第14話 三人の元帥
1940年5月7日
ソビエトフィンランド戦争、俗に冬戦争と呼称される我がソビエト連邦と隣国フィンランドとの戦争は、モスクワ休戦条約の締結により、勝利と言う体裁を一応保って終息した。
しかし、あんなものは勝利などと言える代物ではない。そう思っているのは、一部の人間と、何も知らされていないこの国の民達に他ならない。
私は直接フィンランド戦の指揮を執ったが、それはお世辞にも誉められたものではない。
しかし、私は今ここにいる。
時期は春真っ盛りのモスクワ、赤の広場。春とはいえ、他国に比べれば寒さがこたえる。日の当たる場所であるならば、さほど気になるほどという訳ではないのだが。
春の日差しに包まれる、その赤の広場を見下ろすように設置されたバルコニーに、スターリンをはじめとするソ連指導部が居並ぶ。その眼下を赤軍兵士によるパレードが行われ、頭上を我が軍の最新鋭戦闘機Yak-1が、ソ連の象徴である星を描く編隊飛行で飛び去っていく。確かにこの様子を見れば、戦勝パレードであると理解できる。だが、見かけだけで事実を覆い隠せるものではない。
共産党機関紙プラウダはこの冬戦争における戦勝を「最新の勝利」と、謳い文句に発行部数を伸ばしている。その真実の名とはかけ離れていることには、真実を知る者としていささかの嘲笑を禁じ得ない。
その最新の勝利をもたらした英雄として、私、セミョーン・チモシェンコは祭り上げられている。実際には敗北であるにも拘わらずに、だ。
だが、事実が敗北であったとしても、誰もそんなこと知りたいなどとも思わないし、その事実を知る必要はない。それを知らせ、このソ連に不和の芽を出させる不利益の方が遥かに大きい。先のノモンハンとフィンランドの戦訓は、我が赤軍は弱いという決定的かつ、屈辱的な隠された真実である。
それは同志スターリンも同様の認識であることは、今回の人事を見れば一目瞭然である。
この日、ソ連では新たな三人の元帥が誕生した。1939年に処刑された、アレクサンドル・エゴーロフ以来であり、赤軍の至宝ミハイル・トゥハチェフスキー、張鼓峰で日本軍と対峙し失脚したヴァシーリー・ブリュヘル、大粛清で処刑された三人の欠員を補充するように。
第一に北西方面軍司令官として冬戦争を指揮したセミョーン・チモシェンコ、第二に参謀総長ボリス・シャポシニコフ、第三に砲兵総監グレゴリー・クリーク。単純に元帥が出ただけならば、なんら教訓を得ていない事となるが、そこまではスターリンも無能ではなかった。
フィンランド戦の結果を受けて、スターリンは友人であり信用があった元帥クリメント・ヴォロシーロフを国防人民委員、各国の国防大臣に相当する地位から解任し、実戦指揮能力と実情を知るチモシェンコを後任の国防人民委員に据えた。そして二人の新たな元帥を補佐として副国防人民委員として赤軍の組織的再編を命じた。大粛清が赤軍に与えた影響は甚大なものである事は、スターリンと三人にとっても一致した見解であり、スターリンのお気に入りで無能と評されるクリークであってさえも、意見書を提出する事態で赤軍の危機感を感じ取れる。
ボリス・シャポシニコフの後任として参謀総長に就任したのは、やはりフィンランド戦で前線指揮を執り、マンネルヘイム線を突破したキリル・メレツコフであり、ごく最近に実戦を経験した指揮官を指導部に入れたと言う点においては、ある意味において最新と言えるのかもしれない。そして、東のノモンハンで日本軍を撃破した功績からゲオルギー・ジューコフも、ソ連南方最大の要衝キエフ軍管区司令官へと異動する。両人もこの機に上級大将へと昇進する。
この事が後に与えた影響は非常に大きいものと、私は考えている。全面的とまではいかないまでも、自由な裁量を与えられたのだ。完全に破綻したと言っても過言ではない、赤軍の指揮系統を回復させるのは、容易な事ではない。
実戦を経験するのが最もその条件に叶っているが、もはや軍事行動を起こしその対象とする国は存在していない。
敗北したばかりのフィンランド、秘密協定を結ぶドイツと事実上その影響下にある黒海沿岸の南西ルーマニア王国、カスピ海と黒海に挟まれたカフカース地方の南イラン帝国、南東にはモンゴル人民共和国、中華民国と日本の傀儡国家満州帝国、これらの国々がソ連と国境を接しているが、親ソのモンゴルは別として、介入する余地が見出だせない。
まずフィンランドは論外であり、対象とはなり得ない。ルーマニアへの進出は秘密議定書にあるベッサラビア地方以外は、ドイツと衝突する事態となるのは明白であり、それはイギリスをはじめとする連合国を利する結果となり、これもまた論外。
イラン帝国については、この方面の進出はイランに程近いインドを領有する大英帝国と、中東シリア・レバノン方面を統治するフランスを直接刺激する事となる。大英帝国、最強の陸軍国フランスとの衝突となれば、他方面を見る余裕は無くなり、中立を破棄したドイツと日本による挟撃の可能性も浮上してくる。独ソ不可侵条約が、完全に信用のない両国の利権によって成り立ったものにつけこんで、連合国が我がソビエトに宣戦布告しなかった理由もこの点にある。これも避けねばならない。
中華民国は西欧各国の利権が絡み合い、国民党、共産党、日本軍が入り乱れる混沌の坩堝と化しているため、下手に介入するのは得策ではない。このようにソ連を取り巻く環境は、非常に危うい均衡の上に成り立っている。
そして、満州については……
ノモンハン事件でも違う意味での教訓がある。
あの方面で衝突し撃破した日本軍が、実は一線級の部隊ではなかった、と言う衝撃的な情報である。満州に潜伏している共産主義に同調するスパイからもたらされた、信憑性の高い情報である。出所も確かなもので関東軍高級参謀から直接話してえられたもの。その参謀の言は「士気旺盛なる現場部隊が、果敢に攻勢に出ようとするところを、後方から増援を送るとは何事か?! 増援は必要なし」と楽観論に基づき強硬に関東軍内での解決を目論んでいる事が明らかとなっている。
現地で対峙した日本軍はわずか約1個師団と2個戦車連隊、それに対して赤軍3個師団と2個機甲旅団を投入、戦車、装甲車およそ相対比5倍から10倍の大戦力を投入したにも拘らず、損害はほぼ同数に達している。戦力二乗の法則を当てはめるならば、100対1の比率でこの損害となり、これは日本軍の潜在的能力を示す恐るべき数値だ。
そして、それは今いるジューコフからの証言を加味するのであれば、地形的有利は我が方にあったはずなのにだ。フィンランドでは気象、地形、その他多くの面で相手に有利に働いたが、ノモンハンではそのような要素はない。
日本との正面衝突が誘発されれば、今中華民国に展開する日本軍約100万と本土の軍が動員されれば、これを撃破するには500万規模の軍が必要となる事が、単純計算で導き出される。
もし、全面戦争となれば沿海州をはじめとした東部領土を失う可能性すらある。こんな事を口にすれば敗北主義者、敢闘精神不足のレッテルを貼られ銃殺の憂き目に合うだろうがな。
日本はソ連を過大評価していたが、ソ連も日本を過大評価していた。これに恐怖を抱いたのはスターリン本人であり、当時ポーランド侵攻を準備中で事件解決を急いだ彼は、不利な状況であえて強気の交渉に踏み切ってこれを乗り切った。
日本はこのハッタリに見事に引っ掛かり、大敗した事として隠蔽したのである。
もっとも、これらの事実はソ連が崩壊するまで公にされる事はない。
私の右に立ち、群衆ににこやかに手を振るスターリンの姿がとても印象深い。スターリンを挟んで反対側には、元参謀総長ボリスが立ち、彼も同じように対応している。天才トゥハチェフスキー亡き今、赤軍の頭脳足り得るのは、彼をおいて他にいない。
そして、左隣に目をやれば、砲兵総監を兼任する強面のグレゴリーが広場を見下ろしている。いつでも不機嫌そうな顔をしている。彼は妙なこだわりを持っている曲者で、権威ある砲兵の専門家であるが故なのか、ロシア帝国時代から伝統的に使用されている元はフランスのシュナイダー社から導入されたM1909(152mm榴弾砲)、M1913(105mmカノン砲)とその発展型を好んで配備している。根っからの砲兵屋だ。
まあ、試作戦車152mm榴弾砲搭載のKV-2などはマンネルヘイム線突破に絶大な威力を発揮した事などは評価できるが、機動力を重視しない点で悠長に過ぎる。結果的に砲兵と連携した平押しがフィンランド戦の勝利に繋がったのだから、彼の昇進も真っ当な評価と言うものだ。他兵科を馬鹿にしたような意見が鼻につく点は頂けないが、騎兵科は砲を牽引するせいかそのような話は聞かないから、ブジョーンヌイ元帥とはうまくやっていけるだろう。
我が赤軍のドクトリンが、砲兵第一主義である以上は止むおえないのだが。
信賞必罰は徹底している以上、我々もこの待遇に応えねば、走狗煮られるの故事を体現する事になる。隣に立つこの独裁者に…
だが、良くも悪くもこの男の代わりは、この混沌とした時代にあって務まる人物はいない。恐怖によって彼はこの国を支配しているが、その恐怖の抑止力は他の列強にも及んでいる。それを誰もが理解しているからこそ、刃向かう事の無意味さを知るのだ。
広場の群衆を見渡しながら、さらに周囲の建物をチモシェンコは何気なく見つめると、窓辺のカーテンに隠れてはいるが、鈍い光を反射する銃身が見て取れる。
用心深い我らがボスは、自らの姿を晒す時は過剰なまでの警備体制をとらせる。パレードに参加する人間は全てボディチェックをされ、NKVDが建物を封鎖し狙撃手を配備して監視する。各所にも警備の人間が鋭い目を光らせ、少しでも怪しい動きを見せた者は即座に拘束され、二度と生きて陽の目を見る事はできない。
しかし、そんな彼に正面切って反抗した人間が一人だけ存在し、しかも今このバルコニー上にいる。私の前任者クリメント・ヴォロシーロフだ。
同志スターリンの別邸で行われたパーティーで、ヴォロシーロフはフィンランド戦の不手際を叱責され、嘲笑された事に激昂して食事の乗った大皿をぶちまけ、先の大粛清に原因があると同志スターリンを非難した。
普通ならばその時点で彼の人生は終わっているはずだったが、どういう訳か無事に済んでしまった。恐らくこんな事は二度と起こりえないだろう珍事である。
ヴォロシーロフは、個人的には勇猛な将軍と言えるが、あくまで個人として見た場合であり、指揮官としては凡庸だ。思えば彼の名前は本人よりも、戦車に与えられた名前の方が名を馳せるかもしれない。眼下をキャタピラの音を響かせながら、進んでいく戦車を眺めながら、私はそのように思った。
今まで行進していた、T-26の車列の後から現れたのは、車体に対してかなり大型の砲塔を搭載したKV-2である。152mmの大口径砲を採用した、あまりにも不恰好なバランスを欠いた戦車、その見た目通りの強靭さは、フィンランド軍がマンネルヘイム線で用いたスウェーデン、ボフォース社製37mm対戦車重機関砲の弾丸のことごとくを弾き返し、フィンランド兵をして怪物と言わしめた。この機関砲により、どれだけの戦車が撃破された事か。しかし、対マンネルヘイム線攻略戦に投じたその戦果は絶大だ。同様の戦場、局所防衛戦においては、その性能をいかんなく発揮させる事ができるであろう。
更に後方からはKV-1が姿を見せる。こちらが重戦車生産の本命である量産型、国防委員だったヴォロシーロフの義子で戦車設計技師の、名前は失念したが、最強の戦車たらんが事を願ってKクリメント・Vヴォロシーロフと命名したと聞いている。現在、攻撃力防御力双方において世界最高水準の自負のある戦車だ。運用面では競作機種の多砲塔重戦車、T-100、SMKを単一砲塔のKVが圧倒して採用され、量産が開始されている。
赤軍の機械化は目下の急務である。人的資源は豊富だが、それだけで勝てるほど現代戦は甘くはない。やはり、手本とするべきはトゥハチェスキーとエゴロフ両元帥が提唱していた、縦深攻勢理論に基づくものが一番手っ取り早い方法だろう。両元帥が存命であるならば、あのような無残な結果にはならなかったはずだ。
とにかく、重要なのはこれから如何にすべきかであって、過去を論じるべきではないが、急がねばならない。
悲壮感を漂わせるチモシェンコをよそに、パレードは続けられていた。その後、ソ連の仮想敵でもあるナチス・ドイツ国防軍がオランダ、ベルギーの国境を越えたのは、チモシェンコの元帥就任からわずか三日後の事である。




