【9】話を聞かない人間大集合
「くそぅ、やはり魔法剣用の柄だけでも持ってくるんだった……」
アントニーはブツブツとぼやきながら、氷の剣を地面に叩きつけてへし折り、手袋を外した。
「ぬぅ、これはもう駄目なやつだな……」
氷が貼りついた手袋を見て、アントニーは悲しそうに肩を落とす。その広い背中には、ちょっぴり哀愁が漂っていた。
(握ると凍傷になる剣って……実用的じゃないにも程があるんじゃ)
ラナがかける言葉に迷っていると、アントニーはすぐに気を取り直した様子でラナと向かい合う。
そして、太い眉毛の下の目を少しだけ丸くした。
「おや、よくよく見れば、昨日お会いしたご婦人ではないか。奇遇だな」
「え、えぇ、その節はどうも……」
「若いご婦人がこんな時間に一人で出歩くのは感心せんな。近くに従者はいないのか? 誰もいないのなら、俺が家まで送ろう」
ラナは言葉に詰まり、俯いた。
酔っ払いに襲われかけた今、なんとしてもポロック氏を見つけて、新しいデザイン案を突きつけてやろうという気力は残っていない。
ようやく頭の冷えたラナは、自分がいかに無謀で馬鹿げたことをしていたかを思い知る。
なにより疲れ切った体は重く、足は棒のようだし、おまけに空腹だ。
(……今日はもう、帰ろう)
ただ、問題は目の前の男、アントニーである。
助けてくれたのはありがたいが、素性の分からぬ者に家まで送ってもらうのは、少し怖い。
それなのに、アントニーはもう、ラナを送る気満々の様子なのだ。
「さぁ、ご婦人。遠慮なく、俺の二の腕に掴まるがいい」
アントニーは服の上からでも分かる立派な二の腕を、ラナに差し出す。
(ど、どうしよう……)
ラナが頬を引きつらせて後ずさると、ラナが下がった分だけ二の腕が近づいてきた。
「さぁ! さぁ!」
「……えっと、その…………」
ラナが視線を彷徨わせたその時、バタバタと忙しない足音が複数聞こえた。
「ラナぁっ!!」
自分を呼ぶその声に、ラナは目を見開く。
振り向けば、モニカが顔を真っ赤にして、こちらに駆け寄ってくるのが見えた。
普段滅多に大声を出さないモニカが、大きな声で自分を呼んだことに、ラナは驚く。
「モニカっ」
モニカは目に見えて鈍臭い走り方で、それでも必死にラナの元へ駆け寄ると、ラナの腕にぎゅぅっとしがみつく。
少し遅れて到着したのは、モニカの家に入り浸っている青年アイザック。
アイザックはラナの腕にしがみついているモニカに、穏やかな声で話しかけた。
「コレット嬢が、無事に見つかって良かったね」
モニカはラナの腕をぎゅっと抱きしめ、鼻を啜りながら、コクコクと頷く。
これに困った顔をしたのは、アントニーである。
保護しようとした猫に引っ掻かれたような顔で、アントニーは黒髪をかきながら眉を下げる。
「むぅっ、もしかして俺は怯えられているのか? これは困ったぞ。俺は全然全くこれっぽっちも怪しい者ではなく……」
言いかけたアントニーの顔が硬く強張る。
いつのまにかアントニーの背後に立っていたクリフォードが、その手の短銃をアントニーの後頭部に突きつけていたからだ。
「ラナから離れろ、変質者」
「変質者っ!? 俺が、変質者っ!? いや待て、誤解だ! そこのご婦人、どうか俺は変質者ではない、親切で逞しくて強くてカッコいい旅人だと証言してもらえぬだろうか!?」
このアントニーという男。悪い人間ではなさそうなのだが、少々厚かましい上に暑苦しい。
ラナは苦笑しつつ、クリフォードを窘めた。
「クリフ、銃を下ろして。その人は、わたしを酔っ払いから助けてくれた恩人よ」
「つまり、その酔っ払いは、この男とグルというわけか」
疑り深いクリフは、アントニーの後頭部に銃口をグリグリとねじ込む。
流石にそれはやりすぎだと、ラナはクリフォードを睨みつけた。
「もうっ、クリフ! 銃を下ろしてってば!」
「ラナはもう少し人を疑うことを覚えるべきだ。不用心すぎる」
うぐっとラナは言葉を詰まらせる。こんな時間まで出歩いていた不用心に関しては、完全にラナの過失なので言い返しづらい。
「そ、そもそも、なんでクリフがモニカやウォーカーさんと一緒にいるのよ!」
ラナの疑問の声に答えたのは、意外にもアイザックだった。
「彼、なかなか帰ってこない君のことを心配して、モニカの家に乗り込んできたんだよ」
「…………」
ラナは言葉を失った。
クリフォードがモニカの家で何をやらかしたかは、正直想像に難くない。
ラナは頬を引きつらせ、腕にしがみつくモニカの頭を撫でた。
「……迷惑かけてごめんなさい」
「ラナが無事で、良がっ、良がっだぁ……ひぃっ、うぇっ……うっ、うっ……」
しゃくりあげながら泣くモニカに、夜に一人で出歩くのはもうやめよう、とラナは心に誓う。
そんな中、銃を突きつけられたままのアントニーが、腕組みをしながら口を開いた。
「うむ、二人の友情が深まったようで、実に喜ばしい。喜ばしいのだが……この状況、もしや俺は悪人と思われているのではなかろうか」
「なんだ、今気づいたのか悪人」
容赦ないクリフォードの言葉に、アントニーはくわっと目を見開く。
「何を言う! 俺ほど清廉潔白な男は、他にいな……」
「あぁ、兄さん。やっと見つけた。もう、仕事中なのに娼館に行こうとか言いだすから、困っちゃったよ」
声高に主張するアントニーに、おっとりと声をかけたのは、横道からひょっこり出てきた黒髪の優男──昨日見かけたアントニーの弟、テオドールである。
テオドールの娼館発言に、場の空気が凍りついた。
誰もがかける言葉に困っている中、空気を読まないクリフォードがボソリと呟く。
「清廉潔白な男は、仕事中に娼館に行くのか」
「いや、これは、必要な息抜きでだな……そ、それよりテオドールっ! お前はまたはぐれて……一体、どこで油を売っていたんだ!」
「うん、酔っ払いのおじさんに話しかけられて、気がついたらこんな時間に」
そう言って、テオドールは路地の方に目を向け「ほら、あの人」と指さす。
彼の視線の先では、白髪と髭を三つ編みにした老人が座り込み、野良犬に何やら話しかけている。
「あぁ、まったく、最近の若いモンはすぐ派手なモンにばっか飛びついて、古いモンを蔑ろにしやがるからいけねぇ。あぁ? 聞いてんのか? うんとかすんとかワンとか言ってみろよ、おぅ?」
野良犬がワンと返せば、老人は気を良くしたように笑い、また愚痴をこぼし始める。
その老人を見て、ラナは目を大きく見開いた。
「ポ、ポロックさんーーーーーーっ!」
野良犬に話しかけているこの男こそ、ラナが探していた人物。刺繍職人のポロック氏である。
赤ら顔のポロックは、ギョロリとした目でラナを睨みつけた。
「んん? なんだ、コレットさんとこのお嬢か。まったく、コレットさんには世話になったから仕事を受けてやったのに、その娘はろくなデザイン案を寄越しやしねぇ。全く最近の若いモンは……」
ラナは思わず頭を抱えた。
あっちも、こっちも、そっちにも、ツッコミどころのある人間が多すぎる!
アントニーは厚かましいし、クリフォードは人の話を聞かないし、ポロック氏は愚痴ばかりだし。
(あぁもう〜〜〜〜〜〜っ!! わたしは、どこから突っ込めばいいのよ!!)
歯軋りをするラナに、アイザックが控えめに提言する。
「……とりあえず、場所を移そうか?」
なお、彼は常識人の顔をしているが、第二王子の彼がこの場にいるという事実が最大の非常識である。
その事実から目を逸らし、ラナはアイザックの提案に従うことにした。




