第18話 電撃戦Ⅳ 包囲
5月18日
ドイツ軍の黄色作戦、マンシュタインが提唱した大鎌の一閃は、ヒトラーによる介入と、ハルダーをはじめとした陸軍参謀本部の修正、グデーリアンらの独断専行を経て、完璧なまでの推移を見せていた。
この進攻の主役たるA軍集団に所属するクライスト装甲集団は、スダン・ディナン線から時計回りの旋回軌道を描き、クライスト装甲集団の先鋒が大西洋沿岸ブローニュを目指して爆進を続けており、フランス第1軍集団の2個軍がフランス本土から切り離されて北西部に孤立する形となり、黄色作戦のフランス軍主力を包囲する作戦目標の半ばを達成させようとしていた。
この間にオランダは、旧式装備ながらもグルッペラインを中心に頑強に抵抗し善戦していたが、ドイツ空軍第2航空艦隊による主要都市ロッテルダムに対しての爆撃を受け、更なる被害拡大を防ぐため18日に降伏。
この爆撃を、無抵抗の一般市民虐殺と連合国は発表し、死者800名に対して30000名と、事実を大幅に越えた被害が宣伝され、ドイツにとっての大きな汚点を残す結果となった。ポーランド戦のワルシャワを引き合いに出されたものであったが、こちらも命令の齟齬による偶発的なものだった。
灰塵と化した大都市の痛ましい航空写真は、そのプロパガンダを信用させるには十分過ぎる光景だった。
このオランダ降伏と時を同じくして、ドイツ軍の突破を許したフランス第9軍司令官コラーと、第7軍司令官ジローの交代が実施され、戦線に穿たれた穴を塞ごうと懸命の努力が行われていた。
これによって敗退の全責任を押し付けられてコラーは更迭、第7軍は第1軍に吸収され、フランス第1軍集団はディールラインを放棄して、後方のエスコーラインを目指し後退を開始。
オランダが降伏したことで、この方面の攻略を担当していたキュヒラーのドイツ第18軍が追撃に参加し、ディールラインを挟んでフランス軍と対峙していたライヒェナウの第6軍が猛追を加えていた。
「予想はしていたが、これほどとは……」
第9軍司令官に転任となり、司令部に到着したアンリ・ジローは、幕僚からもたらされた報告に絶句していた。
ジローに与えられた役目は崩壊した戦線を建て直し、再び防衛線を引き直す事にあったのだ。しかし、目の前には厳しい現実が突きつけられていた。
まず、第9軍に配置されていた2個軍団は懐走し、北にはロンメルの第7装甲師団、南はラインハルトの第ⅩⅩⅩⅩⅠ装甲軍団によって蹂躙され、着の身着のままで道を避難する住民と、後退するフランス軍、ドイツ空軍による爆撃を受け破壊される道路とが入り交じり、もはや手の着けようがない混乱状態にあった。
「一体どこから手を付けろと言うのだ? もう抗いようがない……」
心の底からそう思った。手持ちの戦力は第2機甲師団のみ。しかもその半数は移動と集結の繰り返しと命令の二転三転によって、行方不明というとんでもない事態に陥っていたのである。正に悪夢である。
だが、もはやジローの下に残された組織的戦力を保持しているのは、この第2機甲師団のみであったが、南方で西へと進撃する400輌を超える戦車を有するラインハルト装甲軍団と、急進するロンメル第7装甲師団を押しとどめるために、第2機甲師団長アルベール・ブリュッシュ少将は北と南に数少ない戦車戦力を二手に分けて、反撃に移ることを決断したが、北方では南へ移動中の軽機械化師団と共同で、前方に突出しつつあったロンメルと師団本隊との連結を一時的に遮断することに成功し引き返してきたロンメルに攻撃を加えたが、燃料切れにより反撃は頓挫。
南方では圧倒的優勢なドイツ戦車群と交戦を繰り返すうちに、戦車が次々と失われて崩壊していった。
万事休す!
ジローは司令部が包囲されつつあるとして後退に移ったが、ジローの輸送隊は後退する道路上でドイツ装甲車に何度も遭遇し、車両を放棄せざるをえないようような状況に追い込まれた。
徒歩で逃走を続けるしかなくなったジローの司令部は後退中の野戦砲部隊に拾われたが、翌19日、ドイツ第6装甲師団の戦車群と遭遇戦となり、先頭の車両群をどうにか葬ることに成功したが、もはやどうにかなるものではなかった。
付近の農場に逃げ込んだジローと幕僚たちは、数輌の戦車に取り囲まれて捕虜となった。第6装甲師団はジロー将軍を捕虜としたことを上級司令部に誇らしげに報告した。これによってフランス第9軍は全滅、完全なる消滅を内外に知らしめることになった。
「海峡を目指して進撃を続けるのだ!」
ゲオルク・ハンス・ラインハルト中将は、第9軍最後の抵抗を粉砕して高らかと号令を下した。Ⅰ号~Ⅳ号戦車、雑多ではあったが第6、第8装甲師団計480輌の戦車を擁する大軍団は、大西洋、英仏海峡まで約50キロの地点まで進出。彼の進撃を止め得る軍事的脅威はもはや存在しない。
北にはホートの第ⅩⅤ装甲軍団、南はグデーリアンの第ⅩⅨ装甲軍団が並走しており、両サイドを脅かされる心配もなく、前方に敵はいないのだから。
海峡へ一番乗りを果たし、敵司令官を捕虜にしたといえば、大変な栄誉である。ラインハルトは勝利を確信していた。
しかし、その進撃を阻むものは意外な場所に存在している。
それは、南を進撃中のグデーリアンと、グデーリアンの上級司令官であるエヴァルト・フォン・クライスト騎兵大将との衝突、そして総統ヒトラーの不安、である。
この時点で、クライストとグデーリアンは作戦の方向性を巡って激論を交わし、クライストは歩兵軍団の随伴を条件に進撃を認めたが、グデーリアンはそれを無視し「燃料の最後の一滴まで進撃せよ」との簡潔な命令を17日に出していた事が更なる衝突を招く結果になった。
もっとも、攻勢に出ている現場の最高指揮官ルントシュテットはグデーリアンの意見に賛同し、ヒトラーを宥めていたが、中間にあたるクライストはヒトラーと意見を同じくしていた。
実際、このような命令が出されたのはグデーリアンの南側面からド・ゴールの第4機甲師団が攻勢を開始した時期と一致しており、ド・ゴールの攻勢は戦車2個大隊80輌によるまとまった数とはいえ、やはり戦力不足の感は否めない不徹底なものが幸いしたのだが。
クライストはこの引き伸ばされる南側面の防衛線に難色を示し、怒りを爆発させて即時停止命令を出し、グデーリアンはすぐさまクライストの司令部に出頭したのだが、クライストはグデーリアンの部隊の功績を讃える代わりにグデーリアンを命令不服従の責で面罵した。
「命令にも従えんのか! 走り出すと止まらん、まるでイノシシと変わらんな!」
「そんな命令には従えない! あなたのような頭の固い人間の下で働くなど御免こうむる! 私は辞めさせていただく!」
「なんだと! 子供のような能書きをたれるな!」
どちらも言い出したら一歩も引かない強情な面を持つ二人は、罵倒しあう大喧嘩に発展する。この騒ぎの報告を受けた軍集団司令官ルントシュテットは、第12軍司令官ヴィルヘルム・リスト上級大将を事態収拾のために派遣、両者の説得に当たった。再びルントシュテットの口からため息が漏れたのは言うまでもない。
クライストも上官の命令ということでしぶしぶ命令を撤回したが、そうでもなければ聞くような人物ではなく、後にヒトラーにでさえ怒鳴り散らす場面を見せることになる。ドイツ陸軍最長老たるルントシュテットの大きさを示すエピソードでもある。
5月19日
「報告! 第3竜騎兵連隊、第47戦車大隊到着!」
17日に行われたドイツ軍に対してのド・ゴールの第1次攻勢は装甲戦力の不足で、敗退に追い込まれた中で、この報告は攻勢を止められたド・ゴールにとって、待ちに待った報告であった。
「ようやくか。これで反撃に移れる!」
騎兵戦車ソミュア3個中隊、重戦車ルノー・シャールB1dis3個中隊の計80輌の到着により、ド・ゴールは自信を取り戻した。これでド・ゴールの下には、150輌の戦車が揃うことになった。それでも、1000輌を超えるであろうクライスト装甲集団の進撃を止めるのは、さすがに不可能だった。
ド・ゴールは3個の戦車群に分け、夜明けを期して北方への攻撃を開始。各部隊の統一のため、西からソミュアS35、ルノーR35、ルノー・シャールB1disに並べられた。
場所はスダンの西、40キロに位置した小さな村落であるクレシー。
晴れ渡っていく空を眺めながら、ド・ゴールは改めて攻撃開始の命令を下した。
「戦車隊突撃!!」
今まで、ドイツ戦車にいいようにあしらわれていたフランス機甲部隊が、初めてまともに攻撃を成功させた。
「目標、前方の砲兵陣地! 撃てっ!」
フランス機甲部隊が押し寄せてくる場面に出くわし、側面を警戒していた歩兵砲兵混成部隊は果敢にも対戦車砲を放ってくるが、戦車を初めて集中的に運用したド・ゴールの部隊に、集中砲火を浴びせられ陣地は沈黙させられた。
フランス側が優勢となって推し進め、攻勢発起点から20キロの距離まで進撃し、2つの集落を奪回したが、途中の河にかかる橋を守る対戦車砲陣地と砲撃戦となり、その間に橋を爆破され進撃を停滞させられた。
この時、きしくもグデーリアンの装甲部隊本隊は遥か前方に突出しており、わずかな2cm高射機関砲が配置された第ⅩⅨ装甲軍団司令部に後数キロの位置まで迫っていた。
「お客さんが帰るまでまったく面白くない時間だった」とグデーリアンは回想している。ド・ゴールの機甲部隊を強面のお客さんと評し、危機的状況にあっても余裕の男である。
その日の午前中は、周辺地区で暴れまわった第4機甲師団だったが、午後に入ってから状況は激変する。
地上部隊の支援要請を受けて、ドイツ空軍が戦場に到着し、シュツーカの群れがド・ゴールの部隊を叩き始めた。
「結構な数がいるな。フランスの鴨共」
すでに多数の戦車を屠ってきたエルンスト・ステーンは、眼下に広がる光景を見ながら悪態をついていた。彼が鴨呼ばわりするのも、周辺からの対空砲火がないことからくる判断である。フランス軍は対空装備がおざなりにされる傾向があり、その配置は航空基地や防衛線、要塞線に重点的に置かれており、攻勢に使用するという概念に欠けていた。
「落とし前、とらせてもらうぞ!」
ステーンは、1輌の戦車に狙いを定めると急降下に入る。スツーカの出現に慌てたのであろうフランス戦車は一様に避退行動に移り、樹木の影に身を潜めようとしていた。まるで必死に逃れようとする蟹のようだった。
その蟹の甲羅を叩き割るべく投弾した爆弾は、あやまたずシャールの天蓋を突きぬいて内部で炸裂、紅蓮の炎をあげて爆散した。燃料、弾薬の誘爆を巻き起こして、上部は木端微塵だった。
今度はドイツ空軍が猛威をふるい、100機以上の爆撃機が飛来し周辺一帯に爆弾の雨をまき散らし、更に東からは遅れて到着した砲兵群が後退路を脅かし始めた。
「むう、ここまでか。止むを得んな、エーヌ南岸まで撤退する!」
夕刻まで踏みとどまって激戦を繰り広げた第4機甲師団だったが、50輌の戦車を失うことになった。
だが、他の3つの機甲師団が奮戦空しく撃破されたが、ド・ゴールは自らの機甲戦術を駆使し、ドイツ軍戦線を一時的に破り、被害を限定させることができたことは大きな成功ではあった。
「まだ、チャンスはある」
この時、第4機甲師団は未だに6割の戦力を維持していたが、再編せねばガタガタな状態であり再戦は不可能である。
歯がゆい限りではあるが、空軍との連携があればもっと戦えていたはずだ。ド・ゴールはリベンジを誓い、夜半のエーヌ河を渡った。
同日、 ドイツ軍の海峡への突破を阻止する事が絶望的になった状況下で、全ての責任を負わせるスケープゴートとして矢面に立たされた総司令官モーリス・ガムランは19日を持って解任され、国防省エデュアール・ダラディエも外相へと異動を余儀なくされた。
ポール・レノーは遅ればせながら内閣の人事を刷新、先の大戦の英雄、元帥フィリップ・ぺダンを副首相として入閣させ、人心の安定に努めた。パリでは政府を移転させるとの噂が広がり、這い寄る危機がひしひしと感じられた。
そして、シリア総督だったマキシム・ウェイガン大将がフランス軍最高司令官に着任し、最高司令部ヴァンセンヌに入り、ガムランから任務を引き継いだ。ウェイガン、齢73。老骨に鞭打っての登場である。
「申し訳ありません閣下…、ドイツ軍機甲部隊の後方への突破を阻止できませんでした」
アルフォンス・ジョルジュはヴァンセンヌを訪れ、自身の失態を詫びた。
「手玉にとられたようだな。後はわしに任せておけ」
年齢としては極めて俊敏で整った容貌と逞しさは、周囲の人間に安心感を与えるものだった。
20日
着任早々からウェイガンは精力的に動き回った。まずは状況の確認に追われ、次は北方に孤立しつつあった第1軍集団司令部の置かれたランスを訪れるため、連絡機を飛ばした。
時を同じくして英陸軍参謀総長エドモンド・アイアンサイドがBEF司令官ゴート卿の司令部下に赴き、英政府決定を伝えていた。
「ゴート卿、我が軍としてはアミアンを目指して南進しフランス第1軍の左翼を固めていただきたい。フランス本土との連結は目下の急務であります」
何を馬鹿な事を!心の中でゴートは叫ぶ。本土の連中は現場を何も知らんのだ。
エスコー河(ベルギー西部の河川でありディール河から西に40キロ地点にある)まで後退したBEF7個師団は、ドイツ第6軍12個師団による圧迫を受けている。フランス第1軍は更にその南東で、3方向からドイツ第4軍、第12軍からなる装甲師団を含む30個師団による攻勢を必死に受け流している状態であり、北側面はベルギー軍16個師団が防衛している。ベルギー軍は数こそ多いが装備による劣勢は明らかである。
しかし、東を向いた戦線を構築する事に成功したが、今度は南から敵戦車による突破により南に向いた戦線を形成させねばならない状況に追い込まれていた。
アイアンサイドが伝えた命令は、楽観的すぎる向きがあった。パリの駐在武官からの連絡を受けて作成されたものであったことが、この決定を生み出していた。
「分かりました。可能な限り努力はしてみます。一応の腹案もありますので」
ゴートは命令に従うような態度を見せていたが、フランス本土と連結する、後方の英仏海峡に撤退する2つの案のうちどちらが実行可能であるのかは、火を見るより明らかであった。
とにかく、戦車による突破が早すぎる。だが、早急に手を打たねば!
ゴートはアミアンまで突破するのは不可能と判断し、その北東20キロに位置するアラスの防衛を主眼とする反撃計画を立てる。戦線を構築せずに後退すれば、破滅は必至である!
ゴートは第1軍集団司令官ビョットに面会し、明日行われる反撃に協力を要請した。
だが、第1軍は限界とも言えるドイツ軍の攻撃を受け止めており、現状では不可能に近かったがビョットは渋々同意し、プリウーの騎兵軍団を向かわせる事が決定した。
しかし、第1軍司令官ブランシャールは22日以前の攻勢は不可能で準備期間を要する旨が通達されていたが、21日の攻勢は実施される運びとなった。攻勢の指揮を執るのは英陸軍少将ハロルド・フランクリン。
フランクリンもまたプリウーに面会して協力を要請し、プリウーは自身が手一杯の状況でありながらも、軽機械化師団の一部を攻勢に参加させることを快諾した。現地指揮官同士の話し合いは、心を一つにするという意味合いで大きかった。
100mという超低空飛行でアミオ輸送機2機と護衛のブロック戦闘機8機が、パリからアブヴィルに至り大西洋沿岸10km付近を北へと飛行していた。ウェイガンを乗せた編隊は驚くべき光景を目の当たりにした。
地上を闊歩しているのは全てドイツ軍の戦車であり、恐るべき事態に直面していることを、ウェイガンは改めて認識した。ウェイガンを乗せた機体の周囲で砲弾が炸裂するなか、それを振り切って北へと向かう一団であった。
この時、ドイツ第2装甲師団がアブヴィルに達し、大鎌の一閃は完璧なものとなり、フランス北部は完全に切り離された。
21日
「かなり困難な任務ではあるが、やるしかあるまい」
フランクリンは憂鬱になりながらも決意を固めた。ゴートも同じであろう。
アラスに対しての反撃に参加する部隊はイギリス2個歩兵師団、機甲1個旅団、フランス軽機械化旅団からなる。部隊は指揮官の名称を用いてフランク集成部隊と呼ばれる。
イギリス第1機甲師団から抽出された第2旅団がその中核であり、Mk.Ⅳ巡航戦車を中心とした快速部隊であったが数十キロの後退とドイツ空軍による攻撃に晒され、多数の車両を喪失していた。
英国陸軍では歩兵火力支援用・対陣地攻撃用の歩兵戦車と、機動力を駆使した突破・追撃用の巡航戦車の二本立てで運用していた。BEF(英大陸派遣軍)に所属する戦車350輌の約7割は、軽量快速の巡航戦車を運用しており、ドイツⅢ、Ⅳ号戦車と比較して性能不足だが機動力を重視した編制ではあった。しかし、それを活かす場面はすでにない。用兵上ドイツ軍に対抗しようとする努力が見られるともとれなくもない。
喪失したMk.Ⅳ巡航戦車に代わる主力となったのは、王立戦車連隊から抽出されたマチルダⅡ歩兵戦車2個中隊。
対陣地攻撃に運用される性格上、歩兵戦車であるマチルダⅡはオードナンス2ポンド砲装備、75mmの装甲を誇る、フランス重戦車ルノーB1disシャールに勝る装甲厚を持つ有力な戦車だった。製造元は英国の老舗鉄鋼メーカー・ヴィッカース。英国の備砲は重量で表記され、口径は40mmで他国とは違い独特の表記になっている。
マチルダⅡは、英陸軍の切り札である。
午前2時、フランク集成部隊は北東方面からアラス・カンブレー(アラス南東10km)間隙部に攻撃を開始。
BEFが一連の戦闘を通して最大にして唯一の反撃が開始された。参加兵力は15000名、全兵力の約1割に当たる規模だ。
作戦開始時、アラス周辺に展開していたドイツ軍はロンメル率いる第7装甲師団と、武装親衛隊テオドール・アイケ中将率いるトーテンコップ自動車化連隊、通称髑髏部隊。
トーテンコップ連隊は突破を続けるロンメルの部隊の側面を防御するためにこれに追従していたが、再編成のために一旦停止していた。これから進撃を再開しようとしていた矢先の突如起こった連合軍による反撃。
フランク集成部隊も偵察不足で五里霧中の進軍であり、双方にとっては出会いがしらの衝突になったが、トーテンコップ連隊にとっても完全な奇襲となった。
夜間に想定外の、しかも強力な機甲部隊を伴った攻撃……結果は明らかだった。
ポーランド戦に軽師団の一員として参加した第7装甲師団とは違い、ポーランド戦後に創建されたトーテンコップ連隊は今黄色作戦が初任務であり、その練度は低かったことも災いして、黒い制服に身を包んだ武装親衛隊の兵士達は武器を手にしたはいいが、前面にマチルダⅡを押し出されては全くの手詰まりで右往左往するだけの兵士もいる有様だった。無理もない話である。
「撃ったはいいが、まるで歯が立たない!」
連隊装備の火砲ではとてもではないが火力不足で役に立たず、マチルダの砲撃が開始されると部隊は恐慌状態に陥った。スダンでフランス軍で発生した事態が、今度はドイツ軍で発生したのである。
「いける、いけるぞ! このまま突破せよ!」
マチルダⅡの2ポンド砲が敵砲兵と思われる集団に向けて放たれる。榴弾を装備していないから対歩兵に効果が期待できないが、心理的には十分あるはずだ。敵は逃げ惑っている。
敵の攻撃は全て弾き返しているし、爆撃機さえ現れなければこのまま押し切れるのではないか?
戦車中隊を率いるマイケル・フィッシャー大尉は、予想以上の成功に楽観的な考えが浮かんだ。実際、この戦いではドイツ軍の捕虜も連行しているくらいなのだから。
8輌のマチルダⅡは巡航戦車と共同でドイツ軍歩兵連隊に砲撃を浴びせかけ、フィッシャーの予想通りに大打撃を与えていた。
「歩兵の督戦に来てみたら、ひどい場面に出くわしたものだ……」
アラス南方で、後方を移動中の歩兵部隊にたまたま同行していたロンメルが、副官からの報告に憮然とした態度で応えていた。
「イギリスの重戦が相手では看守連中にどうにかできるもんでもなかろう」
ボソリとそうロンメルは呟いた。まともにやり合えばⅣ号戦車でも撃破されてしまうほどの強敵。しかも、師団主力は遥か西にある。
「とにかく、周囲の砲兵、高射砲、ありとあらゆる砲をかき集めて集中砲火を浴びせかけるんだ」
簡単明瞭な命令をロンメルは発した。幸いだったのは付近に進出していた高射砲部隊と砲兵連隊がいたことである。副官が混乱中の部隊の中を自動車を走らせ、この命令を周囲に伝えて回った。
丘陵に配置されたFlak18(アハト・アハト)と第57砲兵連隊10.5cm榴弾砲を装備した各部隊が、この指示に従って連合軍への反撃に当たることになった。
フランク集成部隊の攻撃も進展し午前中の間は、自動車化狙撃兵連隊を壊滅に近い状況に追い込むなどかなり優勢に戦いを進めたが、午後に入ってからは急造陣地に止められた機甲部隊は、準備の整った各砲兵部隊による猛烈な砲火に晒される。
「とにかく撃って撃って撃ちまくれ!」
アハト・アハトは装填速度の限界で砲撃を続け、その砲弾が命中したマチルダⅡは、その自慢の正面装甲を貫かれ、あるいは砲塔を吹き飛ばされ、10.5cm榴弾砲も、その弾頭重量による破砕効果で装甲を割られるなどして甚大な被害を被った。
本来は対空砲として運用されるが、第二次大戦勃発前に発生したスペイン内戦(1936~1939年)の際に地上攻撃にも有用との評価がされており、対戦車戦闘にもその威力を存分に発揮した。
軍備制限下から開発されたもので、開発元はドイツ鉄鋼メーカー・クルップ製であり、ベストセラーの高性能兵器を開発したスウェーデン兵器メーカー・ボフォース製対空砲を拡大発展させる形で開発。
素晴らしい性能を発揮したが、全備重量で7t強、全長5.7mになる極めて大型の火砲だった。それに見合う威力を持っており、距離1000mで87mm装甲を貫徹する代物である。その分、反動も大きく全周旋回のため3脚、あるいは4脚架台で固定され運用される。
極めて強力な火砲としてアハトアハトは、後の戦車装備の主流として運用されていくことになる。
10.5cm榴弾砲はラインメタル製でハーフトラックによる牽引式、歩兵装備の火砲としては高威力を発揮した。アラス戦では敵戦車を引きつけて砲弾を叩きこむと言った荒業でもって、マチルダⅡの撃破に貢献することになった。ラインメタルとしても、自社開発の対戦車砲がドアノッカーなどと蔑まれたPAK36の面目躍如といったところか?
ロンメルの機転を利かしたこの反撃により、フランク集成部隊は頼みの綱だったマチルダⅡ16輌中8輌を失って半壊、随伴していたMk4巡航戦車も40輌を失って敗退し、夕刻からフランク集成部隊は撤退を開始。
「プリウー少将に連絡、第二次攻撃は中止。後退の援護をされたし」
この攻撃失敗を受けて、フランス騎兵軍団から派遣されていた第3軽機械化師団による攻撃は中止となた。
攻撃が失敗したことにより、今度はフランク集成部隊の方が追撃を受ける危険性が発生した。この状況下でフランス機甲部隊が参加していたのは、フランクリンにとっては幸いした。
大損害の恐慌状態から立ち直ったトーテンコップ連隊は、第7機甲師団とともに追撃に参加。夜間の襲撃となったが、今度はフランス機甲部隊が立ちふさがり、ここで激戦となった。60輌からなるフランス軽機械化師団は猛反撃を加え、ロンメルは5個師団の攻撃に匹敵するほど強力なものだったと回想する。
このアラスの戦いにより、フランス第1軍集団は南を向いた戦線を構築することに成功。何よりも貴重な時間を稼ぐことができたのである。
「今手を尽くさねば、後は敗北あるのみ!」
前日にフランス軍最高司令官ウェイガンを輸送した編隊は戦場上空を一巡りした後カレーに降り立ち、ウェイガンは車でフランス・ベルギー国境の街イープルに到着。戦場視察により現状が極めて悪化している状況を正しく認識していた。ちなみに編隊は夜間にウェイガンの命令によって不時着した1機を除き全機無事帰投している。
そのウェイガンの招集に応えて、北部方面の調整役であるとともに第1軍集団司令官ビョットと、北部軍に対しての補給を担当するロジャー・キース英海軍大将、そしてベルギー国王レオポルド3世によるトップ会談が行われていた。BEF司令官ゴートの姿が見えないことをウェイガンはいぶかしんだが、連絡の齟齬が行き違いを生んでいた。
「敵突破口を塞ぐため、ソンム河の南に第7軍を配置、ド・ゴールの第4機甲師団による突破と、北部より第1軍主力とBEFを出撃させ敵の突出部を切断する。そのためになんとしても、ベルギー軍の協力が必要不可欠なのです!」
経験豊富な老将は力説する。これはウェイガン計画と呼ばれた反撃計画であり、わずか二日間で急遽作り上げたものである。
「ウェイガン閣下の仰ることはもっともであることは理解しています。しかし、それは我が将兵の回復不可能な士気の喪失となります。例え我が軍が孤立し取り残されようとも、現地から撤退はあり得ません」
ベルギー軍に反撃の支援を要請しているのだが、断固として拒否するという明かな答えだった。
これはベルギー軍にとってはすでに国土の8割をドイツ軍に占領された現状で、更に戦線を後退させることは国土の放棄を意味するに等しい内容だったからだ。
レオポルド国王の発言は、ウェイガンに深い失望をもたらした。
「我々はあなた方を助けるために、前進して今現在の状況に陥っているのだ。今度はあなたがたが我々を手助けする番だ」
そう言ってウェイガンは懇願したが、ベルギー側の決心は揺るがなかった。
もはやベルギーは信用するに値しない。
そんな時にアラスの戦いの敗北の報告が齎された。会議はなんら進展する気配もなく終了し、ウェイガンは改めて困難な状況に置かれ、選択できる残された手段は余りにも少ないことを改めて認識した。
そして、行き違いがあったとはいえ、連合軍内部で拭いがたい不信感が生じたことが露呈する結果となった。
そして、更なる悲劇が連合軍を襲った。北部連合軍の調整に努めていたビョットが事故に巻き込まれ生死不明の重体になってしまった。
だが、ウェイガンは事態打開のためのアブヴィル・カンブレー間の南北挟撃計画を諦めていなかった。
空路による帰還はあまりにも危険なため、水雷艇ラ・フロールを使用して海路パリへと帰還することになった。
5月22日
ウェイガンは正午過ぎにパリに到着し、最高司令部ヴァンセンヌに入った。
司令部内では二人の人物がウェイガンの到着を待っていた。フランス首相ポール・レノー、イギリス首相ウィンストン・チャーチルである。
イギリスではドイツ軍のベルギー侵攻によって、対独宥和政策をとっていたネヴィル・チェンバレンは退陣を余儀なくされ、後任として対独強硬派の海軍大臣チャーチルが首相に就任し、挙国一致内閣が成立していた。
二人の注目は北部一帯を視察し、現地部隊指揮官と直接会話したウェイガンに集中した。
ウェイガンはここでも自身の計画を楽観的な見解を交えて説明した。あえて、ビョットやベルギー軍の苦境を隠したうえでの方便である。第1軍集団は現状維持が精一杯であったが、なんとしてもイギリスの協力が必要だったからであった。
チャーチル自身は非常に興味を示し、英空軍による積極的な支援を約束したが、実情では不可能であった。具体的には英空軍戦闘機ホーカー・ハリケーンを合計で24個中隊、144機を追加で派遣することを約束した。
この会談の後、ウェイガンは作戦命令第1号を発令。
1.ベルギー軍はイーゼル河の線まで後退して徹底抗戦し、全ての水門を開放。
2.英仏軍はカンブレーに対して明日までに、可能な限り早く10個師団を持って南進攻勢を開始。
3.英空軍はカンブレー・アミアン奪回のため最大限の支援を実施。
4.新編第3軍集団はこれに連携して北進攻撃を実施。
ドイツ軍を撃滅するには反撃以外に手段はなく、突破前進したドイツ戦車師団は闘技場に囲い込まれるべきであり、そこから出してはならない。
繰り返して言えば不可能である。だが、これら一連の動きはドイツ軍内部に、巨大な不安の種を芽吹かせるには十分なものと言えた。実際、南部と北部から3回にも渡って撃退したとはいえ、強力な部隊による反撃が行われれば当然であり、今なお連合軍にその意志と行動が伴っていれば尚更のこと。
5月23日
シャルルヴィル・A軍集団司令部
指揮官ルントシュテットの目は次段階、来るべき「赤作戦」を見据えていた。
黄色作戦は言わば前菜に過ぎず、連合軍主力を北フランスに包囲する事はこの赤作戦の過程でしかない。ここで時間を浪費する事は愚か者のすることであると判断していた。
クライスト装甲集団、ホートの第ⅩⅤ、グデーリアンの第ⅩⅨ、ラインハルトの第ⅩⅩⅩⅩⅠ装甲軍団をこの無為な戦闘で消耗するのは得策ではない。連合軍が北部で釘付けにされている今こそ、次につなげる準備に入らなければならない。
「ホート集団は即刻停止、クライスト装甲集団は明日中に停止せよ。状況と装備の確認を行い、後続の追及を待つべし」
翌日に出される総統命令に先立ち、A軍集団司令部による装甲部隊への停止命令が発令される。状況を鑑みて最良の判断を下した。
「命令は徹底させるように。特にグデーリアンには、そうしっかり伝えろ!」
装甲部隊が急進しすぎて、大損害を受けては目も当てられん。まだ北部の連合軍は侮りがたい戦力を有している。ボックとも連携してゆるゆると締め上げて、損耗を抑えなければ。
ルントシュテットの判断は決して誤りではない。
この日、第1軍司令官ブランシャールが軍集団司令官に、騎兵軍団長プリウーが第1軍司令官にそれぞれ格上げされ、南進攻撃の準備に入っていたがその命令の伝達の行き違いにより頓挫。
軽機械化師団3個を含む強力な部隊が編制中であり、なお3方面からの圧迫に耐えうる強大な戦力を未だに保有していた。
この反撃計画が頓挫したことにより、ゴートは英仏海峡への撤退へと完全に舵を切ることになる。
クライスト装甲集団の第2装甲師団が北進へと転じ、大西洋沿岸・要塞の街ブローニュ攻略に取り掛かっていた。ここでは沿岸という地の利が連合国有利に働き、英仏駆逐艦がドイツ軍砲兵陣地を艦砲射撃を実施、応援に駆けつけたドイツ空軍が攻撃を開始し、英駆逐艦2隻を大破、仏駆逐艦1隻を撃沈した。
ドイツ第2装甲師団はブローニュ攻略に2日という時間を費やす羽目になった。
そして明くる24日。
総統命令第13号発令
1.我が軍の次なる目標はフランダースで包囲中の連合軍の壊滅である。北翼に展開する各軍は集中攻撃により敵軍を撃破し、海岸線を速やかに確保すべし。空軍は包囲下にある敵軍の抵抗排除、海峡経由の撤退の阻止、A軍集団南翼の防御である。
2.陸軍は短期間でフランス本土の敵軍を速やかに撃破する準備を進める事。新たな攻勢は三段階からなる。
一段階 パリ北側セーヌ河下流域から南西へと指向する助攻。
二段階 陸軍主力は南東を指向、敵軍主力の撃破とマジノ線の崩壊。
三段階 主攻の援護たるマジノ線への限定攻撃。
3.空軍の任務。フランスでの作戦とは別にイギリス本国に対してルール地方への報復を防ぐ抑止的最大限の攻撃を行うこと。陸軍主力に対しての支援及び制空権の確保である。
4.海軍の任務。英仏海峡における制限を解除、以降作戦の自由を与える。
5.命令に関して意見があれば、私に対し各軍総司令官は情報を提供する事。
この総統命令はヒトラーがシャルルヴィルのルントシュテットの下を訪れた際に発令され、自慢の機甲部隊がフランダースの泥濘に嵌る事を憂慮する内容を伝え、ルントシュテットはこれに同意した。
「包囲下にある連合軍の処理はキュヒラーの歩兵軍とゲーリングの空軍に任せる。戦車が泥に埋まって動けなくなるなど、我慢ならないことだ」
とヒトラーはクライストに対してもこう漏らし、それは的を得ていたことが後に証明される。




