【8】力の代償
「ラナはどこにいる」
そう言って、クリフォードは銃口をアイザックに突きつける。
モニカは咄嗟に無詠唱魔術で防御結界を張ろうとしたが、アイザックは小さく首を横に振った。必要ないよ、と語るその目は、いつもと同じ穏やかさだ。
(……アイクには、なにか考えがあるのかな)
モニカはいつでも防御結界を張れるよう意識を集中しつつ、目の前のやりとりを見守る。
「生憎だけど、僕はバーソロミュー・アレクサンダー氏じゃないし、彼はここにはいないよ」
「なら、どこにいる」
「答えるから、その銃を下ろしてくれないかい?」
「答えるのが先だ」
アイザックの柔らかな物腰とはいっそ対照的なほど、クリフォードの声は硬質だった。
常に変わらぬ声のトーンは、感情を殺しているというより、本当に何も感じていない無機質さがある。端的に言って、気味が悪い。
アイザックはふぅっと物憂げに溜息をつくと、手元を見ずにクリフォードの右手首を掴んで自分の右脇に引き寄せる。目にも止まらぬ早技だった。
「──っ!?」
たたらを踏んだクリフォードの体が前に傾く。
アイザックはクリフォードの手首を捻って、銃を取りあげると、そのまま流れるようにクリフォードの足を払い、転倒させた。
そして、仰向けに倒れるクリフォードの肩を踏みつける。
──この間、およそ三秒。
モニカが防御結界を張るまでもなかった。
アイザックは拾い上げた銃を眺め、ニコリと微笑む。
「リーガン社のフリントロックだね。装飾の出来が良いから中央で流行ってるけど、あまりお勧めはしないな。弾ブレが酷いんだ」
「返してくれ」
「弾丸を? その口に?」
アイザックは銃口をクリフォードの口に向ける。アイザックの声はいつもと変わらぬ穏やかさで、だからこそ恐ろしい。
モニカが震え上がっていると、仰向けに倒れているクリフォードが、眼鏡の奥で目をぐるりと動かしてモニカを見た。
「この性格の悪そうな男に、キミから何か言ってくれ」
自分から銃を向けておいて、大した言い草である。
だが、モニカはクリフォードに確認したいことがあったので、アイザックの服の裾を遠慮がちに引いた。
「あの、アイク……足は、退けてあげても、いいんじゃないでしょうか……」
「君がそう言うのなら」
アイザックはそう言ってクリフォードの肩に乗せていた足を退ける。ただし、右手の銃はクリフォードに向けたままで。
クリフォードは仰向けの体勢から上半身を起こすと、ずれかけた眼鏡の位置を戻し、後頭部をさすった。
「頭を打った。たんこぶになっている」
恨めしそうにと言うにはあまりに淡々とした、ただ事実を確認するような口調だった。
そんなクリフォードに、アイザックがニコリと微笑む。
「たんこぶで済んで良かったね」
アイザックが猟銃を手にするのを踏みとどまってくれて良かった。
モニカは密かに胸を撫で下ろし、クリフォードと向き直る。
モニカは彼に確認したいことがあるのだ。
「あのっ……さっき『ラナはどこにいる』って、言ってました、よね? ……ラナに、何かあったんですか?」
「ラナが戻ってこない」
その一言に、モニカはざぁっと青ざめた。
とうに日は暮れている。若い女性が一人歩きして良いような時間ではない。
アイザックも少しだけ表情を強張らせて、口を挟む。
「コレット嬢の屋敷に確認は?」
「した。けど、戻ってない。手がかりは無いかと思ってラナの引き出しを漁ったら、モニカの住所のメモがあった。だから、ここに来た。ラナはバーソロミュー・アレクサンダーに会いたがっていたから」
そこで言葉を切り、クリフォードはゆっくりと立ち上がって服の裾を払うと、ボソリと小さく呟いた。
「……ここにいないとなると、クソジジイのところか」
「えっと……それは、どなたですか?」
「刺繍職人のポロック氏」
クリフォードが言うには、ラナは急ぎの案件で昼、ポロックの工房に向ったらしい。
だが、ポロックは工房を抜け出して、昼から酒を飲みに行っていると弟子に言われ、ラナは怒りながら工房を後にしたのだという。
「てっきり、ラナはそのままモニカの家に向かったと思っていたのだけど、もしかしたら、ポロック氏を探しに行ったのかもしれない」
昼から酒の飲める店となると、住居区ではなく商業区か港のそばだ。どちらも、あまり治安の良い場所ではない。
「その、ポロックさんという方は、どこのお店に……」
「留守番をしていた弟子は、そこまでは知らないと言っていた。銃で脅して聞き出したから間違いない」
最後の方にしれっと問題発言が混ざっていたが、それはさておき、今はラナのことが優先だ。
クリフォードの推測通りだとしたら、ラナはポロックという職人に会うために、サザンドールにある酒の飲める店を片っぱしから回っていることになる。
「……コレット嬢は男爵令嬢だろう? そこまでするかな?」
アイザックの呟きに、モニカとクリフォードは同時に口を開いた。
「ラナなら、やると思います」
「ラナは頭に血が上ったら、馬鹿みたいに意固地になるんだ。大いにあり得る」
クリフォードの言い分は辛辣だが、的をいている。
なにがなんでも見つけだしてやるわ! と拳を握りしめて早足で歩くラナの姿が、モニカには容易に想像できるのだ。
* * *
もう何軒目になるかも分からない酒場を見て回ったラナは、店内にポロックの姿が無いことを確認すると、肩を落として酒場を後にした。
(……また、ハズレ)
ラナは疲れの滲む溜息をつく。昼から歩き回っていたせいで足は重いし、冬の夜風で耳や鼻が痛い。
それでもラナはペチペチと己の頬を叩くと、下を向きそうになる頭を持ち上げた。
「こうなったら……なにがなんでも見つけだしてやるんだから!」
その姿はまさに、モニカとクリフォードが思い浮かべる「意固地になったラナ」そのものであった。
(わたしが普段出歩く範囲で、心当たりの店はもう一通り回ってるのよね……)
となると、ポロックは普段ラナが出歩かない──治安のあまり良くない地域にある酒場にいる可能性が高い。
実を言うと今ラナがいる店の周辺も、決して治安の良い地域ではなかった。
この辺りは、治安の良い地域と悪い地域の境界線だ。路地を一つ曲がれば、いかがわしい店がいくつも並ぶ通りに出る。
そうでなくとも、こんな時間に若い娘が一人で出歩くなんて、眉をひそめられそうな話である。
道を曲がるか否か、しばし葛藤していると、誰かがラナの肩をポンポンと叩いた。
もしやポロックかも、と期待を込めて振り向けば、ツンときつい酒のにおいが鼻をつく。
ラナの肩を叩いたのは見知らぬ中年男性だった。その顔は真っ赤で、重たげな瞼の下の目は、どろりと濁っている。
「あんた、ポロックさんを探してるんだって? 俺、さっき別の店で見たから、案内してやるよ」
どうやら男は、先の酒場でラナがポロックの所在を訊ね回っていたのを、聞いていたのだろう。
ありがとう、お願いするわ。と無邪気についていくほど、ラナは能天気でも世間知らずでもない。
ラナは一歩後ずさって、素早く辺りに目を走らせた だが、こういう時に限って、周囲に通行人の姿はない。
「……まぁ、ご親切にありがとう、ミスター。でも、お店の名前を教えてくれるだけで充分ですわ」
ラナが警戒していることに気づいた男は、早足で距離を詰めると、有無を言わさずラナの手首を掴んだ。
「いいから、来いって言ってんだろ!」
「痛いっ! 放して!」
「うるせぇ!」
ラナの抵抗に男は顔を歪め、片手でラナの手首を掴みながら、反対の手を振り上げた。
(ぶたれる!)
ラナは思わず目を瞑るが、衝撃は一向に訪れない。
恐る恐る目を開けると、酔っ払いの背後に背の高い男が佇み、その手を捩りあげていた。
「ご婦人に対する暴力。看過できん」
「なんだ、てめぇは!」
「生憎だが、酔っ払いに名乗る名など、持ち合わせてない! 俺が名乗るのはご婦人にだけだ! ……というわけで、俺はアントニーだ。是非覚えてくれ、そこのご婦人ッ!」
キリッとした顔でラナを見るのは、短い黒髪に立派な体躯の男。昨日、モニカと揚げパイ屋に行く前に出会った兄弟の、兄の方だ。
酔っ払いは盛大な舌打ちをして、懐に手を入れる。その手がナイフの柄らしき物を握りしめると、アントニーは酔っ払いの手に自身の大きい手を重ねた。
「それを抜いたら、俺は手加減をせんぞ。この場で斬り捨てられる覚悟があるなら、抜くがいい」
「はんっ、剣も持たずに、斬り捨てるたぁよく言ったもんだな!」
酔っ払いの言う通り、アントニーは帯剣していない。手ぶらだ。
だが、アントニーは酔っ払いの男を突き飛ばして距離を開けると、右手を軽く持ち上げて、なにやら詠唱を始めた。
すると、辺りの空気がヒヤリと冷え込み、アントニーの手に白い霧が漂う。これは氷の魔術だ。それも、ただの魔術ではない。
夜闇の中、淡い水色の光が浮かび上がり、アントニーの手元に集う。
アントニーがそれを握りしめて腕を振るうと、淡い光の粒がパッと霧散した。
今、アントニーの手の中にあるのは、氷で作られた美しい長剣。
(あれって……魔法剣!)
驚いているのはラナだけではない。酔っ払いは完全に酔いの覚めた顔で後退りしている。
そんな男の眉間にピタリと吸いつくように、氷の剣の切っ先が突きつけられた。
「さぁ、どうするっ!」
「ひっ、ひぇぇえっ」
アントニーの迫力ある一喝に酔っ払いは血相を変え、手足をバタつかせて逃げだす。
後に残されたラナは、恐る恐るアントニーを見上げた。
「あの……助けてくれて、ありがとうございます、ミスター」
「ふっ、なに、大したことではない」
アントニーは厳つい顔に余裕の笑みを浮かべていた。
だが突然ハッと顔色を変えると、己が生み出した氷の魔法剣を見下ろす。
「しまった……氷の魔法剣が……っ!」
「ま、魔法剣が?」
あの魔法剣は、彼の体になんらかの負担を強いるものだったのだろうか? ラナが不安に思っていると、アントニーは太い眉をしかめ、苦悶の表情で一言。
「……氷の魔法剣が………………手袋に貼りついて、剥がれなくなった」
「…………」
力の代償(手袋)




