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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝4:新米女商会長の奮闘
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【6】僕の敬愛するお師匠様が黒猫を生贄に謎の儀式を始めようとした件

 久しぶりにモニカの家を訪れたアイザックは、家を見上げながら、手を握ったり開いたりを繰り返していた。手袋をしていてもなお、指先が冷たい。緊張しているのだ。

 何をやっても人並み以上にできてしまうアイザックは、緊張で体の動きが硬くなることなんて滅多になかった。

 ……それなのに、今の彼は酷く緊張している。


(僕は今まで通り、モニカに接することができるだろうか)


 脳裏をよぎるのは、〈星詠みの魔女〉主催のパーティの出来事。

 シリル相手に恥じらいを見せたモニカは、恋をしている女の子の顔をしていた。

(……自覚、したのかな)

 そうなったらきっと、自分に勝ち目なんてなくなってしまう。

 だって、アイザックは知っているのだ。シリルがモニカをどう思っているのかを。

 どちらかが恋心を自覚した瞬間に、ギリギリの均衡で成り立つ奇妙なこの関係は、きっと崩れる。

 更に困ったことに、アイザックはシリルのことが嫌いではないのだ。

(いっそシリルが嫌な奴だったらいいのに……なんて考えてしまう僕は、最低だな)

 アイザックはぎこちなく手を持ち上げて、扉をノックをする。返事は無い。

 アイザックは弟子入りした時にしっかり作っておいた合鍵で扉を開け、中に入った。

 室内に人の気配は無い。どうやら留守にしているらしい。

(この時間に留守ということは……コレット嬢とお昼ご飯でも食べに行ってるのかな?)

 アイザックは自身の荷物を手早く片付けると、暖炉に火をつけた。

 今日は天気が良いけれど少し冷えるから、モニカが帰ってきた時に少しでも寒い思いをしないようにしておきたい。モニカは割と寒がりなのだ。

 寒がりの子リスさんのために、温かい飲み物でも用意しておこうか。

 キッチンでレモネードの準備をしていると、玄関の扉が開いた。モニカが帰ってきたのだ。

 アイザックは緊張に強張る顔にいつも通りの笑顔を貼りつけ、キッチンから顔を出す。


「やぁ、おかえり、モニカ」


 返事は無かった。

 無視された、という不安にアイザックの心臓が嫌な音を立てて軋む。

 だがよくよく見ると、モニカはアイザックを無視したというより、アイザックのことが目に入っていないようだった。

 モニカは血相を変え、手足をバタバタと振り回して階段を駆け上っていく。

 かと思いきや、今度はドタドタと音を立てて階段を駆け降りてきた。その腕にネロが寝ているカゴを抱えて。

 モニカはやけに鬼気迫る表情をしていた。控えめに言って、声をかけづらい。

 一体何を始める気だろうとアイザックが見守っていると、モニカは暖炉の前にネロが寝ているカゴを置いて、暖炉の中に薪を放り込み始めた。

 のみならず、今度は無詠唱魔術で小さな火をいくつも起こし、ネロが寝ているカゴをグルリと囲う。

 その光景は、黒猫を生贄にして謎の儀式をしているように見えなくもない。

(僕のお師匠様が大変なことになってるなぁ)

 とりあえずアイザックは冷静に窓を開けた。換気は大切だ。

 モニカはやっぱり鬼気迫る表情で、カゴに眠るネロを揺すっている。


「ネロ、起きて……ネロ……ネロ……」


 なるほどどうやら、これは冬眠している黒竜の目覚めの儀式だったらしい。

 ネロはにゃうにゃうと眠たげな声を漏らしていたが、やがて根負けしたように、片目を眠たげに持ち上げた。

「んぁ……春がきたのか……?」

 ネロが前足で顔を擦っていると、モニカはネロを顔の高さまで持ち上げた。

 そうして目線を合わせて、低い声でネロに訊ねる。

「ネロ。ラナに会ったの? いつ?」

「んん〜、あぁ、ラナは良いやつだな。飯を差し入れしてくれたぞ……」

「……いつの話?」

「お前が、ヒンヤリ兄ちゃんのとこに、豆の世話しに行った時……」

「そんなに前ぇっ!?」

 モニカがひっくり返った声をあげても、ネロは呑気に大欠伸している。

「にゃふぁ〜……ラナは、オレ様に美味い鶏肉食わせてくれるらしいぞ……むにゃ……やっぱまだ眠いから、あと一ヶ月ぐらいしたら起こしてくれ……」

「ネロ待って、寝ないで! ねぇっ、ラナと他に何を話したの!? ねぇってばぁ! ネロぉ……っ!」

 モニカはネロをガックンガックンと揺さぶったが、ネロはそのまま気持ち良さそうに寝入ってしまった。

 モニカは途方に暮れたように、ネロを胸に抱いて項垂れる。

「ネロぉぉぉぉぉ……もう〜〜〜〜〜〜っ……」

「なんだか、大変なことになってるね」

 アイザックが声をかけると、モニカはネロを胸に抱いたままオロオロとアイザックを見上げた。

「あっ、アイク、おかえりなさい」

「うん、ただいま。それで、コレット嬢とネロの間に何かあったのかい?」

 アイザックの言葉にモニカは、真っ青になってコクコク頷く。

 そしてネロを一度カゴに戻すと、モニカは真っ直ぐにアイザックと向き直り、真剣な顔で口を開いた。


「わたし、イザベル様に恋愛小説をお借りしたことがあるんです」


「………………うん?」

 唐突に出てきた恋愛小説というモニカらしからぬ単語に、アイザックは戸惑う。

 そんなアイザックに、モニカは大真面目に語った。

「恋愛小説の中で、ヒロインは頬を薔薇色に染めてうっとりしながら、王子様を『素敵』って言うんです。つまり頬を薔薇色に染めて『素敵』と言う、イコール、その相手に恋をしているという式が成り立ちます」

 間違ってはいないけれど、何かがズレている気がする。

 そのズレをアイザックが指摘するより早く、モニカは拳を握りしめて力説した。


「さっき、ラナがネロのことを『素敵』って言ってたんですっ! それも頬を染めて、ちょっとうっとりとして……つまり、先程の式を当てはめると、ラナはネロに恋してることに……っ!」


 アイザックはモニカの拳をそっと両手で包み込み、とろけるような甘い声で言った。

「友達想いな僕のお師匠様は、とっても()()だね」

「……? ありがとうございます。でも、えっと、今はわたしのことじゃなくて、ラナです。ネロは『尻尾の無い雌には欲情できない』って言ってたのに、どうしようぅぅぅ……」

「…………」

 どうやら、頬の染め方とうっとり度合いが足りなかったらしい。

(それはさておき、コレット嬢がネロに? …………うーん)

 可能性が無いとは言い切れないが、モニカの早とちりのような気がする。

 だがモニカは、友人の恋と己の使い魔の正体の間で板挟みになり、本気で苦悩しているのだ。

(どうしたものかな……)

 まず大切なのは事実確認だ。アイザックは立ち上がり、モニカを椅子に促した。

「モニカ、とりあえず椅子に座って。温かいレモネードを飲もう? きっと落ち着くよ」

「うっ、うっ……わたし、どうしたら……ラナのこと、応援したいのに……でも、ネロはぁ……」

「うん、今の話を聞いた限りだと、まだコレット嬢がネロに恋をしたと決まったわけではないと思うんだ」

 アイザックの言葉に、モニカは自分の解答の間違いを指摘された生徒のような顔をした。

「……そう、なんです、か?」

「僕はその現場を見ていないから何とも言えないけれど……コレット嬢は何て言ってたんだい?」

「えっと……『すっごく素敵だったから、会ってお話しがしてみたい』……って」

 微妙なところだな、とアイザックは密かに思った。

 アイザックはモニカほどラナ・コレット嬢のことを知らないが、彼女は異性よりも異性が身につけている衣類や装飾品に興味を示すタイプに見えるのだ。

 ネロよりも、ネロに付随する何かに興味を持ったと考える方が妥当ではないだろうか。

「モニカ、とりあえず日を改めて、コレット嬢と話をしてみた方が良いんじゃないかな。コレット嬢の真意が何であれ、ネロは今、冬眠中なのだし」

「そ、そうですよね……わたし、焦ってネロを問い詰めちゃったけど……もう一度、ラナと話をしてみます」

 モニカはようやくひと息ついたような顔で肩を落とすと、へにゃりと眉を下げて笑った。

「アイクがいてくれて、助かりました。やっぱり、アイクは頼りになりますね」

「君に頼ってもらえるなんて、光栄だな」

 ニコリと微笑むアイザックに、モニカは尊敬の眼差しを向ける。

「アイクは恋愛上級者なんですね。すごいです」

「………………」


 ──その恋愛上級者でも、一筋縄ではいかない相手が君なんだよ。


 アイザックは声に出さず呟き、苦笑した。



 * * *



「モニカってば、あんなに慌てて、どうしたのかしら?」

 モニカが走り去っていった方角を眺めながら、ラナは首を捻っていた。

 もしかしたら、ラナが焦っていることを察して、大慌てでバーソロミュー・アレクサンダー氏と連絡をとりにいってくれたのかもしれない。

(バーソロミューさんって、いつもモニカの家にいるのかしら? それとも、普段は別のところで暮らしてる? うーん、国内にいるのなら、今から連絡を取ってもらえればギリギリ間に合うわよね)

 バーソロミュー氏を招待する段取りをラナが考えていると、クリフォードがじぃっとラナを見下ろした。

「バーソロミュー・アレクサンダーって誰」

「クリフには教えてあげない」

 モニカを怯えさせた意趣返しにツンとすました態度で言うと、クリフォードは黙り込む。

「そんなことより、わたし、これからポロックさんのところに新しいデザイン案を出してくるから! クリフは留守番お願いね! それじゃ!」

 そう言ってラナはスカートの裾を翻して、ポロックの工房へ向かう。

 そんなラナの背中を、クリフォードは眼鏡の奥の灰色の目でじぃっと見つめていた。


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