【15】楽しい楽しい、ソリ滑り
上位精霊と人間の契約を、竜と人間の契約に作り直した術式など、思い立ってすぐに再現できるようなものではない。
それを可能にしたのは、モニカの計算能力の高さもあるが、白竜の腹の中でその魔力に触れていたというのも大きい。精霊と上位種の竜では、やはり魔力の構造が違うのだ。
白竜の腹の中を満たしていた魔力の糸、その魔力構造を思い返しながらモニカが構成した術式を、メリッサが丁寧に再現していく。
メリッサとラウルの詠唱が重なり、金色の光の帯がシリルとトゥーレをぐるりと囲んだ。
光の帯はシリルとトゥーレ、そしてシリルの襟元を彩るブローチを繋ぐ。
光の帯がシリルの胸に触れた瞬間、シリルの顔が苦しげに歪んだ。
「……っ、ぐ」
今、シリルとトゥーレは見えない一本の糸で繋がっている状態だ。
この糸を通して、シリルの魔力がトゥーレに、トゥーレの魔力がシリルに注がれている。
竜の魔力が流れこむというのは、自分の体の中を異物が駆け回る感覚に似ているのだろう。
それでもシリルは、唇を噛み締めて苦痛の声を噛み殺した。
二人の魔力が交わされ、契約が成立する。
ボロボロに欠けていたトゥーレの指先は、今は白い光に包まれていた。やがて光がおさまると、欠けていた指先が元通りに再生している。
詠唱を終えたメリッサが、トゥーレの指先をマジマジと観察した。
「表面的な傷は塞がったみたいね。魔力の流出も止まっている」
トゥーレは再生した手を掲げて、「すごい、すごいね」と無邪気な感想を漏らし、そんなトゥーレにアッシェルピケがしがみつく。
「トゥーレ、もう壊れない? いなくならない?」
感情の表現が下手な氷霊の声は単調だけど、確かに震えていた。
トゥーレは治ったばかりの指で、アッシェルピケの淡い金髪を梳く。
「ピケ、ピケ、また一緒に春を見よう。この山とは違う、人里の春。楽しみだね。とても楽しみ」
「……うん」
「一緒に春の花を探そう。夏はキラキラする物を集めて、秋は虫の歌を聴いて、冬は……また、ピケの氷が見たい」
「……うん」
「だから、どうか、泣かないで」
「…………。……うん」
先程まで不規則に吹き荒れていた吹雪はすっかりおさまり、〈氷霊の雪灯り〉を宿した雪の粒がハラハラと音もなく地に落ち、積もる。
その光景を眺めながら、シリルが長いため息をついた。
「……美しい光景だな。こういう状況でなかったら、ゆっくり眺めていたいところだが」
呟き、シリルはくしゃみをする。
温暖なサザンドールから拉致された彼は、春物の上着を着ていた。雪山で一晩を越せる服装じゃない。
モニカは慌てて、自身の上着をシリルに差し出した。
「あっ、あのっ、シリル様、使ってください……」
シリルは差し出された上着とモニカの右手をじっと見て、眉間に深い皺を刻む。
そうして彼は、険しい顔で首を横に振った。
「いや、いい。それは自分で着ていろ」
「でも……」
食い下がろうとしたモニカは、自分の上着がボロボロに裂け、血で汚れていることに気づき、口をつぐむ。
(そうだ……こんな上着じゃ、シリル様も嫌に決まってる……)
上着を手にしょんぼり肩を落とすモニカと、早く上着を着るよう促すシリル。
ぎこちないやりとりをしている二人の背後に、忍び寄る人物がいた。ラウルである。
「とりゃっ!」
ラウルは自身の上着の前を広げると、モニカとシリルを背後から抱き込む。
モニカが「ふぎゅっ」と悲鳴をあげ、シリルが「重い! のしかかるな!」と怒鳴っても、ラウルはお構いなしだった。
「くっついてれば、みんな温かいし……それにこういうのって、すごく友達っぽいよな!」
「この状態で下山しろと言うのか!?」
シリルの叫びに、ラウルは「いけるいける」とカラカラ笑った。
その陽気さたるや、ここが雪山であることを忘れそうなほどである。
「せーので歩こうぜ! あっ、右足からな! せーの!」
「待てっ、急に歩き出すな──っ!」
「ひぅぁっ!」
ラウルが急に歩き出したせいで、同じ上着に包まれたシリルとモニカはバランスを崩し、三人は仲良く雪の上でひっくり返った。
雪まみれになって大騒ぎしている若者三人を眺めて、メリッサはやれやれと息を吐く。
「この状況で歩いて下山する体力が残ってるのなんて、ラウルぐらいよ」
かく言うメリッサもすっかり疲弊しきっているらしい。もう一歩も歩きたくない、とその顔が語っている。
メリッサはゴキゴキと首を鳴らし、いまだ抱き合っているトゥーレとアッシェルピケを横目で見た。
「そこのおとぼけ白竜。あんた、アタシ達を乗せて飛んだりできる?」
「うーん……うーん……まだ、難しいかも」
トゥーレはまだ傷口が塞がったばかりで、竜の姿に戻れるほど魔力が安定していなかった。無理をさせるのは得策ではない。
メリッサは舌打ちをし、アッシェルピケを睨む。
「じゃあ、そこの氷霊。あんたはなんか気の利いた技はないの?」
「わたし一人なら、雪の上を滑って移動できる。この人数は無理」
伝説級の白竜と、伝承クラスの上位精霊がいても、現実はこれである。
おまけに七賢人三人は魔力切れ。一晩やりすごそうと思っていた神殿は半壊状態。
モニカは無力さに項垂れた。
(うぅ、魔力が残ってたら、防御結界で寒さだけでもしのげたのに……)
限界まで体力も魔力も使い果たしたモニカは、既に立っているのも精一杯の有り様だった。気を抜いたら、そのまま寝てしまいそうだ。
それでもなんとかする方法はないかと必死で考えていると、シリルが口を開いた。
「アッシェルピケ、例えば、私達全員が乗れるソリのような物を作ったら、それを操作することは可能か?」
「ソリ? 人間が乗ってるやつ? ……考えたこと、なかった」
アッシェルピケは、しばし考えこみ、「できると思う」と頷く。
それを確認して、シリルは詠唱を始めた。
彼の手元で水色の光の粒が舞い、氷が広がって小型の舟になる。
ソリではなく舟にしたのは、複数人乗るならその方が安全だからだろう。
完成した氷の舟に、ラウルとメリッサが歓声をあげた。
「なんだこれ、かっこい! すげぇや、シリル!」
「きゃぁ、素敵! 流石シリル様だわ!」
はしゃぐローズバーグ姉弟とは対照的に、モニカは胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。
脳裏をよぎるのは、美しいメイドの姿をした風の上位精霊リィンズベルフィードの独創的な着地手段。
大回転し、「馬鹿メイド────っ!」と叫びながら落下してくる〈結界の魔術師〉。
地面に膝までめり込みながら、得意げに着地方法について語る風の上位精霊。
(トルネードキック着地法とか、ヘッドスピン着地法とか、大車輪突撃法とか言い出したらどうしよう……)
モニカが狼狽えている間に、ラウルが手際よく葉っぱを集めて、尻が冷えぬよう氷の舟の底に敷き詰める。そうして、彼らは次々と船に乗り込んでいった。残されたのはモニカだけだ。
モジモジしているモニカに、シリルが怪訝そうな目を向ける。
「どうした、モニカ?」
「い、いえっ……なんでもない、ですっ」
精霊が皆、ダイナミックでスタイリッシュな着地方法にこだわるわけではない……はずだ。多分。
そう自分に言い聞かせ、モニカも舟に乗り込む。
舟は小さいので、人間が二人横に並んで座るのが精一杯だ。
先頭にアッシェルピケとトゥーレが座り、その後ろにメリッサ。メリッサの後ろにモニカとシリルが並び、一番後ろに座ったラウルが、上着を広げてモニカとシリルを抱きこむ。
全員が乗り込んだのを確認し、シリルはアッシェルピケに指示を出した。
「早速動かしてくれ」
「分かった。やってみる」
アッシェルピケは頷き、目を閉じる。
モニカ達を乗せた氷の舟はスルスルと雪の上を滑りだし──次の瞬間、傾斜面をすさまじい勢いで急降下し、結構な段差を垂直落下した。
雪山に響く人間の悲鳴、絶叫。
そんな中、アッシェルピケの横に座ったトゥーレが、のほほんと呟く。
「わぁ、速い」
無論、そんな平和なコメントをしているのは人外のトゥーレだけである。
トゥーレの背後では、死の恐怖に直面した人間達が、喉も枯れんばかりに叫んでいた。
特に悲惨なのがラウルである。いつも能天気なラウルが、今は端整な顔を歪めて、シリルとモニカに必死でしがみついていた。
「ギャァァァッ、オレっ、高いところから落ちるやつ、無理っ、無理っ、無理ぃ──っ」
「アッシェルピケっ! スピードを落とせっ!」
「なんで?」
シリルの命令に首を傾げるアッシェルピケは、何がいけないのか分かっていない顔をしていた。
むしろ、トゥーレが喜んでいることに、誇らしげですらある。
再び垂直落下をした氷の舟は、雪原に着地すると大きく数回跳ねて、そのまま真っ直ぐ前進する。その速さたるや、暴走した馬に勝るとも劣らない。
ラウルが涙目になって、頬を引きつらせた。
「なぁ、これ……っ、一番軽い奴から、吹っ飛ばされないかなぁぁぁぁ……っ!?」
ラウルの言葉に、シリルが真っ青になって一番軽そうなモニカを掴み、モニカは無我夢中で目の前にいるメリッサの腰に抱きついた。
メリッサはモニカを振り返り、こめかみを引きつらせながら邪悪に笑う。
「……モニカちゅわぁん? それは、アタシが重くて吹っ飛ばなさそうで安心って意味かしらぁ?」
返事はない。
何故なら、モニカはメリッサの腰に抱きついたまま、白目を剥いて気絶していたからである。
「ラウルっ! おチビを掴んどきなさ……」
言いかけてメリッサは天を仰ぐ。
最後尾のラウルも白目を剥き、泡をふいて気絶していたのだ。
「いい加減にっ、減速、せんか──っ!!」
気絶した現役七賢人二人を抱えたシリルの叫びに、トゥーレが「楽しいのに」と首を捻った。




