第11話 示される道
2月17日
ドイツ第三帝国首都ベルリン
首都中央、主要官庁街が連なるヴィルヘルム街。その中央を南北に横切る大通りヴィルヘルム通りと、東西に延びるフォス通りが交差する場所に、ドイツ総統官邸が鎮座している。対面にはリッペンドロップの外務省。外務省のマウアー通りを挟んだ東にはゲッベルスの宣伝省。南に下がるとライプツィヒ通りとの交差点にはゲーリングの航空省。更に南のプリンツアルブレヒト通りにはヒムラーのゲシュタポ本部が居を構える。文字通り、ドイツ第三帝国の心臓部。
その総統官邸で世界大戦を次の舞台へと誘う、ある重要な会合が持たれようとしていた。
時刻は午前中、空は冬の薄い雲が覆っていたが、ところどころから幾筋もの陽光が大地にそそぐ。
「報告します総統閣下。昨夜、英国艦艇がノルウェー領海に侵入、アルトマルクが臨検を受け捕虜を奪回されました」
総統官邸執務室にダークブルーの海軍服に身を包んだ老人の声が響く。執務机を挟んで対面の椅子に腰かける我らが偉大なる指導者は、13も年は若いが王者である要素を備えている。陸軍将官、特にプロイセン軍人である者達にとっては国会で繰り広げられる罵倒と進まぬ会議は、民主主義の失望を招き、選挙によって政体が変わることに馴染めず、それによって選ばれた指導者は忠誠を誓うに値しない存在に過ぎなかった。かつてのドイツ帝国皇帝の如き忠誠を誓う絶対的存在を必要としており、強力な指導力による独裁を敷くナチスに傾倒する者は多かった。その手法を巡って賛否両論ではあったが、事実国防軍内にもライヒェナウのような熱烈な信奉者もいる。他にも信奉者は数えきれないほどいるだろう。
今現在、確信を持って言えることは、世界大戦がこの男を中心として廻っているということ。これから起こり得る事もこの指導者は見据えているのだろうか?
「既に聞いている。イギリスやフランスは、ノルウェーの中立を守る気はないと、貴方は言いたいのかなレーダー元帥?」
報告を行うレーダーを、その内面を覗きこむような双眸で彼は見つめる。自身の期待が裏切られたことに対しての怒りも感じられる。
「ヤー、かねてから申し上げている通りノルウェーはUボートをはじめとした艦艇の拠点として非常に有用である上に、フィンランド救援と言う連合国側の明確な介入理由が出来上がりました。今回の事件で明らかな事は、ノルウェーの抗議行動をはね除けるほど強力な意思によって引き起こされたと言う事実です。私は英仏がノルウェーに介入する前に何としても先手を打たねばならないものと愚考いたします」
レーダーは以前から英国の北欧に対しての軍事介入を警戒しており、一刻も早くドイツが主導権を握るための積極策を進言していたが、ヒトラーの「連合国は中立国の主権を尊重するはずである」と進言は度々却下されていた。このあたりはイギリスのチェンバレンとチャーチルの関係にも似ている。現に今まではその通りであったが、昨日の事件はその想定を覆すには十分だった。
その事態を巻き起こしたのはフィンランドの奮戦によるものだったが、2月11日からソ連赤軍のチモシェンコによる大攻勢が開始され、いよいよ危険な状態に達しつつあった。だが、ドイツは現段階では独ソ秘密議定書に従って、 フィンランドに一切関わるつもりはなかった。
アルトマルク号事件と言われるこの事件は、ノルウェーのフィヨルド内で発生した。通商破壊に従事していたポケット戦艦アドミラル・グラーフ・シュペーに随伴して、給油活動を行っていたアルトマルクは、撃沈された商船乗組員を救助した後、シュペーと別れドイツ本国へと帰国の途に就いた。
しかし、途上英国空軍機に北海で発見されてしまい、付近を航行中の駆逐艦コサックに位置を通報、追撃を受ける事になり、アルトマルクはなんとかノルウェー領海内に逃げ込むことに成功する。
以後ノルウェー哨戒艦がアルトマルクの素性を調査、商船であることを証明するため、アルトマルクはその保護下に置かれる事になったはずだったが、コサックはあろうことか領海に侵入し、立ち塞がる哨戒艦の警告を無視してアルトマルクに接舷。待機していた兵員が強襲移乗して、抵抗のない船内に殺到、そして一方的に発砲。ドイツ人乗員7名が殺害される事となり、コサックは捕虜となっていた300名余りを解放してノルウェー領海から離れた。
中立国の完全な主権侵害であり、これは明確なイギリスの下心の現れとレーダーは判断したが、さすがのヒトラーもその判断に同意せざるをえなかった。
「余の考えは外れていた訳だ。元帥の言われる作戦の検討、行ってみようではないか」
自嘲するような苦笑いを浮かべ目を逸らしていたヒトラーは、再びレーダーを見据えると「現在投入できる海軍艦艇はどれほどある?」と質問を浴びせる。
「は、巡洋戦艦シャルンホルスト、グナイゼナウ、リュッツォウ。重巡アドミラル・ヒッパー、ブリュッヒャー、軽巡エムデン、ケーニヒスベルク、カールスルーエ、ケルン以下駆逐艦14、潜水母艦2、潜水艦13、水雷艇7です」
ほう、とヒトラーは呟く。海軍の保有する海上戦力のほぼ全戦力ではないのか?
海軍艦隊整備計画であるZ計画が事実上の中断に追い込まれる中、これらの艦艇は非常に貴重な存在と言えた。これらの艦艇を失えば、英国海軍に対抗する手段はUボートによる通商破壊のみとなる。
「それだけの価値があるものと私は考えています。対フランス侵攻、西方作戦の目途が立たぬ現状では北欧作戦は不可避かと…」
レーダーは進展する気配のないまやかし戦争を引き合いに出した。フランスを攻略できない限り、ノルウェーの重要度は計り知れない。
「そんな事は分かりきった事だ」
そう苛立ちを含めながら吐き捨てる。すでに作戦は延期に次ぐ延期を重ねており、すでに20回以上に上っている。
「OKW(国防軍最高司令部)に作戦の立案を行わせるよう、カイテルには言っておこう。海軍にはその中核になってもらうから、そのつもりで我が命を待て」
ヒトラーの言質をとったことを、レーダーは内心歓喜を持ってこれを迎えた。
「海軍は必ずや成果を献上いたします。ジーク・ハイル、マインフューラー」
ナチス式敬礼を持ってレーダーは称賛の意を示す。やや渋そうな面でヒトラーは答礼を返した。
時刻は昼を迎える。
場所を移し、同じ総統官邸内迎賓用広間にはグレーの軍服に身を包んだ三人の陸軍将官が、豪華な食器の置かれているテーブルを前に居並ぶ。新編成部隊で新任となった師団長以上の将官は、ヒトラーと昼食を共にできるという栄誉に与る事ができるというのが通例となっており、それに従って集った者達である。
広間の扉が開かれヒトラーの姿を認めると三人は立ち上がり、「ハイル・ヒトラー」とナチス式敬礼で不動の姿勢をとる。手をピンと伸ばし左腕を肘から垂直に立てる答礼を行いながら、自らの座る総統席に向かうヒトラー。執事が椅子を引き、席に立つとヒトラーは「諸君、座りたまえ」と答礼を終わらせ、着席を促し自らも席に着いた。
「新たな任に就く貴官らに栄光あれ、ジーク・ハイル」
一種の儀式とも言える内容、三人も「ジーク・ハイル」と返す。
「さて、ロンメル君。君の希望した装甲師団長に就任した気分はどうかね?」
「感無量、感激の極みであります。感謝致します総統閣下」
2月15日に創設された第7装甲師団に抜擢されたのは、総統大本営管理部長を務めていたエルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメル少将であった。職務に忠実、大胆で剛毅、端正な顔立ちと実直さからヒトラーの信任を得て、またこの時はロンメルも、ヒトラーに対して並々ならぬ敬愛の念を抱いていた。第7装甲師団編成は軽量快速のチェコ製38t戦車を中核に、Ⅰ号からⅣ号戦車200輌あまり。他にも新たに3つの装甲師団が増設される運びになっていた。
ポーランド戦において前線視察に赴いたヒトラーに付き従って、ハインツ・グデーリアン将軍の快進撃を目の当たりにしたロンメルは、戦車を集中的に配備した部隊の指揮官となることを熱望するようになった。陸軍人事局にも要望を出したが、出された答えは経歴を考えたうえで山岳兵師団長のポストだった。第一次大戦時、山岳兵部隊所属であった事がその理由だったが、生来頑固でもあったロンメルはこれを不服であるとして、ヒトラーに直訴。ヒトラーもお気に入りであったロンメルの意見を聞き入れ、人事部長、カイテルOKW総長の弟であるボーデヴィン・カイテル少将に口添えした事により、希望通りの結果となった。
ロンメルの答えを聞いて、ヒトラーもにこやかに「余もうれしく思うぞ」と感想を述べている。
その態度も、となりに座る将官を見るなり違うものへと変わっていく。侮蔑するようでもあり、警戒するようでもあり、複雑な表情を見せる。
「前線から離れる事に対して、余に言っておきたいことはあるかね?色々と不満はあるだろうが、聞き入れられることがあればそれに応えようではないか」
ヒトラーはこの将官を嫌っていた。プロイセンの貴族特有の尊大とも言える態度と貴公子然としたその容姿、見下されているような錯覚を覚える。だが内に秘めた知性は、優秀な頭脳を持つヒトラーにとっても計り知れない物があった。
先のポーランド戦において、敵野戦軍主力であったポズナニ軍の包囲殲滅を鮮やかに成し遂げながら、同期である陸軍参謀総長フランツ・ハルダーと作戦を巡っての確執から、現第38軍団に事実上左遷させられたエーリッヒ・フォン・マンシュタイン中将である。
彼はヒトラーと直接面会するこの機会を待ち望んでいた。対仏中央に配備されたA軍集団参謀長だった彼は、引き続き司令官を務めるルントシュテットに侵攻計画においてある提案を行っていたが、その提案がルントシュテットとマンシュタインの功名狙いであると、批判が殺到して左遷させられた経緯があった。自分がいくら言ったとしても、上司ルントシュテットは別として陸軍の旧態然とした堅物どもは、理解しようとはしない。彼らの意識を砕くのはこの男をおいて他にいない。
「前線から遠ざけられるのははなはだ遺憾ではありますが、個人の感情よりも優先せねばならぬ事があります」
マンシュタインは、心にも無さそうな事を言ったヒトラーに対して、釘を刺すかのように淡々と言葉をつないでいく。
それを隣で聞いていたアルフレート・ヨードル中将は、ヒトラーに対しても、臆する事なく物を言うマンシュタインを、興味深く観察していた。ヒトラーのお気に入りであるとともに、OKW統帥局長を務め、実質的に総長カイテルから仕事のほぼ全てを丸投げされながらも、それらをそつなくこなしている有能な男である。
とにもかくにも、今回の昼食会はいつもとは明らかに違うものだった。
この会食をヒトラーに勧めたのは、副官ルドルフ・シュミントによるところが大きい。彼は特に有能、優秀といった評判の良い人物達との接点をヒトラーに持たせるよう配慮しており、特にマンシュタイン発案の作戦が、陸軍大学同期でありマンシュタインの参謀を務めるヘニング・フォン・トレスコウによって、ハルダーの仕打ちに反論するように伝えられると、それをシュミントはヒトラーに伝えたのである。
それはおぼろげながら、画期的かつ革新的なものである事をヒトラーは確信したが、心情的には受け付けないマンシュタインと、直接会うことを望むことになる。
「既にお耳にされているかもしれませんが、西方作戦(黄作戦、)は全く違った方法によって行わなければなりません。総統閣下が仰られていた、侵攻は大西洋岸に沿って行われるべきである、というのは慧眼であると言わざるをえません。しかし、それは従来の右翼から左回りに旋回するのではなく、中央から右翼への逆旋回です」
給仕が食事を運んで来たが、その事に気を留めることもなく、マンシュタインの話を聞き逃すまいと真剣な表情でヒトラー、ロンメル、ヨードルの三人は彼を見つめる。毒見役いわく絶品と言われる食事も、この時ばかりは形無しであった。
「中央、つまりルントシュテットのA軍集団か。ではどのように貴官は動こうというのかね?」
ヒトラーは興味深々で質問を投げかける。
「まずは機甲部隊の集中配備をA軍集団に行います。次に歩兵主体であるボック将軍の右翼B軍集団をオランダ、ベルギー方面に前進させることにより、従来のシェリーフェンプランによる侵攻であると連合国側に認識させるのです。これによりBEF(英国大陸派遣軍)とフランス第1軍集団(4個軍基幹)はディールプランにのっとり、ベルギーへと進出するでしょう。ベルギー中央のディール河防衛線を確保するためと、ベルギーを救わなければならないという政治的な理由で。我々にとってもこれまでの侵攻計画では、このラインを強固に防衛されれば侵攻そのものが停滞、あるいは頓挫しかねない事態となりますが、B軍集団はあくまで陽動です。真の主攻は中央のA軍集団です」
「しかし、中央はマジノ線が伸びている。それに切れた部分はアルデンヌ森林地帯と、マーズ河が横たわっている。いくら機甲部隊があっても、いや機甲部隊であるからこそ進撃は不可能なのでは?」
横から口を挟んだのはヨードルであった。アルデンヌ高原は標高600m程度だったが鬱蒼とした森林に覆われており、戦車の通行は不可能とされていた。マーズ河はフランスのパリとスイスのベルンのほぼ中間から流れだし、ヴェルダン、スダンを経由してベルギー領内に入り、ブリュッセル南東、ナミュール、独蘭国境からオランダ、ロッテルダム南で大西洋に注ぐ大河である。それは通説となって広く知られている事だった。
「疑問は尤もな事だが、機甲部隊指揮官であり一次大戦でこの森で戦った経験のあるグデーリアンと協議の末、アルデンヌは我が機甲部隊をもってすれば十分突破可能であるとの結論に達した」
いよいよマンシュタインの言葉に熱がこもってくる。
「アルデンヌを突破できれば、この方面に配備されているのは予備兵を中心とした軟弱な部隊であり、これを一気に粉砕し、ミューズ河を渡河して敵の後背に回り込めます。ミューズ渡河後は平原が大西洋まで広がっており、ここを機甲部隊を先頭に一気に突っ走り、後方の歩兵軍がその開いた道を押し広げ、フランス軍主力の第一軍集団をその包囲の輪に包み込みます。機甲部隊はそのまま大西洋岸を右回りに旋回し、B軍集団と共同でこれを包囲殲滅します」
この考えに至るまで紆余曲折が存在していた。
「ブンダバール! 実に素晴らしい!」
いきなりヒトラーは声を上げて立ち上がり、マンシュタインを見据えながら拍手を送った。
「余もそのように考えていたのだ! 明日にでも君の考えに合わせて作戦の修正を行おう! 諸君、これで固く閉じられた扉が開く!」




