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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝6:白雪に恋う
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【11】だから、その手を掴むと決めた

 白竜の口腔内は、ひんやりと冷たかった。モニカはぬめる舌を乗り越えて、奥へ、奥へと落ちていく。

 周囲は真っ暗で何も見えない。火の魔術を起こして、周囲を確かめるべきだろうか? だが、それで下手に白竜を刺激して、シリルの身が危険に晒される方が恐ろしい。

 落下はすぐに終わり、モニカはフカフカした何かの上で尻餅をついた。

 モニカは「ふぎっ」と間の抜けた声を漏らしつつ、周囲を見回す。

 正しく落下したのなら、ここは白竜の胃袋の筈だ。だが、そこはモニカが想像していた光景とだいぶ違った。

 決して広いとは言えないその空間は、仄かに発光する白い糸のような物が縦横無尽に行き交い、辺りを埋め尽くしている。

 足元も同様に糸で埋め尽くされていて、モニカはこれの上に尻餅をついたのだ。

 淡く輝く糸は蜘蛛の糸に似ているが、触れてみると絹糸のようにサラリとしていて、粘着力は無い。

 試しに指で摘んでみたが、簡単にはちぎれないようだった。


(……これ、魔力が糸の形をとったもの?)


 モニカは下位種の竜の解剖図なら見たことがあるが、白竜の体の構造はそれとはまるで別物だ。


(下位種の竜と違って、上位種の竜は体の殆どが魔力でできている? もしかしたら、精霊に近いのかも……)


 ヴェロニカは言っていた。「白竜トゥーレは丸呑みにしたものの情報を取り込める」と。

 ならば、自分もこのままだと取り込まれてしまうかもしれない。

 急がねば、とモニカは自分の視界を埋める糸をかき分け、シリルの姿を探す。

 狭い空間故に、シリルの姿はすぐに見つかった。

 モニカのやや後方の空間で、白い糸の壁にもたれるようにして、シリルは眠っている。その体は半分ぐらい、白い糸で埋め尽くされていた。


「シリル様っ」


 モニカは駆け寄り、シリルを覆う糸を引き剥がそうとした──が、糸はシリルにベッタリと貼りついて剥がれない。


「な、なんでぇ?」


 糸はモニカの手にはくっつかないのに、シリルからは剥がれないのだ。

 モニカは無詠唱で極小の風の刃を作り、シリルを覆う糸を切断しようとした……が、糸はビクともしない。恐ろしく頑丈だ。


(なんで? なんで、この糸はシリル様にだけ貼りついて、わたしにはくっつかないの?)


 恐らくこの糸が、飲み込んだものを吸収し、その情報を読み取る役割を果たしているのだろう。

 焦りながら、モニカは必死で考える。

 この状況で一番短絡的かつ暴力的な解決手段は、白竜の体内から外に向かって攻撃を放ち、白竜の腹を裂いて逃げ出すことだ。

 だが、シリルが既に取り込まれかけている今、魔法生物の体内で高威力の魔術を使うことで、シリルの身に何が起こるか分からない。できれば、それは最後の手段にしたい。

 それになにより、さっきは頭に血が上っていたが、〈ハイラの民〉の信仰対象である竜を殺すのは、政治的にもあまりよろしくないのだ──無論、モニカにとっての最優先事項はシリルの救出だけど。


(シリル様を丸呑みにしたということは、多分生きている人間でないと、情報を取り込めないんだ……完全な死亡は駄目だけど、仮死状態なら問題なく取り込める……他には? きっと何か条件があるはず……)


 ヴェロニカの発言、行動を一つ一つ検証していったモニカは、祭壇の前でのやりとりを思い出す。

 仮死状態のシリルを起こそうとした時、あの精霊はそれを妨害して、こう言った。


『それは駄目。起きたら、トゥーレが取り込めない』


(……もしかして、意識のある状態だと、取り込めない?)


 現に今、意識のあるモニカは取り込まれず、意識のないシリルだけが取り込まれようとしている。

 ……検証する価値はあるはずだ。

 モニカは糸に半分ぐらい埋もれているシリルの手に触れるべく、己の右手を伸ばしかけて引っ込めた。

 右手はバラの蔓を握りしめていたせいで、手袋がところどころ赤く染まっている。

 モニカは自由に動く左手の手袋を外して、シリルの手を握りしめた。

 そうして、目を閉じて意識を集中する。

 深く、深く、より深く──そこに広がるのは、美しい魔術式の世界。

 いつもなら、恍惚としてその世界に溺れるモニカだが、今はそんな自分を律し、慎重に、冷静に魔術式を組み上げていく。ヴェロニカの力で仮死状態となったシリルを目覚めさせるために、必要な魔術式を。

 モニカの左手が淡い橙色に発光し、その輝きが繋いだ手を通してシリルに流れ込む。

 温かな魔力が、氷の魔力だけを溶かしていく。


「お願い……お願い、効いて……っ」


 繋いだ手が少しだけ熱を取り戻したように感じるのは、繋いだ自分の手の熱が移っただけだろうか。

 モニカは握った手に力を込める。力を失ったシリルの指は、まだピクリとも動かない。


「起きてください……シリル様ぁ……」



 * * *



(……誰かが、泣いている)


 その泣き声を、シリルは知っている。

 嗚咽を噛み殺し、ひぐぅ、えぐぅ、と喉を震わせて。俯いて声を殺すような、悲しい泣き方をする少女。

 その少女は人見知りで、臆病で、なにより人を頼るのが下手だった。

 自分から「助けて」の一言が言えず、一人で抱え込んで俯いてしまうその姿は、実を言うと、ほんの少しだけ、シリルは理解できなくもなかった。

 シリルもまた、人を頼るのが下手な子どもだったのだ。

 迷惑をかけるのが怖い、呆れられるのが怖い、期待されなくなるのが怖い──そして、「助けて」の一言が言えず、無理が祟って魔力過剰吸収症を発症した。

 だから、あの少女がもし、助けを求めて手を伸ばしたら……その手を、ちゃんと掴んでやろうと決めていた。


 ──き、嫌いに……ならないで……ください。


 そう言って、少女は自分の服の裾を掴んだ。

 それが、臆病な少女の精一杯だと分かっていたけれど、それでも、もどかしかった。

 手を取るつもりが勢い余って抱き寄せてた時は、ちょっと自分は何をしてるんだと自分で自分を殴りたくなったが……。


「シリル様ぁ……うっ……ひぅっ……うえぇぇぇん……」


 少女はまだ泣いている。

 自分の指の先に微かな温もりを感じたシリルは、咄嗟にその手を握り返した。


「だから、嫌いになったりなんて、しないと……」


 口にして、自分の声が酷く掠れていることに驚く。まるで、何年も喋ることを忘れていたような声だった。

 軽く咳払いを繰り返し、重たい瞼を持ち上げると、自分を覗き込む丸い目が見える。

 その目から、ボロボロと涙の雫がこぼれ落ち、シリルの頬を濡らした。


「シリル様っ、起きっ、う、うわっ、わぁぁぁああああんっ……ひぃん、うっ、ぐすっ」

「……? モニ」

「良かっ……うっ、ふへ……っ」


 モニカはもう、泣いているんだか笑っているんだかよく分からない、グシャグシャの顔をしている。

 そこでようやく、シリルは自分の上に白い糸のようなものが被さっていることに気がついた。

 上半身を起こせば、糸は勝手にハラハラと足元に落ちる。これは一体何なのだろう? そして、ここは一体どこなのだろう?

 シリルはモニカが落ち着くのを待って、声をかけた。


「ここは、一体どこなんだ?」

「白竜の、お腹の中です」


 シリルは三秒ほど硬直し、己のこめかみを指で軽く押さえた。


「すまないが、もう一度言ってくれ」

「白竜のお腹の中です。そのぅ、シリル様、食べられちゃって……」


 シリルの最後の記憶はサザンドールの夜、いかがわしい店に入っていったモニカを追いかけて、個室でモニカに説教をしたところで途切れていた。あとなんか「どっせーい」というラウルの声が聞こえた気がするが、それは重要じゃないはずだ、多分。

 とにもかくにも、自分はサザンドールにいたはずである。それが、どうして竜の腹の中なのだ。しかも白竜。伝説級の生き物ではないか。

 困惑するシリルに、モニカもまた困ったような顔で言う。


「えっと、氷の精霊が、弱ってる白竜を助けるために、シリル様を攫って、白竜に食べさせちゃったんです」


 モニカの大雑把な説明だけでは、さっぱり要領を得ないが、氷の精霊という単語がシリルの意識に引っかかった。

 そういえば馬車の振動の中で、誰かが自分に話しかけていたような気がする。

 シリルは違和感のある左手を持ち上げた。その手首には、見覚えのない銀色の腕輪が嵌められている。

 少し幅広で手枷めいた印象のあるその腕輪は、中央に菫色の石が嵌められていた。この石は精霊と契約するための精霊石だ。

 シリルが精霊石を観察していると、二人の足元が大きく揺れた。同時に頭上から、ォォォオオ……という鳴き声が振動とともに響く。これは白竜の唸り声だろうか。

 モニカは左腕を持ち上げて、涙で汚れた顔を拭い、顔を上げる。

 そこで初めてシリルは気がついた。モニカの右腕には白い布がぐるぐると巻き付けられ、掌側から緑色の蔓が頭上に向かって伸びている。

 手袋をしたモニカの右手は、その蔓をしっかりと握りしめていた。


「……? その蔓は……」

「あっ、はいっ、命綱ですっ。早速、脱出しましょう。えっと、し……失礼、します」


 そう言ってモニカは、シリルの体に抱きついた……というより、しがみついた。

 そこで気づく。モニカが命綱と言ったそれは、バラの蔓だ。よく見ると、細かな棘がびっしりと生えている。モニカはそれを自身の腕に巻きつけ、握りしめているのだ。

 シリルの体にまわされたモニカの右腕には、白い布が巻きつけてある。そこに滲む鮮血の色が意味するものを理解し、シリルは咄嗟に口を開いた。


「待て、それは……っ」

「行き、ますっ」


 モニカが右手の蔓をクイクイと引くと、ピィンと蔓が張った。外から誰かがこの蔓を引き上げているのだ。

 モニカは飛行魔術を発動し、軽く足元を蹴る。二人の体は勢いよく、上方へと飛び上がった。


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