表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
流転の大戦記  作者: どらごんますたぁ
序章 欧州の猛火1939~1940
22/34

第22話 怒濤

1940年6月24日


 この日から正式に休戦協定が履行され、南部で戦闘中のフランス軍の武装解除が始まった。

 休戦時、マジノ線でのフランス軍の抵抗は苛烈を極め、最高司令部から戦闘停止命令を伝える軍使すら、「ドイツ軍の謀略である」と、要塞司令官はその内容を信じようとはせず、説得に当たる側も、彼らが抗戦するにたる力を有しているがゆえに説得は難航したが、最終的に「自分達は命令に従うものであり、敵の手によって降伏を認めるものではない」との前置きのもと、状況はまちまちだが休戦協定に従って武装解除に応じた。フランス軍が武装解除に応じ、捕虜となった兵士の数はおよそ170万を数える。

 フランス陸軍の武装解除が粛々と進む中、ヒトラー以下ドイツ軍首脳陣が一番気にかけていたのは、欧州海軍勢の中で英国海軍ロイヤルネイビーに次いで強大な戦力を保有するフランス海軍の動向であった。そして、もう一つの悩ましい問題は意気揚々と参戦したイタリアであった。

 6月22日の時点で対イタリア本土第二次攻撃のため、ツーロンを母港とするフランス地中海艦隊巡洋艦戦隊は出撃準備中であり、イタリアと休戦するつもりはサラサラなかったのだ。イタリア軍はアルプスの山中で死体の山を築くだけで、フランスとしてはドイツに敗れはしたがイタリアに敗れたなどと言うことは断じて認められなかった。

 フランス海軍の戦力は日本海軍に次いで世界第4位の実力を持ち、その設計思想はユニークでありながらも独自に発展した技術を惜しみなく投じたものだった。


6月24日時点のフランス海軍所属主力艦


戦艦

リシュリュー級 リシュリュー、シャンバール 計78,366t

ダンケルク級 ダンケルク、ストラスブール 計53,800t

プロヴァンス級 プロヴァンス、ブルターニュ、ロレーヌ 計82,020t

クールベ級 クールベ、オセアン、パリ 計66,567t


空母

ベアルン 22,146t  


重巡洋艦

アルジェリー 10,000t

シュフラン級 シュフラン、コルベール、フォッシュ、デュプレクス 計39,932t

デュケーヌ級 デュケーヌ、トゥールヴィル 計20,000t


軽巡洋艦

ラ・ガリソニエール級 ラ・ガリソニエール、ジャン・ド・ヴィエンヌ、グロワール、マルセイエーズ、モンカルム、ジョルジュ・レイグ 計45,600t

デュゲイ・トルーアン級 デュゲイ・トルーアン、ラモット・ピケ、プリモゲ 計21.747t

エミール・ベルタン 5,886t

ジャンヌ・ダルク 6,496t

プリュトン 4,773t


駆逐艦

ル・アルディ級 8隻 計14,176t

ラドロア級 11隻 計15,158t

ブーラスク級 9隻 計11,871t

モガドール級 2隻 計57,68t

ル・ファンタスク級 6隻 計15,414t

ヴォークラン級 5隻 計12,205t

エーゲル級 6隻 計14,646t

ゲパール級 5隻 計12,180t

シャカル級 4隻 計8,504t

以下割愛

主力艦以下総計86隻、総トン数567,255t


 旧式弩級戦艦を含むが、それでも純然たる一線級の戦力である。リシュリュー級は書類上の就役だが、欧州最強レベルに分類される優秀艦、その脅威は周辺各国で無視など決してできない存在だ。

その特徴はダンケルク級以降から採用されている、他国の主力戦艦に例を見ない四連装砲塔を前部に二基、集中配備している配置にある。

その特異な姿からゲテモノと評されるが、その配置のおかげで防御区画の短縮と砲塔数削減による恩恵によって、重量配分を防御と燃料に割り振った結果、欧州主力戦艦内で最高の防御力と航続力を兼ね備えた強力な戦艦として竣工する形となった。

主砲の38cm45口径砲は、対抗艦の独ビスマルク、伊ヴィットリオ・ヴェネトの主砲とほぼ横並びの高威力を誇り、各国戦艦の適正砲戦距離20kmでは400mm近い装甲を撃ち抜ける性能を持つ。

これに耐えられる艦は現段階では存在しない。重防御と言われる英国のキング・ジョージⅤ世級をもってしても、だ。戦艦は現代の核兵器の価値に匹敵するというのが当時の感覚に近い。

弱点は特徴の主砲の前方集中配備。後方中心線から両舷90度は主砲による射撃ができない点にあり、一長一短と言ったところ。


ベアルンはフランス海軍唯一の空母であり、戦艦改装型の空母で日本の空母加賀と同世代にあたるが、全通式飛行甲板を最初から採用している点で、当時の日本海軍の航空部門と比較して先見の明があったのは間違いない。次世代艦たる空母は建造中のドッグにて解体される運命にあるが、その設計思想が形を変えて日本で発現するのは、しばらく後の事であった。

ジェノヴァ砲撃を成功させた重巡洋艦アルジェリーなども、その攻撃力、防御力、速力を条約の制限内で高い次元で纏めた優秀艦であり、英国のタウン級などから見ても相当な脅威である事は疑いようがない。


 これに潜水艦、砲艦、水雷艇、給油艦、輸送船など各種支援艦が付属する。これだけの艦艇が連合国側か枢軸国側か、判然としない宙に浮いた存在となった。

 西方ウェーザー演習ユーブング作戦において汎用駆逐艦の大半を失って海軍戦力が著しく低下したドイツ軍、とりわけ海軍を預かるレーダーとしては穏便に武装解除を図りたい、あわよくば手中に納めたいと考えていた。

 ここで問題となったのも友邦であるイタリアの存在だった。休戦協定締結に際し、イタリアの態度いかんによってはもう一戦するのも辞さず、と強硬な姿勢をフランスは見せた。

 フランス海軍の士気は旺盛でせっかくの大勝利が、こんな下らない事で交渉がこじれて戦闘が再開されてしまうのは避けなければならない事態だ。ドイツ側の説得が功を奏し、フランス海軍に対しての休戦協定の内容は、自国港湾と植民地防衛に必要な艦艇はその保有を認めドイツ政府は沿岸防衛以外にこれらの艦艇を使用せず、協定締結後に戦闘艦艇に対して追加要求をしない事を宣言するという、かなり譲歩した内容だったのだからその気の使い方が窺われる。


 それだけフランス海軍の保有する戦力は、ドーバーを挟んで対峙するイギリスの最大の脅威であることは火を見るより明らかだった。大英帝国が世界帝国たる地位にあるのは英国海軍ロイヤルネイビーの存在にあると言っても過言ではない。

 ワシントン軍縮条約破棄より4年。戦略兵器たる戦艦の保有量を制限し、大国間の戦争を抑止したその条約の枷はまだ生きており、対英40パーセント近い海軍力は、本国艦隊、地中海艦隊、東洋艦隊と三分せねばならないイギリス海軍にしてみれば洒落にならないほどのレベルなのだ。これにほぼ拮抗するイタリア海軍と、戦力が低下したとはいえUボート(灰色の狼)を保有するドイツ海軍が加われば比率がほぼ同率となる強大な連合海軍が現出する事を意味していた。

 ただし、この時点でのドイツ海軍が保有するUボートは小型の300tクラスⅠ型2隻、Ⅱ型42隻、中型700tクラスのⅦ型48隻と数量的にはまだ多くはなかった。ドイツ海軍にとっての最大のメリットは、大西洋に直接面した港湾を手中に収めたことだった。

 これにより大西洋からノルウェー海、北海を経由して一々本国に帰還せずとも、Uボートはフランス沿岸から修理補給休養を行えることになり、作戦行動における自由度が飛躍的に向上することを意味している。



「首相閣下、やはりあの要求は失敗ではなかったのかと思われますが」

 ロンドン・ダウニング№10の一室。外相ハリファックス伯エドワード・ウッドが苦言を呈する。フランスの単独講和に先立ち、イギリスはフランスをなんとしてでも自陣営に取り込む事に固執し、英仏共同政府の樹立や市民権の共有といった美辞麗句を並べフランス最後の戦力である海軍全艦艇をイギリスの所有物として本土へ廻航せよといった到底受け入れない条件を出してしまったこの行動に、フランス政府が疑惑の念を持ったのは当然であり、徹底抗戦派であったレイノーは失脚し和平派のぺダンが首班となった。

「ウッド卿、あれは正当な主張だよ。確かに結果的には失敗だったが、他に何か方法があったとでもいうのかね?」

 ソファーに深く腰を下ろし、明らかに不機嫌な態度で新聞に目を通すチャーチル。

そう言われ無言で立ち尽くすウッド。ここに至って外交官としての役割は終わりつつあった。

 どれほど切羽詰まった状況に追い込まれているのかチャーチルにも分かっているのだ。フランスの要請に応え、本土防衛用以外の25個戦闘機中隊を派遣しイギリスはフランスの戦いで400機あまりを失った。全稼働機1950機のうちおよそ4分の1にあたり、辛うじて防衛ができる稼働率を維持している。

 フランスの戦いは終わったが、来るイギリスの戦いは圧倒的な制海権を持つ本国艦隊グランドフリートの介入を阻止する制空権の確保が、ドイツ軍の第一手となるであろうことは明白だった。

 これに不確定要素が加わる。フランス艦隊の存在だ。


 フランス空軍・海軍の主力は北アフリカに避退し、その戦闘力は健在なのだ。言葉を選んで説得するといった回りくどい方法、紳士的対応を重んじる外務省のやり方をとっている場合ではないとチャーチルは危機感を募らせていた。

 ドイツとの休戦はありえない。ミュンヘン協定を嘲笑うような野心的な膨張を続け、ポーランドに侵攻し、あまつさえフランスさえも打倒したヒトラーの口車に乗せられれば、大英帝国を維持するなど到底不可能であろうと。

 ドイツに譲歩し続けた挙句、裏切られ失意の淵に沈んだチェンバレンの痛々しいまでの様子を見れば、口が滑ってもそのような事を口にできたであろうか。


チェンバレンはもう長くもつまい…


 フランス侵攻を受けて首相ネヴィル・チェンバレンはその責任を取らされる形で辞任、轟々たる非難にさらされる前任のチェンバレンに対してチャーチルは同情的だった。保守党・労働党・自由党、対立する全ての政党を内包した挙国一致内閣結成の際、チャーチルは反対の声がありながらも彼に枢密院議長に据えた。

 その挙国一致内閣の首班の対抗馬が、チャーチルの目の前にいるウッドだったが、辞退したため引き続き外相の任に当たっている。

「ウッド卿、対話の時は過ぎた。今は行動の時なのだ」

 ウッドの方に向き直り、新聞をたたみテーブルの上に置くチャーチル。

「東洋の言葉に兵は神速を貴ぶ、というものがある。悪いが、パウンド卿を呼んでくれないかな?」

「はい」

 静かに部屋を出るウッド。もはやフランスは友邦ではなく、準敵対国としての扱いとなる事を覚悟した。信義を裏切ったと非難は免れない。

 しばらくして、部屋に第一海軍卿ダドリー・パウンド元帥が入ってきた。

「パウンド卿、今の状況は聞き及んでいるだろう。今は何としてもフランス海軍艦隊を接収、あるいは無力化を図らねばならん。Uボートだけでも手を焼いている状況で、イタリア艦隊に加えてフランス艦隊まで加わるなど悪夢以外の何物でもない。来るドイツの本土進攻に備え、フォーブス大将の本国艦隊は動かせん。頭の痛い話だ」

 部屋に入ってきたパウンドに対してそう言って苛立ちを込めた愚痴ををぶつけるチャーチル。

「軍令部としましては、現在、特に危険と判断している艦隊はメルセルケビールに展開しているものとしております。地中海艦隊の紛れもない主力であり、通商破壊に用いられればジブラルタル~マルタ~アレクサンドリアのラインは機能しなくなる恐れもあり、これを叩くことが現在の最優先事項であると考えます」

 愚痴に対して同意するような、慎重な面持ちでパウンドは報告を行う。

「その戦力は?」

「ダンケルクを含む戦艦2個戦隊、これが主力と考えられ更に水上機母艦1隻、護衛の駆逐艦多数の存在が確認されています。ジブラルタルのH部隊に出撃の命令を伝達しています」

「H部隊……。指揮官はサマヴィル提督か?」

「イエス・サー」 

 ジェームズ・サマヴィル海軍中将。バートラム・ラムゼー海軍大将の指揮下でダンケルクの奇跡に導いた立役者、後に帝国海軍とも矛を交える事になる優秀な提督。

「未だかつてない不名誉な任務だが、成し遂げられる人選は考えられないな」

 溜息を吐きながら、チャーチルは窓の外に目を向けた。陰鬱な空気を表すように、ロンドンの空は厚く低い雲が垂れ込めていた。




ジブラルタル


 古くは英国最高の英雄ネルソン提督の活躍で有名なトラファルガー海戦時の拠点として活用された大西洋と地中海をつなぐ戦略的な要衝。その海峡の両端にそびえ立つ岩山をしてヘラクレスの柱とも呼ばれる、その北側リベリア半島からさらに南へと延びる岬の西側に、その基地はあった。

 西側に開いた港湾内に投錨中の、周囲を圧倒するかのような巨大な艦が佇む。


 英国海軍をして「我らが誇り」と言わしめた世界最大の巡洋戦艦フッドである。262mの全長と排水量42000tは文字通りの世界最大であり、ワシントン軍縮条約の唯一の例外と認定された艦。巡洋戦艦は攻撃力は戦艦と同等、高速力であり代わりに防御は薄弱であるのが定義ではあったが、フッドは防御を強化した結果、高速戦艦と言っても差し支えはない。

 その偉容と、当時としては洗練されたその外観の美しさからマイティ・フッドの異名で親しまれる。

 フッドの艦中央部中甲板に位置する司令官室で、イタリアの参戦とともにH部隊司令官に着任したサマヴィルは、副官から受け取った命令文書を読み返していた。

「汚れ役、か。困難な任務ばかりが回ってくるな」

 副官がいるにもかかわらず、執務机に向かいそう呟く。

 祖国の苦境はよく理解している。命令は北アフリカ、メルセル・ケビールに停泊するフランス地中海艦隊を交渉によって接収、あるいは自沈を要求し、叶わぬ場合実力を持ってこれを排除せよ。というものである。

 ダンケルクでは共に戦い、救助したフランス人に対し、今度はその砲口を向けなければならないのだ。

 昨日の友は今日の敵を自らが示さねばならない。かつての友であったがゆえに、その恨みはより深いものになるであろうことをサマヴィルは理解していた。しかし、命令は命令。

「幕僚を招集してくれ。直ちに作戦会議を開く」

「イエス・サー!」

 副官にそう命じ、室内で一人目頭を押さえるサマヴィル。

苦難を乗り越えた者は更なる苦難へと赴かねばならないのか……

 フランス艦隊がすんなり自沈するなどは考えられず、ほぼ間違いなく戦闘が発生することが予想された。

 敵はダンケルク級。フッドと並ぶ俊足を持つ戦艦であり、砲撃力でこそフッドが優越するが油断できる相手ではない。対して味方は15in砲8門搭載のフッド・ヴァリアント、レゾリューションの計3隻ではあったが、艦型はバラバラで速度の統一が困難であるのと、第一次大戦時の竣工した老朽艦であるなど不安の要素は数え上げればきりがない。

 サマヴィルの苦悩は始まったばかりであることを、本人は薄々感じ始めていた。 




 ちょうどその頃、宿敵フランスを打ち倒したドイツでは、祝賀ムードに包まれ歓喜の渦の中にあった。第一次大戦では4年3ヶ月という長き総力戦の果てに内乱・革命という内部崩壊によって敗退した事からすれば6週間で勝利を納めたのは正に快挙といっていい。

 この戦果により、ドイツ国防軍からは陸軍9人、空軍3人の元帥昇進が内定している。他にも上げれば装甲部隊指揮官は軒並み昇進し、それに特別ボーナスが支給される大盤振る舞いである。

 しかし、その結果はなるべくしてなったものなどではなく、連合国側の情報の齟齬、作戦の優劣、配置の稚拙、連携の拙さに助けられた綱渡りに等しい状況が重なり合ってもたらされた。

 もっとも強力なパートナーを失い、本土に引き上げたイギリスをこの勝利を背景に休戦に持ち込むことをヒトラーは考えていた。フランスに勝利するうえでも、イギリスと講和するうえでもダンケルクの奇跡は失敗などではなかったのだ。

 孤立した部隊がどれほど激烈な抵抗を示すかは想像に難くない。事実カレーやリール、ソンム、マジノ線などといった取り残された各部隊は弾薬が尽きるまで攻撃の手を緩めなかったのだから、それを鑑みればダンケルクに固執すれば、ウェイガンラインを強化する時間的な猶予を与えることになる。その結果は長期戦の様相を呈する事になり、前大戦と同じく反乱・クーデターが引き起こされることも考慮せねばならなくなる。

 ドイツ国防軍内にポーランド戦以降もヒトラーの方針に反対する不穏分子、表立って行動はしていないが、それらが動き出すことをヒトラーは恐れていた。ドイツ国内も決して盤石などではなく、強権的に権力を掌握したナチス政権ではあったがその手法故に反発する勢力も多かった。ヒトラーに対しての暗殺未遂事件も多く発生している。

 この国内の反ナチス組織、特に国防軍内にいる懐疑的な軍人達を黙らせるのに、今回の勝利は決定的な役割を果たした。フランスに勝利する事は不可能としていた参謀本部、プロイセン時代から連なるユンカー、所謂貴族出身者が過半を占めているが故に反発は大きかったが、当時の常識を遥かに超える大胆な指導力を発揮したヒトラーの軍事的なセンスを認めざるをえなくなったのだ。

 そして、このフランス戦の終結はドイツの背後で不穏な動きを誘発させることに繋がった。



6月27日


モロトフ=リッベントロップ協定、独ソ不可侵条約締結時の秘密議定書に従ってソ連、ルーマニア政府に対してベッサラビア割譲の最後通牒を突き付ける。イギリスと共にルーマニア領土保障を約束しコーカサス地方からの空爆をも検討していたフランスが敗北したことが、その直接的な引き金となった。

 ロシア帝国領の復活を目論むスターリンは要求内容に、協定内に含まれていないベッサラビアの北西に位置するブゴビナ地方を加えていた。議定書の拡大解釈であったのか火事場泥棒的な要求であったのかは定かではないが、ルーマニア王国政府はこの圧力に屈しルーマニア軍はベッサラビア・ブゴビナ地方から撤退、速やかにソ連軍が進駐しモルダビア・ソビエト社会主義共和国が打ち立てられた。

 ドイツとソ連はかつての帝国時代の旧領復活と、イギリスは大英帝国の勢力圏の維持に躍起になっていた。


「それは本当のことなのだな?」

「はい、間違いございません総統閣下マインフューラー。これは全て事実であり、現地に派遣した諜報員からもたらされた生の情報であります」

 場所はパリ。休戦協定から数日の間、ヒトラーは観光と宣伝の目的でパリに留まっていた。ヒトラーが宿泊するホテルの一室に、漆黒の制服に身を包んだ将官が報告に訪れていた。報告を聞いたヒトラーの表情は硬い。つい先ほどまで秘書達と談笑していたのがウソのような険しい表情だ。

 親衛隊全国指導者ライチェスフューラーハインリヒ・ヒムラー。小役人という表現が見事に当てはまるヒトラーの右腕と称される男。ルーマニアに関してはヒムラー、そして部下でありながらヒムラーの頭脳と謳われたラインハルト・ハイドリヒも並々ならぬ関心を抱いていた。

 SD(親衛隊情報部)もこの案件を重要視しており、リッベントロップの外務省、カナリス提督の国防軍防諜部といった対抗組織に先んじて親衛隊の影響力拡大を狙うヒムラーが直接報告に来ていた。

 300名ほどだった親衛隊を、国防軍に準じる組織に急成長させたその手腕は凡庸というにはあまりに語弊がある。周囲の人間が有能過ぎると霞んで見えてしまうのは止むおえないのであろうか?


「我々がフランスに釘づけにされている間に、ソ連軍はバルト三国をも手中に収め今回の件はそれに続くものです。ソ連による領土拡張が止まりません」

 ドイツ軍がパリ入城した6月14日、ほぼ時を同じくしてソ連軍は国防委員チモシェンコの指揮の下、50万の赤軍を投入しエストニア・ラトビア・リトアニアの三国を制圧した。ロシア系住民を多数抱える彼らに抵抗する手段などは存在しなかった。よしんば国内に不安がなくともソ連軍と戦うなど自殺行為以外のなにものでもない。

「ブゴビナは議定書内に含まれていないため、外務省を通じ厳重に抗議するよう伝えてあります」 

「当然だ!共産主義者コミュニストどもが調子に乗りおって! やはり奴らは信用ならん!」

 ヒステリックにゴシック調の机を叩き激怒するヒトラー。

 イギリスとの和平を模索中のヒトラーにとって、この進駐は容認できるものではなかった。

 近代国家の血液とも言われる石油の産出ができないドイツでは、1939年の開戦時、持ち前の高い化学工業技術力を活かした人造石油によって45パーセントの供給量をまかない、残りの大部分をルーマニアの石油の輸入に頼っていた。

 人造石油はドイツ国内で比較的大量に産出される石炭と一酸化炭素・水素の化学反応を用いて炭化水素を生成、石油の代替として使用するものでフィッシャー・トロプシュ法と言われ、1924年から導入された方法でヴェルサイユ体制下で孤立するドイツでこそ発展した技術でドイツ国内では24カ所の製造プラントを稼働している。その欠点は、非常に高い技術力とコストが必要な事で、アメリカ産石油を輸入する10倍近い価格となってしまっている点にある。

 国内でも自給は辛うじて可能というレベルであり、ヒトラーがこれを看過するなどありようはずもない。

「まずはイギリスとの戦闘を回避するのが先決。恐らくドーバーは渡れまい」

 この時点のヒトラーは現実的だった。先の北欧侵攻でドイツ海軍は深刻な損害を受け、英国海軍ロイヤルネイビーの実力を高く評価していた。ブリテン島上陸となれば、イギリスが世界に誇る本国艦隊グランドフリートが全力を挙げて阻止せんとするのは明らかであり、世界二位の海軍力を持っていた帝政ドイツ時代ですら及ばなかったことを考えれば至極真っ当なことだった。

 ドイツは伝統的に陸軍国であり、対してイギリスは海軍国。この時点で天然の防壁ドーバー海峡と、それを守護する英国艦隊に対し、ドイツの海空軍は完全に門外漢であり、海峡を渡る具体的なプランはなかった。

「東方への進出を急がねばならん。フランスでさえ撃破した我々が総力を上げれば、土台が腐った納屋も同然のソ連など恐れるに足らぬ」

 ドイツの死活問題とも言える戦略的要衝にその手を伸ばしてきたソ連との関係は、決定的に悪化した。

 軍に対し、ソ連進攻の意思を明確に伝えたのは7月31日のことである。


 もとより相互の孤立から生じた事態打開の手段でしかなかった独ソ不可侵条約は、この瞬間に効力を失ったのである。

 独ソ二大国の火薬庫の前に、小さな火種が生じた。その火種は誰が意図したものであったのだろうか?

 その火種は、一年後にバルバロッサの名で東ヨーロッパの地を揺るがす巨大な炎として噴出する。






1940年6月28日

アメリカ合衆国ワシントンDC



 この日、連邦議会議事堂(キャピトル・ヒル)では今までにない空気が支配していた。

 欧州で第二次世界大戦が勃発してからも、アメリカ国内は海外の戦闘への非介入を謳う孤立主義を堅守する姿勢であったが、今回、上院で議決された法案は、それまでの孤立主義を根幹から揺るがす程の重要な意味をふくむものであった。

 ワシントン軍縮条約から日本が脱却して後、アメリカ、特に海軍の仮想敵国は帝國海軍であり、海軍拡張法によって第2次及び第3次ヴィンソン案と、帝國海軍の増強を予測し段階的に緩やかに軍備の拡大を図っていった。ヴィンソンとは海軍発展に尽力した民主党下院の有力議員カール・ヴィンソンに因む。


マル3計画は戦艦大和、武蔵、空母翔鶴、瑞鶴、駆逐艦陽炎型を起工させた計画であり、これに対して第2次ヴィンソン案は戦艦サウス・ダコダ級、巡洋艦アトランタ級、クリーブランド級を起工。

マル4計画は、大和型二隻、空母大鳳、巡洋艦阿賀野型を起工。

第3次ヴィンソン案は軍縮条約のエスカレーター条項を採用し、その範囲内において高速戦艦アイオワ級、エセックス級を起工したものだ。

エスカレーター条項はワシントン・ロンドン軍縮条約から脱退する国、日本であるが、があった場合、個艦排水量を35,000tから45,000tに拡大するという条項だ。


 日本における建艦計画は、軍縮条約によって対米戦力比7割以下に甘んじていた状態を打開するべく条約を破棄する事を選択し、結果的に量を質で補うべく排水量60,000t以上の巨大戦艦を計画するに至るが、アメリカは質的に条約による縛りを受けていた。欧州、イギリスとフランスが条約を順守する姿勢である事を無視する訳にはいかず、段階的に性能を向上させていった経緯がある。


 帝國海軍は軍縮条約明けに満を持してマル3計画を策定、アメリカ海軍もこれに遅れて第2次ヴィンソン案を策定。この第2次ヴィンソン案に対してはマル4計画を策定し、帝國海軍は対抗措置を講じてきた。マル4計画に対してアメリカは第3次ヴィンソン案と文字通りのシーソーゲームである。

 このマル4計画までは日本も追従が可能な範囲に収まっていた。しかし、第3次ヴィンソン案が予算成立を果たしたのとほぼ時を同じくして、フランス・パリがドイツ軍の占領するところとなったのだ。

 フランスがこれほど早く陥落するなど、予想できた者はほぼ皆無でありどれほどの衝撃をこの国にもたらしたかは、今回可決された法案が如実に表していた。

 すなわち第3次ヴィンソン案は日本単独を見据えた時代遅れになったものである事を、非戦派の共和党上院議員ヴァンデンバーグら有力議員達も認識せざるを得なくなった。

ルーズベルトの危惧は的中し、海軍作戦部長ハロルド・スターク海軍大将に練らせていた建艦計画がベールを脱ぐことになったのである。



第4次海軍拡張法


俗に両洋艦隊法・スタークスプランと呼ばれる、かつて存在した日本の八八艦隊計画・アメリカの三年艦隊計画・イギリスの標準艦隊計画をも凌ぐ、未曾有の規模の建艦計画が始動したのだ……


両洋艦隊法の成立を見届けるかのように、連邦議会議事堂西側正面ゲートから足早に立ち去る二つの影。

「これで私の閣僚としての役割は終わった。ようやく肩の荷が下りたとでも言えばよいのだろうか。少し、風に当たらないかね?アドミラル」

「断る理由はありません。長官代行閣下」


 海軍長官代行チャールズ・エジソン。かの発明王、トーマス・エジソンの四男でエジソン社の社長でもあり(ゼネラル)エレクトリック社とも密接なつながりを持つ。海軍拡張を強力に主導していた海軍長官クロード・スワンソンが前年に亡くなり、海軍次官補を務めていたエジソンがルーズベルトの命で長官代行に就任し、海軍拡張の役割を引き継いだ。

 主力艦の大半のタービンはG・E社製の物が搭載される事からして、その影響は大きい。

特にエジソンはアイオワ級の建造を推進していたが、それにもG・E社製が搭載され、33ktの高速を発揮する事となっている。

第3次ヴィンソン案でアイオワ級は起工されたが、エスカレーター条項の枠内でのカウンターパートは、日本が起工中の新型戦艦であり、また欧州で次々と竣工する新型戦艦群に優越する性能も求められていた。

予算規模の推定から、日本の新型戦艦は45,000t、30kt程度と見積もっていたことから、機密保持は完璧に機能していた。



「私としましては、ぜひあなたに海軍長官を続投してもらえたならば、と思わずにいられません」

 エジソンに付き従っている2m近い長身痩躯の将官がそれに応える。気難しそうな表情に加え、その知性的な顔立ちも相まって近付く事を拒む鋭い空気を放っている。

合衆国艦隊観閲官、海軍長官随員を兼務する元航空艦隊司令長官。将官会議議員であったが、新型空母エセックス級の設計に携わり、大きな功績があったが、その事はあまり知られていない。

「貴官の気持ちに応えたいのはやまやまだが、私はニューヨーク州知事に立候補し、影から海軍を支援するつもりだ。ニューヨークは合衆国内でも屈指の工業地帯、それなりに貴官らの援護になるだろう」

 アメリカ国内においても経済界の人間が政界に進出するのは、ごく当たり前の事だ。政界と経済界は密接に結びつき、そのネットワークを駆使して利潤を得る事も少なくない。

 そして、ニューヨーク州はニューヨーク~ハドソン川~五大湖を運河で結ぶその立地的な条件と、その交通条件から発展した産業革命から、東海岸でも最大級の工業地帯として知られてきた。合衆国本土47州の中でも軍需関連における供給量は一割近くに上り、極めて重要な位置付けにある。


「両洋艦隊の成立は、経済界でも好意的に受け取られているよ。予算成立はおそらく来年まで持ち越しになるが、何せ40億ドルを超える巨額の予算が投入されるのだから、不況に陥っていた関連分野の企業は両手を上げて喜んでいることだろうがね。もっともこの艦隊をもってしても君にとっては不満なのだろうが……」

 この当時の為替レートは1ドル4.2円。大日本帝國の一般歳出会計予算は約40億円、ドルに換算すれば10億ドルに満たない。日本の4年分の国家予算を丸ごと投入するに等しい内容だ。


「えぇ、その通りであります長官代行閣下。最悪を想定するのであるならば、敵はドイツ・フランス・イタリア、そして、追い詰められたイギリスが枢軸側に屈服し、これに日本とソ連までが加わった場合、汎ユーラシア同盟とでも言えばよいのでしょうか。事実上世界の海軍を相手取る事となり、レインボーより深刻な事態に直面する事を考えるべきですな。昨年の独ソ不可侵条約しかり、今回のフランス降伏しかり、予断を許さぬ状況と考えます。しかし、何があろうとも自らの身は自らで守らねば」

 傲岸不遜な口振りだが、この将官にとっては昔からの事なので、エジソンもいちいち気にしてはいない。実際、これは恐るべき事態なのだ。

 世界の半分を占めるとまで言われるアメリカの工業力をもってしても、列強全てを相手にするなど、背筋が凍ると言うもの。

 持つものは備えねばならない。


「冷徹な君らしい。世界を相手に抗う…かね?」

 立ち止まって将官の方に向き直るエジソン。

「私が指揮するならば、必ず勝利します」

 臆する様子もなくそう言ってのけるのを聞いて、声を上げてエジソンは笑った。

 笑われた事に怒りの感情に顔を歪める将官。

「いや、失敬。剛毅な事だと感心したのだよ。その自信も貴官の仕事ぶりを見れば納得すると言うものだ」

 そう言って、再び二人は歩き出す。


 議事堂前の長い緩やかな階段を下りきったところで、二人は歩みを止める。その目の前には巨大なモニュメントが静かに佇んでいる。

「貴官はまさに、このグラントの再来なのではないかと私は思うね」

ユリシーズ・グラント・メモリアル。南北戦争の戦闘の様子と、北軍を率いて勝利に導いた英雄、馬上に跨がったユリシーズ・グラントの彫像を見上げ、エジソンはそう言った。

「史上最悪の大統領の再来など笑えぬ冗談ですな」

 将官は憮然とした態度で答える。

「大統領として最悪なのは間違いない。スキャンダルの山だったしな。そこに関しては身に覚えはあるんだろう?」

 優秀さでこの将官の右に出る者はいない。それが海軍に関係する人間が共通に認識する事実だ。

「私は政治家ではありませんので、スキャンダルなど無縁であります」

 このあたりは平然とかわしてくる。

「そう、まさにその通りだよ。グラントと同じく軍人としての優秀さは誰が何と言おうと否定できるものではない。しかし、君は公平ではあるがその人格さえ直れば完璧といえるのだがね」

 もう一度、この将官に対して苦言を呈してみる。


 第一次大戦で地中海で活躍し、大艦巨砲主義者であり海軍発展に尽力したであり口やかましい事で知られるウィリアム・シムス提督の上官としての評価は、口と性格は悪いが真面目公平勤勉であり、海軍軍人としては最高、非の打ちどころなし。としている。

最終的に辣腕を振るったシムスも、彼と衝突して喧嘩別れをしているが、評価そのものは極めて高くつけていた。



「それはありえませんな。それこそ私が私である所以であり、無駄な努力と言うものです」

またしてもばっさりと切り捨てられる。上司であろうが平然と楯突く傲慢さを常に発揮して、出世の道を渡り歩いてきたのだ。今の役職も本来であれば閑職と言えるものだったが、その明晰な頭脳はこの両洋艦隊計画に大きな影響を与えていた。


ここでアメリカ海軍の条約明け後の建艦計画を述べる


第2次ヴィンソン案

戦艦サウス・ダコタ級 サウス・ダコタ、インディアナ、マサチューセッツ、アラバマ


空母エセックス


軽巡洋艦クリーブランド級 クリーブランド、コロンビア、モントピリア、デンバー

軽巡洋艦アトランタ級 アトランタ、ジュノー、サンディアゴ、サンファン


駆逐艦シムス級 12隻

駆逐艦ベンソン級 6隻

駆逐艦グリーブス級4隻


第3次ヴィンソン案

戦艦アイオワ級 アイオワ、ニュージャージー、ウィスコンシン、ミズーリ


空母エセックス級 エセックス、イントピレット、フランクリン、ダイコンデロガ


重巡洋艦ボルティモア級 ボルティモア、ボストン、ピッツバーグ、メイコン


軽巡洋艦クリーブランド級 アムステルダム、サンタフェ、タラハシー、バーミンガム  

軽巡洋艦アトランタ級 オークランド、リノ


駆逐艦ベンソン級 24隻

駆逐艦グリーブス級 10隻




両洋艦隊法

戦艦アイオワ級 イリノイ、ケンタッキー

戦艦モンタナ級 モンタナ、オハイオ、メイン、ニューハンプシャー、ルイジアナ


大型巡洋艦アラスカ級 アラスカ、グアム、ハワイ、フィリピン、プエルトリコ、サモア 


空母エセックス級 ランドルフ、シャングリラ、バンカーヒル、プリンストン、ハンコック、ベニントン、ボクサー、ボノム・リシャール、レイテ、キアサージ


重巡洋艦ボルティモア級 20隻 

軽巡洋艦クリーブランド級 48隻 

軽巡洋艦アトランタ級 5隻

駆逐艦グリーブス級48隻

駆逐艦フレッチャー級115隻



第2次ヴィンソン案でエセックス級一番艦が計画されたが、その設計は当時纏まっておらずまだ起工すら至っていない。

空母の対戦艦比率は第3次ヴィンソン案までは、明らかに帝國海軍の計画が先行していた。

この両洋艦隊計画は、それまでの七割増しとなる増強に加え、空母の大量配備を主眼とした計画。これにより条約明けの新たに配備される主力艦は戦艦17隻、空母14隻と一国を相手にするには過剰とも言える戦力が揃う事を意味していた。

その増強の前段階で、エジソンと共に真珠湾で艦隊観閲に臨み、その観閲で明らかとなったのは空母の脆弱性であり対応する設計に参画したのがこの将官だった。

そして、海軍全艦艇の対空火器配置見直しを僅か3ヶ月の短期間で計画書と必要予算を纏め上げた。現場に疎いエジソンが、将官会議メンバーの空き要員で案内役だったこの将官に、白羽の矢を立てた事からこの仕事が回ってきた。

こういった問題は、議論が長引いた末にうやむやになり、自然消滅する場合も多々あり、議会に提出する必要性から調査から報告を纏めるまでに2~3年が費やされるなかで異例の短さである。そう、議論など一切必要としなかったのだ。

結局、カール・ヴィンソンはこの事案を最優先事項として予算を追加計上する。この改装の費用は3億ドルに上り、改装には3年の時間を費やし後に多大な影響を及ぼす事になる。



「貴官のおかげで、懸念事項であった艦隊型正規空母の量産が開始される。これに伴って合衆国艦隊は太平洋艦隊と大西洋分艦隊へと再編される。私は貴官を再編される大西洋分艦隊司令官に推薦したい。本来ならば合衆国艦隊司令長官を推すのだが、大統領は自分の直接知る士官でなければ冷淡だ。スターク作戦部長、リチャードソン合衆国艦隊長官、どちらもスワンソン長官の推薦があったからなのだ。航海局・兵備局長のいずれかの経験者がそのポストに優先的に回されるのが、ルーズベルトサークルのお決まりだ」

エジソンは再び向き直る。

我海軍(マイ・ネイビー)と大統領は豪語されているが、この艦隊は君の艦隊だ。この大艦隊を預けるにたる男と私は期待している。万が一合衆国に事が起こる時、この両洋艦隊を率いるのは間違いなく貴官だ」

エジソンは畏怖の念を込めて称賛する。

「当然です。私以外に誰がやれると言うのですか?」

 さすがの自信過剰ぶりにエジソンも苦笑いする。

 もっともこの男も、海軍のトップたらんとする野心家であり、群れをなさぬ孤高の一匹狼。

 この両洋艦隊が実現すれば、あり得ない計算だが、帝國海軍連合艦隊と交戦し日本側に一隻の損害なく既存艦が全滅したとしても、性能を一新した新型艦で構成された艦隊がもう1セット登場してくる圧倒的なものだ。


 加えてこの将官は操艦の名手としても知られ、そして、水上艦のみに留まらず潜水艦から空母の指揮まで難なくこなし、パイロットの資格までも持つ。しかも何れもベテランを凌ぐほどの腕前を見せつけている。万能にして完璧。

「貴官のそう言う誰彼構わず人と衝突したがる人格の問題がなければ、平時であっても議会の受けもよかっただろうに。議員の一部で言われている君のもう一つの渾名を知っとるかね?」

「興味深いですな。色々と陰口を叩かれている自覚はありますので、知らないものであるならば面白いのですがね」


「アーレス、ギリシアの戦神だよ。作家に転向した君の元部下あたりが出所だったはずだが、君の見た目と性格、その戦闘狂ともとれる部分を指した揶揄だな。まったく畏れ入る……」

 正直な感想を口にするエジソン。

 これを聞いて、少し驚きを見せた将官だったが豪快に笑い飛ばした。

「傑作ですな。神でありながら人に敗れた戦乱と暴虐の神ですか? 私はそのようなヘマはしません。他の部分は認めざるをえませんが」

 余裕でそう言う。

 恐るべき男である。後に日本海軍と戦った提督によれば、日本海軍の動向よりもこの男の動向の方がよほど神経を使った、そう回想している。


アーネスト・ジョゼフ・キング海軍少将。


 若かりし頃は容姿端麗なその容貌からアーニーと呼ばれ、またある時は苛烈な人物評と口汚く人をののしる激情家の面からニトログリセリン、権謀術数に長け気に入らない者に冷淡・情け容赦なく酷薄非情な事からドライアイスの剣。

そして、怠惰無能非効率を嫌いその優秀さと戦略眼、智謀見識、軍事に関しての比類なき知性を讃え付けられた渾名はシャープエッジ。金属を切断する鋭い刃の意。

帝國海軍にとって最悪とも言えるこの男が立ち塞がるのは、必然の流れだった。


 この両洋艦隊法の成立と時を同じくして、陸軍航空隊(AAC)はボーイング社に対して爆弾搭載量1t、航続距離10000kmを越える重爆撃機の発注も行われ、B17の調達すら消極的だった議会の態度は一変する。

この背景には巨額の予算投入が行われた事を如実に語っていた。何せこの年の後半の軍事関連予算は1939年比900パーセント増しに跳ね上がっている。

 この余波は、ドイツ軍の機甲戦術に触発された陸軍にも及び、当時1個機甲騎兵連隊、騎兵科か機甲科か判然としない部隊しか保有していなかった陸軍は、戦車開発に遅れをとっていた事を認識した。

 この遅れを取り戻すべく、アメリカ機甲部隊の父と呼ばれたアドナ・チャーフィー陸軍大将や、キングと同じ戦争狂で知られるジョージ・パットン陸軍准将が中心となって、Mシリーズ戦車、M2・M3と言った軽戦車、中戦車をおよそ4000輌生産する計画が一気に進められることになった。後にジョージ・マーシャル陸軍参謀総長による開戦準備計画ヴィクトリー・プランへと発展していく。

海軍側でも、キングが所属する海軍将官会議は連名で「我々の準備はできているか!?」と言う題名の論文をまとめ上げ、後に大戦にどのように向き合うべきであるかを論じた内容として、発表される事になる。

アメリカはフランスの降伏を重大事件と見做し、陸海空三軍の大規模軍拡に乗り出し名実ともに戦時体制へと移行した。





1940年6月30日

大日本帝國・呉鎮守府


帝國海軍最大にして、アジア最大の規模を持つ巨大基地。

西を向いた半弧状の天然の良港。更に湾を挟んで対面に位置するのは江田島である。その湾岸にある港湾のほぼ全てが、鎮守府の管理する範囲に当たる。


その呉鎮守府に程近い呉駅。駅舎に到着した列車から、20人ほどの一団が降り立つ。背広やスーツ姿であったが、ビジネスマンと言うには雰囲気はあまりにも違和感がある。

 この日は早朝から陸戦隊による市街演習が布告され、市内全域の交通は停止中であり、この列車は特別であることを物語っていた。

「雨、か。梅雨時とはいえ、よく降るものだ」

 駅舎を出たところで、迎えの黒塗りのセダンに乗り込む前に降りしきる雨のなかを、空を見上げ物憂げに呟く壮年の男。

 この日は朝から弱い雨が降り続き、時折強くなるあいにくの空模様だった。

「殿下、刻限が迫っております。急ぎましょう」

「そうですね。嶋田中将、案内をお願いします」

 雨に濡れる事に気を揉んで車に乗せようとしたのは、嶋田繁太郎(しまだしげたろう)海軍中将。殿下と呼ばれたのは、久邇宮くにのみや朝融王あさあきらおう、海軍大佐だ。

本来であれば白い第二種軍装を着ているのだが、海軍の人間であることは厳重に隠さなければならない。

理由は第一号艦の進水式に臨むため。参加者の移動は皇族であっても平服の着用が命ぜられていた。

今上天皇、あるいは軍令部総長たる伏見宮ふしみのみや博恭王ひろやすおうの臨席が計画されていたが突如として中止となった。昨今の世界情勢を鑑み、一号艦の進水が明るみに出ることを避けるため、秘中の秘として進水式は執り行われることになった。

 海軍の代表者は朝融王。天皇の義兄にあたり伏見宮第3王女が妃で博恭王の義子にあたり、その名代として参加する。諸外国にその動向が知られる恐れが小さいため、両者との血縁からも適役とされた経緯がある。

 吉田善吾(よしだぜんご)海軍大臣の名代としては、支那方面艦隊司令長官の嶋田が臨席することになっていた。海相、総長などが列席すれば、新聞記者や間諜に察知されかねない。

昨年に一足早く進水した空母翔鶴では、ここまで厳重な情報封鎖は行われず、米内海相、伏見宮総長も出席し華々しい進水式が挙行されたのとは対照的だった。

 他にも数名の海軍高官の姿もあったが、要職にあるものはほとんど除外されている。

 呉駅から鎮守府構内まではわずか300m程しか離れていない、目と鼻の先ほどに近い。元々は漁村でしか無かったが、西海鎮守府が開設されてからその様子は一変する。今では広島に匹敵する大都市となっている。公称40万。それほどにこの街は海軍の街として発展してきた。


 十台の車列は雨の中を走り抜け、鎮守府の中へと滑り込んでいく。




第二号船渠


 かつて巡洋戦艦赤城が起工し、ワシントン軍縮条約により空母として進水したドッグ。全長260m、幅33mの巨艦を進水させた船渠は更に拡大され、今では横須賀で新造される第六号船渠と共に世界最大級のドッグとなっている。


 そのドッグに佇むのは、これまた世界最大となる超巨大戦艦の船体だ。

搭載される主砲は四六糎四五口径。主砲口径においても世界最大。他の追随を許さない。


 その大口径の主砲が搭載されるべき砲塔は据え付けられておらず、そこには雨が中に入るのを防ぐ覆いが被せられている。

 船体の後ろ半分は屋根が掛けられ、外から全体は確認する事ができないようになっている。機密漏洩を防ぐ措置だ。


 主砲の砲身は同じ呉工廠内の砲槓部にて、旋状の穿孔、切削、表面の焼き入れが専用のボーリングマシンによって行われている。元々は室蘭製鉄所にて造られた200tの鉄塊(インゴット)を輸送して加工しているが、砲身一つで165tの重量となる。

 この鉄塊の重量は世界最大級で、砲身重量のみで1485tとなる。

 この砲身を輸送するために専用輸送船、樫野(かしの)がマル3計画で同時に建造されている。名目上は給兵艦(武器弾薬運搬)とされたが、重量物運搬の特殊輸送船だ。

 同型艦は無いため、この樫野を喪失すれば四六糎砲を輸送する手段が失われる事になる。

 二番艦は長崎、三番艦は横須賀で建造される事が決定されているが、砲身を加工できる工場は呉にしか存在しない事情を考えれば、樫野の存在は極めて重要だ。もう一つの特筆すべき事は、次世代戦艦に搭載する予定の五一糎砲を運搬する先を見据えた性能を有している点にある。



 鎮守府構内、南側の車道を通って第二船渠に到着した面々が目にしたのは、周囲を網で覆った異様な風景だった。

「まるで巨人の衣のような風体ですね。ここまでやる必要があったのですか?」

 半ば呆れるような声で呟く朝融王。

「何事も機密保持のためです。もっともこの棕櫚(シュロ)を集めるのに、危うく警察が動く事になってしまいましたが……」

 棕櫚は漁に使われる網だが、秘密裏にかつ大量に買い占めたため、価格が暴騰し悪質な買い占めとして警察が捜査したのは有名だ。

「それで買い占めが海軍がやっていたなどと知られたら本末転倒でありましょうに」

「……殿下の仰る通りです」

 ただ平伏するばかりの嶋田である。


 船渠内に入ると別室で、夏用制服にあたる第二種軍装に全員が着替え、一号艦のあるドッグ内へと足を踏み入れる。

「お待ちしておりました、殿下」

 敬礼をもって出迎えたのは鎮守府長官、日比野正治(ひびのまさはる)海軍中将。

「出迎え、感謝します」

 短く答礼を返す朝融王。動作、立ち居振舞いは一つ一つが優雅で気品を感じさせる。

「久しぶりだな、日比野中将。鎮守府長官の引き継ぎ以来か」

「嶋田さんも、お世話になりました。どうぞこちらへ」

 日比野の前任者は嶋田で、少なからず関係はあった。嶋田は海兵32期、日比野は34期で2期後輩に当たる。


「やはり、デカイな……」

「ええ、世界最大、最強を謳っていますからな。この戦艦のために費やした半年の期間と、第三戦隊を率いれたのは、時期的に幸いでした」

 先に到着し会場で一号艦の船体を仰々しく眺めていたのは軍事参議官の加藤と、南雲忠一なぐもちゅういち海軍中将。

 加藤は一参議官という閑職のためいつも通り、参加者の中では最先任に当たるが注目されることもなく進水式に臨んでいた。もう一人、南雲は昨年より主力艦艦橋研究委員を務め、その前職は近代化改装を施された金剛型戦艦3隻によって編成された第三戦隊であり、金剛型二番艦比叡は最終的に最も近代化された塔型艦橋に改装されている。

 この経験はこの一号艦にも、もちろん採用されることとなった。艦橋が据えつけられるのは進水が終わった後の艤装工事に入ってからとなる。

 そして、加藤と南雲、この二人にも浅からぬ因縁がある。

 時に1933年、加藤が航空本部長に就任する直前、海戦をマニュアル化した海戦要務令内に海軍航空の根幹を成す航空戦教範の起草に、南雲は携わっている。もちろん南雲一人によるものではないが、空母の運用がそれまで防衛的使用を前提としていたものを大きく変える内容となっていた。

 空母戦隊指揮の経験者である加藤は、軍令部を掌握しこれらを独自に発展昇華させた機動艦隊の創設を目指したが、その目論見は潰えた。それゆえに南雲の評価は、同じ艦隊派に属し強硬派でもあった加藤にとっては高いものがある。


「アメリカが動いた」

 短く吐いた加藤の言葉に南雲は無言である。冷徹な理論家であり現実主義者である加藤は、予想はしていながらも想像を超えた事態に戦慄を覚えながらも、これは対米戦が避けられぬ事を認識した。加藤の実の兄は外交官であり、その筋から情報を仕入れるのは恐ろしく早く、独自の情報網を構築している。

 同じ強硬派の南雲も、その点は理解しなければならないと腹を括った。 

「これは日本の存続に係わる。戦って自由を勝ち取るか、アメリカの圧力に屈するか二者択一、だ」

「もちろん戦われるのでしょう? そうでなければ、海軍の存在意義が消滅します」

 南雲の言葉に「その通りだ」と加藤は言う。

 義父、加藤友三郎が為し得た軍縮条約による平和は幻と手厳しく批判。ひたすらに対米戦を研究し尽くし、遥か以前よりこうなる事を予測していた加藤に、甘えや驕慢といったものは微塵も感じられない。

 

「対米戦となれば、否応なくこの艦にも存分に働いてもらわなければならん。遊ばせておく余裕など、ない」

 鋭い視線を佇む船体に向ける加藤。大正期に海軍を文字通り掌握した友三郎元帥の再来であろうか、豪胆をもって知られる南雲でも、その凄みに一瞬たじろいだ。元帥が手元に欲した理由も分かろうというものだ。


「……殿下とズベのご到着だ」

 加藤は平素の顔に戻ると、敬礼で朝融王を迎える。南雲も加藤に習う。ズベは嶋田の渾名である。

「加藤大将も来ていたのですね」

 答礼をしながら朝融王が話しかける。

「は、実家は広島でありますので今朝早くに到着しました」

 加藤の立ち居振る舞いも優雅なものがあった。男爵家の生まれと海外経験が豊富なことからくるものである。

「南雲中将もご苦労様です」

「もったいないお言葉」

深々と頭を下げる南雲。

「では皆様、揃われたようですので、進水式式典を始めさせていただきます」

鎮守府長官日比野が音頭をとって、式典が執り行われる事になった。


天皇行幸を予定して、神殿風に造られた式場に朝融王をはじめ海軍高官百名あまりと、その外縁に工事関係者が千名あまりが参加。

世界最大の戦艦の進水式としては、静かに厳かに式典は進んでいった。


艦の安全を願う祝詞奏上、玉串奉納に引き続いて、鎮守府長官日比野が一号艦の説明を行った後、一通の書面を黒塗りの箱から取りだしそれを読み上げた。


「命名書。軍艦飛騨。昭和十二年十一月四日其の工を起し、今や其の成るを告げ、ここに命名す。昭和十五年六月三十日。海軍大臣吉田善吾」


 式典はいよいよクライマックスへと向かう。

 ドッグ内への注水が行われ、船体が船台から浮力によって浮き上がる。

 完全に船体が浮き上がり、船体の動揺が無いことを担当の工員が確認し、ドッグが開放すると、作業主任の海軍造船大佐が艦尾前に立ち大声で「用意!」とドッグ外の曳船タグボートに命じる。雨はいつの間にか止んでいた。

 その声に合わせ、船体を固定した八本のもやい鋼が解かれる。その様子を確認し「曳き方始め!」と再び曳船に命じると、「煙幕展開!」と続けざまに命令を下した。海上には目隠し用の白い煙幕がはられ、外から進水の様子を見ることは全く叶わない。

 曳船に曳かれた船体は動いているのかいないのか、一瞬分からないほどの微速でドッグから引き出されている。大佐は急いで艦首側の式典会場にいる工廠長、砂川兼雄海軍中将に報告する。

「進水準備よろし!」

 報告を聞いた砂川はおもむろに金色に輝く斧を片手に、最期の仕上げ、支鋼の切断を行う。正確には艦首の紅白紐を切ると、ギロチンの要領で支鋼が切断される仕組みだ。

「軍艦飛騨、進水!」

 ピンと張られた紅白紐を砂川が斧を振りおろし、支鋼は切り離された。

 同時に艦首に取り付けられていた薬玉が割れ、紙吹雪と白ハトが圧搾空気によって会場に吹きだされた。

 進水式は終わった。シャンパンを割る事も、拍手が上がる事もなく、世界最大の戦艦はひどく静かに生まれ落ちたのだった。 




戦艦飛騨


全長 254m

全幅 39m

基準排水量 61,000t

機関艦本式オールギヤードタービン4基4軸

出力 169,400hp

速力 27.2kt

航続距離 18kt7200浬


武装

主砲 九四式46cm45口径三連装砲 3基9門

副砲 三年式15.5cm60口径三連装砲 2基6門

高角砲 九八式10cm65口径連装砲 6基12門

機銃 九六式25mm三連装機銃 8基24門

九三式13mm連装機銃 2基4門


装甲

主砲前盾 650mm 側面250mm 後面190mm 天面270mm

主装甲帯 最大410mm傾斜17度

甲板装甲 220mm

司令塔 500mm

副砲前盾 25mm

弾火薬庫 垂直270mm 水平230mm


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ