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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝6:白雪に恋う
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【5】ジメジメ

 ガラガラと音を立てて走る幌馬車は、その積荷の半分以上が木箱で埋もれている。

 そんな木箱の一つにもたれて、寒さに震えながら、メリッサ・ローズバーグは悪態をついていた。


「この馬鹿弟っ。なんでよりにもよって、扉の無い幌馬車なんか選んだのよ!」

「えぇ〜。見つかっただけラッキーじゃんか」


 シリルを連れ去ったヴェロニカを追いかけるため、ラウルが見つけてきた馬車は、丁度ヴィルラヤ自治区に向かう予定だった、商人の馬車であった。

 ラウルはその商人に掛け合って、自分達を積み荷と一緒に運んで欲しいと頼んだのである。

 積み荷の中身は魚の干物らしい。積み荷から漂う魚臭さにメリッサはしかめっ面をしつつ、粗末なクッションを自分のそばに引き寄せた。

 胸元が大きく開いたドレスを着ているものだから、とにかく首周りが寒くて仕方ない。


「あぁ、寒い。このままじゃ凍死しちゃうわ」

「姉ちゃんは大袈裟だなぁ」

「無駄に筋肉のついたあんたと、デリケートな乙女を一緒にするんじゃないよ」

「脂肪がある方が寒さに強いって、前に本で読んだぜ」


 メリッサはこめかみに青筋を浮かべ、指をパキポキと鳴らした。


「馬車から蹴り落とされたいか、愚弟」

「だから、一番寒いのはモニカなんじゃないかなぁ、って」


 ラウルが人参を齧りながらモニカを見る。つられてメリッサもモニカに目を向けた。

 モニカは馬車に乗った時からずっと、隅で膝を抱えてじっとしている。その顔色は真っ白で、唇は血の気をなくして紫色になっていた。


「おちび」

「…………」


 メリッサが呼びかけてもモニカは身じろぎ一つせず、じぃっと床を見つめている。

 メリッサはモニカの首ねっこを掴んで、自分の周囲に集めたクッションの中に引っ張り込んだ。

 凍りついたような無表情だったモニカが、目を丸くして「むぎゅぅ」と奇声をあげる。

 メリッサはそんなモニカを片腕で抱き込み、ラウルに命じた。


「愚弟、あんたはその無駄にムキムキ育った体で風避けになるのよ。モニモニは小さすぎて風避けにはならないから、アタシの懐炉になりな」

「へぅっ、えっ……あのっ……お姉さ……」


 あぅあぅと口を動かすモニカの頬を、メリッサは容赦なくグニグニとこねた。

 氷みたいに冷たくなっていた白い頬が、ほんの少しだけ赤味を取り戻す。それでも、抱き込んだ小さい体は冷たいままだ。


「あぁもう! 子ども体温を期待したのに、全然あったかくない!」

「あの、わたし、十九歳……」

「あんた、栄養足りてないんじゃない!?」

「す、すみません……えっと、風避けの結界、張ります、か?」


 モニカの提案にメリッサはしばし考え、首を横に振る。

 風避けは魅力的な提案だが、結界術というのは長時間使うほど魔力を消費する術なのだ。


「今は魔力は温存しときな。スロースの店で、景気良くバカスカ使った分が回復してないだろうし、これから間違いなく、あのヴェロニカとかいう精霊と戦闘になるから」


 もし、ヴェロニカと戦闘になったら、主戦力になるのは間違いなくモニカだ。

 メリッサが得意としているのは、茨の操作よりも、麻痺や睡眠などを付与する魔法薬作りである。だが、精霊相手に麻痺だの睡眠だのは効果がない。

 ラウルの茨は強力だが、実は寒さに弱いという弱点がある。寒冷地では威力がいくらか落ちるのだ。

 一方、氷の精霊であるヴェロニカにとって、寒冷地は最も力を発揮できる場所である。

 正面から戦ったら、こちらが押し負ける可能性が高い。


(あの精霊と正面からぶつかるのは下策だわ。隙を突いてボッコボコにして、シリル様を奪い返すのが最善)


 なお、メリッサの頭に「戦闘を回避する」という選択肢はない。

 メリッサの未来の旦那様(予定)を攫った性悪精霊など、一発殴らねば気が済まないではないか。

 問題はどうやってあの精霊の隙を突くかである。

 待ち伏せが妥当なところだが、メリッサはヴィルラヤ自治区に土地勘は無いのだ。

 これが他の場所だったら、七賢人の肩書きや、ローズバーグ家の威光を振りかざすところだが、ヴィルラヤ自治区となると、そうもいかない。


「あんた達、分かってると思うけど、ヴィルラヤ自治区では、七賢人であることは絶対に伏せとくのよ。特にモニモニ」

「なんでモニカ?」


 ラウルがニンジンをボリボリ齧りながら首を捻る。

 なんでこいつは七賢人になれたのだと頭痛を覚えつつ、メリッサは能天気な弟をギラリと睨んだ。


「馬鹿弟、ヴィルラヤ自治区の成り立ちを言ってごらん」

「えーっと、白竜信仰してた〈ハイラの民〉が、教会に迫害されて色々あったけど、最終的に自治権を勝ち取ったんだよな?」


 雑ではあるが、概ね間違ってはいない。

 かつてリディル王国には、竜を信仰している民がいた。それが黒竜信仰の〈クユラの民〉と、白竜信仰の〈ハイラの民〉だ。

 だが、精霊神信仰を掲げる大教会はこの二つの民を許さず、弾圧したのである。

 結果、黒竜信仰を掲げる〈クユラの民〉は、教会傘下にあるレテ派の魔術師達の手で滅ぼされた。

 一方、白竜信仰の〈ハイラの民〉が暮らす土地は、雪と氷に覆われた極寒の大地。それゆえ、教会側が攻め込むのが困難だったため、細々と生き残ることができた。

 リディル王国の周辺諸国には、竜信仰が根強い国が幾つかある。

 そういった国々から竜信仰民族の弾圧を非難されたリディル王国は、〈ハイラの民〉が暮らす地域をヴィルラヤ自治区と定め、自治権を与えることで、国際社会からの非難をかわしたのだ。


「〈ハイラの民〉は竜信仰の民よ。で、おちびは二大邪竜を倒した、竜殺しの英雄でしょ」


 モニカが倒したのは白竜ではないが、それでも竜であることに変わりはない。

 白竜信仰をする〈ハイラの民〉にしてみたら、いつ、自分達が信仰している竜が殺されるか、気が気ではないだろう。


「そういう訳だから、七賢人であることは絶対に秘密。分かったわね? ……モニモニ、聞いてんの?」


 返事はない。

 メリッサに片腕で抱き込まれたモニカは、心ここに在らずという表情で、ぼんやりとしている。

 メリッサはニッコリ微笑み、モニカの頬をつねった。


「モニカちゅわぁん? お、へ、ん、じ、は?」

「ごっ、ごごっ、ごめ、なひゃっ……ひぃん……」


 頬をつねられたモニカが、とうとうシクシク泣きだしたので、メリッサは頬を解放してやった。

 モニカが可哀想になったからではない。服に涙と鼻水をつけられるのが嫌だったのである。


「あんたねぇ、さっきから何をそんなにジメジメしてんのよ。湿気でアタシの髪がうねるからやめてよね。ジメジメ七賢人なんて、レイだけで充分よ」

「姉ちゃん、レイと仲悪いよなぁ」


 ラウルの言葉に、メリッサはフンと鼻を鳴らす。

 〈深淵の呪術師〉レイ・オルブライトは、六年前、メリッサとほぼ同時期に七賢人に就任した男だが、とにかく陰気な男で、メリッサとは気が合わなかった。


「あいつのジメジメが百ジメジメなら、今のモニモニは八十ジメジメね。百ジメジメに到達したら、ナメクジ認定して塩撒いてやる」


 メリッサの言葉に、モニカのジメジメ度数が更に上がった。

 八十五ジメジメ──ナメクジまであと一歩である。

 メリッサが手慰みのようにモニカの頬をつつくと、モニカは指をこねながら口を開く。


「……その………………が……」


 か細いモニカの声は、馬車の車輪の音にかき消されて、ろくに聞こえない。

 焦れたメリッサが「聞こえない!」と怒鳴ると、モニカはギュッと目を瞑り、声を張り上げた。


「シリル様が、酷いことされてたら……怪我してたら、どうしよう……着ている服も、冬服じゃなかったし、さ、寒い思いしてるんじゃ……」


 後半はろくに言葉にならず、モニカは「ひぐぅ」だの「うぎゅぅ」だのと、意味のない声を発しながら、みっともなく泣きじゃくった。

 すぐにメソメソするところは気に入らないが、メリッサの未来の旦那様(予定)の健康を気遣うとは、なかなかできた小娘である。

 メリッサはモニカが泣き止んだ頃合いを見て、モニカの口に飴玉を一つ放り込んでやった。


「それ舐めて寝ときな。昼過ぎには着くから」

「でも……」

「どんな魔法薬よりも、疲労回復に効くのは食事と睡眠よ。少しでもいいから寝なさい。起きたら、たぁーっぷりこき使ってあげるから」

「……はぁい」


 飴に付与した軽い睡眠効果が効いてきたのか、モニカはメリッサにもたれたまま、スピスピと寝息を立てる。

 思えば、昨晩は一睡もせずに駆け回っていたのだ。モニカもメリッサも、当然にクタクタだった。


「アタシも寝るわ。ラウル、着いたら起こしなさい」


 返事は無い。

 何故なら、ラウルは食べかけの人参を握りしめたまま、安らかに眠っていたからである。


「……お姉様より先に寝るとは、良い身分ね、愚弟」


 メリッサはラウルの尻からクッションを引き抜き、モニカの上に被せると、自分もその横に座って目を閉じる。

 自分にもたれてくる小娘は、懐炉にするには少々ぬるい。

 それでもピッタリとくっついていれば、人肌のぬくもりでそこそこ悪くない抱き枕になった。


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