【15】駆けつけた男
今からおよそ五年前、メリッサが史上最速で七賢人をクビになり、弟のラウルが五代目〈茨の魔女〉になった時、ラウルの存在は国中で話題になった。
初代〈茨の魔女〉によく似た美貌と莫大な魔力を持ち、弱冠十六歳という史上最年少の若さで七賢人になった、名門ローズバーグ家の天才少年。
「史上最短」の姉と「史上最年少」の弟は、魔術師界隈では大体セットで語られていたものである。
ところがその一年後、史上最年少の記録を書き換えた天才少女がいた。
当時十五歳だったその少女の名は、〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレット。
世界で唯一の無詠唱魔術の使い手であるこの少女は、ウォーガンの黒竜とレーンブルグの呪竜という二大邪竜を撃退し、そして、呪われた第二王子の嫌疑を晴らした、リディル王国の英雄だ。
その英雄が、メリッサの目の前で舌を噛んだモニモニほっぺのおちびだなんて、誰が信じられるだろう。
「……人間なのに、詠唱してない? 何故?」
ヴェロニカが不思議そうに呟き、スロースが舌打ちする。
「まさか、他の七賢人まで引き連れてきてやがるとはな……ヴェロニカっ、速攻で仕留めろ!」
スロースの怒声に、ヴェロニカは一つ頷き、細い指先をモニカ達に向ける。途端に水色の光の粒子が、パッと周囲に散らばった。
小さな粒子は一粒一粒が氷の粒だ。それがたちまち膨れ上がり、細身の短剣になる。
繊細で美しい装飾を施した、芸術品のような短剣が数十本。それが一斉に降り注いだ。
モニカは顔色一つ変えずに、片手を前に差し伸べる。それだけで、周囲に防御結界が発動した。
(これが、無詠唱魔術……!)
噂には聞いていたが、実際に目にすると驚かずにはいられない。
結界術は属性魔術とは異なる独特の術式だ。習得にはそれなりに時間がかかる。それすらも〈沈黙の魔女〉は無詠唱でこなしているのだ。
上位精霊と一対一で戦える魔術師なんて、そうそういるものじゃない。
メリッサの知る限り、戦闘に長けた魔術師と言えば現七賢人の〈砲弾の魔術師〉だが、〈砲弾の魔術師〉は一撃の威力が高い代わりに、詠唱に時間がかかる。大型の竜と戦うのは得意だが、身軽な精霊と一対一で戦えば、まず負けるだろう。
まともに精霊と戦えると言ったら、元七賢人〈雷鳴の魔術師〉の全盛期か、或いは七つの魔術を同時に操る〈星槍の魔女〉ぐらいか──どちらもリディル王国史上に名を残す、傑物だ。
そして、そんな傑物達に並ぶのが、目の前にいる小さな少女なのである。
モニカは防御結界を維持しながら、炎の蛇を生み出してヴェロニカを狙う。その魔術の精度の高さに、メリッサは密かに舌を巻いた。
下手な魔術師があれだけの炎を操ったら、家具に燃え移りそうなものなのに、モニカが操る炎の大蛇は、一切の無駄なく、ヴェロニカの攻撃だけを焼き尽くしている。非常に精緻で、計算された魔術だ。
(……現状は、五分五分に見えるけど)
〈沈黙の魔女〉と上位精霊──共に詠唱を必要としない者同士。
モニカの方が魔術のバリエーションが豊富なのに対し、ヴェロニカは魔力量が圧倒的に多い。長期戦になれば、モニカの方が不利だ。
モニカを援護したいが、メリッサはそろそろ魔力が底をつきかけている。下手に介入できず焦れていると、ラウルが茨に手を添えて詠唱を始めた。
「姉ちゃんのバラ、借りるぜ!」
「あっ、こら、勝手に使うな馬鹿弟!」
「だって非常事態じゃんか!」
ラウルが詠唱を終えると、メリッサの周囲を囲っていたバラの蔓は恐ろしい速さで成長し始める。
やっていることはメリッサと同じだが、込められた魔力の量が桁違いなのだ。
五代目〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグは、現存する魔術師の中で最も魔力量の多いバケモノである。
その膨大な魔力を惜しみなく注ぎ込まれたバラは、部屋の半分を覆うほどに成長していた。
モニカの炎の蛇と、ラウルの茨、両方に狙われても、ヴェロニカは眉一つ動かさずに、氷の短剣で同時攻撃を捌く。
ヴェロニカが細い指先を振るう度に、氷の短剣が宙を踊る。
ヴェロニカの作る氷細工はどれも繊細で美しく、一つ一つが芸術品のようだった。
それを茨の鞭が、炎の蛇が粉砕していく。氷の破片がキラキラと煌めきながら飛び散っても、ヴェロニカは顔色一つ変えない。
メリッサは茨を操るラウルに耳打ちする。
「馬鹿弟、ちょっとは頭を使いな」
「へ? 頭突き?」
なんでこのスットコドッコイが七賢人になれたのだろう、としみじみ思いつつ、メリッサはラウルの頭を小突いて、邪悪に笑った。
「あの女が契約精霊なら……狙うのは、あっちでしょ?」
* * *
ラウルが茨で加勢してくれたことで、モニカに少しだけ余裕ができた。
モニカは防御結界を解除し、炎の大蛇と、風の刃を同時展開してヴェロニカを狙う。
目に見える脅威の大蛇と、見えない風の刃の同時攻撃はそれなりに有効で、風の刃がヴェロニカの服や肌を切り裂く。
切りつけられた白い肌から血が流れることはなく、その代わりに光の粒がホロホロと零れ落ちていた。精霊は魔力の塊だから、傷つけられたところから魔力が流れ出すのだ。
(あれは、どれぐらいのダメージになってるんだろう……)
モニカには精霊との戦闘経験が無い。そもそも精霊と戦闘になど、滅多になるものではない。
モニカが知っている上位精霊と言うと、ルイスの契約精霊であるリィンズベルフィードと、アイザックの契約精霊であるウィルディアヌだが、同じ精霊という括りでも、得意としていることがだいぶ異なるのだ。
更に言うなら、同じ上位精霊でも生きた年月で強さが異なってくる。
……端的に言うと、古くから存在している精霊ほど強いのだ。
(この精霊、強い……というか、魔力の扱い方が、すごく巧い)
モニカに降り注ぐ氷の短剣は、非常に精緻な細工が施されている。魔力で作った氷にこんな細工を施すなど、人間の魔力操作技術ではまず不可能だ。
無論、優れているのは細工だけではない。氷の短剣の軌道や、速度の強弱なども含めて、ヴェロニカの技術は非常に巧みなのだ。
上位精霊の中でも、かなりの古参ではないか、というのがモニカの推測である。
「詠唱のいらない人間、初めて見た。珍しい」
ヴェロニカはポツリと呟き、右手を宙に掲げる。
その手に水色の光が集いだした。その魔力の圧力に、モニカは息をのむ。
今までは技術で戦っていたヴェロニカが、ここにきて、威力重視に切り替えたのだ。
「珍しいけど……これで、おしまい」
「ちょいと、お待ち!」
ヴェロニカの声を遮ったのは、メリッサだった。
ヴェロニカとモニカが声の方に目を向ければ、そこには茨で絡め取られたスロースの姿が。
スロースは茨の棘に顔を歪めながら、悪態を吐いている。
「くそっ、いってぇぇっ! 離せっ! 離しやがれ、このクソアマがっ!」
「あーら、口の悪い男だこと……その口に茨をねじ込まれたくなけりゃ、黙ってな」
そう言ってメリッサは、真っ赤な爪をスロースの眼球に突きつける。もはや、どちらが悪人か分かったものじゃない。
メリッサはパサパサの赤毛をかきあげると、真っ赤な唇を吊り上げて笑った。
「さぁ、そこの性悪精霊! あんたのご主人様の命が惜しけりゃ、降伏しな!」
「すごいぜ、姉ちゃん。盗賊のボスみたいだ」
「……あんたも血祭りにあげるわよ?」
メリッサはラウルをジロリと睨んでから、ヴェロニカに目を向ける。
ヴェロニカは眉一つ動かさず、メリッサとスロースを凝視し……。
「そう」
それだけ言って、手のひらを前に突き出す。
最大級の冷気が、氷の刃を伴って吹き荒れた。モニカは咄嗟に攻撃を放棄し、防御結界を二重に貼る。それでもなお、背筋の凍るような冷気が髪を揺らし、額を、頬を撫でた。
茨に絡め取られたスロースが、目を剥き叫ぶ。
「おい、ヴェロニカっ! 命令だ! 俺を助けろっ!」
「…………スロースは、もう用済み」
ボソリと呟いた言葉は、あまりにも無慈悲だった。
ヴェロニカは蔑むでも憐れむでもなく、心の底からどうでも良さそうに、スロースを見る。
ヴェロニカから吹く強い冷気は止まない。それなのに、更にヴェロニカは氷の剣を十本ほど生み出した。
あの氷の剣が降り注いだら、モニカの防御結界でも防ぎきれない。
ラウルの茨は氷の剣を食い止められるが、冷気までは防げない。
「わたしの正体を知った人間諸共、ここで消えるがいい」
最大級の冷気と共に、氷の剣が降り注ぐ。
モニカは二つの結界を交互に繰り出すことで、氷の剣の威力を殺そうとした。
薄い紙を何枚も重ねるように、一つの結界が壊れたら、すぐに次の結界。また結界が壊れた次の結界、と防御結界を何度も何度も張り直すのだ。
無詠唱のモニカだからこそできる荒技だが、当然に魔力の消費が激しいし、集中力を必要とする。
モニカは人間離れした集中力で結界を張り続けながら、同時に計算した。
あと、何回防御結界を張れば、ヴェロニカの攻撃を完封できるか……。
──百八十二回。
あと、百八十二回、防御結界を繰り出せば防ぎ切れる──が、当然その前にモニカの魔力は尽きてしまう。
(……ダメ、このままじゃ、保たない……っ)
モニカが絶望に青ざめたその時、キィンと硬質な音が室内に響いた。
それと同時に、床から何かがせり上がる。それは氷の壁だ。分厚い氷の壁が、モニカ達をヴェロニカの冷気から守ってくれている。
これだけ強力な氷魔術の使い手なんて、モニカには一人しか思い浮かばない。
モニカは目を見開き、扉の方に目を向ける。
高威力の氷の魔術でモニカ達を救ってくれた、その人物は……。
「ご無事かーっ、ご婦人! 安心するがいい! この俺が来たからには、もう大丈夫だ!」
扉の前では、氷の魔法剣を床に突き刺した体勢で、黒髪の大男──アントニーが手を振っている。
メリッサが半眼で「……なに、あの暑苦しいの」と呟いた。




