【16】逃亡者の末路
「モニカ嬢、この俺が来たからにはもう安心だ……モニカ嬢? なにやらションボリしているように見えるが、どうしたのだ?」
「うぇっ!? い、いえっ、してませんっ、わたし、全然ションボリなんてしてませんっ!」
氷の魔術を見て、頭に思い浮かんだのは……と、そこまで考えてモニカはブンブンと首を横に振る。勝手に期待して勝手にガッカリしたなんて、助けてくれたアントニーに失礼だ。
その時、モニカの背後で茨に磔にされていたスロースが、悲鳴混じりの声を上げた。
「アントニー隊長……っ、どうして、あんたが……っ!」
「それは、お前自身が一番よく分かっているのではないか、サミュエル・スロース!」
アントニー隊長ということは、アントニーとスロースは、何らかの組織に所属していたのだろうか?
おそらく、ここでは語れない因縁があるに違いない。とモニカが固唾を飲んで見守っていると、アントニーがビシリとスロースを指さし、言った。
「我がランドール王国騎士団の魔導具を勝手に持ち出した挙句、他国で違法薬物の売買に手を染めるなど、騎士としてあるまじき行いっ! 俺は秘密裏にお前を捕らえよと騎士団長に命じられ、こうして休暇を満喫するフリをして、お前を探していたのだっ!」
それは大声で語っていいのだろうか。
モニカがハラハラしていると、メリッサがずる賢そうに笑い、右手でモニカを左手でラウルを抱き寄せた。
そうしてその目に涙を浮かべ、アントニーに懇願する。
「騎士様、助けて! アタシ達、このスロースという男と、その契約精霊であるあの女に襲われていましたの!」
僅かな会話から状況を把握し、アントニーを味方につけようとするメリッサの手腕は見事の一言に尽きた。
しかもしっかり今の状況をアントニーに伝えることも忘れない。
「むぅっ、なんと! あのご婦人は精霊だったのか……ところで、スロースは何故、磔にされているのだ?」
当たり前と言えば当たり前のアントニーの疑問の声に、スロースが顔を真っ赤にして口を開く。
「それは、このクソアマが……っ、ぎゅぇっ!?」
モニカは見た。
メリッサがラウルの体を上手く壁にして、アントニーには見えないようにスロースの脇腹をどついた瞬間を。
そうして鮮やかにスロースを黙らせたメリッサは、いかにもか弱い女性の顔で言う。
「それもこれも、ぜーんぶ、あの精霊の仕業ですわ! あの精霊は、スロース諸共アタシ達を殺すつもりです! どうか助けて、騎士様!」
「そうか、そういうことだったのか!」
ラウルが笑顔のまま「わぁ」と呟いた。モニカも同じ心境である。
アントニーはもうやる気満々という顔で、氷の魔法剣を構えていた。
以前モニカが見た魔法剣は、刃の無い柄だけの剣に、魔力で炎や氷の刃を生み出す──というものだったが、アントニーは鋼の刃に魔力を纏わせている。
魔法剣に耐えられる剣は、極々僅かしかない。それだけで、あの剣がかなりの業物だということが分かる。
「ゆくぞ、か弱いご婦人のフリをした悪虐非道の精霊よ! ぬぅん!」
か弱いご婦人のフリをした悪虐非道の魔女にけしかけられたアントニーは、ヴェロニカ目掛けて剣を振るった。
アントニーの剣から氷の刃が飛び出す。それをヴェロニカは氷の短剣で相殺した。
アントニーが手練れであることは、素人目でも分かる。剣の腕も、魔力の扱いも、一流だ。
それでも上位精霊と単独で戦うのは無理がある。アントニーが押されるのは、時間の問題だろう。
……だがどういうわけか、ヴェロニカは目に見えて攻撃の手を緩め始めた。
「……なんで、人間は、次から次へと湧いてくるのだろう。わたしは、急いでいるのに」
ヴェロニカが距離を開け、右手を床にペタリとつく。
次の瞬間、部屋中が白一色に埋め尽くされた。ヴェロニカを中心に吹雪が吹き荒れているのだ。
モニカは咄嗟に、自分達の周囲とアントニーの周囲に防御結界を張った。半球形の防御結界に雪が積もり、サラサラと床に流れていく。
「なによこれ! 前も後ろも見えないじゃない! ……あっ」
悪態を吐いていたメリッサが、背後を見て「やられた」と舌打ちをする。
先程まで茨で絡め取られていたスロースが、いつの間にかいなくなっているのだ。茨には氷の刃で斬りつけた跡があるから、ヴェロニカの仕業なのだろう。
やがて吹雪が止み、しんと静かになった室内に、ヴェロニカとスロースの姿は無かった。逃げられたのだ。それもおそらく、この部屋のどこかにある隠し通路から。
「やられたっ、目眩ししてる隙に逃げられたっ!」
赤毛を掻きむしって地団駄を踏むメリッサに、アントニーが服についた雪を払いながら言う。
「なに、問題ない。奴の逃げ足の速さは想定済み。じきに俺の弟達が、スロースを捕まえるだろう……ところで」
アントニーは室内を見回して、首を捻った。
「俺に防御結界を張ってくれたのは、どこの誰なのだ?」
* * *
「あぁ、くそっ、酷い目に遭った」
隠し通路に逃げ込んだスロースは、魔導具の指輪で小さな火を起こして辺りを照らすと、ヴェロニカをジロリと睨んだ。
「まったく、さっきはヒヤッとしたぜ。本気で殺されるかと思った」
「…………」
スロースが恨めしげに睨んでも、ヴェロニカは何も言わない。暗闇の中、菫色の目でじぃっとスロースを見ている。
茨に磔にされていたスロースを救ったのは、ヴェロニカだった。
ヴェロニカは吹雪で目眩しをしている隙に、氷の刃でスロースを拘束する茨を切断し、スロースを抱えて隠し扉の中に逃げ込んだのだ。
「しかし、まさかあの人が、追ってきてたとはな……」
サミュエル・スロースは、魔術師の名門スロース家の人間であり、ランドール王国騎士団に所属していた。
一応名目は騎士ということになっているが、スロースの主な仕事は騎士団の魔導具の管理だ。
ランドール王国騎士団は、魔法剣に適した魔導具の剣──いわゆる魔剣を複数所有している。それらの管理や、より優れた剣の開発がスロースの主な仕事だった。
そんなスロースに対する騎士団の評価は、騎士とは名ばかりのろくに剣も振るえぬ荷物番。
ランドールでは魔法技術より機械技術の方が進んでいることもあり、魔術師は軽んじられる傾向にあった。
かつては名門魔導具職人と言われたスロース家も没落し、今はただの道具屋扱い。
だからスロースは国を飛び出し、魔法技術大国であるリディル王国の裏社会を、己の技術で牛耳ってやるつもりだったのだ。
魔法薬「イレーネ」は、その足掛かりだ。
〈茨の魔女〉の惚れ薬をベースにした魔法薬は効果抜群だった。おかげでたっぷり儲けられたし、リディル王国の貴族とのコネもできた。
ここから、更に自分はのし上がるつもりだったのに……。
「くそっ、アントニー隊長がいるってことは……おそらく、あいつらも……急がないとまずい。おい、ヴェロニカ、俺を護衛しろ」
「どうして?」
ヴェロニカは真っ直ぐにこちらを見据えたまま、スロースの手首を掴んだ。痛いほどの強さで。
「おいっ、ヴェロニカっ、痛いだろうが! おいっ! 離せ……っ!?」
ヴェロニカはスロースの手首を掴み、そこに嵌められた腕輪を外す。
銀細工の中央に嵌められた菫色の石は、氷の上位精霊であるヴェロニカとの契約の証だ。
ヴェロニカは腕輪を手に取ると、菫色の石に指を添える──その時、スロースは己とヴェロニカを繋ぐ見えない糸が音もなく切れるのを感じた。
ヴェロニカとの契約が、解除されたのだ。
「おい、どういうつもりだ」
「さっきも言った通り。スロースはもう、用済み」
「なん、だとぉ……っ!?」
スロースがまだリディル王国に来たばかりの頃、自ら契約を持ちかけてきた精霊がヴェロニカだった。
氷の上位精霊であるヴェロニカは、とある条件を満たす人間を探しているのだという。
『その人間探しに協力してくれるのなら、あなたと契約してもいい』
ヴェロニカがそう提案した時、スロースは思いがけない幸運に興奮を隠せなかった。
上位精霊との契約は、誰にでもできることじゃない。属性、魔力量などの条件を満たした上で、自分と契約を結んでくれる精霊を探さねばならないのだ。
今の時代、精霊なんて、どこにでもいるようなものじゃない。それが自らスロースに近づき、契約を申し出たのだ。これを幸運と言わずして何と言おう。
裏社会をのし上がるのに武力は必須。強力な上位精霊が味方についていれば、怖いものなんてそうそう無い。
……それなのに今、ヴェロニカはスロースを見捨てようとしている。
「おい、待て、俺と契約を解除したら、お前は困るんじゃないのか? 精霊は人間と契約してないと、行動が色々と制限されるんだろ?」
基本的に上位精霊は魔力濃度の高い空間でしか生きられない。
ヴェロニカの場合、氷の精霊なので、魔力濃度の高い雪山等でないと長く活動できないのだ。
精霊が魔力濃度の低い空間で長く活動するためには、人間の魔術師と契約するしかない。
ヴェロニカはある目的のために雪山を出る必要があった。だから、契約してくれる魔術師を探していた、はずなのに。
「『氷の属性を持つ、魔力過剰吸収体質の人間』──わたしの探し人は、見つかった。だから、スロースは用済み。サヨウナラ」
ふわりと、通路の闇に溶けるようにヴェロニカの姿がかき消える。ヴェロニカが奪い取った契約の精霊石ごと。
どうやらヴェロニカがスロースを助けたのは、この精霊石の腕輪を回収するためだったらしい。
「くそっ! くそっ! くそっ!」
スロースは悪態を吐きながら通路を走り、その先にある階段を駆け降りる。
途中、足が滑って尻餅をついた。
これも全部、あいつらのせいだ──と、スロースは追っ手であるアントニーや、己を裏切ったヴェロニカの姿を頭に思い描く。
(見てろ、見てろ、準備を整えたら、今度こそ目に物見せてやる……っ!)
階段を駆け降りた先にある扉を横にスライドさせると、外の空気が頬を撫でた。
もう、日付が変わってだいぶ経つ。東の空はうっすらと明るくなり始めていた。
まだ冬の寒さを残したこの季節、早朝の空気に指がかじかみ、口から吐く息は白く曇る。
はぁっ、と荒い息を吐きながら、建物から一歩足を踏み出したその時──犬の鳴き声がした。
(あ、あぁ、あぁっ! やっぱり、あいつらだ、あいつらが来てるっ!)
スロースは慌てて鳴き声と反対の方角に走った……が、足に激痛を覚え、悲鳴をあげる。
スロースの足に一匹の犬が噛みついていた。茶色と黒の毛並みに、ピンと立った耳の犬だ。
「やめろっ、離せっ、離せ……っ!」
「あーあ、見苦しいったら」
犬を蹴り飛ばそうとしたスロースの前に、一人の男が立ち塞がる。
砂漠の民風の衣装を身につけた、端麗な容姿の黒髪の男だ。その顔に、スロースは見覚えがあった。
「お前っ、ミシェル……っ!」
「正解〜。店の従業員のフリして潜入してたの。似合うでしょ?」
アントニーをスロースの部屋まで手引きしたのも、この男の仕業だろう。
ミシェルはランドール王国騎士団でも、主に潜入工作を得意とする特殊な小隊に所属している。
そして、アントニー、ミシェルとくれば、もう一人……。
「ねぇ、うちのワンコを苛めないで?」
ミシェルと反対側から姿を見せたのは、ふわふわと揺れる黒髪の、おっとりした雰囲気の青年だった。
こんにちは、と笑顔で話しかけられたら、十人中九人は「はいどうも、こんにちは」と声を返したくなるような、話しかけやすそうな雰囲気の優しげな青年である。
……ただ、その手には、優しげな笑顔に不釣り合いな黒革の鞭を手にしていた。
犬飼いのテオドールと呼ばれるこの男は、軍用犬のスペシャリストであり、犯罪者の尋問を得意とする隊の若きエースだ。
愛犬家の彼は、決してその鞭を犬に振り下ろすことはしない。
あの鞭は、対人間用だ。
「アントニー兄さんが来てる時点で、俺らも来てることは分かってたでしょぉ?」
「ふふっ、『イレーネ』って、においが独特だから……探すのは、そんなに苦労しなかったよ。うちのワンコ達は優秀だからね」
女に喜ばれそうな甘い顔に意地悪な笑みを浮かべるミシェルと、ニコニコ笑いながら鞭を握りしめるテオドール。
この二人に挟まれたスロースは、絶望に満ちた顔でその場に跪いた。
ランドール王国騎士団の名物隊員を前に、スロースにできることは、最早命乞いしかないのだ。




