表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝6:白雪に恋う
79/425

【2】彼の逆鱗

 クララ・レストンは友人に連れてきてもらった初めての仮面舞踏会に、興奮を隠せなかった。

 今年で十七になるクララは社交界デビューは済ませていたが、仮面舞踏会は今夜が初めてだ。

 絢爛豪華な宮殿、仮面をかぶり着飾った人々、そのどれもがクララの心をときめかせた。


(すごい、すごい、素敵!)


 クララはレストン子爵の三女で、いつも華やかな姉達の影に隠れている控えめな少女だ。

 だが仮面をつけていると解放的な気分で、いつもより少しだけ積極的になれる気がした。

 だから……自分に声をかけてくれた男性に、あっという間に夢中になってしまったのだ。


「その髪飾り、とても素敵だね。可憐な君によく似合う」


 クララに話しかけてきたのは、背の高い金髪の青年だった。身につけているのは華やかな緋色の礼服に、孔雀翠の仮面。

 立ち振る舞いには華があり、その佇まいは堂々として自信に満ちている。きっと自分のような下級貴族とは違う、上級貴族の人間だ。

 青年は言葉を尽くし、クララのことを褒めてくれた。

 クララは決して絶世の美貌の持ち主ではなかったけれど、青年の褒め方は巧みで、「品と知性のある奥ゆかしい振る舞いは、かつて宮廷の華と呼ばれたアイリーン妃の再来のようだ」などと言ってクララのことを持ち上げた。

 かつて社交界に名を残したクロックフォード公爵令嬢アイリーン・ナイトレイ──現国王の第二王妃のことだ──を引き合いに出され、大袈裟だと思いつつもクララは舞い上がった。

 青年は耳に心地良い甘い言葉でクララを褒め、そしてワインを勧めてくれる。

 ワインは飲み慣れていないけれど、せっかく彼が勧めてくれたのだから、とクララはワインを飲み干した。

 ぽぅっと体の奥が熱くなり、心臓がいつもより早く鼓動する。それなのに頭がふわふわしていて気分が良い。今なら、なんだってできそうな気がした。


「大丈夫かい?」


 懐中時計を気にしていた青年が、ふらついたクララの体を抱き止める。

 その時、クララは気がついた。青年の手元にある懐中時計の表面に刻まれているのは、王家の紋章。

 クララは舞踏会に向かう馬車の中で、友人が言っていたことを思い出した。


 ──最近、仮面舞踏会に第二王子のフェリクス殿下がお忍びでいらっしゃってるらしいのよ。もし、目に留まることができたら……まるで小説みたいじゃない?


 第二王子は王位継承権を放棄し、今は領地で静かに暮らしているのだという。

 だが、王位継承権を放棄したとしても、王族であることに変わりはないのだ。おまけに第二王子と言えば、全てにおいて完璧で、母親であるアイリーン妃譲りの美しい容姿の青年だという。


(まさか、まさか、この方が……!)


 クララは自分を抱きとめてくれた青年の、緋色の礼服に頬を寄せる。

 青年はクララの髪を撫で、その耳元で囁いた。


「……別の部屋で、少し休もうか」


 クララは青年の胸元に手を置いて、恥じらいながらも小さく頷く。

 青年は柔らかく微笑み、クララの腰を抱いて歩き出した。その足取りに迷いは無い。大広間を出て、回廊を抜け、その先にある部屋の扉を開ける。

 そうして青年がクララを抱き締めながら、後ろ手で扉を閉めようとした、その時──。


「へぇ、うまいこと似せてるじゃねぇか」

「僕のお師匠様なら、きっと『黄金比じゃない』って言うんじゃないかな」

「なんだそりゃ」


 廊下の方から声がした。

 振り向けば、何者かが閉じかけた扉の隙間に靴をねじ込み、無理矢理扉を開けようとしている。


(なに? なに? 一体、何が起こっているの?)


 クララが怯えて立ちすくんでいると、扉が勢いよく開かれた。

 扉を乱暴に開けたのは、黒髪に緋色の仮面を身につけた青年だ。その隣には金髪に黒い仮面の青年が佇んでいる。


「なんなんだ、君達は。無礼者め」


 クララをここまで連れてきてくれた青年が、不愉快そうに黒髪と金髪の二人組を睨みつける。

 すると、廊下側に立つ金髪に黒い仮面の青年が、クスクスと喉を鳴らして笑った。


「……無礼者、か」


 その時、クララは確かに見た。

 黒い仮面の奥で、水色に緑を一滴混ぜたような碧い目が冷ややかに輝くのを。


「知っているかい? 王族以外の人間が、王家の紋章を正当な理由無く所持すると……王家の名を騙る逆賊として、処刑対象となることを」


 クララを抱きしめていた青年が、ギクリと体を強張らせた。

 己を抱きしめる腕の震えから伝わる動揺は、演技なんかじゃない。

 クララが戸惑っていると、黒い仮面の青年はクララに目を向け、口元に柔らかな笑みを浮かべた。


「レストン子爵令嬢。お友達が会場で君を探していたよ」

「……え、あ……わ、わたくし……」

「君は最初から、舞踏会を抜け出したりなんてしていなかった……そうだろう?」


 この場で見たこと、聞いたことを忘れろと言外に匂わせ、黒い仮面の青年は「さぁ、お行き」とクララを促す。

 その声は穏やかで優しいけれど、否定を許さない響きがあった。


 ──この人は、人の上に立つ人間だ。


 本能が命じるままに、クララは男の腕から抜け出し、震える足で走る。

 今は一刻も早く、この場所から離れよう。きっと今の出来事は、慣れないワインが見せた悪い夢だ。



 * * *



 個室に連れ込まれそうになっていたレストン子爵令嬢が、この場を立ち去ったのを確認し、黒い仮面の男──アイザックは、室内へ足を踏み入れた。

 緋色の仮面のネロも、ニヤニヤ笑いながらそれに続く。

 孔雀緑の仮面を被った男は、仮面をつけていても分かるぐらい目に見えて動揺し、青ざめていた。


 ──第二王子が仮面舞踏会に出入りし、気に入った娘に魔女の惚れ薬を飲ませて、弄んでいる。


 不名誉極まりない噂を真っ先に聞きつけたのは、アイザックの契約精霊ウィルディアヌであった。

 アイザックの代役として留守を預かる彼は、アイザックに送りつける仕事の仕分けをする傍ら、第二王子周辺の情報収集を定期的に行ってくれている。


『どうかどうか、夜遊びはお控えください』


 そうアイザックに提言する水の上位精霊ウィルディアヌは、人に化ける時、儚げな雰囲気の男になる。

 だが、最近は気苦労故にか、とうとう儚げを通り過ぎて、幸薄そうな顔をしていた。

 ちょっと苦労を押し付けすぎたかな、と反省しつつ事情を聞いてみれば、飛び出してきたのは、まるで身に覚えのない噂話。

 どうやら何者かが隠居した第二王子の名を騙り、良くない遊びをしているらしい。

 故に、アイザックは情報を集め、こうして仮面舞踏会の会場に乗り込んできたのだ。

 噂によると、第二王子は魔女の惚れ薬を所持しているらしい──となれば、惚れ薬を所持している人間が犯人候補だ。

 そして丁度良いことに、アイザックは魔女の惚れ薬を所持している。以前、とある令嬢から一服盛られかけ、没収した物だ。

 アイザックはこの魔女の惚れ薬を研究し、この薬の薬瓶が付与魔術の効果を長引かせる魔導具であることに気づいていた。

 ──となれば、やることは簡単だ。

 魔力感知のできるネロに、こう頼めば良い。

 仮面舞踏会の会場で、この魔法薬の瓶と同じ物を所持している人間を探してほしい……と。


「間違いねぇな。こいつ、持ってるぜ。魔法薬」


 そう言ってネロは孔雀緑の仮面の男を見て、ニンマリと口の端を持ち上げる。

 アイザックは目の前にいる男が逃げ出さないよう、動向に注意しつつ、口を開いた。


「レストン子爵令嬢には、まだ飲ませていなかったみたいだね。これから飲ませるつもりだったのかな?」

「なんの、話を……」

「君が持っている『魔女の惚れ薬』の話だよ。ヘクター卿」


 孔雀緑の仮面の男──ヘクターは頬を引き攣らせた。その拍子に、仮面がほんの少しずれて傾く。

 ヘクターは以前アイザックに魔女の惚れ薬を盛ろうとして失敗した、ロレッタ嬢の兄──つまりは、フェリクスの従兄弟だ。

 偽フェリクスが出没する夜会が、ミーガン伯爵夫人主催という時点で、アイザックは概ね犯人に当たりをつけていた。

 ミーガン伯爵夫人はヘクターの母方の叔母で、何かと目をかけてもらっている。夜会で女性を連れ込む時の個室も、ミーガン夫人に融通してもらっていたのだろう。

 

「第二王子が、妹から取り上げた魔女の惚れ薬を悪用し、社交界の女性を手当たり次第に食い散らしている……そういう筋書きにするつもりだったのかな? 動機はフラれた妹の復讐?」

「…………っ!」


 ヘクターはもう、こちらの正体に気づいているらしい。彼は勢いをつけて駆け出し、部屋の扉を塞ぐアイザックに体当たりをしようとした。

 だが、アイザックは軽くそれをかわし、ヘクターの足に己の足を引っ掛ける。それだけで、ヘクターは呆気なく絨毯の上を転がった。

 孔雀緑の仮面が床に落ち、ヘクターの焦りと恐怖に彩られた顔が露わになる。

 ヘクターは脂汗の浮いた顔を、ブンブンと横に振った。


「わ、私は何も知らな……っ、ひぃっ」


 尻餅をついたまま必死で否定するヘクターの肩に、アイザックの靴底が容赦なく振り下ろされる。

 仰向けに倒れたヘクターは「痛い痛いっ」と哀れな悲鳴をあげた。

 ヘクターの肩を踏むアイザックの足に、無意識に力がこもる。

 黒い仮面の奥で、碧い目がギロリとヘクターを見下ろした。


「君がどんな羽目の外し方をしようが、私の知ったことではないがね」


 ヘクターに対し、アイザックが腹を立てているのはただ一点。


「……フェリクス・アーク・リディルの名を汚したな?」


 ギシギシと、靴の下でヘクターの肩の骨が軋む。

 ヘクターは第二王子を騙って社交界の女性に手を出し、第二王子の地位を貶めようとした。

 アイザックが何を捨ててでも守ろうとした、フェリクスの名に泥を塗ったのだ。


「王族を騙るその行い……審議会で晒し者にされ、処刑台に上る覚悟の上でのことかな?」

「ひっ、ひぁっ、まっ、待ってくださいっ、殿下っ、私は……私は、そんなつもりでは……っ」


 これは第二王子フェリクス・アーク・リディルとしての怒りではない。

 フェリクスに忠誠を誓った従者アイザック・ウォーカーの怒りだ。

 主人の名を汚された従者は、長年貼りつけてきた王子の笑顔を捨て、冷たい無表情でヘクターを見下ろす。

 アイザックは無自覚だが、その冷たい表情と声は、彼を育てた人物──クロックフォード公爵によく似ていた。

 ヘクターは痛みと恐怖に涙を流しながら叫ぶ。


「どうか、どうか、お許しを……っ、慈悲を……っ」

「生憎、この名を汚した者にかける慈悲など、持ち合わせていない」

「なんでも、なんでも、します……っ、どうかぁ……」


 涙と鼻水でグチャグチャの顔で惨めに懇願するヘクターに、アイザックは熱の無い目を向けた。


「ならば、その命が尽きるまで、フェリクス・アーク・リディルの名に忠誠を誓うがいい」


 ヘクターが深く深く頷いたのを確認し、アイザックはヘクターの肩から足を下ろす。

 その一連のやりとりを見ていたネロが、仮面の下で呆れたように目を細めていたので、アイザックは小声でネロに訊いた。


「……僕がこんなことを言うのは、愚かだと呆れたかい?」


 自嘲が滲むその言葉に、ネロはいかにもどうでもよさそうに肩を竦めた。


「いーや。ただ、人間ってのは随分と名前にこだわるんだな、って思っただけだ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ