【10】沈黙の魔女は頼られたい
一行が移動した先は、ラナのフラックス商会の応接間だった。
商会の従業員達はとっくに帰宅しているので、ラナは自分でお茶の用意をする。
本来は秘書であるクリフの役目なのだが、クリフは「お茶なんてどれも葉っぱ味だ」という味覚の持ち主なので、紅茶の用意など任せられない。
「人数が多いから大変だろう。手伝うよ」
キッチンで茶の用意をしているラナに声をかけたのは、アイザック・ウォーカーだった。
ラナはぎこちなく微笑み、首を横に振る。
「いいえ、どうぞお寛ぎになっていてください」
アイザックはラナに対して親しげに振る舞うが、ラナは彼に対してどんな態度を返せば良いのか、いつも密かに悩んでいる。
何せ彼の表の顔は、この国の第二王子フェリクス・アーク・リディルなのだ。
だが、お忍びでモニカの押しかけ弟子をしている彼を「殿下」と呼んで、王族向けの対応をしては、彼の正体が周囲にバレてしまう。それは、アイザックもモニカも望むところではないだろう。
だからラナはアイザックに対して、友達の兄にするような態度を通している。
(……まぁ、「兄」だなんて、この人は不本意でしょうけど)
アイザックとモニカの関係は、非常に複雑だ。ただ、アイザックがモニカを慕っているのは間違いない。
そのあたりについて、ラナはあまり口出しをしないよう心掛けている。勿論、モニカから相談されたら、力になるのはやぶさかではないが。
ラナは湯を注いだポットの蓋を閉めると、改めてアイザックに向き直り、頭を下げた。
「あの、クリフが……わたしの秘書クリフォード・アンダーソンが、大変失礼しました。商会長として、お詫び申し上げます」
「アンダーソン? ……もしかして、彼はアンダーソン商会の人間かい?」
「え、えぇ、商会長の息子です……あの、よくご存知ですね」
正直、第二王子である彼が、一商会の名前を覚えているとは思っていなかった。
驚きを隠せないラナに、アイザックは小さく笑う。
「アンダーソン商会は有名だからね」
クリフォードの実家であるアンダーソン商会は、氷の魔術を応用した食品の保存技術で一財産築いた商会である。
特に生鮮食品の運送に関しては、アンダーソン商会の右に出るものはなく、運送業界の頂点とも言われていた。
だが、この氷魔術を応用した商売が、国内貴族の間では一時期火種になっていたらしい。
かつて魔術は王族や貴族の間のみで秘匿、独占されていた技術だった。
凡そ百年ほど前から、市井の民にも門戸が開かれるようになったが、それでも「魔術は特権階級のための技術である」という認識は根強い。
故に、その特別な技術で手広く商売をするアンダーソン商会は、保守派の上級貴族達に嫌われていたのだ。
そして、上級貴族の保守派と言えば、クロックフォード公爵をはじめとした第二王子派である。
「アンダーソン商会は、保守的なクロックフォード公爵と相性が悪かったんだ。第二王子派の中には、アンダーソン商会に対してボイコットを提言する者も少なくなかった」
そこまで第二王子派に嫌われていたアンダーソン商会がどうなったか?
それはクロックフォード公爵の傘下にあるセレンディア学園に、新鮮な肉や魚が届けられていることが答えである。
人は美味しいものや便利なものには抗えない。アンダーソン商会は、その「便利さ」で、保守派の貴族達を──あのクロックフォード公爵すらも、認めさせたのだ。
そんなアンダーソン商会の商会長の息子がクリフォードなのである。
「商会長のアンダーソン氏は、新しいもの好きな人物だと聞いたことがある。その上、奥方は砂漠の民だとか」
「……えぇ、クリフのお母様はシェザリアの出身です」
シェザリアの民は砂漠の民とも呼ばれている。夜の空より黒い髪に、濃い色の肌、そしてくっきりとした目鼻立ちをしているから、一目で分かる容姿だ。
「だから彼、あんな格好をしてるんだ」
「…………」
ラナは返す言葉に困った。その辺りの事情や、クリフォードの性格を説明していたら、きっと紅茶が冷めきってしまう。
ラナが黙り込んでいると、アイザックは紅茶のポットを持ち上げて、均等にカップに注いだ。流れるような手つきだった。
「僕はここで待機しているよ。あの場に第二王子の顔を知っている人間がいるとは思えないけど、念のため」
「それなら別の客室を、ご用意しますわ」
仮にも第二王子である彼を、キッチンに待機させるわけにはいかない。
だが、アイザックは首を横に振り、小さく肩を竦めてみせた。
「今の僕は、ただのアイザック・ウォーカーだからね。立派な客室を用意されたら怪しまれてしまうだろう?」
「でも……」
「僕は望んで、この場にいるのだから構わないよ。困ったことがあれば呼んでおくれ。すぐに駆けつけるから」
そう言って笑う彼は、セレンディア学園にいた頃と同じ容姿なのに、なんだかやけに親しみやすく感じた。
* * *
応接間では、刺繍職人のポロック氏と、アントニー、テオドールの兄弟が酒の飲み方の話で仲良く盛り上がっていた。どうやら、ポロックはこの兄弟が気に入ったらしい。
モニカは気まずそうにソファの隅に縮こまっており、クリフォードは秘書の癖に、やけに偉そうな態度で椅子にふんぞり返っている。
その後頭部をちょっと叩いてやりたい衝動に駆られつつ、ラナは紅茶を全員に配った。
「色々と言いたいことはありますが……ポロックさん。刺繍案を受け取ってもらえます? そろそろ着手してもらわないと、間に合いませんの」
「はん、どれ、見せてみな」
横柄なポロックに、ラナはムッとしながらデザイン案を手渡す。
ポロックはギョロリとした目でデザイン案に目を通すと、次の瞬間それをパッと手放して床に落とした。
「駄目だな。やり直し」
ラナは怒鳴りたくなる衝動を必死で噛み殺した。
そうしてスーハーと一度だけ深呼吸をし、低い声で訊ねる。
「……理由を聞かせてもらえます?」
「何度も言ったろ。勉強不足なんだよ、あんたは」
それだけ言って、ポロックは耳をほじり始める。まるで、ラナとは口を利く価値もないと言わんばかりの態度だ。
「もう少し、具体的な理由を。刺繍に付与する魔力量の計算は間違っていないはずです。この模様も、過去に実在した模様で……」
「あー、ダメダメ。全然ダメ」
「だからっ、何がダメなのかを教えてくださいって、言ってるんですっ!」
「はぁー、最近の若いモンは、自分で調べもしないで、すぐに教えろとか言いやがる。そういう態度が、魔導具産業を安っぽいもんにしちまうんだよ。あぁ? 分かるか、世間知らずのお嬢ちゃん?」
ラナは唇を噛み締めて黙り込む。
世間知らずのお嬢様、それがラナに対する大抵の人間の評価だ。
ラナが商会を立ち上げられたのは、父親の資金援助があってこそ。人材やコネに関してもそうだ。
ラナ一人でできたことなんて、何もない。
それでもラナはラナなりに、経済についても、魔導具の扱いについても勉強してきたのだ。
(なによ……なによ……)
涙を堪え、拳を握りしめて震えているラナを、ポロックは横柄に鼻で笑った。
「そうやって泣いてパパにおねだりすりゃ、なんでも叶ってきたんだろ。商会長が聞いて笑わせる……」
「……その言い方は、意地悪だと、思います」
口を挟んだのは、ソファの隅で縮こまっていたモニカだった。
ポロックはギョロリとした目でモニカを睨みつける。
「嬢ちゃん。職人の話に素人が口を挟むもんじゃないぜ」
「……このローブの形は〈レテ派〉が源流となったデザインのローブです。それに対して、この刺繍に織り込まれた魔術式は〈クユラの民〉の物。〈クユラの民〉は〈レテ派〉の魔術師に滅ぼされたから、〈レテ派〉のローブに〈クユラの民〉の刺繍を施すのはおかしい……そう言いたいんじゃ、ないですか?」
淀みのない口調で言って、モニカは無表情にポロックを見据えた。
その横顔は、いつもの頼りないモニカとは違う──この国の魔術師の最高峰である〈沈黙の魔女〉のものだった。
ラナも、アントニーとテオドール兄弟も、唖然とした顔でモニカを見る。表情が変わらないのはクリフォードぐらいのものだ。
そんな中、ポロックは三つ編みにした髭を撫でながら、ニヤリと笑った。
「ほぅ? 少しは分かるやつを連れてきたようじゃねぇか。小さい嬢ちゃん、少しでも魔術を齧ってんなら分かんだろ、〈クユラの民〉が迫害されてきた歴史を。古いモンと新しいモンの融合が、このローブのテーマだったな。だが歴史を蔑ろにした刺繍なんて、俺ぁ一針だって縫わねぇぜ?」
「……歴史的に問題なければ、いいんです、ね?」
モニカは硬い声で念を押す。
ポロックが頷くと、モニカはラナを見た。
「ラナ、ローブの形は、これで固定?」
「え、えぇ」
「じゃあ、このローブに使っても問題のない紋様を、わたしが全部描き出すから。その中から、ラナのイメージに合うの、選んで」
モニカの言葉にラナは絶句した。
モニカはなんでもないような口調で言うが、決して簡単な話ではない。魔術式を織り込める紋様は、非常に形が複雑なのだ。
言葉を失うラナに代わり、話を聞いていたテオドールが兄に訊ねた。
「ねぇ、兄さん。そういうのって、どれぐらいあるものなの?」
「むぅ……俺は魔法剣しか扱えんが……とんでもない数だということは分かるぞ。おそらく百を超えるのではないか?」
「いいえ」
モニカはデザイン案に目を向けたまま、首を横に振る。
「千三百ぐらいです」
淡々と言い放つモニカに、アントニーが目を剥き、テオドールがパチパチと瞬きをする。
そして、今まで黙っていたクリフォードが無機質な目でモニカを見て、口を開いた。
「不可能だ。できるはずない」
「できます。こんなの、覚えてる図形を描くだけで……わたしにとって、全然大変なことじゃない、から……」
そこで言葉を切り、モニカは無表情から一転、恥ずかしそうに俯き、指をこねる。
そうして口をモゴモゴさせながら、小さい声で言った。
「……だから、そのぅ……ラナが頼ってくれたら…………う、うれしい」
その言葉が、ラナの胸を揺さぶった。
もうっ、もうっ! とラナは心の中で繰り返し、目尻に浮かんだ涙を手の甲で乱暴に拭う。
「わたし、デザインにはうるさいわよ? 朝まで描いてもらうかも」
「大丈夫。わたし、そういうの、得意だから」
そう言ってモニカは眉を下げ、ふへっ、と息を吐くように笑う。そのモニカらしい笑顔を見ていたら、自然とラナの口元にも笑みが戻ってきた。
ラナはとびきり自慢げな顔で、クリフォードに言う。
「ねぇ、クリフ! わたしの友達って、すっごく頼りになるのよ!」




