【10】一方その頃
とある田舎の片隅、長閑な丘陵地帯にメイウッド男爵邸はある。
視界を遮るものが無い広々とした丘には、羊や牛が放し飼いされていて、羊達はメェメェと鳴きながら草を食み、牛達はモゥモゥと鳴きながら草を食み、ラナ・コレットは「もうもう」と泣きながら、男爵邸の茶室でスコーンをやけ食いしていた。
「もうっ、クリフの馬鹿っ! 本当に馬鹿っ! もうっ、もうっ!」
怒りながらスコーンを食べるラナの向かいの席で、メイウッド男爵家の嫡男ニールの妻、クローディア・メイウッド夫人は、陰鬱な空気を撒き散らしながらハーブティーを啜った。
「……つまり、浮かれた新人商会長が、うっかり秘書の前で口を滑らせたせいで、自分の恋心に無自覚だった誰かさんに自覚を促してしまった……」
クローディアはティーカップをソーサーに戻すと、心の底からくだらないと言わんばかりの顔で一言。
「……まるで笑劇ね」
その笑劇の発端となってしまったラナは、口元をナプキンで拭いながら、力無く項垂れる。
「もう、ほんっっっと、モニカには悪かったと思ってるのよ……あぁ、まさか、クリフがあんなこと言うなんて……」
新作ローブのお披露目会の後、クリフォードのせいで恋心を自覚してしまったモニカは、ラナが何を言っても上の空だった。
本当なら、そんなモニカにフォローをしながらサザンドールに戻りたかったのだが、ラナは他の商談があったので、モニカと一緒にサザンドールに戻ることができなかったのだ。
その後、商談を終えたラナは、クリフォードに先にサザンドールに戻るように命じ、自身はメイウッド邸のクローディアの元を訪れた。
ラナはモニカのことを、誰かに相談したかったのだ。とは言え、モニカはその周囲の人間も含めて、素性と事情が非常に特殊である。誰にでも相談できるようなことじゃない。
事情を知っていて、口が硬いクローディアが、相談の相手には最適だったのだ。
「そりゃ、モニカにはいつかは自覚してほしいとは思ってたわよ? でも、だからって、あんな形で……あああ……ねぇ、貴女のお兄さんは、モニカのことを、何かこう……意識してるような素振りとかはないの?」
「……他家に嫁いだ私が知るわけないでしょう」
クローディアは心底どうでも良さそうな顔をしている。
そんなクローディアの投げやりな態度が面白くなくて、ラナは膨れっ面をした。
「なによ、貴女はモニカを応援してるんじゃないの?」
「……他人の恋愛事情なんてどうでもいいわ。お兄様がハイオーン侯爵家を食い潰す馬鹿女と結婚するよりは、性格に難ありのどこかの誰かさんの方がマシってだけよ」
そういう意味では、少し前に縁談の話が出たベルスティング侯爵家のオーレリア・ハーヴェイ嬢との縁談は、クローディアにとって決して悪い話ではなかったのだろう。
オーレリア嬢は控えめな性格で優秀だと評判の令嬢だ。
そんなオーレリア嬢との縁談が破談になったのなら、やはり、シリルはモニカを意識しているのではないか、とラナは思っている。
ラナはモニカの押しかけ弟子が、モニカに好意を寄せていることを知っていた。
そんな彼を否定するつもりはないが、それでもやっぱりラナとしては、友人であるモニカの気持ちを大事にしたいのだ。
「オーレリア嬢との縁談は、破談になったのよね?」
「……正確には、破談寄りの保留。理由についてはぼかされていて、いろんな噂が飛び交ってるけど」
オーレリア嬢もシリルも、どちらも縁談については「自分には勿体ない相手だ」と言うだけで、それ以上は何も語らない。
だから余計に、周囲はあの二人の間に何かあったのではないかと邪推してしまうのだ。
ラナは腕組みをしてしばし考える。
クローディアとはなんとなくダラダラ会話をしていても、有益な情報は得られない。
ならば、欲しい情報にポイントを絞るべきだ。
「貴女のお兄さんって、今まではどんなタイプの人と付き合ってきたの?」
シリルの好みのタイプが分かったら、さりげなくモニカにアドバイスができる。
もし、髪型や化粧、服装の好みが聞き出せたらしめたものだ。その辺りはラナの得意分野である。
……が、クローディアは天気の話題よりもどうでも良いという顔で、ボソリと言った。
「……知るわけないでしょ。あの人、養子になってから、ずっとガリガリガリガリ勉強ばっかりしてたんだから」
「で、でも、貴女のお兄さん、女性のエスコートは完璧じゃない!」
反論するラナに、クローディアは唇の端を持ち上げて、ニタリと邪悪な魔女のように笑う。
「……エスコートだけはね。教本通りの行動しかできないから、気の利いた会話ができなくて幻滅されるタイプだわ……さりげなく気の利くニールって素敵ね」
「流れるように惚気たわね。そういえば、今日は貴女の旦那様はお留守なの?」
クローディアの夫、ニール・クレイ・メイウッドは、セレンディア学園を卒業後、調停官である父の仕事を手伝っている。
今日も屋敷に見かけないので、きっと調停の仕事に出ているのだろう、というラナの予想は当たりらしい。
クローディアは椅子の背もたれにぐったりと背中を預けると、糸が切れた人形のようにガクンと上半身を傾けた。
「……ニールは調停の仕事よ……しかも、今回の仕事先には、あの女……外交秘書官のブリジット・グレイアムがいるのよ。かつての生徒会役員同士の再会、盛り上がる会話……あぁ、不穏だわ」
「貴女の発想の方が不穏よ。そんなに浮気が心配なら、付いていけば良かったじゃない」
ニールが仕事で屋敷を留守にする時、クローディアがニールに同行していることをラナは知っている。
訪ねておいてなんだが、今回もクローディアは留守かもしれない、ぐらいに思っていたのだ。
そんなラナに、クローディアは頬にかかる黒髪を指で摘まみながら、ボソリと呟いた。
「……仕方ないでしょ。ニールが『身重の奥さんを連れてはいけません』って言うんですもの」
「へぇ、身重の………………って、えぇっ!?」
ラナは思わずクローディアを凝視した。
相変わらずスレンダーな長身だが、そう言えば今日は着ている服が腹部を締め付けない、ゆったりとしたデザインである。
口をパクパクさせるラナに、クローディアは腹を撫でながら静かに呟く。
「ハイオーン侯爵家は、貴女が思っているより特殊な家系よ。その血を継いでいる人間には、厄介な因縁がついて回る……だから、そうね。強かすぎるぐらいが、丁度良いのよ」




