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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝5:二人の魔女と恋のから騒ぎ
76/425

【終】春は、まだ

 ロベルト達から逃げ出したモニカは、その足で店内に戻り、スロースの部屋へ向かった。

 あれだけ派手に大騒ぎをしたというのに、店内の客達に混乱した様子はない。誰もが理性を失った目で享楽に耽り、周囲に意識を向けていないのだ。

 魔法薬の煙が立ち込める空間を抜けて二階に上ったモニカは、そのまま三階に向かうか否か、少し迷った。

 二階の客室に寝かせたままのシリルのことが気になったのだ。


(もしかしたら、もう起きてるかもしれないし……)


 シリルを寝かせた部屋に向かおうと、足を向けたその時、背後から「おちび!」とメリッサの声がした。隣にはラウルの姿もある。


「あっ、お姉さん。えっと……」

「魔法薬の瓶は回収したわ。スロースは魔法薬を所持してた?」

「い、いえ……持ってなかった、そうです」


 メリッサは「なら良し」と頷き、キョロキョロと二階を見回した。


「ところで、シリル様はどこにいんのよ?」

「……え」

「ラウルから聞いたわよ。あんたら、知り合いだったらしいじゃない」


 メリッサの言葉にモニカは目を丸くする。

 そういえば、メリッサはモニカの家の前に居たわけだけど、もしかしてシリルの方に用があったのだろうか?

 シリルとラウルがモニカの家に来るのは珍しくないし、二人を追いかけてメリッサがモニカの家に辿り着いたのだとしたら辻褄が合う。


「あの、お姉さん、シリル様のこと……ご存知だったん、ですか?」

「え、えぇ、まぁ、名前だけはね」


 メリッサは少しだけ視線を泳がせ、ゴニョゴニョと口ごもっていたが、ゴホンと咳払いをすると、モニカの肩を抱いて耳打ちする。


「そういうことだから、モニモニ、あんた、後でシリル様にアタシのことを紹介しなさい」

「……は、はぁ」


 モニカが曖昧に頷くと、辺りを見回していたラウルが、モニカを振り返って言った。


「なぁなぁ、シリルを寝かせておいたのって、どの部屋だっけ?」

「えっと、ここ、です」


 モニカは地図や建物の構造を覚えるのが割と得意なので、シリルを寝かせた部屋のこともちゃんと覚えている。

 記憶を頼りに、モニカは扉を開けた。

 娼婦や男娼が客を取るための派手な寝室は、モニカの記憶と寸分違わない。

 だが、寝台に寝かせていたはずのシリルがいない。きちんとかけておいた布団は雑にめくれて、床に落ちかけている。

 ラウルが「あれっ?」と首を捻った。


「もしかして、部屋を間違えたか?」

「いいえ、ここで間違いない……です」


 ラウルの言葉にモニカは首を横に振り、室内を見回す。

 寝台には確かに使用した形跡があった。シリルは確かに、少し前までここで寝ていたのだ。

 メリッサが腕組みをして、唇を尖らせる。


「目を覚ましたシリル様が、ラウルを探して歩き回ってるんじゃないの?」

「そうかもしれない……です」


 メリッサの言葉にモニカが頷くと、窓辺を気にしていたラウルが顔を上げた。


「いや、それはおかしいぜ。シリルに飲ませたキャンディは結構強めに睡眠効果を付与したから、あと数時間は起きないはずだ。それに……」


 ラウルは開けっ放しになっていた窓に近づくと、窓枠に落ちていた何かを摘まみ上げた。

 小指よりも細くて小さなそれは小魚だ。

 よく見ると、小魚は窓枠だけでなく、窓の下にも幾つか散らばっている。


「これはシリルがポケットに入れてた魚だ。それが、ここに落ちてるということは……誰かが寝ているシリルを担いで、窓から脱出したんじゃないか?」


 ラウルは重要証拠のように小魚を掲げて、キリリとした顔で言う。

 圧倒的な美貌のラウルが真面目な顔で宣言すると、それだけで妙な迫力があった。だが小魚。

 モニカとメリッサが絶句していると、ラウルは手の中の小魚を見下ろして、しみじみと呟く。


「それにしても、シリル。一つだけって言ってたのに……やっぱ沢山持ってきてたんだな。小魚」

(……なんで、シリル様は、お魚をポケットに入れてたんだろう?)


 非常に気になるところだが、今はそれを追求している時間も惜しい。

 そもそも、ここは二階なのだ。二階の窓から成人男性を担いで抜け出すなんて、誰にでもできることじゃない。


「シリル様を、探しましょうっ」


 モニカの言葉にメリッサとラウルが頷く。

 三人はそのまま店を出ると、点々と落ちている小魚を辿った。

 とは言え、小魚も都合よく等間隔で落ちているわけではない。小指よりも小さな小魚を見落とさないようにしながら歩くのは、なかなかに骨が折れる。


「こういう時は、やっぱアレだな」


 ラウルは呟き、ポケットからニンジンを取り出した。

 あのニンジンで何をするのだろう、とモニカが見守っていると、ラウルは真剣な顔でニンジンに魔力を込める。そうして彼は右の路地を指さした。


「シリルはこっちに行ったみたいだ」

「どうして分かるんですか?」


 モニカの問いに、ラウルはニンジンを掲げてウィンクをする。

 そうして、とびきり煌びやかな決め顔で言った。


「ニンジン占いさ!」

「………………えっと」


 緊迫しているこの状況で、自分達の行く末をニンジンに託して良いものだろうか。

 モニカが戸惑っていると、メリッサがモニカの首根っこを掴み、早足でラウルが示した右の路地に進む。

 モニカは引きずられながら、オロオロとメリッサを見上げた。


「あの、お姉さん、あの……」

「ニンジン占いなんてアホみたいでしょ? でも、まぁまぁ当たるのよ。どういう訳か」

「…………」


 半信半疑で歩を進めていると、早速地面に落ちている小魚を見つけてしまった。恐るべし、ニンジン占い。

 それから三人は落ちている小魚とニンジン占いの結果を頼りに、早朝の街を歩き続ける。

 そうして小一時間ほどし、日が完全に昇った頃、モニカに声をかける人物がいた。


「なんだ、あんた。この間の嬢ちゃんじゃないか」


 振り向けば、白い髭を三つ編みにした老人が酒瓶片手に佇んでいる。以前、ラナと揉めていた刺繍職人のポロックだ。

 モニカを見るポロックの顔は、ほんのり赤い。恐らく今まで酒を飲んでいたのだろう。

 モニカは息を切らして、ポロックに訊ねた。


「あ、あのっ! このへんで、銀髪の男の人を見ませんでしたかっ」

「あぁ、見たぞ」


 ダメで元々の質問にあっさり肯定の言葉を返され、モニカはひゅぅっと息をのむ。

 ニンジン占い、すごい。

 モニカはいつもの人見知りも忘れて、前のめり気味にポロックに詰め寄った。


「どこで見ましたっ、どっちに行きましたかっ!?」

「短い金髪の娘さんが、気絶してる銀髪の兄ちゃんを抱えて馬車に乗って行ったよ。女が男を抱えてるってのも珍しいし、娘さんの服の刺繍が珍しかったから、よく覚えてる」

「……短い金髪の、女の人?」


 眉をひそめるモニカに、ポロックが腕組みをして瞑目しながらウンウンと頷く。


「毛皮のマントの下に着ていた服に珍しい刺繍がされてたな。ありゃあ、ハイラの民の物だ。この辺じゃ滅多に見かけないんだがな」


 短い金髪、毛皮のマント──となれば、思い浮かぶのはただ一人。

 氷の精霊ヴェロニカだ。


(なんで、精霊が、シリル様を……っ)


 モニカが困惑していると、横で話を聞いていたメリッサが、焦れたように口を挟んだ。


「ねぇ、おじいちゃん。その金髪女は、どこに行くって言ってたの?」

「そこまでは聞いとらんよ。ワシが見てたのは、馬車に乗るところまでだ」


 ポロックの証言で分かったのは、意識を失ったシリルがヴェロニカに連れ去られたことだけだ。行方までは分からない。

 モニカが焦りに唇を噛んでいると、ポロックが髭をいじりながら呟いた。


「いやぁ、それにしても出来の良い刺繍だったな。白い糸に水色の糸を混ぜて雪の結晶に似た模様を等間隔で縫い付ける。シンプルだからこそ奥の深い刺繍で……」


 今は刺繍の話を聞いている場合ではないのだが、ポロックの言葉が妙にモニカには引っかかった。

 モニカはヴェロニカと相対していた時間が短いし、毛皮のマントの印象の方が強かったので、その下の服の刺繍まではよく見ていなかったのだ。ポロックが言うには、あれはハイラの民の刺繍だという。


(……ハイラの民……ヴィルラヤ自治区の雪山の麓にある、白竜信仰をしている一族……)


 竜は寒さに弱い生き物だが、唯一、寒さに耐性を持ち、氷を操る竜がいる。

 それが白竜──黒竜に並ぶ、伝説の存在。氷の精霊アッシェルピケの物語にも登場する存在だ。

 シリルを連れ去った氷の精霊ヴェロニカが身につけていた、白竜信仰の民の服。

 ……全くの無関係とは思えない。


「ヴィルラヤ自治区です」

「おちび?」

「わたし、ヴィルラヤ自治区に、行きます」


 ヴィルラヤ自治区とハイラの民の関係は、メリッサとラウルも知っているのだろう。すぐにモニカが言いたいことにピンと来たらしい。


「馬車で丸一日……馬車を乗り継いでかっ飛ばせば、半日で行けるわね」


 メリッサは顎に指を添えて「ふむ」と頷くと、早口でラウルに命じる。


「ラウル、シリル様を助けに行くわよ。今すぐ馬車を手配しな」


 メリッサの命令に、ラウルが首を捻った。


「そりゃ勿論、オレは友達を助けに行くけどさ。なんで姉ちゃんが来るんだ?」

「ゴチャゴチャうっさい! さっさとしな!」


 ラウルは釈然としない顔をしつつ、馬車を探しにニンジンを握りしめて走りだす。

 モニカはおずおずとメリッサを見上げた。

 どうしてメリッサが協力してくれるのかは分からないけれど、その行動力は非常に頼もしい。


「お姉さん、あの……」


 お礼を言おうとするモニカに、メリッサはズイと顔を近づけ、告げる。


「おちび、シリル様を助けたら、シリル様にアタシのことを『とびきり頼りになる素敵なお姉様』だと紹介するのよ。いいわね?」

「は、はいっ!」


 モニカは気圧されつつも、素直に頷く。

 メリッサに言われなくても、モニカの目には行動力のあるメリッサが、とびきり頼りになるすごいお姉さんに見えていたのだ。



 * * *



 ガタガタと激しく揺れる馬車の中、ヴェロニカは己の膝に銀色の髪の青年の頭を乗せ、青年の腕に銀色の腕輪を嵌めた。

 銀細工の腕輪に嵌められた菫色の石は、ヴェロニカとの契約に必要な精霊石だ。

 ヴェロニカは菫色の石に指を添えた。

 腕輪越しに青年の中に己の魔力を流し込み、青年の魔力の源に触れる。そうしてそこから青年の魔力を吸い上げて己の中に取り込む。

 人間と精霊の魔力の交換──それは、人間と精霊の契約の儀だ。

 魔力の少ない人間がこれをやると、精霊に魔力を吸い尽くされ、死にいたることも珍しくない。幸い、この青年は魔力量が多いし、魔力過剰吸収体質だから問題ないだろう。


「……できた」


 魔力の交換によって青年とヴェロニカの間に、見えない一本の糸が生まれた。契約が成立したのだ──青年の意思を無視して行われた、一方的な契約だけど。

 ヴェロニカは氷の上位精霊だ。魔力濃度の低いところでは長く活動ができない。下手をすると、消滅してしまう。故に魔力濃度の低いところで活動するためには、人間と契約を結ぶ必要があった。

 スロースとの契約を解除したヴェロニカは、活動時間が限られていた。だから、強制的にでも誰かと契約を結ぶ必要があったのだ。

 どちらかの意思を無視した一方的な強制契約は、精霊にも人間にも疎まれる禁じ手だ。それでも、ヴェロニカは躊躇わずにそれを実行した。構うものか。どうせ、すぐにこの青年は……。


「……う」


 こんこんと眠っていた青年が、小さく唸りながら瞼を持ち上げる。


「……ここ、は……?」


 長い睫毛の下、露わになった目は宝石のように綺麗な濃い青色だった。

 まだ焦点の合わぬ青い目を、ヴェロニカはそっと片手で覆う。


「起きなくていい。このまま眠っていて」


 ヴェロニカは瞼を覆っていた手をずらし、青年の心臓の上にあてがった。そうして、彼の体に氷の魔力を送り込む。ヴェロニカの手の下で、心臓の鼓動が次第に弱くなり、その体から熱が失われていった。

 それは人間が魔術として使うなら「禁術」と呼ばれるもの──ヴェロニカは青年の体を仮死状態にしたのだ。

 再び瞼を閉ざした青年の体は、死者のように冷たい。


「貴方はもう二度と、目覚める必要はないのだから」


 呟き、ヴェロニカは視線を窓の外に向けた。

 春の訪れを感じさせる若草色がちらつく景色が、北上するにつれて、雪混じりの冬景色に変わっていく。


「……トゥーレがいない春なんて、いらない」


 氷像のような無表情に微かな悲しみを滲ませて、氷の精霊は呟く。


「トゥーレ、トゥーレ。どうか、待ってて。きっと助けてみせるから」



 * * *



 サミュエル・スロースの部屋は、乱れた家具の上に雪が積もるという異様な光景になっていた。

 そんな部屋の中、ガタガタと音を立てて雪に埋もれていたソファが持ちあがる。


「うぇ〜、いてて、酷い目にあったぁ……って、なにこれぇ!?」


 ソファの下で鼻血まみれで気絶していた青年──セオドアは、雪まみれの室内に唖然とした。

 自分が気絶している間に、一体何があったのだろう。


「多分、ヴェロニカの仕業だよねぇ……正体隠してるみたいだったけど、どう見ても精霊だったし。うぅっ、それにしても寒いよぅ。おれ、寒いの嫌いなのに……へくちっ」


 セオドアは鼻血まみれの洟をすすると、室内をぐるりと見回した。そうして、部屋の隅にひっくり返っている戸棚に目をとめる。

 セオドアは雪まみれの絨毯に足跡をつけながら移動し、戸棚をガサゴソと漁った。

 その指先が目当ての物を探り当て、セオドアの表情が安堵に緩む。


「あぁ、良かったぁ〜」


 セオドアが戸棚の奥から探り当てたのは、スロースに取り上げられた宝石箱だ。

 セオドアは宝石箱を胸に抱き、柔らかく目を細める。


「うん? ……えっ、七賢人がいたの? ここに? 七賢人ってあれだろ。お前を封印した……えっ、違う?」


 セオドアは長い前髪の下でパチパチと目を瞬かせ、宝石箱を耳元に近づける。

 そうして、さぁっと顔を青ざめさせた。


「……えぇっ、〈沈黙の魔女〉!? ウォーガンの黒竜とレーンブルグの呪竜を倒した、あのおっかない魔女がここにいたのぉ!? ひぇぇ……っ、おれ、気絶してて良かったぁ……」


 セオドアはほぅっと胸を撫で下ろすと、宝石箱を懐に仕舞う。

 そうして、服の上から宝石箱を優しく撫でた。まるで、幼い子どもを安心させるかのように。


「うん、分かってるよ。いずれは、敵対することになるんだろうけど……まずは、お前の封印を解くのが先だね。お前を封印した人間の目星はついてるし。大丈夫、怖いけど、きっと上手くやるよ」


 そう言って、セオドアは軽やかな足取りで歩き出す。

 その口元に、柔らかな笑みを浮かべながら。


「早く会いたいな……××××」


 夢見るような口調で、そう呟いて。


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