【3】黒髪の兄弟
サザンドール商業区は中央通りを境に西地区と東地区に分かれている。
比較的港に近い西地区はいろんな屋台や露店がゴチャゴチャと雑多に並んでいるが、東地区は比較的落ち着いた雰囲気の高級店が多い。
モニカはサザンドールに移住して半年近く経つが、この高級店の並ぶ通りは、まだ利用したことがなかった。
なにせ高級店が多く並ぶので、あまり適当な格好をしていると近寄りづらいのだ。
だが、今のモニカはおろしたてのブラウスとスカートに着替えているし、ラナの手で髪を編み直され、軽く化粧もしてもらっている。
髪型はラナとお揃いで、三つ編みがカチューシャのようになっていた。後ろの髪は結ばずにさらりと背中に流している。
「まずは、食器のお店に行きましょ。行きつけのお店があるのよ」
そう言ってラナが案内してくれたのは、東地区にある食器店だ。
揃いの髪型の二人が店内に足を踏み入れると、品の良い口髭の老店主が穏やかに微笑みながら出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。これはこれはコレット様。今日はお友達もご一緒ですか?」
「えぇ、ティーカップを見せてもらえるかしら?」
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
ラナは堂々とした態度で店主の後に続く。モニカは慣れない店内にそわそわしつつ、ラナを追いかけた。
店の奥には陳列用の棚がいくつか並んでいる。この陳列用の棚からして、透明度の高い板硝子が贅沢に使われており、縁には飾り彫りが施されていて、高級感があった。
そんな棚にずらりと並ぶのは、美しいティーカップの数々。
「……きれい」
モニカがポツリと呟くと、店主は目尻に皺を刻みながら嬉しそうに微笑んだ。
「えぇ、どれもとても美しいでしょう?」
淡い色合いで野の花を描いた物、単色ながら恐ろしく緻密な絵柄の物、異国の鳥や植物を描いた物まで、それらのティーカップは一つ一つが芸術品のようだった。
ラナがフフンと得意げに鼻を膨らませて、カップを一つ一つ解説してくれる。
「あれはコルミネットコレクションの新作ね。コルミネットコレクションは、金の塗料を盛っているのが特徴でね。ほら、ちょっとふっくらしてるでしょ。鮮やかな彩色と金の塗料が高級感があって素敵なのよ」
「うん、なんかすごく、華やか」
「でしょでしょ。でもって、こっちのすっごく細かい絵柄のカップはね、銅版画を転写して作ってるのよ! 最近は技術が向上して、細い線も美しく再現されるようになっててね……!」
ティーカップについて語るラナは、なんだかいつもより大袈裟なぐらいはしゃいでいた。
……自惚れかもしれないけれど、それはきっと、モニカを元気づけるためだ。
(どうしよう。すごく、うれしい)
モニカはラナほど、お洒落や買い物に関心があるわけじゃない。
それでも、今こうしてお洒落をして、買い物をしていることを楽しいと感じるのは、モニカを元気づけようというラナの優しさが嬉しかったからだ。
(……ティーカップ、買ってみよう、かな)
ラナが贈ってくれたティーセットは六客あるもので、モニカが壊したのはその内の一つだ。
まだ五客あるから至急で買い揃えなくとも良いのだが、モニカは久しぶりに自分のために何かを買ってみたくなった。
(この小花柄の可愛い……こっちの青いのも綺麗……)
一つ一つじっくりとカップを眺めていたモニカは、とあるカップに目を留める。
それは野の花に戯れる黒い猫を、繊細なタッチで描いたカップのセットだった。
「…………ネロみたい」
思わずポロリと溢れた言葉に、ラナが目を丸くしてモニカを見る。
「ネロってもしかして、モニカの家でたまに見かける黒猫?」
「えっ、あ、えっと……うん、わたしの……その、使い魔、で……」
モニカはしどろもどろになりながら、視線を彷徨わせた。
現在冬眠中の黒猫の正体を知っているのは、モニカとアイザックの二人だけだ。
無論、普通の猫は冬眠なんてしないので、ネロが寝ているバスケットは客には見えないよう、寝室に置いているけれど。
ネロのことについては、突っ込まれると色々とボロが出そうで怖い。
幸い、ラナはネロのことについてそれ以上追求はせず、モニカが見ていたマグカップを眺めて「ほんとだ、そっくりね」と呟く。
モニカは改めてカップをじっくりと眺めた。
よくよく見ると、カップの猫は一つ一つ絵柄が違う。花と戯れていたり、蝶を追いかけていたり、丸くなって眠っていたり。
(……ネロとアイクにも、このカップ見せてあげたいな)
来客向きのデザインではないが、自分が普段使いするのに良いかもしれない。
モニカは小さく笑って「このカップのセットをください」と店主に頼んだ。
* * *
購入したティーカップを家に届けて貰うように頼み、小間物屋や靴屋を順番に回ったところで、丁度小腹が空いてきたので、二人は当初の目的の揚げパイ屋を目指すことにした。
ラナがお気に入りの揚げパイ屋は、西地区にある屋台らしい。
「揚げパイ屋に行くなら、こっちの道から行った方が早いわ。でも日が暮れてからは絶対ダメ。あんまり治安が良くないし、道をもう一本奥に入ると、裏通りになるから」
そもそも貴族の令嬢がお供も無しに一人で出歩くなんて、それだけで眉をひそめられそうな話だ。
まして、サザンドールは決して治安が良い街ではないのだ。賑やかで活気のある港町は、多くの人間が出入りするし、その中には犯罪者もいる。
だからこそ、ラナは一人で出歩いても大丈夫な道や時間帯を、きちんと心得ているようだった。
ラナはあたりを見回すと、少しだけ声のトーンを落としてモニカに囁く。
「特に西地区の奥は、近づいちゃ駄目よ。最近、良くない薬を売買してる商人が出入りしてるって噂だから……あの辺で外国人に話しかけられたら、すぐに逃げなさい」
「う、うん」
ラナの警告に、モニカは素直に頷いた。
一応モニカはこの国の頂点に立つ七賢人であり、無詠唱魔術の使い手だ。翼竜の群れを一瞬で撃ち落としたこともある。
それでも、当たり前のように自分を心配してくれるラナの優しさが嬉しい。
心配してくれてありがとう、とモニカが言いかけたその時、背後で若い男の大声が響いた。
「泥棒ーーーーーーっ!!」
野太い大声にモニカとラナは足を止めて振り向く。
丁度二人の背後から、こちらに向かって走ってくる中年男性の姿があった。男は右手にナイフを、左手に大きな旅行鞄を抱えている。おそらく、この男が盗人なのだ。
盗人らしき中年男性を追いかけているのは、旅行客らしき黒髪の青年である。だが、だいぶ距離が開いているので、横道に逃げ込まれたら捕まえるのは困難だろう。
「どけどけどけぇーーーーっ!」
盗人は右手のナイフをデタラメに振り回しながら、こちらに近づいてくる。
ラナが血相を変えて、モニカの腕を掴んだ。
「モニカ、危ないっ!」
ラナはモニカを道の端に引っ張ろうとしてくれた。だが、モニカはその場を動かず、真っ直ぐに盗人を見据える。
幼さの残る顔から、表情が消えた。
「……大丈夫」
モニカは無詠唱で、盗人の目の前に防御結界を展開する。
盗人は突然現れた透明な壁に気づかず突っ込んでいき、「ぎゃっ!?」と悲鳴をあげて、尻餅をついた。
「なんだ、これ……今、何にぶつかっ……」
ぶつけた鼻を押さえて呻く盗人の背後から、ニョキッと太い腕が伸びてきた。盗人を追いかけていた青年の腕だ。
「──ふんっ!」
青年の太い腕が、盗人の首を絞めあげた。筋肉質な二の腕は服の上からでも分かるほど膨れ上がり、鋼鉄の枷のように盗人を拘束している。
盗人はしばし手足をバタつかせていたが、やがて白目を剥いて痙攣し、動かなくなった。
黒髪の青年は盗人を地面に転がすと、ふぅっと息を吐きながら額の汗を拭う。
改めて近くで見ると、かなり大柄で厳つい顔立ちの男だ。短い黒髪をなでつけており、顎には髭が生えている。年齢は二十代後半ぐらいだろうか。
男はモニカとラナを交互に見て、口を開く。
「ご婦人方っ! お怪我は無いかっ!」
この距離で、そこまで大きな声を出さなくても……と言いたくなるぐらいの馬鹿でかい声であった。
大声に驚いたモニカがプルプルと肩を震わせて硬直していると、ラナが苦笑まじりに前に進み出る。
「えぇ、怪我はありませんわ、ミスター。その鞄は貴方の?」
「いや、正確には俺ではなく、弟の物で……」
そこまで言いかけて男は背後を振り向き、大声で怒鳴った。
「テオドール! 何をタラタラ歩いている!」
男の視線の先には、のんびりとした足取りで歩いてくる青年がいた。
ふわふわと柔らかそうな黒髪の、線の細い青年だ。少しだけ眠たげに垂れた目をしていて、そのせいか、なんとなく笑っているように見える。年齢は二十歳前後だろうか。
年若い青年はモニカ達のそばで足を止めると、大柄な男を見上げて、おっとりとした口調で言った。
「鞄、取り返してくれてありがとう、アントニー兄さん」
「まったく、お前は……普段から、そうのんびりポヤポヤしているから、盗人などに目をつけられるんだぞ」
「だって、可愛いワンコがいたんだもの。話しかけてたら夢中になっちゃって」
話の流れから察するに、この二人は兄弟らしい。髪色以外、何もかもが似ていない兄弟である。
おっとりとしたテオドールは持ち手の壊れた鞄を悲しそうに撫でていたが、顔を上げるとモニカとラナを交互に見た。
「ねぇ、アントニー兄さん、その女の子達は?」
「おぉ、そうだった。今の騒動に巻き込んでしまったのだ。偶然、この盗人が転んだから良かったものの……」
モニカの結界と衝突して倒れた盗人が、アントニーの目には突然転んだように見えたのだろう。
アントニーは居住まいを正して、モニカ達に向き直った。
「ご婦人方、巻き込んでしまって大変申し訳ない。もしよければ、お詫びをさせてもらえないだろうか? 具体的にはちょっとそこでお茶でも」
「ごめんなさい、ミスター。わたし達、このあと予定がありますの」
ラナがアントニーの言葉を素早く遮り、モニカの背を押して歩きだす。
アントニーが「だが……」と食い下がると、ラナはニッコリと愛想の良い笑みを向けた。
「鞄の修理なら、五番通りの『マルクの店』がお勧めですわ。では、ごきげんよう!」
早口でそう告げて、ラナはモニカを促しながらその場を離れる。
「あ、あの、ラナ……」
オロオロしているモニカに、ラナは早足で歩きながらモニカに囁いた。
「あの二人、言葉に訛りがあったわ。多分、この国の人間じゃないわね……まぁ、そうでなくとも、初対面の殿方のお誘いなんて乗るつもりはないけど……特に最近は、違法薬物を扱う秘密サロンに、若い女の子を連れ込む連中がいるらしいから、絶っっっ対に知らない人にはついていっちゃ駄目よ!」
「う、うん、分かった……」
* * *
「……ふられた」
少女二人に逃げられた顎髭の大男アントニーは、悲しそうな顔をしていた。
弟のテオドールは壊れた鞄から頑丈な紐を取り出すと、倒れている盗人を後ろ手に縛りながら、兄を見上げる。
「駄目だよ、アントニー兄さん。お仕事中なんだから」
「今のご婦人は土地勘があるようだった。情報提供者として任務に協力してもらえれば、心強いではないか」
「という名目で、女の子とお近づきになりたかったんだね?」
テオドールの言葉にアントニーはガクリと膝をつくと、拳を握りしめ、心の底から悔しそうに呻いた。
「……無念だ」
「駄目だよ。お仕事は頑張らなくちゃ。できれば次の祝日までに片付けたいんでしょう?」
「あぁ、そうだな。休暇のためにも、頑張るとしよう」




