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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝6:白雪に恋う
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【4】純白の恋慕、滲む罪悪感

 モニカにとって、アイザックは父親の死の原因となった、間接的な加害者だ。

 もし、モニカがアイザックの正体を公にすれば、モニカは己の父の名誉を回復することもできたのに、モニカはそれをしなかった。

 たった一度、一緒に夜遊びをしただけの友人を救うために。

 モニカは復讐の権利も、父の名誉の回復も手放して、アイザックを救ってくれた。そこに至るまでに、モニカはどれだけのものを背負ってきたのだろう。


 ──帝国との裏取引。あの、駆け引きの苦手なモニカが。


 ガツンと頭を殴られたような衝撃に立ち尽くすアイザックに、ユアンが肩を竦めながら言う。


 「〈沈黙の魔女〉は、こちら側との約束を果たしたわ。だけど、最近〈沈黙の魔女〉のもとに、くだんの偽物が出入りしているじゃない? まぁ、不穏」


 なるほど、帝国側はずっと〈沈黙の魔女〉の動向を気にし続けていたのだ。

 そうしてサザンドールの家を突き止め……そこに出入りする一人の男に気がついた。


「もし、偽物王子が〈沈黙の魔女〉を誘惑して意のままに動かし、戦争をしようとしているのなら……こちらも、黙ってはいられないわよねぇ?」


 アイザックは思わず笑いだしそうになった。

 自分がモニカを誘惑! 生憎だけど、僕のお師匠様は、簡単に誘惑されてはくれないよ──という本音を飲み込み、アイザックは思案する。

 動揺する心とは裏腹に、頭は恐ろしく冴え冴えとしていた。


「君達の主人……黒獅子皇にとって最大の懸念は、リディル王国が帝国と戦争をしたがっているか否かだろう? 帝国は今、リディル王国と戦争をしている余裕が無いほど、内部がごたついている。クーデターの回数は、未遂も含めれば今年に入って三回だ」


 アイザックの言葉にユアンは動揺をおくびも見せなかった。

 だが、ハイディの方は表情にこそ出さないものの、空気に動揺が滲む。

 クーデター未遂の件は公になっていないから、アイザックが知っていることに驚いたのだろう。

 現皇帝は前皇帝を暗殺して、今の地位についたと噂される人物だ。

 国内に敵は多く、そして帝国南部と東部は異民族や他国と戦が絶えない。

 端的に言って、今の帝国はリディル王国と戦争をしている余裕がないのだ。寧ろ……。


「黒獅子皇の妹姫と、我が国の第一王子の間で、縁談の話が出ていることは知っているよ。帝国はリディル王国の助けを欲している。それを私が邪魔するのではないかと、黒獅子皇は考えているのだろう?」


 アイザックは全ての感情を押し殺して、銃口を下ろした。

 そうして、その顔に第二王子の柔らかな笑みを貼りつけて、告げる。


「安心していい。私は戦争を望んでいないし、人を扇動するほどの力も無い」

「前半は本当、後半は嘘。アナタ、その気になれば、容易く周囲を扇動できるでしょう?」

「買い被りすぎだね」


 アイザックの横で、ネロが「うわ胡散臭ぇ」と小声で呟いた。

 真面目な話をしている間は黙っていてほしい。切実に。

 そう心の隅で思いつつ、アイザックはあくまで穏やかな笑顔をユアンに向ける。


「かの偉大な黒獅子皇と繋がりが作れたことを、心から嬉しく思うよ。私は隠居の身ではあるけれど、お困りのことがあれば、いつでもお声かけを」


 第二王子としての立場と友好的な態度を貫くアイザックに、ユアンは胸に手を当てて一礼した。


「……我が主にお伝えしましょう。フェリクス殿下」

「理解が早くて助かるよ。あぁ、最後に一つだけ」


 アイザックは一度下ろした銃口を再びユアンに向ける。

 端整な顔から表情が消え、暗い怒りを宿した碧い目が、自分とそっくり同じ顔を睨みつける。

 そうして第二王子ではなく、その従者のアイザック・ウォーカーとして、彼は命じた。


「二度と、その顔を使うな」


 その声に滲む強い怒りに、ユアンは気圧されるでもなく、ただするりと己の頬を撫でた。


「良い趣味でしょう?」

「さっきから、引き金を引きたくて仕方がない」


 毎朝、鏡を見るたびに、アイザックは己の顔を確かめる。フェリクスが望んだ優しい王子様の顔で、笑えているかと。

 今、目の前にいる男は、アイザックが慕った優しい王子様の顔に醜悪な表情を浮かべている。こんな屈辱が他にあるだろうか。

 アイザックの本気の怒りに触れたユアンは「まぁ、怖い」とおどけるように笑って、己の顔をこねた。

 ぐにゃり、ぐにゃりと歪められた顔が、先程までの地味な男の顔に戻る。きっと、この顔も彼本来の顔ではないのだろう。

 こんなにも簡単に顔を作り変えられるというのは、どういう気分なのだろう。

 アイザックがそんなことを頭の片隅で考えていると、ユアンが口を開く。


「ねぇ、偽物さん。これは、興味本位の質問なのだけど」

「なにかな?」

「もし、アナタの顔を、アタシが元に戻せると言ったら……どうする?」


 考えるまでもない愚問だ。

 たとえ顔を元に戻したところで、人生のやり直しはきかないのだから。


「この顔を捨てるということは、全ての責任を放棄して逃げるということだ。そんなこと、他の誰が許しても、僕自身が許さない」


 これからもアイザックは、フェリクスの名を背負って生きていく。

 それが、生かされた自分にできる唯一のことなのだ。



 * * *



 偽物の第二王子との会話を終えたユアンとハイディは、隠していた馬車に乗り、帝国への帰路を辿る。

 深夜で視界も悪いので、とても走っているとは言えないようなゆっくりとした速度で、馬車は進んでいた。

 御者をハイディに任せ、ユアンはハイディの横に座り、立てた膝に頬杖をついて思案する。

 あの偽物に自分達の存在を勘づかれたことは、なかなかの痛手だった。おまけに、諜報員としてのプライドもボロボロだ。

 ……だが、得たものもそれなりにある。


(こちらが想定していた以上に、情報を持っていた。あれは独自で諜報員を囲っているわね。敵に回すと危険な男だわ)


 一番恐ろしいのは、あの偽物王子と〈沈黙の魔女〉が手を組むことだ。

 あの偽物王子の情報収集能力とカリスマに、〈沈黙の魔女〉の戦闘能力が加わったら……正直、敵には回したくない相手である。

 偽物王子の動向は、今後も気にする必要があるだろう。可能なら、彼の弱みも握っておきたい。

 第二王子として振る舞う時、あの男は諜報員のユアンが舌を巻くほど、完璧な演技をしていた。

 だが、その下の素顔には綻びがある。

 〈沈黙の魔女〉と、本物のフェリクス王子──それが、あの男の綻びだ。そういう綻びを見つけると、指先でほじくりかえしたくなるのがユアンのさがだった。

 ユアンもハイディもまた、己の顔を捨てた人間だ。

 ドン底のような場所で、もがいて、あがいて……そして古い顔を捨てて、今の居場所を手に入れた。


(あの偽物さんが、どういう経緯で顔を捨てたのかは知らないけれど……)


 きっと彼もまた、ドン底の闇の中で絶望を見たのだろう。相応の事情があるのだろう。

 それでも、ユアンの胸には共感も同情もない。

 ユアンが見てきた闇と、彼の見た闇は別のものなのだから、比較など無意味だ。



 * * *



 ユアンとハイディが立ち去った後も、アイザックはその場に立ち尽くしていた。

 ぼんやりと見上げた空は分厚い雲に覆われ、星は見えない。

 そのかわり空に白い物が見えた。雪だ。


「うっお、寒ぃ……おい、キラキラ。オレ様が再冬眠する前に帰るぞ」


 ネロが腕を擦りながらぼやく。

 アイザックはその呼びかけに応えず、空に向けていた視線を足元に落とし、項垂れた。

 濃い金色の髪に、華やかな緋色の礼服に、音もなく白い雪が積もる。

 今の彼の胸を占めているのは、モニカに対する思慕と罪悪感。


「二年前、モニカが帝国と取引をしたことを、君は知っているんだね?」

「ん? あぁ、そんな感じのこともあったな」

「……モニカは、僕を恨んでいるかな?」

「知るか。そんなんモニカに聞けよ」


 正論だ。だけど、それができたら苦労はしない。

 モニカがアイザックのために背負ったものを知るたびに、強い恋慕が胸を焦がし、同時に自分の罪の重さを思い知らされる。

 想いは膨らみ、日に日に強くなる一方だ。遠くない未来、きっと抱えきれなくなる。

 項垂れ立ち尽くすアイザックに、ネロがどうでも良さそうな口調で言う。


「あの学園に来たばかりのモニカだったら、あっさり帝国側についてたかもな。あいつ、七賢人の地位とか興味ねぇし。そもそも任務自体、『無理だ嫌だ帰りたい』っていつも言ってたし」

「……そうだろうね」


 力無く相槌を打つアイザックに、ネロは「けどな」と言葉を続ける。


「色んな奴を敵に回してでも、お前を助ける……ってぇのは、モニカが自分で決めたことだぜ。オレ様は別にどうでも良かったけど、モニカがそうするって自分で決めた」


 臆病なモニカにとって、それはどれだけの勇気を必要としただろう。

 あの小さな体に、望まぬ重責を背負わされ──それでもモニカはアイザックに笑いかけ、手を差し伸べてくれた。

 アイザックはネロに背を向け、髪についた雪を払い、目元を手で覆う。

 そうしてしばし、じっとしていると、ネロが猫のすばしっこさでアイザックの前に回り込んだ。


「あ、泣いてる。お前、泣いてるな」


 実に嫌な竜である。


「……今日のこと、モニカには黙っていてくれるかい?」

「口止め料に、鳥を焼いたのと魚の揚げ団子と酒を貢げ」


 アイザックは目元を覆う手を下ろし、泣き笑いの顔で「安上がりだなぁ」と呟いた。



 雪はまだ止まず、本格的に降り始めている。今夜はサザンドールも雪が降っているのだろうか。

 モニカが寒い思いをしていなければいい。そんなことを考えながら、アイザックは歩きだす。

 なんとなく目を向けた足元は、雪の白と土の色がぐちゃぐちゃに混ざっていて、まるで彼の心を反映しているかのようだった。


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