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流転の大戦記  作者: どらごんますたぁ
序章 欧州の猛火1939~1940
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第1話 燃え上がる業火

※本作品はフィクションであり、実在の人物、団体とは一切関係ありません

なお、表記は基本的に全角英数字で記載、部分的に漢数字、正式名称等はローマ数字等の表記を用いています

2017年6月18日追記

1939年9月1日

ドイツ・ポーランド国境



鉄十字が描かれた翼を翻し、排気の炎を空に吐き出し、エンジンの轟音を放ちながら飛行する死の鳥の群れ。闇に包まれた空の中では青白い炎だけが、不気味さを引き立たせる。

メッサーシュミットと、シュトゥーカの群れが小集団に別れて、空の彼方へと飛び去っていく。

 その下には、まだ夜の闇に包まれてる大平原を前に、2000台を超える戦車と200万を優に越える大軍が、出撃の時を待っていた。

 ドイツ国防軍によるポーランド進攻。


この攻撃が引き起こされた背景は、1919年に調印された第一次大戦講和条約であるヴェルサイユ条約に起因する。

日英仏米を中核とする連合国に敗北したドイツは、無条件降伏と、途方もない額の賠償金を請求され、国家としての体を失った。

 ドイツ帝国は敗戦の代償として、1320億マルクの天文学的な額の賠償が課される。

 通常のマルクではなく、金マルク換算でのこの額は金塊47256t分になる。純金製の正に戦艦が建造可能な量。比較できる重量物は当時、世界最大とされた巡洋戦艦フッドの重量に匹敵する。

 これを現在の日本の円として見た場合、2013年金レート1g/4300円換算でザックリ計算しても、2032京円……。とても賠償可能な金額ではない。

 狂気の沙汰だが、人類史上最悪とも言える膨大な戦死者を出した連合国、特に戦場となったフランスの憎悪と怒りが如実に現れていた。

子供を殺された多くの親の怨嗟の声は凄まじく、「ドイツを解体せよ!」「二度とこうならないように滅ぼすべきだ!」とまで迫る程。

フランスは特に、この第一次大戦での数百万の膨大な、若者の犠牲者を出した事で、人口のバランスが大きく狂い若年者が極端に少ない歪な状況に追い込まれ、その影響は百年も爪痕を残す。

フランスはこの傷痕を刻まれたまま、立ち直れずにいた。


 第一次大戦敗戦と共に、米英仏連合国によるヴェルサイユ条約の報復的措置と、1920年代より続く経済低迷と周辺各国の国土分割。

 ドイツは貿易額の26%を毎年賠償として支払いを続け、不足分を国土で贖い、最終的にドイツは国土のおよそ30%を失った。特に政情不安定な状況下での世界恐慌は、ドイツに破滅的経済打撃をもたらした。

 世界恐慌の影響で、経済立て直しの基盤となるべき外資は引き上げられ、倒産企業があふれ失業率は25%を超過。全体の70%が非正規雇用か無職。物価はハイパーインフレによる天井知らずの高騰で、物を買う事すら困難な状況。失業者は400万人を数える。

 想像もしたくない、まさに生き地獄そのものの社会情勢の不安の中、一人のカリスマが現れる。


 アドルフ・ヒトラー


 悪魔・狂気の独裁者と恐れられた彼は、当時にしてみれば、明日の生活にも困難をきたす塗炭の苦しみを味わうドイツ国民にとって、その苦しみから解き放ってくれた救世主だった。

 30パーセントとも言われた失業率は、ヒトラーが政権を手にしてからわずか4年で改善。

 当時、経済学者が無謀とまで言った、雇用創出・労働条件改善・社会保障福祉制度の充実によって、ドイツは復興を超えた、理想の国家としての復活を果たした。その国家を防衛するための力として、制限されていた軍事力の復活も果たす。自衛する力は、国家が保持するべき最低限の権利でもある。

 彼は独裁者ではあったが、それは民意がそれを望んだことでもあった。

 1939年時点で、ドイツ国防軍は120個師団と、航空機3000機を保有する、世界屈指の精強な軍として機能していた。 

 


挿絵(By みてみん)

開戦時ポーランド近況。赤丸部はポーランド回廊=第一次大戦でドイツが失った東部領土。


 

 第一次大戦後、ヴェルサイユ条約による領土割譲からの禍根を残す、ポーランド北西部に位置する自由都市ダンツィヒ。

そのダンツィヒに連なるバルト海沿岸地帯は、俗にポーランド回廊と呼ばれている。

この回廊が形成されたことによって、ドイツ本国と飛び地である東プロイセンとの連絡が分断されていることは、20年に及ぶドイツの苦渋と辛酸を舐めさせられた象徴であり、この分断状態を取り除くことは悲願でもあった。

このポーランド問題はドイツにとって、敗戦国の屈辱として歴史に刻み込まれていた。

勝者には勝者の、敗者には敗者の苦痛が伴った。


 1933年にヒトラー率いるナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)が政権を掌握後、ラインラント進駐、オーストリア、チェコスロバキア併合等、数々の拡張政策によって、周辺各国に圧力を加えることによる影響力の拡大。

 しかも、これらは軍事力を行使することなくなされたものだったのだから、綱渡り的に成し遂げたそのバランス感覚は非常に危ういながらも、よく状況を見逃さない適切さだった。

その背景と恫喝によって、ポーランド側から譲歩を引き出せることを期待していたヒトラー。

だが、これまでの一連のドイツの拡張政策の越えてはならぬ一線として、ポーランドに食指を伸ばす事をよしとしないイギリス、フランス両国は、ポーランドに対して軍事援助を目的に相互支援条約を結ぶ。

この条約を後ろ盾としてポーランドは譲歩を拒絶。

 第一次大戦で勝者となったが、甚大な被害を被って反戦に傾き融和政策をとっていたフランスでさえ、これ以上の拡張を許すべきでない、との世論の下の対応であった。


「ヴェルサイユは温情というには過酷過ぎ、非情というにはあまりにも手ぬるかった」

 もっと寛大な内容にするか、ドイツを解体するべきであった。

これがフランスの真意であったが、ドイツ全土占領の余力はなかった故の現実的な判断が、後の悲劇へと連なる。


 かねてより識者達の間では、ヴェルサイユ条約の中途半端な決定と、そして戦後より引きずるこのポーランド問題こそが、二度目の世界大戦の引き金になるであろうと警鐘は鳴らされていた。

 その警鐘は正しかった事は証明された。

 ヒトラーは国家間問題解決の最終手段として、軍事力による強引な事態打開へ向けて動き出していた。

 ドイツ国防軍によるポーランド侵攻作戦は四か月前から入念に準備されていた。

対してポーランド側もこの動きを察知し、工業化を進めるべく多大な投資を中西部工業地帯に行っていたが、ヴェルサイユ条約を破棄し、軍事力の増強著しいドイツの伸長に対抗するのは事実上不可能だった。準備を始めた時には、既に手遅れとなっていた。


 外交上でもドイツの方が一歩抜きんでており、侵攻に先立ち8月23日、思想上相容れないはずの仇敵とも言える、東の超大国ソ連のスターリンと独ソ不可侵条約を締結。同時にポーランドを分割する密約を結ぶこととなる。

 一方、対ソ防共の盟友であったはずの日本では、この同盟はこれまでの日独関係が崩れるものと判断、支那で勃発した事変解決と、ソ連とはモンゴル、満州国境問題に端を発したノモンハン事件が発生し、現地では帝國陸軍とソ連赤軍が正に戦闘中であり、この事態に時の首相、平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう)は「欧州の事情は複雑怪奇なり」と表明。

 これに伴いこれまでの政策を全面的に見直す必要が生じたとし、外交政策が事実上決定する能力を失ったとして、8月28日に平沼内閣は総辞職し崩壊していた。

 満州に展開する関東軍では、事実誤認と情報の錯綜もありソ連軍に対しての攻撃中断を決定したのは、その後のことである。


 対してポーランドも、これに対抗するべくイギリスと相互支援条約と独立を保障する文言を発表させることに成功し、正式にイギリスと軍事同盟を締結し、可能な限りの努力を行った。


挿絵(By みてみん)

開戦時、独波両軍の配置


 そして、この日の早朝、世界を巻き込む大戦の火ぶたが切って落とされる。

 ドイツ国防軍参謀本部は侵攻作戦、作戦ウンターネーメンファルヴァイスを発動。

 ドイツ東側国境に配備された二つの軍集団はポーランドに雪崩れ込む。

 主力はポーランド西部中央から南西部を正面から突破し、首都ワルシャワに向かう南部軍集団。総司令官はゲルト・フォン・ルントシュテット上級大将。

 第8軍、第10軍、第14軍の3個軍、歩兵16個師団、2個装甲師団と自動車化師団を含む部隊である。

 これに対抗するのは、西部防衛を担当するポーランド陸軍、ポズナン、ウッジ、クラクフの3個軍、歩兵14個師団と6個騎兵旅団であったが、動員が完了しておらず国境線に分散配置されたままであるため、侵攻してきたドイツ軍に圧倒されることになる。

 もう一つは、北側に位置する東プロイセンと北西から侵攻するフェードア・フォン・ボック上級大将揮下の北部軍集団。第3軍、第4軍の2個軍、歩兵13個師団、2個装甲師団、1個自動化師団である。

 北側からワルシャワへ最短距離で突入する第3軍、ダンツィヒを含むポーランド回廊に展開するポモルツェ軍6個師団を包囲殲滅する第4軍からなっていた。

 これにドイツ空軍(ルフトヴァッフェ)がこれを支援する。1000機のメッサーシュミット・Bf109を中心とする戦闘機、ハインケルHe・111を中心とする爆撃機600機を含む航空戦力を投入。

 戦闘は早朝の空軍による急降下爆撃から始まった。ドイツが誇るユンカース・Ju87シュツーカが、独特の急降下音を鳴り響かせながら、各地の都市、拠点を容赦なく破壊していった。

しかし、ポーランド軍の飛行基地も最優先目標にされていたが、それらは先制攻撃を回避させるために、分散配置されていたことが逆に功を奏し、破壊を免れることができた。

 少数ではあったが、国産旧式機ながら残った複葉戦闘機PZL P.11cなどが反撃に転じ、爆撃機を撃墜する戦果を上げたりしている。

 しかし、健闘を見せていたのはごく一部分にすぎず、速度性能で圧倒する戦闘機メッサーシュミット・Bf109Aが出てくれば、遭遇した性能的に圧倒的に劣るポーランド軍機が敵うはずもなく一方的に撃破されていた。

ドイツ空軍による先制奇襲爆撃で最も致命的だったのは情報、指揮命令系統の寸断だった。

 この混乱によって中央からの統合的な判断が行えなくなり、現地部隊単位でしか行動ができなくなってしまった。

そして、Ⅲ号戦車、Ⅱ号戦車を中核とした、装甲部隊の激しい攻撃が開始され、混乱の渦中にあった前線は、なすすべもなく崩壊していく。




「前線の状況はどうか?」

第ⅩⅨ装甲軍団・野戦指揮所で、仮説幕舎内に広げられたポーランド北西部の地図上に視線を向け、指揮官ハインツ・グデーリアン装甲兵大将は、副官に対して上がってきている報告を求めた。

黒色の戦車兵被服にパンツァーベレーの出で立ち。金糸の国家鷲章が胸に光る。

いつでも戦車に乗り込む事ができるようにしている。


 ポーランド北西部・ダンツィヒ近郊から侵攻を開始した北方軍集団に属する第ⅩⅨ装甲軍団は、ポーランド回廊を横断し敵主力であるポモルツェ軍を分断、包囲するべく軍集団に属する機甲部隊のほぼすべてを指揮していた。

「は、敵前線の突破はほぼ予定通りではありますが、前線各所で所々混乱が起こっており、進行速度に若干の遅れが出ております」

 それを聞いたグデーリアンは、苦笑いを浮かべる。

「最初からそううまくはいかんか……」

 軍備が制限されたヴェルサイユ体制下から、機甲部隊の編制と育成を一貫して行っていたグデーリアンではあったが、それは机上の空論であることは理解していた。当然、起こり得る事である。

 装甲部隊の育成から、本格的な実戦をこのポーランドの戦場で経験することとなるが、来るべき時がくれば、フランス・イギリスを筆頭とする強大な機甲部隊と対峙することとなるのだから、これは失敗も含め貴重な経験値として積み上げておくべきとしている。

 小さく溜息を吐きながら、仮設の幕舎を出ていこうとするグデーリアン。

閣下ゲネラール、どちらへ?」

「決まっている。直接前線で指揮を執る」

 初の実戦、兵が浮き足立つのはやむを得ない。

「車を回せ。時間の余裕はないぞ」

 グデーリアンの命令は、常に指揮官陣頭を実践したものだった。

オートバイやトラック、戦車から偵察機まで乗って回り、前線を歩き回る彼の指導のもと部隊は順調な進撃を行い、東プロイセンから侵入したグデーリアンの装甲部隊は、ポーランド北部をその快足をもって縦断し、ポーランド東部のブリャピチ湿原近郊、ブレスト=リトフスクまで到達し、実に700kmを走破している。

この疾風迅雷とも呼べる進攻速度に浮き足立ったポーランド軍はなすすべもなく、一個軍が後方を遮断され撤退もままならず、まるごと包囲され降伏するという大戦果を献上することになる。


「やや急ぎ過ぎた感は否めん。こんな訓練用の戦車で戦いに臨む事になるとはな…」

大量に配備されたⅡ号戦車を見ながら、グデーリアンは自嘲していたが、本来であれば、主力戦車たるⅢ号戦車の配備が望まれるのだが。

 戦車先進国というべき連合軍の戦車がほぼ存在しないポーランド戦では必要にして十分で、これらの軽戦車も機動力の恩恵をもたらし、縦横無尽の活躍を見せる。全てが未体験、初の試みであり、後の戦闘への教訓となっていった。

  





9月3日

大日本帝國

首都・東京


 永田町二丁目にある首相官舎。前月28日に総辞職した平沼騏一郎に代わって、新たな主として阿部信行(あべのぶゆき)が首相の座に納まっていたが、その前途は多難であった。

「報告します! 重光葵(しげみつまもる)駐英大使から、英国並びに仏国、ポーランド相互支援条約に従ってドイツに宣戦布告!」

 沢田廉三(さわだれんぞう)外務次官が慌てた様子で、電文を片手に新たな外務大臣となった阿部に報告を行う。英仏両国はドイツに侵攻されたポーランドを救うことは、道義的義務であるとして世論の大きな後押しもあり、危険を承知で参戦を企図するにいたる。


「……前大戦の再来か」

 ぼそりと阿部は呟く。状況としては最悪とも思えた。支那事変の勃発に伴い華北では英国の権益を阻害、米国とも日本の中国侵攻に抗議するとして日米通商航海条約を破棄する旨が伝えられ、これに加えソ連とノモンハン事件まで引き起こしており、周辺列強国と衝突する危険性が内在するものだった。

 中国市場への進出を目論む米国は、英国による宥和政策に転じることに対しての牽制の意味を込めて、強硬な姿勢を打ち出しており、支那事変解決に向けての軍事一切の物資の大部分を輸入に頼っていた日本にとって死活問題であり、また防共の盟友ドイツがソ連と手を結び、イギリス、フランスと敵対したことは、非常に複雑、理解しがたいものだった。大陸は混沌とした状況にあり、それは平沼と変わらず阿部にとっても同じだった。

「陸軍、そして海軍の意見は?」

 会議室に招集していた陸軍大臣、畑俊六(はたしゅんろく)陸軍大将と、海軍大臣、吉田善吾(よしだぜんご)海軍中将に阿部は問いかけた。

「今は支那の事態打開のみに力を振り向けるべきと思います。下手な動きはソ連を動かす要因となりかねません。関東軍にはノモンハン方面攻撃中止を通達中であり、係争地からの兵力の引き離しが必要です」

 

「海軍も同じく、場合によっては戦火が飛び火し英米と戦争に発展する可能性もあり、海軍は両国と事を構えるほどの力はありません。慎重に動かれることを希望します」

 支那、ソ連と両方を相手にできるほどの余力は帝國陸軍にはなく、また海軍も1936年にワシントン、ロンドン両海軍軍縮条約から脱退し、初の海軍戦備計画である超大型戦艦二隻を含むマル3・マル4計画が策定され艦隊戦力の整備を開始したばかりであり、とても世界二大海軍と戦闘状態にはいることは不可能だった。

 ちょうどその頃、海軍の仮想敵国第一位の米国海軍では、第二次海軍拡張法が成立し、激しい軍拡競争が始まっていた。

「重光大使から……」

 阿部、畑、吉田の三名が一斉に口を開いた外務次官沢田を見る。

「事は慎重をきするべし、賢明なる判断を、と続きがございます」

 長年外交に携わっている者の言は非常に重みのあるものだった。


 これを受けて、同日中に阿部内閣は欧州大戦に不介入の方針を正式に発表。極力大陸に関して列強を刺激しない方向に舵を切った。これによって対独同盟強化は立ち消えとなる。

 しかし、この方策に従う事を良しとしなかった者達がいた。かつては権勢を誇った艦隊派の影が見え隠れしていた。

 しかし、この動きを歓迎する者達もいた。非戦派、元海相、米内光政(よないみつまさ)海軍大将、海軍次官、山本五十六(やまもといそろく)海軍中将、軍務局長、井上成美(いのうえしげよし)海軍少将の三人だった。マスコミからは海軍左派三羽鳥と言われていた。



霞ヶ関海軍省


「山本さん、とりあえず有事には至らずに済みそうですな」

 海軍省二階に位置する応接間を訪れていた井上は、対峙する山本に切り出した。

「ああ、一応は、な。吉田(海相、海兵同期)にも口をすっぱくして言っておいたからな……」

 茶をすすりながら、英仏対独宣戦布告欧州大戦勃発と大きな見出しが書かれた号外を眺めながら、井上を見ることなく返した。

「防共という観点のみで対独協調は意義を成しますが、それ以上の深入りは致命的な事態となります」

「わかっとるよ井上君。しかし、君も気を付けた方がいい。三国同盟の芽は摘まれたが、どちらに転ぶか見当もつかん」

 平沼内閣辞職により、日独にイタリアを含めた三国同盟を結ぶべきであるとの論調が、国民の間で蔓延し右翼、陸軍からクーデターを臭わせるほどの圧力が加えられたが、その動きは一時的に鎮静化していた。

 英米との対立を海軍としては、絶対に避けたかったのが本音だが、そのことを表立って公言しているのは。

 陸軍が隣接するソ連を仮想敵国第一位に指定した対抗上の措置、予算配分を有利な状況に置きたいがための方便に過ぎないが、日米不戦こそが本音なのだ。

 ソ連と支那という後顧の憂いが無くても、英米両海軍大国に勝利する見込みは皆無であると言わざるを得なかったが、国民や陸軍、海軍内の若手の目からは、山本らは弱腰に映った。

 だが、海軍はそう主張しながらも、米国を仮想敵国として戦備の増強に余念がなかった。

「私はこの機に、中央を離れようかと考えております。中央で陸軍とやり合うのもここらへんで潮時でしょう」

 井上は、軍務局長を務めた二年間を日独関係問題に追われ、成果らしいものを挙げることはできなかった。

「いつも苦労を掛けてすまん」

 山本は静かに頭を下げた。阿部内閣発足とともに、海軍次官から連合艦隊司令長官に輔された山本の心境は、決してよいものではなかった。

 山本が実戦部隊の指揮にあたるため呉に向かった後、井上が海軍省から前線である支那に赴くのは、一カ月程後の事だった。




 ドイツ軍の進撃は容赦なくポーランドの国土を侵食していった。

 作戦案では南部軍集団、ヴァルター・フォン・ライヒェナウ砲兵大将率いる第10軍に属する装甲師団を主攻として、ポーランド南西部から中央を突破。

 ヴィルヘルム・リスト上級大将の第14軍を南東方面に展開し、ハンガリー・スロヴァギア国境沿いのポーランド南端部を通過し、首都ワルシャワ南南東に位置する要衝クラクフへ向け前進。

 ヨハネス・ブラスコヴィッツ歩兵大将の第8軍が、正面に展開するポズナン軍を攻撃し、一部はワルシャワ西に位置するウッチを目指し攻勢をかけた。

 間違いなく装甲部隊を擁する第10軍がその中核であり、それを中心に据え右翼を第14軍が、左翼を第8軍がそれぞれ担当する形で、ポーランドを各方面から切り崩した。

 第10軍司令官ライヒェナウの下には、第15装甲軍団ヘルマン・ホート、第16装甲軍団エーリッヒ・ヘープナーなどの後に著名となる名だたる装甲部隊指揮官が在籍し、その部隊を縦横に操って中央・西部・南部のポーランド主力部隊を三方面において両翼包囲と片翼包囲をもって包囲することに成功する。


 各軍の目的は、可及的速やかなる進攻をもって前線のポーランド軍の撤退を許さず、これを包囲殲滅する事を第一目標とする、敵野戦軍を包囲しその戦力を撃滅する殲滅戦理論によるものであり、まだ電撃戦の形態とはなっていなかった。

 ポーランド軍の前線は、薄弱な広範囲の防衛線を装甲部隊によって突破され、後方に浸透したドイツ軍と猛烈な空襲にさらされ、撤退することすら困難な状況に追い込まれていた。

 首都ワルシャワの手前には大河であるウィスワ河が横たわっており、このラインに防衛線を構築された場合、いかに強力な機甲部隊を持ってしても、相応の時間がかかることは必定であり、それはすなわち後方であるフランスからの侵攻の可能性を増大させる。

 このウィスワ河防衛を主目的とした軍配置の重視する点は、「ポーランド軍は強力な戦力を擁しておらず、要所における防衛に当たるべきで広範囲の防衛は望むべくもない」と当初よりフランス陸軍派遣顧問団が指摘していたが、その声は無視されてしまっていた。

 ドイツ軍にとって第一次大戦の悪夢である、二正面戦の再来となる。

 ポーランド軍もそれを期待し、遅ればせながら全力で撤退を開始。

 しかし、必死の後退を続けるポーランド軍を嘲笑うがごとく、その道筋は閉ざされる事となる。


 迫りくるドイツ軍の攻撃を躱しつつウィスワ河を目前に残存軍の集結を図ったウッジ、ポズナン、クラクフの各軍であったが、ドイツ陸軍が誇る名将、南部軍集団参謀長であったエーリッヒ・フォン・マンシュタイン陸軍中将が、当初有力な機甲戦力を有する第10軍が迂回して最速でウィスワ河に到達したのち、北上し包囲を完成させた後、ワルシャワを攻略する計画を変更。

 急遽、東へ後退しようとしているポズナン軍にその矛先を転じたことにより、前方から逃げ道をふさがれその抵抗は封殺されたまま、包囲に加わった第8軍、第4軍に挟撃を受ける形になりポズナン軍は壊滅。捕虜8万を超す大敗をポーランド軍は喫する。

 これによってポーランド西部に展開していた主力部隊はその戦力の大半を喪失し、騎兵を用いた機動戦術によりソ連赤軍に勝利したウィスワ河の奇跡の再現の可能性は、事実上消滅した。



「マンシュタイン、君の作戦勝ちだ。正面に当たるポズナン軍が壊滅したことで、これでワルシャワは丸裸となった」

 クレイズベルグ・南部軍集団司令部で、司令官ゲルト・フォン・ルントシュテット上級大将は参謀長マンシュタインの手腕を称賛した。

「敵軍の殲滅は最優先事項。状況を鑑み、それを提案したものに過ぎません。一番の戦功は、それをいち早く決断し、実行に移された閣下にあるべきです」

 貴公子然とした知性的な容貌のマンシュタインは、表情を崩すことなく冷静な口調で、自分に対する評価を否定した。

「そう謙遜するな。君の献策が無ければ、これほど早く西部一帯を手中に収めることは叶わなかっただろう。後は残敵を掃討し首都を攻略することによって、この戦闘の幕を下ろせる」

 

 当初、想定されていた最難関を突破することが時間の問題となり、北部軍集団の一部は8日にはワルシャワ郊外に到達し、包囲戦が始まっていた。

 北部軍集団を率いるのは、ルントシュテットとドイツ陸軍内で双璧を謳われるフェードア・フォン・ボック上級大将だ。


 しかし、首都が攻撃に晒されても、ポーランド政府に降伏する意思は微塵も無かった。

 ポーランド軍は予備役将兵、市民までをも動員し徹底抗戦の構えを見せ、市街戦を想定し、対戦車壕、障害物によるバリケードの構築など周到に準備されており、初回の攻撃を仕掛けた第4装甲師団は巧妙な迎撃により大損害を受け後退した。進攻方向が限定され視界も利かない中、至近距離から重砲を含めた精密な射撃を受けてしまえば、いかな戦車といえども被害を受けてしまう。

 当初、200万の市民を擁し、外交官多数がいるワルシャワに対しての空爆は限定していたが、この事態に接し、首都攻略の遅れにより後方から英仏両軍の介入を恐れるヒトラーは、16日に一日の猶予を与え無差別爆撃へと方針を変更した。この時、仏独国境には独歩兵34個師団、仏45師団が配備されており、フランス陸軍は牽制の意味合いを込めてドイツ国内に兵を一部進めていた。

 ドイツ国防軍は、この牽制攻撃によって英仏両軍の戦力を過大評価しており、100個を超える師団が独仏国境線で臨戦態勢にあるものと考えていた。



 ちょうどその頃、ソ連首都モスクワでは、ノモンハン事件の事態収拾のため、駐ソ大使・東郷茂徳とうごうしげのりがソ連外相モロトフと交渉中であったが、ソ連軍が作戦行動中であることはおぼろげながら把握していたが、詳しい状況を知るまでには至らなかった。むしろ東郷にとっては、この機に乗じ悪化しつつある日ソ関係を修復しながら、支那事変の解決へ向けて働きかけようとする向きがあった。


 その翌日、状況は一変するが、それはポーランド政府にとってのものだった。

 明くる17日、ソ連労農赤軍が主力とするT-26軽戦車、BT-7快速戦車多数を含む大部隊が侵攻を開始した。防衛する側のポーランド軍に十分な戦力は残されてはいなかった。


 「ソ連赤軍東部国境を突破し、侵攻を開始!」

 東部前線からの悲鳴のような報告は、ドイツ軍の攻勢にさらされていた首都ワルシャワにも直ちに伝えられた。

 これにポーランド政府は大混乱に陥った。

 既に北部より進行中のドイツ第3軍がワルシャワの東に到達し、ワルシャワ包囲が完全になりつつある最中のことだ。

 ポーランド軍としては残存軍を取り纏め、南東部要塞地帯であるルーマニア橋頭堡に後退し持久戦を行い、英仏両軍による支援を待つ予定であったが、ソ連ウクライナ、ベラルーシ2個方面軍約80万の戦力が突如侵攻してきたことにより、その計画が一瞬にして崩壊した。


 「この事態を招いたのは不甲斐無い私の責任だ……」

 そういって、1926年からポーランド大統領を務めてきたイグナツィ・モシチツキ以下の閣僚は辞意を表明。英国と相互支援条約を結んだ外相ユゼフ・ベックもルーマニアへの脱出を図る事となる。

 ポーランド軍最高司令官ルィツ・シミグウィ元帥は、国土防衛は不可能であるとして東部国境守備軍に対しては、ソ連軍に抵抗する事を禁じ、全軍に対し国外の脱出を指示。

 国外に脱出した者達を母体として自由ポーランド政府を組織し、それによって祖国の再興を計画したのであった。

「国土を失ってもその志が潰えた訳ではないのだ」と世界に示すものだった。

 脱出した各部隊は、後に自由ポーランド軍として祖国奪回に臨むこととなる。

 かつて東欧に林立した国家群の中にあって、異彩を放った強国は東西からドイツとソ連の挟み撃ちにより止めを刺されることになった。

 東から侵入したソ連軍に対して、ポーランド軍の抵抗はあってないようなものに等しく、わずかばかりの反撃を抑えながら、ソ連軍は西へ西へと進撃していった。



9月26日

ソビエト連邦

首都・モスクワ



「報告します書記長。我が軍はナレフ川・ブク川のラインまでの進出が完了。ナチスの狗どもの顔を拝める位置まで到達した」

 ソ連首都モスクワのほぼ中央に位置するクレムリン内にあるカザコフ館。赤の広場を臨むことのできる書記長室。ロシア帝国時代の元老院の中にある一室であり、豪奢な意匠の室内に報告の声が響く。

「それは結構、同志シャポシニコフ。これで19年前に受けたウィスワの雪辱をはらせるというものだ……」

 報告したのはソ連赤軍参謀総長ボリス・シャポシニコフ。報告した相手は冷血無比の(鉄の男)と渾名されるヨシフ・スターリン。ボリスの報告に、スターリンは喜びの色を浮かべ、呟くように言った。

4回の逮捕歴、3回の流刑地送りに3回の脱走歴。

人の暖かさの全てを捨て去った、非情卑劣非道を体現する文字通りの鋼の男。

 19年前、ソ連が成立して間もない1920年、ソビエト・ポーランド戦争において、ユゼフ・ピウスツキの電撃戦の原型とも言える大胆なポーランド軍の機動戦略により、赤軍は大敗を喫する。

 当時、政治委員として参加していたスターリンの予想を裏切る大敗北をにもたらし、ソ連はその後のリガ平和条約により国土をポーランドに奪われ、スターリンは軍事的無能さを非難され打ちひしがれた過去を持っていた。

 そして、優勢だったポーランド軍を押し戻し、首都ワルシャワへと逆進攻したのは、当時わずか27歳で軍司令官となっていた、赤軍の至宝と呼ばれる若き天才、トゥハチェスキーであった。

 才気溢れる若造に、批判されたスターリンの嫉妬と憎悪がいかほどであったかは、想像に難くない。


「ボリス、占領地における政策についてだが、今のうちにこれだけはいっておこう」

 この男の命令で心が痛まなかったことはない。スターリンが敬愛の対象としていた大粛清を生き延びた、ソ連軍の頭脳とされたボリスにとっても、失敗は死に直結すると内心恐怖していた。

「ポーランド軍の捕虜となり、服従する意思のない将校は全て…、始末せよ」

何も感じる事がないような様子で、スターリンは無表情で命じた。




挿絵(By みてみん)

ポーランド戦直後。西側をドイツ軍が、東側をソ連軍が占領。赤線はポーランド分割によって滅亡した際のプロイセン・ロシア国境。第一次大戦後に提唱されたカーゾンライン。


 ポーランド軍の抵抗が終わったのは、10月4日のことであり、ポーランドはドイツ・ソビエトの二大国によって分割占領され消滅した。

 ドイツはこれにより、ポーランドが保有していた最大の工業都市ウッジを中心とした工業地帯の7割と、更に食料の生産に適した西部一帯を手中に収めることに成功。

 


10月4日

ドイツ

首都・ベルリン


復活したドイツ国防軍による初勝利に、ベルリンは歓喜の中にあった。

「我がドイツは見事に勝利した! 我々の前には栄光の道が続いているのだ!」

 夜半、神秘的な雰囲気を醸し出された、広大なオリンピックスタジアムを彷彿とさせる演説会場で、先の大戦のことから静かに語りだし、一言一言に熱を帯びた演説の最後は絶叫に近いこの言葉でヒトラーは締めくくった。

 ポーランドに勝利したことによって、ドイツ帝国が失った領土は、海外領土を除き完全にドイツの手に戻った。苦節20年、ドイツの悲願は成ったのだ。

 魅了の魔術にかけられたかのように聴衆は、手をかざしヒトラーの姿を古き英雄に重ねて、地を震わす怒涛のエールを送った。

「ハインリッヒ・ジーク(聖なる勝利を)!」

「ジーク・ハイル(勝利万歳)!」

「ハイル・ヒトラー(ヒトラー万歳)!」と……

 熱狂せずにいられた人間が、この場にいたであろうか?

 自らの掲げる、東方生存権の拡大を果たしたヒトラーにとっては大きな自信を得る結果となり、勝利演説を聞く国民の熱い声援は更にそれを後押しした。

 



大日本帝國

岐阜県・各務原かかみがはら


 ちょうどその頃、陸軍各務原飛行場。

 10月に入ったが、残暑が尾を引いたかのような暑い日だった。

 ここに新たなる銀翼を持つ機体が、プロペラを回転させ飛び立つ時を待っていた。

 乳白色の塗装が陽光を浴びて、鈍い輝きを放っている。機体の心臓たるさかえも一定サイクルの軽快な機械音放ち続けている。


「これが十二試艦戦、ですか?」

 今までと比較すると、あまりにも流麗な機体の仕上がりに感嘆の声を上げる人物がいた。

 陸軍の航空基地のはずだったが、声を発した人物はカーキ色の陸軍服ではなく、黒色の二種軍装に身を包んだ海軍の人間だった。

「そうだ武雄さん。あなたの要望を可能な限り盛り込んだ最新鋭機。欧米機に見劣りしなかったあの九六式を超える機体だ。海軍さんが無理を押し通すもんですから、相当苦心しましたがなんとか要望通りの機体に仕上げる事ができましたよ」

 やや痩身、面長に眼鏡、技術者の風貌といえばしっくりくるといういでたちの人物が、そう声をかける。

 海軍呉鎮守府参謀、柴田武雄(しばたたけお)海軍少佐と三菱重工・十二艦上戦闘機設計主任、堀越二郎(ほりこしじろう)技師の二人だ。(十二試艦戦=昭和12年度試作指示艦上戦闘機)

 九六式はこの機体の先代に当たる、皇紀二五九六年(1936年)正式採用された戦闘機。この機体は海軍戦闘機を一気に飛躍させ、ライバル中島の試作機を圧倒したほどの伝説的な名機で、十二試艦戦と同様、堀越技師が設計した、彼をして最高傑作と言った機体なのだ。

 

 九六式を更に発展させたこの機体の開発にあたり、意見聴取した間柄である。その聴取に際し、堀越は機体の設計に当たり何を優先させるべきか?と質問した。

 もちろん機体性能は、万能かつ高性能が理想であることは当然だが、制約が大きく技術的に達成可能な領域の中で、バランスをどのように振るかに集約されてしまう。

 堀越の聴取に、柴田ともう一人の戦闘機操縦経験者の大尉がそれに応え、その大尉は旋回性能と答えたのに対し、柴田は自身の経験から航続力と速力と答えた。

 旋回性能は技量で補える。だが速度は技量や念じれば上がるなどというものではない。

 しかし、現場を歩いた人間の言葉は言いえて説得力が違う。彼の言い分は真向から否定されてしまう。

 そして、もう一人。

「まだ量産前の不具合の是正にしばらくはかかりますけど。しかし、高等技術会議議員のお偉いさんがどうしてこんな場所に?」

 不思議な様子で堀越は武雄に尋ねた。階級を示す肩章は、最高位を示す海軍大将。こんな場所にいるはずがない人物だった。

 海軍高等技術会議は海軍における最高技術諮問機関。主に軍事参議官で構成され海軍大臣に隷属する。

民間、学府との関係も深く、彼はその先任に位置する。

「まあ、暇なお方ですからね。私もあの人も海軍内じゃ故あって(嫌われ者)ですから…。惜しい人ですよ、海軍航空の発展はあの人の主導がなければいけないんですから。実権を失ってからは退化したんじゃないかと思ってしまいますよ」

 自嘲するように武雄は応えた。

「元は航空本部長や空母戦隊司令官ですからね、興味津々でしょうよ。暇があればああやって覗きにきてるんですよ」

「はぁ、さいですか……」

そんな会話をされているのを知ってか知らずか、その男の眼は飛び立った機体を凝視したままだった。

 味方からは鬼、敵からは悪魔、酷薄非情な事から人でなし、妥協せぬ姿勢と敵に相対すれば徹底的に叩き潰すまで退かぬ強硬的なその指導により、狂犬とまで後に呼ばれることになる提督がそこにはいたのである。

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