【3】共通点:姉妹が強い
ハイオーン侯爵邸にて、〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグと共に共同研究の成果をまとめていたシリルは、作業が一段落したところで、紅茶を飲みながら深刻な顔で切りだした。
「……私は嫌われているのかもしれない」
ラウルは茶請けのクッキーを口いっぱいに頬張りながら「誰に?」と訊ねる。
シリルは少しだけ眉を寄せ、苦い顔で口を開いた。
「モニカの……」
「モニカの?」
「家の猫に」
ラウルは指についたクッキーの屑を行儀悪く舐めながら、首を捻る。
「モニカ、猫なんて飼ってたっけ?」
「黒猫だ。たまに見かける」
シリルはサザンドールのモニカの家に行った際に、何度かその猫を目撃していた。
あの黒猫は特にアイザックに懐いているらしく、アイザックが食事の用意をしていると、よく足元でじゃれついている。
こっちに来ないだろうか、あわよくばちょっと撫でさせてくれないだろうか……とシリルは密かに期待しているのだが、あの黒猫はシリルが近づくとすぐに戸棚の上に飛び乗るか、二階に逃げてしまうのだ。
理由は分かっている。まだシリルがモニカの正体に気づいていなかった頃、魔力過剰吸収体質故に魔力を暴走させたシリルは、正体を隠したモニカと戦闘になったことがある。その時に、シリルは魔導具のブローチを奪ったあの黒猫を本気で攻撃してしまったのだ。
あの時は頭に血が上っていたのだ……などと言っても、猫に通じる筈もない。きっと、自分はあの猫に怖がられているのだろう。
「……前回は、こっそりポケットに干した小魚をしのばせていったのだが、あの猫は近寄りもしなかった」
「シリルさ、オレがポケットに野菜入れてると変な顔をする癖に、自分はポケットに魚入れてたのかよ」
唇を尖らせるラウルを、シリルはギラリと睨みつけた。
シリルが小魚をしのばせていたのは、モニカの家に行く時だけである。城やパーティにまで野菜を持ち込む男に揶揄われるのは不本意だ。
不機嫌なシリルの感情の昂りに反応して、ほんの少しだけ冷気混じりの魔力が漏れ出す。
そんなシリルの襟元のブローチを見て、ラウルがボソリと言った。
「シリルが動物に嫌われるのって、魔力を放出してるからじゃないか? 動物は案外、魔力に敏感だし」
「くっ、やはり、これか……」
シリルはブローチを握りしめて項垂れる。
魔力過剰吸収体質のシリルは、このブローチ型の魔導具で定期的に体内に溜まった魔力を体外に排出している。そのため、シリルのそばは少しだけ魔力濃度が濃いし、排出される魔力は彼の得意属性である氷の魔力に変換されているので、少しヒンヤリしているのだ。
思えば、幼少期のシリルはそこそこ動物に好かれる少年だった。動物に避けられるようになったのは、魔術を学び始めた頃だ。
「事前に魔術を使って、体内の魔力を減らしてから接近するべきか? ……或いは夏場なら、涼しさを求めて近寄ってくるのでは……あとは、魚の種類を変えて……今度、モニカにあの猫の好物をそれとなく訊いてみるか?」
大真面目な顔でブツブツと呟くシリルは知らない。
かのウォーガンの黒竜は魚より肉派で、ついでに言うと暑さに強いが、寒さに弱いのだということを。
シリルが猫と仲良くなる方法を真剣に考えていると、紅茶を飲み終えたラウルがポツリと呟く。
「モニカと言えばさ、オレ、ちょっと気になってることがあるんだ」
いつも陽気に笑っているラウルが、今はやけに真面目な顔をしていた。
だがラウル・ローズバーグは、大真面目な顔でしょうもない提案をすることに定評のある男である。
きっと「気になっていること」というのも、大したことではないのだろう。
そう高を括るシリルに、ラウルは低い声で言う。
「モニカさ、この間のパーティで……泣いてたんだ」
シリルは思わず真顔になった。
「……貴様が悪役令嬢役なんぞをやらせたからだろうが」
「違う違う! その前! モニカと合流する前にさ、モニカ、廊下で一人で泣いてたんだよ」
「なに?」
小心者で臆病なモニカは割とすぐにヒンヒンベソベソ泣くので、モニカが泣いていることは然程珍しくはない。だが、一人で泣いていた、というのが引っかかる。
「レイの騒動が落ち着いた後でさ、こっそり『どうしたんだ?』って訊こうと思ってたんだけど、モニカはあの後すぐに帰っちゃって、声をかけられなかったんだよなぁ」
モニカがすぐに帰宅してしまった理由については、シリルにも心当たりがあった。
その心当たりを思い出し、シリルの顔がさぁっと赤くなる。
〈深淵の呪術師〉の暴走の後、モニカのドレスがはだけてしまった事件──モニカが慌てて帰宅したのは、おそらくそれが理由だ。
(思えばあの時、モニカは私に何かを言いかけていた……あれはきっと、私に何か相談があったのではないか?)
あの時、シリルは使用人にモニカのドレスを届けさせた後でモニカの姿を探したが、モニカはドレスを着替えてすぐにパーティ会場を後にしたと使用人から言われた。
だから、シリルはあれ以降、モニカと言葉を交わしていない。
(あれはモニカが泣いていたことと関係ない……はず、だが、悩みを抱えている時に、そんなことが重なって、ますます落ち込んだのでは……)
モニカのドレスがはだけた件は完全に事故だが、そもそも馬鹿げた悪役令嬢作戦とやらをシリルが止めていれば、モニカはあんな派手で脱げやすいドレスを着る必要などなかったのだ。
そう考えると、シリルにも責任の一端が有る気がしないでもない。
勿論、紳士のシリルはすぐにモニカから目を逸らしたので、ほんのちょっとしか見ていないけれど、男性の前であんな格好になったモニカが、酷く落ち込んでいたらと思うと流石に罪悪感が湧いてくる。
あの日の出来事を思い出し、シリルが頭を抱えていると、ラウルが珍しく真面目な顔で訊ねた。
「なぁ、あの日、モニカが泣いてた理由……シリルは何か心当たりあるか?」
「違う! 私は断じて何も見ていないッ!!」
「……見てないって、何を?」
ラウルの疑問の声をシリルは黙殺し、ゴホンと咳払いをした。
「とにかく、モニカがパーティの途中で泣いていたのは、間違いないんだな?」
「あぁ、それでさ。友達が落ち込んでたら、元気づけてやりたいだろ? 何か良いアイデアないかな?」
「私に、その手のアイデアを期待されても……」
苦い顔をするシリルに、ラウルが言い募る。
「例えばほら、シリルには妹がいるんだろ? 妹が元気なかったら、何をしたら喜ぶ?」
「…………」
シリルの血の繋がらない妹クローディアは、そもそも普段から元気溌溂とした令嬢ではない。常に陰気な空気を振り撒く美女である。
そんなクローディアが憂いのため息をついていたとして、何をしたら喜ぶか?
もし、クローディアに何をして欲しいか訊ねたら、きっと彼女はこう言うだろう。
『……そう、優しいのね、お兄様………………じゃあ、心の底からお願いだから何もしないで』
シリルは腕組みをし、眉間に皺を刻んでラウルを見た。
「クローディアとモニカはタイプが違いすぎて参考にならん。貴様こそ、姉がいるのだろう? 姉が落ち込んでいた時、どうするんだ?」
「えっ、姉ちゃんが落ち込んでたら? ……うーん、間違いなく八つ当たりしてくるから、オレはさっさと逃げるかな!」
「なんだそれは、まるで参考にならんではないか」
「うちの姉ちゃんも、モニカとは全然タイプが違うんだよ。だいたい酒飲んで寝れば元気になってるし」
このままでは埒があかない。
二人は一旦、各々の姉妹のことから離れて、モニカのことを考えることにした。
そもそも、モニカが泣いていたということは、きっと何か悩みがあるのだろう。ならば、まずは相談に乗ってやるというのが妥当ではないだろうか。
話を聞いてみたら、案外大した悩みではないかもしれない。なんなら、自分が力になってやればいい。
「次の祝日辺りにでも、モニカの家に行って相談に乗ってやるというのはどうだ?」
「次の祝日というと……あぁ、『アッシェルピケの祭日』か!」
アッシェルピケとは、リディル王国の古い伝承に出てくる氷の精霊の名前だ。
氷の精霊アッシェルピケは、綺麗な氷像を作るのが好きだった。だが、春になると綺麗な氷像は全て溶けて消えてしまう。
それを悲しんだアッシェルピケが泣きじゃくると、たちまち周囲は吹雪に覆われてしまった。このままでは、春が訪れなくなってしまう。
そこでアッシェルピケの友人である白竜は、人間に化けて人里に下り、アッシェルピケが喜ぶようなプレゼントを探すのだ。
そうして白竜が見つけたのは、氷のように綺麗で美しい飴細工。
白竜は友人のアッシェルピケに、美しい飴を差し出してこう言うのだ。
──ピケ、ピケ、泣かないで。溶けない氷をあげるから。
白竜が贈った美しい飴に、アッシェルピケは喜び、その涙と同時に吹雪もピタリとやんだ。
こうして、その年も無事に春を迎えることができたのだった。
……という伝承にちなみ、『アッシェルピケの祭日』には、親しい人間に飴を贈り合うという習慣がある。
「そうだ、どうせなら、モニカに綺麗な飴を持っていってやろうぜ!」
「『ピケ、ピケ、泣かないで。溶けない氷をあげるから』か」
シリルが伝承の台詞を口にすると、ラウルは「そうそれ!」と満面の笑顔で頷く。
「オレ、バラのキャンディでも作ろうかな……ところで、伝承では飴のことを『溶けない氷』って言うけど、飴って口に入れたら溶けるよな」
「きっとアッシェルピケは、その飴を食べずに飾り続けたんだろう」
「それ、虫がたからないかなぁ……」
「風情がないことを言うな」
ラウルの軽口に応じながら、シリルは自分もモニカに飴を買っていってやろうと密かに考える。
モニカはどんな飴が好きだろう。どうせなら、綺麗な色の飴が良い。
──ありがとうございます、シリル様。
モニカが眉をへにゃりと下げて、はにかみながら礼を言うところを想像したら、シリルの口の端は無意識に小さく持ち上がるのだった。




