【14】誇りの形
トゥーレの体の崩壊は、シリルがその指先を掴んで魔力を流し込むことで、一時的に止まった。だが、これはあくまで一時的な措置だ。根本的な解決にはならない。
「つまり、体の表面から魔力を吸収する機能が損傷しているのだな? 経口摂取なら可能だと」
「あっ、だから、オレのニンジン食べたら、ちょっと元気になったのか」
シリルの呟きに、ラウルがポンと手を打つ。
トゥーレの崩壊した指の断面は、白い光で満たされており、そこからポロポロと光の粒が溢れ落ちていた。これはいわば剥き出しの傷口だ。皮膚の上から魔力を流し込んでも回復はしないが、傷口に直接流し込むのなら、辛うじて魔力を吸収することができる。
だが、傷口を剥き出しのままにしていては、何の解決にもならないだろう。
「魔力付与した食べ物を食べ続ければ、かなりの回復を見込めるのではないか?」
シリルの提案にラウルが難しい顔をした。
「物質に付与できる魔力量なんて、たかが知れてるぜ。すげー量を常に食べ続けなきゃいけなくなる」
確かにその通りだ。シリルが黙り込むと、アッシェルピケがボソリと口を挟んだ。
「わざわざ食べ物に魔力付与するより、直接、口移しで魔力供給する方が簡単」
「つまり、シリルがキスすればいいんだな!」
「その時は、貴様もさせるからな」
シリルは能天気なラウルの顔をジロリと睨みつつ、思案する。
経口摂取で魔力供給すれば、一時的な回復措置にはなるだろう。だが、解決策にはならない。
シリルとラウルがうんうん唸っていると、アッシェルピケは大人に疑問をぶつける子どもみたいな顔で、首を傾げた。
「人間同士は、口移しで魔力供給しない? なんで?」
「不可能ではないが、人体に悪影響を与えることがある。そのため、推奨されていない」
人間は一度に大量の魔力を摂取すると、魔力中毒になりやすい。そのため、口移しの魔力供給は非推奨とされているのだ。
無論、魔力耐性の高い精霊や竜は、一度に大量の魔力を吸収することができる。
(だが、白竜の傷は大量の魔力を吸収して、一気に回復する類のものではない。自然治癒には少なくとも十年はかかる……傷が癒えるまで、長期間、継続的に魔力供給する方法が必要だ)
魔力の多い山にいても、皮膚からの吸収は不可能。精霊からの口移しは、魔力が馴染まない。仮に人間が口移しで与えても、一時的な処置にしかならない。
長期間、継続的な魔力供給──となると、思いつくのは魔導具だ。
「例えば、魔力を外部から吸収して体内に取り込む魔導具があれば……」
シリルの呟きに、ラウルが首を横に振る。
「それは無理だな。旧時代の魔導具と違って、現代の魔導具は魔法生物に対応してないんだ。上位種の竜に長時間着けたら、確実に誤作動を起こすぜ」
旧時代の魔導具は、現代にもごく僅かに残っているが、国宝級の代物ばかりだ。今すぐ調達できるような代物ではない。
シリルは己の知識の全てを総動員して、解決の糸口を探した。
上位種の竜に関する記述のある本は、そもそもそんなに多くない。かつては、人と竜が共存していた例もあるようだが、今の時代は上位種の竜は殆ど姿を消してしまい、その生態は謎に包まれているのだ。
(いや、待て、そうだ。旧時代の物語で、竜と契約している魔術師の記述があったはず……)
竜を神として崇める人間とは別に、竜をパートナーとして共存している魔術師がいた──という伝承がある。
竜と絆を紡ぐ者。その存り方は既に失われてしまったというが……。
「例えば精霊と人間の契約の応用で、人間の魔力を竜に供給するような契約を結ぶことはできないだろうか?」
シリルの提案にラウルは目を丸くした。
上位種の竜なんて、存在自体稀だ。そんな竜と契約だなんて、考えたことも無かったのだろう。
シリルは魔力過剰吸収体質で、常に魔力を持て余している。その魔力をトゥーレに譲渡することができれば、シリルは魔力中毒にならずに済むし、トゥーレも定期的に魔力供給を受けられる。
ラウルは腕組みをして、眉間に皺を寄せた。
「うーん、理屈の上では……できるかも? ただ、契約石がいるぜ? それも、一級魔導具の素材になるぐらい、質の良い宝石が」
「あのぅ……」
か細い声をあげたのは、メリッサにもたれて休んでいたモニカだ。
モニカは怪我をしていない左手をポケットに手を突っ込み、何かを取り出した。
小さな手の上に載せられているのは、金細工に大粒のサファイアを嵌め込んだブローチ──シリルがハイオーン侯爵から与えられたものだ。
どうやら、モニカが拾ってくれていたらしい。
「これに、魔術式を上書きすれば……できると、思います」
そこまで言って、モニカは俯き眉を下げる。
そして、口を開いたことを後悔するかのように、モゴモゴと口籠もりながら言葉を続けた。
「ただ、これは……シリル様の大事な……」
モニカは、シリルがこのブローチに執着していることを知っている。だから、この提案に躊躇いがあるのだろう。
シリルはモニカの前に膝をつき、ブローチを載せた小さな手を包み込むように握る。
「構わない」
無理な修行が祟って、魔力過剰吸収症になったシリルに、ハイオーン侯爵が与えてくれたのが、このブローチだった。
魔導具は、非常に高価な品物だ。下手をしたら王都に家が建てられてしまう。
そんなに立派な物、受け取れない。自分にはこれを与えられるほどの価値はない。そう言い張るシリルに、侯爵は穏やかな声で言った。
『君の努力は報われるべきだ。これは、その証だと思いなさい』
だからシリルにとって、このブローチは、誇りであり、宝物だった。
(それでも、きっと……義父上なら、こう言うだろう。『道具は使うためにある』……と)
このブローチは、シリルの誇りを飾り立てるための勲章ではないのだ。
シリルはモニカの目を真っ直ぐに見て、告げる。
「このブローチに刻まれた魔術式を、私と竜が契約するためのものに書き換えたい。力を貸してもらえるか?」
シリルの言葉にモニカはキュッと唇を引き結び、力強く頷いた。
* * *
シリルのブローチのことを切り出す時、実を言うと、モニカはほんの少しだけ躊躇した。
このブローチを使えば、シリルと白竜の契約を成立させることができるかもしれない。だが、それは確実にシリルに負担がかかる契約だ。
上位精霊との契約ですら、相応の負担がかかるのだ。その上、竜とも契約だなんて聞いたことがない。
このまま、白竜が消滅するまで黙っているという選択肢もモニカにはあった。
だが、それは……シリルに対して不誠実だ。
(わたしにできるのは、シリル様の期待に、全力で応えること、だけ)
モニカはブローチを握りしめ、覚悟を決める。
己の持てる知識の全てを使って、この契約を成立させよう──と。
そのためにはブローチに刻まれた魔術式を書き直す必要がある。
早速、書き換えをしようと、モニカが意識を集中すると……。
「モ、ニ、カ、ちゅわぁーん? お姉さんとの約束を忘れちゃったのかしらぁ?」
モニカの耳元で、ねっとりと甘いのに、やけにドスの効いた低い声がした。メリッサである。
ぎくりと震えるモニカの肩に、メリッサの手が食い込む。
「魔力は使うなって、言ったわよね? ……あんた、ここで気絶したら置いて帰るわよ」
メリッサの目は本気だった。
モニカが口籠ると、メリッサはヤレヤレとばかりに鼻から息を吐き、モニカの手からブローチを取り上げる。
「上位精霊との契約術式をベースに、竜との契約にアレンジするわけね。白竜側の魔素配列は?」
「の、飲み込まれた時に、確認しました……た、多分、大丈夫、でふ」
「よろしい。必要術式を口頭で説明しなさい。すぐに覚える。術式作成はアタシがやるわ」
そう言ってメリッサは、ブローチの術式を確認しながら、ラウルに声をかける。
「ラウル、あんたは無駄に魔力が有り余ってるんだから、術式仲介やりなさい。契約術式に必要な魔力を、あんたが負担することで、アタシとシリル様の負担が減るわ」
「仲介術式は、第六節までで良いかな?」
「第十三節まで、キッチリおやり」
「うへぇ、きっついなぁ……でも、うん、ここは友達のために一肌脱がないとだよな!」
ラウルはうんうんと頷きながら、必要な術式を計算し始めた。
その光景を菫色の目でじっと見つめていたアッシェルピケが、小さい声で呟く。
「……それで、トゥーレは、助かるの?」
不安そうな言葉に、メリッサは緑色の目をギロリと眇めて、アッシェルピケを睨んだ。
「助けるわよ。但し、条件がある」
「……条件?」
「契約術式には『主従契約』を織り込む。その白竜は、シリル様の下僕になるのよ」
アッシェルピケの表情が僅かに強張る。だが、肝心のトゥーレはぼんやりとした顔をしていた。
そんな氷霊と白竜を交互に見て、メリッサはフンと鼻を鳴らす。
「人外は悪気なく悪さをするから、絶対に必要な措置よ。この条件を飲めないなら、契約の儀式はしない」
人外は悪気なく悪さをする──メリッサの言葉は正しい。
人外に人間の常識は通用しない。それ故、アッシェルピケは無関係のシリルを攫って一方的な契約を結び、白竜の贄にしようとした。
同じようなことをトゥーレがしないとも限らない。だからこそ、トゥーレに制限は絶対に必要なのだ。
アッシェルピケは難しい顔で黙り込んでいたが、トゥーレは船を漕ぐみたいにカクリと首肯した。
「いいよ、それでいい」
「でも、トゥーレ」
食い下がるアッシェルピケに、トゥーレはふわりと笑いかける。
それは死に向かう者の儚い笑顔ではない。未来を見据えた者の笑顔だ。
「ピケと一緒。うれしいな」
その一言が決め手だった。
アッシェルピケは「わかった」と一度だけ頷き、モニカ達の作業を黙って見守る。
モニカが人間と白竜の契約術式を計算して口頭で告げ、それをメリッサが記憶し、術式を編みあげる。
メリッサが編んだ術式に、ラウルが干渉。そうして術式の維持を分担し、メリッサの負担を減らす。
光り輝く魔術式が周囲に浮かび上がり、帯のように宙を泳いだ。
その魔力に〈氷霊の雪灯り〉達が引き寄せられ、周囲は眩いほどの輝きに満たされる。
メリッサは横目でアッシェルピケを見て、不敵に笑った。
「あんた達精霊は、人間のことを、魔術式を使わなきゃ魔力を扱えない弱者だと思っているでしょう?」
事実、人間は魔力量も魔力操作技術も精霊には遠く及ばない。
だからこそ、人間は少ない魔力で術式を編み、魔力を操る術を身につけたのだ。
メリッサは唇の端を持ち上げて、誇らしげに告げた。
「術式を編むことで、新しい可能性を作り出す。それが人間の〈魔術〉よ。覚えておきなさい」
そう言ってメリッサは、スカートの裾を優雅に翻し、シリルに一礼をしてみせる。
「シリル・アシュリー様、ここは私達にお任せを。なんと言っても、この場には最高峰の魔術師、七賢人が三人もいるのですから!」
「姉ちゃんは、元だけどな」
メリッサはニッコリ微笑み、シリルからは見えない絶妙な角度でラウルに裏拳を放った。




