【6】お姉さんとおちび
甘い香りが漂う港町を、四代目〈茨の魔女〉メリッサ・ローズバーグはげんなりした顔で日傘をさして歩いていた。
「あー、ヤダヤダ。港町って潮風で髪が軋むし、いやんなっちゃう」
胸元の大きく開いた薔薇色のドレスを身につけ、華やかな薔薇の髪飾りを身につけているメリッサは裕福そうに見えるのだろう。さっきから、やたらと物乞いやら飴売りやらに声をかけられる。
それらをシッシと手を振って雑に追い払い、メリッサは手の中の日傘をくるりと回す。
メリッサがこのサザンドールにやってきたのは、とある仕事のためだった──正確には「自分がやらかしたことの後始末」と言った方が正しい。
正直、これっぽっちも気乗りしないが、ローズバーグ家の老人達から破門をチラつかされているのだ。この仕事を片付けなくては、家に帰るに帰れない。
あぁ、可哀想なアタシ! とメリッサが天を仰ぐと、視界の端に何やら見覚えのある顔が映った。
まさかまさか……と目を細めたメリッサは、人混みの中、一際目を惹く二人組を見つける。
一人は薔薇色の巻き毛に緑色の目の、美貌の青年──メリッサの弟である、五代目〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグ。
そしてもう一人は、長いプラチナブロンドを首の後ろで括った、細身の青年……。
(きゃーーーーーっ! あのお方は……シリル様っ!!)
ラウルからさりげなく聞き出した情報によると、彼の名前はシリル・アシュリー。
アシュリー家の養子の身でありながら、次期侯爵の地位が約束されている有望株なのだとか。
かつて貴族の中には、家督を継ぐ条件に魔術の才能を必要とした家がいくつかあった。他でもないローズバーグ家がそうだ。
それ故に、血縁者で魔術の才能があれば、養子でも家督を継ぐことがあっさり認められていた時代がリディル王国にはあったのである。
今はそこまで魔術を偏重する時代ではないので、養子に爵位を譲るなど、そうそうある話ではない。
だが、ハイオーン侯爵はわざわざ各方面に掛け合うまでして、それを強行したのだとか。
(それってつまり、それだけシリル様が優秀ってことよね! やだ素敵!)
それにしても、何故シリルと愚弟がこのサザンドールにいるのだろう。
ハイオーン侯爵領で植物の魔力付与研究をしていることは知っているが、サザンドールに何か用事でもあるのだろうか?
いつも野良着の上にローブを引っ掛けているラウルが、今日はそれなりにパリッとした服を着ているから、これから畑仕事をしに行くわけではなさそうだ。
メリッサは目立つ日傘を畳むと、物陰に隠れながらシリルとラウルを尾行する。
二人が向かったのは住宅街のようだった。豪邸とまではいかずとも、そこそこ小綺麗な家が多いから、アッパーミドル層の多い場所なのだろう。
ラウル達が足を止めたのは、その中でも比較的こぢんまりとした家だった。あの家に用事があるのだろうか?
ラウルとシリルの二人で訪ねるとなると、魔力付与研究の出資者か研究者と考えるのが妥当だ。家の規模から考えるに、出資者ではなく研究者側の人間だろう。おそらくは魔術師だ。
(でも、サザンドールに有力な魔術師が居を構えたって話は聞かないのよね。あんまり有名な奴じゃないのかしら)
史上最短でクビになった七賢人──という不名誉極まりない肩書きのメリッサだが、腐っても名門ローズバーグ家の人間である。国内の有力な魔術師は一通り所在を把握している。
メリッサが知らないとなると比較的若手か、或いは住居を転々としているタイプのいずれかだろう。
これはメリッサの偏見だが、研究者肌の魔術師なんてだいたい偏屈で、陰気な場所に住みたがるものである。こんな賑やかな港町の日当たりの良い一等地に、居を構えたりはしない。
一体、どんな人間が住んでいるのだろうか、とメリッサは物陰に隠れながら、ラウル達の会話に聞き耳を立てる。
「うーん、困ったなぁ。留守みたいだなぁ」
「事前に行くと手紙で伝えたのだろう?」
「あ、悪ぃ、忘れてた」
「…………」
どうやらラウルが、やらかしたらしい。
あぁ、うちの馬鹿弟がごめんなさいシリル様ぁん……とメリッサは、無言で左手のひらに右の拳を打ちつけた。後で愚弟を小突くための素振りである。
「とりあえずさ、その辺ブラブラして、もう少ししたら、また来ようぜ!」
「……あぁ、猫もいないようだしな」
「まさか、魚……」
「そんな目で見るな! 干した小魚を一つだけだ!」
ラウルとシリルは軽口を叩きながら、歩きだす。
メリッサは慌てて後を追いかけた。だが、慣れない街で更にこの人混みである。道の角を一つ曲がったところで、メリッサは二人を見失ってしまった。
「あ〜〜〜〜、もうっ!」
メリッサは赤く染めた爪をガリガリと噛みながら考える。
シリルとお近づきになる折角のチャンス。逃すわけにはいかない。もうこの際、仕事なんて二の次、三の次だ。
とは言え、メリッサには土地勘が無いし、このサザンドールに知人もいない。
唯一分かっているのは、ラウルとシリルが訪ねた家の場所だけ……ともなれば、やるべきことはただ一つ。
メリッサは大股で来た道を引き返すと、先程ラウル達が訪ねた家の前で日傘を広げた。
この家の主人が何者かは知らないが、どうやらラウルとシリルの知り合いらしい。
ならば、その主人と面識を作って、シリルに自分を紹介してもらうのだ。
そうしてメリッサが扉の前に立ち、家主の帰宅を待ち続けること数十分。
短気なメリッサの限界が早くも訪れようとした頃、一人の少女がこちらに向かってやってきた。
薄茶の髪を編んで一つにまとめている、地味で素朴な顔立ちの、パッとしない小娘である。
少女はメリッサに気づくと、内気そうな顔に不安の色を乗せて、口を開いた。
「あのぅ……この家に、ご用で、しょうか……」
ボソボソと聞き取りづらい声に、オドオドした態度が気に入らないが、メリッサは大人なので、とりあえず今は大目に見てやった。
(……見たところ、この家の使用人ってとこかしらね)
流石にこの子どもが家の主人という訳ではないだろう。
見るからに下っ端オーラが出ているし、間違いない、とメリッサは確信する。
「ねぇ、あんたの主人に用があるんだけど、いつ帰ってくんの?」
「しゅ、主人? あのぅ、なんのことか、よく……」
どうやらこの少女は、主人の予定も把握していないほどに下っ端も下っ端らしい。大方、洗濯メイドあたりなのだろう。
さて、どうしたものか、とメリッサは鼻から息を吐く。
メリッサがこのサザンドールに来たのは仕事のためだが、正直、もうメリッサは仕事に対するやる気を無くしていた。せっかく、いろんな魅力的な品で溢れる港町に来たのだ。美味しい魚料理を食べて、ショッピングの一つでもしなくてはやってられない。
即物的で自分の欲求に正直なメリッサの今の優先順位は、
最優先:食事とショッピング
第二優先:シリル様とお近づきになる
後回し:仕事(という名の後始末)
……である。
そこでメリッサは考えた。だったら、仕事をするという名目のもと、食事とショッピングを楽しみつつ、シリル様とお近づきになる方法を考えれば良いのだ……と。
「ねぇ、おちび。あんた、名前は?」
少女は「おちび」発言に軽く打ちひしがれたような顔をしつつ、指をこねながらか細い声で言った。
「えっと、モ、モニ……モニカ・エヴァ……」
「じゃあ、モニモニ」
「モニっ!? あ、あのっ、モニカ! モニカですっ!」
少女改め、モニカは大慌てで主張するが、メリッサはこの手の小娘を苛めるのが大好きなので、耳をほじりながら「うっさいわね」とモニカの主張を一蹴した。
「アタシの前でモニモニ鳴いたんだから、あんたはもうモニモニよ。みっともなくモニモニ鳴いた自分を恨むのね」
「そ、そんな……」
涙目で打ちひしがれている少女に気分を良くしつつ、メリッサは赤毛をかきあげてニッコリ微笑んだ。
「モニモニ、あんた、ちょっとアタシにサザンドールを案内しなさい」
「えっ、な、なんで……」
「アタシはこの家の主人に用事があるのよ。つまり客人。ならば、あんたにはアタシをもてなす義務があるわ。そうでしょ?」
モニカは口をパクパクさせながら「あの、わたしに……」とか「ご用件は……」と、か細い声で言っていたが、今日の昼食について考えているメリッサの耳には届かない。
「ほら、とっとと行くわよ、おちび。まずは食事できる店に案内しなさい。一応言っておくけど、この港町で魚料理以外の店に案内したら、はっ倒すわよ」
そう言ってメリッサはスタスタと数歩歩き、足を止めてモニカを振り返り怒鳴る。
「遅い! なにグズグズしてんの!」
「ま、待ってください……っ、えっと、あの、お名前……」
そういえばまだ名乗っていなかったな、と思い出したメリッサは、ニヤリと赤い唇を持ち上げて笑い、舞台女優さながらに気取った仕草で、パサパサの赤毛をかきあげた。
「そうね、アタシのことは、綺麗でカッコいいメリッサお姉さんとお呼び!」




