊は下がらせ直衛に回せ」
予定が色々と狂わされている状況ではあったが、感心した様子でサマヴィルは顎を撫でながら目を細める。フロート付きが魚雷を抱えて飛来しているのも、地味に見逃せない。
コマンダン・テストから発艦したLate298が飛来していたのだ。
日が沈みかけているのに、果敢な事をするものだ。
「フッドの足ならば脱出した艦を追えますが、如何いたしましょうか長官?」
参謀長が進言する。
「いや、港内の艦を沈めるのに全力を上げるべきだな。ここでダンケルクを逃がしてはカタパルト作戦は失敗に等しい」
サマヴィルは進言を退ける。
ダンケルク艦長の淡い期待は消し飛ぶ。
「プロヴァンスより発光信号!戦闘不能!」
「何ッ!!」
ストラスブールの脱出を見届けたダンケルクに、更なる悪い報告が入る。
集中砲火を浴びせられながらも、幸運にも持ち堪えていたプロヴァンスがついに沈黙。ブルターニュの轍を踏まぬよう誘爆を防ぐため主砲弾庫に注水し、岩礁に意図的に乗り上げ座礁した。
ストラスブールを追撃するような動きは英艦隊には見られず、戦艦4隻対3隻で始まったメルセル・ケビール海戦は、ごく短時間の間に戦艦3隻をダンケルク単艦で相手をする絶望的な状況に追い込まれた。
例えこれだけの劣勢であっても海原であれば、鈍足戦艦を抱える英艦隊を振り切る事も可能であったはずだが、場所は自由に動く事すらままならない港内。
あちこちに岩礁もあり、ストラスブールは座礁も触雷する事もなく脱出できたのは、奇跡的とも言えた。
優秀なサマヴィルであっても、ここまでは予想していなかった。しかし、彼は冷徹だった。
残ったダンケルクを確実に葬るべく、容赦ない苛烈な砲撃を叩き込んでくる。
出口には砲撃が集中し脱出は困難であり、狭い港内で身を捩らせるように低速に抑え旋回によって回避を試みるが、避けられるはずもなくダンケルクの装甲は引きちぎられ、その戦闘力を失っていく。
「主砲搭要員は退避、全隔壁閉鎖。主砲搭注水。機関両舷微速、舵固定。総員衝撃に備え!」
艦長は苦渋の決断を下す。艦放棄の命令。
幸いしていたのは、散々足枷となった港内と言う浅深度であることだ。
「できるだけ綺麗に座礁させてやるぞ。後で必ず浮揚させてやるからな、ダンケルク……」
艦長はそう静かに、そして話しかけるように呟く。
伝声管からは、岩礁までの距離を伝えるソナー手の声が響いてきたが、その声は聞こえなくなり衝突が間近であることを物語っていた。
その直後、ダンケルクは鋭い金属音を周囲に撒き散らし、岸壁に近い岩礁に乗り上げ停止。破口からは浸水が発生したが、艦長の的確な指示と乗員の必死の努力によって戦闘能力を維持したまま被害は最小限に留められた。
「ダンケルク、停止!左舷への傾斜を確認!座礁した模様!」
ダンケルクの砲撃が止み、戦闘行動が終わった事を確信したサマヴィルは、司令塔から艦橋に上がると報告を受けて、首から下げた双眼鏡で自ら確認する。
「全艦撃ち方止め!」
ダンケルクの的確かつ巧妙な偽装に、或いは偽装を見抜いた上での情けだったのかサマヴィルは戦闘終結を宣言する。
作戦は八割方成功したが、実に後味の悪い勝利だった。そもそも勝利と言えるのであろうか。
サマヴィルは悪辣と謗りを受ける覚悟をしていたが、終わってみれば空虚な気持ちだけが支配していた。
「海軍省に報告。カタパルト作戦は成功、これより帰投する、とな」
メルセル・ケビール東に位置するオランからは、遅ればせながらフランス海軍水雷戦隊が出撃。北アフリカに展開するフランス空軍が翌日ジブラルタルを報復爆撃する結果となる。
ダンケルクは艦長の操艦もあり、浮揚が容易であると判断されたが不用意な打電を傍受され、その翌日再度空母アークロイヤルによる攻撃を受けた(レバー作戦)が、フランス空軍の妨害により失敗する場面があった。ダンケルクは後に浮揚される事になる。
英仏両海軍によるこのメルセル・ケビール海戦によって英艦隊が戦艦3隻を撃沈し、英国が圧倒的不利とされた地中海の戦力バランスを五分へと持ち込んだ。
しかし、引き換えにヴィシーフランス政府はこのイギリスの行為を非難し対ドイツ接近を図る。
このメルセルケビール海戦によるフランス艦隊の無力化は、ドイツからの講和(実質は講和という名の降伏勧告)をイギリスが拒否するには時期的にも十分な動機となった。
もし、フランス艦隊が無傷であったならば、動かずとも英国海軍はその影に怯えなければならなかったのだから。
英首相チャーチルが頼りとする、英仏海峡の英側の絶対的な制海権は揺るがなくなった。例え制空権を失ったとしても。
不名誉を超える実利を選択し、それを実行し成功させたサマヴィルは以後、困難な局面で必ず引っ張り出される大英帝国屈指の名提督として名を馳せる事になる。
そして、世界史上最大の航空戦となるバトル・オブ・ブリテンへと場面は進んでいく。
1940年7月4日
北アフリカ・リビア=トブルク
砂漠から砂混じりの熱風が吹き付け、陽炎が沸き立つ地中海沿岸の要衝。
英国領エジプトと国境を接し6月10日にイタリアが参戦して以降、英国空軍が度々空襲に飛来する危険地帯。
と言うのもこのトブルクは古くより地中海沿岸を結ぶ交通路の要地であることから、要塞の街として発展してきた。その性格は未だに引き継いでおり、攻撃を受けるのもまたやむを得ない事であった。
国境からわずか20km程度しか離れていないこの地に、イタリア陸軍が集結しつつあった。フランスが先月22日に停戦に応じ、西リビアの兵力を移動させる事が可能になった事が大きい。
結果、リビア東方に展開するイタリア第10軍は、最終的に25万を超える大戦力になる予定だ。
「数が集まったところで、どれほどのものか」
陸軍の駐屯地を訪れ、視察する男の目は厳しい。確かに書面上は大層立派に見えるが、その実態には懐疑的だった。強兵として知られる日本兵やフィンランド兵、グルカ兵、セネガル兵であったならば、どれほど頼もしいか分からない。
日本は心情的には嫌いだが、日露戦役の先例もあり認めざるをえなかった。
移動中のアウトウニオ1000の車内で、砂漠特有の砂煙に顔をしかめる。
「統領の誇大妄想に付き合わされる我々の身にもなってほしいものだ。ローマ帝国の復活などと、あのベジタリアンに触発されて変わってしまった!」
駐屯地を出て、市内を移動する車内で怒りをぶちまける。
「総司令……」
同行している側近は、なんとかたしなめようとしている。最近は撃墜未遂騒動が起こり、間一髪で一命をとりとめている。一緒にいればいつ鉄砲玉が飛んでくるか知れたものではなく、命がいくつあっても足らないのだから、周囲の人間にしてみたら迷惑な事この上ない。
「ふん、俺はイエスマンではない。どだい実現不可能な夢に巻き込まれて死ぬなど冗談もはなはだしい。冗談なら顔と、今見てきた徴集兵だけにしてほしいものだ。唯々諾々と従うのは思考停止の無能共だけだ」
側近は勘弁してくれ、と懇願するように顔を背ける。侮蔑する酷評を下して、憮然とするのはリビア総軍総司令官イタロ・バルボ空軍元帥。
イタリア空軍の躍進にその身を捧げ、大西洋横断を成し遂げた愛すべき飛行機野郎。若干40台半ばにしてイタリアNo.2の座に君臨する若き英雄。その功績は輝かしいばかりだが、No.1統領ムッソリーニと衝突を繰り返し、しまいには英空軍機来襲のどさくさに紛れて危うく殺されかけた。不確実な手段をとるから詰めが甘いと、バルボは笑うがとんでもない話しだ。
そもそもバルボはイタリアがドイツに接近する事は否定的だった。1935年エチオピア戦争時はイギリス領エジプトを攻略する事を主張したが、今はそのような状況にはないと散々主張してきた。だが、イタリア国内はフランス降伏によって実情にそぐわぬ幻影に惑わされている。
そうバルボは考えているが、もはや個人の考えではどうすることもできないほど、事態は切迫している。
7月中にはエジプト侵攻を開始せよ、とのムッソリーニからの厳命が届いている。
準備不足を理由に遅らせるがな
精悍な悪党面のこの男は、風貌と同じく大勢が決したイタリア国内の空気に抗おうと、考えを張り巡らす。
それも一時凌ぎに過ぎない。時が過ぎれば、戦意不足を理由にリビア総軍の指揮権が剥奪されるであろう事は疑いようもない。
実際、5年前のエチオピア戦争時は、バルボと同じファシスト四天王の一人攻略軍司令官ボーノが慎重過ぎると言う名目で解任の憂き目にあっている。
バルボのカリスマを恐れ、事故死に見せかけた暗殺と言う裏の手段で失敗したならば、次は合法的に表からの抹消に走って来るであろうと予測している。
都合が悪いから殺しました、と言うバレるような手法を上の者が下の者に対して行った場合、信用の失墜は免れない。しかもバルボはムッソリーニを支えたファシスト四天王の一角なのだ。
ミケーレ・ビアンキ、エミーレ・デ・ボーノ、チェーザレ・マリーア・デ・ヴィッキ、そしてバルボの四人。ビアンキは既に故人であるが、ボーノは陸軍元帥、ヴィッキはエーゲ海総督だ。
ボーノはエチオピア戦争の慎重な指導ぶりで更迭され、ヴィッキはもてあまされている。
ファシスト四天王で要職にあるのはバルボただ一人。既にムッソリーニは裸の王様なのだ。
とにもかくにも功労者たるバルボを暗殺と言う手法で葬り去るリスクの方が大きく、バルボが暗殺に怯えるような素振りは見えない。
その点においてソ連のスターリンは、同志であろうと平気で殺しまくっているが、他国ではそのような真似はできない。鉄の男が率いる、赤い恐怖の帝国。
ソ連こそが、滅ぼさねばならない不倶戴天の敵なのだ。
「可能な限り攻撃開始を引き延ばす。フランス艦隊が撃破された今の状況では、イギリスはドイツの要求を蹴るだろう。ブリテン本土はナチスでは落とせん」
バルボはこれから開始されるであろう、空の戦いに思いを馳せる。
ドイツ空軍エルンスト・ウーデットとイタリア空軍の共同訓練を直に観察し、ドイツ空軍が精強である事は間違いないが、それは空陸直協の空軍であるがゆえ、その行動範囲が著しく制限されていることに弱点を見いだしている。
それにイギリスの技術力は世界最高水準にあり、何より英仏海峡と言うドイツが得意とする、電撃戦の活かしようがない天然の防壁が横たわっている。
そして、その防壁を守護するのは世界最強を謳われる本国艦隊。
バルボの見積りでは、英空軍を壊滅させるのに長距離飛行を強制される独空軍は現在の倍の戦力が必要と試算し、ドイツ軍は上陸すら叶わないであろうと予見していた。
バルボの予見した通り、ヒトラーは7月16日にブリテン島上陸作戦、海獅子作戦準備命令を発令。
時を同じくして、イタリア軍エジプト侵攻作戦準備開始。




