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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝6:白雪に恋う
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【3】背負わせたもの

 夜でも明かりの絶えない絢爛豪華なイルマーク宮殿から、少し離れた茂みの中。夜に溶け込む黒い服を身につけ、遠視の魔術で宮殿の入り口を見張っている二人組がいた。若い男と女の二人組だ。

 二人とも黒髪で、男はどこにでもいそうな平凡な顔を、女は目と眉が凛々しい涼やかな顔立ちをしている。

 空は厚い雲に覆われて、星も月も見えない。

 春の夜でありながら今にも雪が降りそうなほど冷え込んでいたが、それでも二人は、白い吐息を溢すことなく息を殺し、遠視の魔術で宮殿に出入りする人間を見張っていた。

 やがて、宮殿から一人の若い男が姿を見せる。

 控えめな濃紺の礼服に、黒い仮面をつけた金髪の青年だ。それを確認して、女が口を開いた。


「ユアン、ターゲットがイルマーク宮殿を出てきました。ですが、同行者の黒髪の男がいません。我々も二手に分かれますか?」

「……ちょっと待って頂戴、ハイディ」


 男──ユアンは目頭に指を添え、遠視の魔術の精度を上げる。

 ユアンの目に映るターゲットは、確かに彼が記憶しているのと同じ紺色の服を着ていた。

 髪色も背格好もよく似ている。

 ……だが、歩き方が違う。

 ターゲットはいつも背筋を伸ばし、姿勢良く歩く──その足運びは、確かに武芸の心得のある人間のそれだった。

 今、彼が目にしている男は姿こそよく似ているが、歩き方がまるで違うのだ。いくらターゲットが酒に酔っていたとしても、彼の目は誤魔化せない。


「あれはターゲットじゃない。おそらく本物は……」

「ご名答」


 ユアンの言葉が終わるより早く、背後で足音がした。

 振り向けば、黒髪の男と金髪の青年が背後に佇んでいる。二人とも礼服姿だが、仮面はつけていない。

 黒髪の男はニヤニヤと笑い、金髪の青年はその手に構えた拳銃の銃口を、こちらの額に向けていた。

 この金髪の青年こそ、彼らのターゲットだ。

 仮面舞踏会の会場に入った時は、地味な紺色の礼服を着ていたはずだが、今は鮮やかな緋色の礼服を身につけている。

 ……おそらく入り口から出て行ったあの男と、服を取り替えたのだ。


「さて、君達がどこの誰なのか……素直に答える気はあるかな? ちょうど今、魔女の惚れ薬という便利な物を持っているんだ。あんまり口が硬いようなら、使うこともやぶさかではないよ」

「オレ様、そっちの女の眉毛は覚えてるぜ」


 眉毛を揶揄われたハイディが、ムッと唇を曲げる。

 黒髪の男は金色の目を爛々と輝かせ、威嚇する爬虫類のように喉をシュゥッと鳴らした。


「お前ら、アレだろ。前にモニカにちょっかい出した、帝国の人間だ」

「……帝国?」


 金髪の青年が訝しげに目を細める。

 いずれにせよ、あの黒髪の男──〈沈黙の魔女〉の従者がいる以上、下手な誤魔化しは無意味だろう。

 ユアンは芝居がかった仕草で腰を折り、焦がした蜂蜜のように甘ったるい声で告げた。


「アタシはユアン、この子はハイディ。初めましてではないけれど、初めまして……


 ──偽物の王子様」



 * * *



 偽物の王子様。

 その一言に、アイザックの顔から表情が消える。

 それでもアイザックの銃口が、動揺にブレることはない。

 ネロが言うには、この男は帝国の人間で、かつ、アイザックの正体を知っている。由々しき事態だ。状況次第では、生かして帰すわけにはいかない。

 この状況は、己の正体を知られたアイザックにとっても、監視していたことがバレたユアンにとっても、好ましい状況ではないはずだ。

 相手の言葉をどう引き出すか、アイザックが慎重に出方を窺っていると、ユアンが口を開いた。


「アタシ達が監視していることに、いつから気づいていたのかしら?」

「一ヶ月前。サザンドールにいた頃から」


 アイザックが端的に答えれば、ユアンは悲しげな表情で肩を竦め、ため息を零した。


「……ほぼ最初からじゃない。自信無くなるわ」


 ユアンはそんなことを言っているが、その潜伏技術は、なかなかどうして大したものだった。

 アイザックはフェリクスを名乗ると決めた時から、いついかなる時でも完璧な王子様に見えるよう、常に人の目を気にして生きてきた。

 だから他人の視線や気配には敏感だし、護衛や監視を見抜くのも得意だ。

 そんなアイザックをしても、ユアンとハイディの存在は、なかなか尻尾を掴めなかったのだ。

 だから、アイザックは罠を仕掛けることにした。

 アイザックが仮面舞踏会に参加した理由は二つ。

 一つはフェリクスの名を騙る存在を突き止め、粛清するため。

 そしてもう一つは、その偽物を囮にして、自分の周囲を嗅ぎ回っている存在を炙り出すためだ。


「君達は〈沈黙の魔女〉を知っているのかな?」


 アイザックの言葉に、ユアンはニンマリと口の端を持ち上げて笑う。まるで、アイザックのことを嘲るかのような笑い方で。


「あら、〈沈黙の魔女〉は、アタシ達のことを貴方に話してないの? ふぅん……そう……」


 煽られている。

 アイザックはユアンの挑発には乗らず、ネロを横目で見て訊ねた。


「彼らは何者だい?」

「モニカは『くろじしこー』直属の部下だって言ってたな。あと、そっちのクネクネした喋り方のやつは、前にぶん殴った。あいつ、グニャグニャして気持ち悪いんだよな」

「……うん、ちょっと理解するのに時間をくれるかな?」


 ネロの言っていることは半分以上理解できないが、一つだけ分かったことがある。

 黒獅子皇──それは隣国シュヴァルガルト帝国の皇帝のことだ。

 帝国は多民族から成り立つ巨大国家だ。それ故に、派閥も火種もリディル王国とは比べ物にならないほどに多い。

 ユアンとハイディが帝国の人間だと知った時、帝国のどの派閥の人間かによって、こちらの対応も変わるとアイザックは考えていたのだが……。


(まさか、黒獅子皇直属の人間が来るとは)


 黒獅子皇の名を知らぬ者など、この大陸にそうはいないだろう。

 若くして帝国の頂点に君臨した皇帝。前皇帝を暗殺しただの、異民族の村を滅しただの、物騒な話題に尽きない人物だ。

 アイザックは第二王子として、公務で黒獅子皇と顔を合わせたことはある。

 言葉を交わした回数こそ少ないが、豪快で鷹揚。それでいて、非常に頭の切れる人物だと感じた。


(そんな人間が意味もなく間諜を放ち、火種を作るとは考えにくいのだけど……)


 アイザックが思案していると、ユアンが小さく息を吐き、己の顔を両手で覆う。

 何をする気だと、アイザックが怪訝に思っていると、ユアンは顔の肉をこね始めた。

 まるで柔らかな粘土をこねるかのように、ユアンの顔がグニャリグニャリと歪む。

 吐き気を催すような光景だ。だが、生理的嫌悪とは別の意味で、アイザックは言葉を失った。


 ──アイザックは、コレを知っている。


 ユアンが顔を覆う手を離すと、そこには自分と全く同じ顔があった。

 アイザックの──否、フェリクス・アーク・リディルの顔で、ユアンはニタリと唇を持ち上げて笑う。


「貴方の顔を作り替えた医師──アルトゥールは、アタシの技術を持ち出した。そう言えば、少しは理解してもらえるかしら?」


 リディル王国では禁忌とされる肉体操作魔術。

 それはかつて、アイザック・ウォーカーを、フェリクス・アーク・リディルに作り替えた術だ。


(……あれは、アーサー医師の技術ではなかったのか)


 目の前にいるユアンという男の技術が、アーサー医師より抜きん出ているのは一目瞭然だ。

 アーサー医師は、施術にもっと時間を要したし、何回も作り替えることはできないと言っていた。

 それなのに、目の前のこの男はいとも容易く、己の顔を作り替えてみせたのだ。

 言葉を失い立ち尽くすアイザックに、ユアンは告げる。


「二年前、我が主はリディル王国の第二王子派が開戦を望んでいることを憂慮していたわ。そんな時、貴方の正体に気づいた我が主は、貴方の正体を晒すことで第二王子派を崩壊させ、帝国とリディル王国の戦争を回避しようとした……そこに、〈沈黙の魔女〉が取引を持ちかけたのよ」


 あのモニカが、帝国と取引?

 混乱するアイザックに、ユアンは微笑む。嘲りではなく、憐れみの笑みを。


「『自分が戦争を阻止するから、第二王子の正体を伏せてほしい』と。失敗したら、我が主に生涯仕えるという条件付きで」


 二年前にアイザックを救った最高審議会。その舞台裏の真実に、アイザックは言葉を失った。

 全身から血の気が引き、喉の奥が引きつる。足元が、ぐらつく。



 ──自分は、なんというものを、モニカに背負わせてしまったのだ。


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