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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝after3:最強の弟子決定戦
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【シークレット・エピソード】 王子様の隠しごと

 七賢人の弟子達による魔法戦の翌日、アイザック・ウォーカーはフェリクス・アーク・リディルとして、城内のティールームに向かっていた。今日は第一王子ライオネルと茶会の約束があるのだ。

〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイはこの予定も見越して、魔法戦の日程を組んだのだろう。こちらの予定を読まれていたと思うと少し苛立たしい。

 壁に鏡の装飾が施された廊下を歩きながら、彼は鏡に映る自分の姿を横目に見る。

 王族に相応しい華やかな装飾の上着を着て、ピカピカに磨いた靴で廊下を歩く──つい昨日まで、泥だらけになって森を駆け回っていたなんて、誰も信じないだろう。

 久しぶりに袖を通した上着は、少しだけきつくなっていた。

 この一週間ほど森の中を駆け回り、そして昨日はここぞとばかりに食べて飲んだツケだ。しばらく節制しなくては。


(モニカとシリルは……今頃、筋肉痛になってる頃かな?)


 慣れないステップに苦戦する二人を思い出し、込み上げてくる笑いを噛み殺す。

 自分は少しばかり逃避している。これから会う人物のことを、あまり考えたくないのだ。

 ──第一王子ライオネル・ブレム・エドゥアルト・リディル。

 彼と一対一で話すのは、もしかしたら随分久しぶりかもしれない。

 王位継承権を放棄してから、アイザックは極力第一王子、第三王子との接触を避けていた。

 第三王子のアルバートは、第二王子の真実を知っている。知っているからこそ互いに気まずく、話をする時は、ブリジットなど人を介してのことが多い。

 アルバートはアイザックに対し、分かりやすく負けん気を向けている。

 負けん気、大いに結構。元より隠居した第二王子が前に出るつもりはないので、アイザックは一歩引いて、アルバートに活躍の場を譲る気でいた。

 活躍を譲る姿勢はアルバートのプライドを刺激するだろうけれど、そこで腐らず、より奮起し成長できるのがアルバートだ。


(ただ、第一王子は……)


 第一王子のライオネルは、第二王子の真実を知らない。何も知らずに、アイザックのことを異母弟だと信じて可愛がっている。

 ……フェリクスの死を悼む機会を奪い、全てを隠蔽したアイザックのことを。

 そうでなくとも、アイザックは昔からライオネルには思うところがあり、その複雑な感情を持て余していた。


「お待ちしておりました、フェリクス殿下」


 ティールームの前で、ライオネルの従者の男が一礼をする。


「ライオネル殿下がお待ちです」


 そう言って従者の男が扉を開ける。

 午後の穏やかな日差しが差し込むティールームで、大柄な金髪の男がティーテーブルの前に座っている。

 彼の明るい水色の目が、こちらを捉えた。


「おぉ、久しいな、フェリクスよ!」


「お久しぶりです。ライオネル兄上」


 公式行事などではライオネル殿下と呼ぶが、身内の茶会では兄上と呼ぶ──それは一〇年以上、当たり前に続けてきた演技だ。

 なのに、少しだけ喉に小骨が刺さったような心地がする。

 アイザックが着席すると、従者の男が静かに茶の用意を始めた。侍女がいない。明らかに、人払いをされている。


(それと……)


 ティールームの奥は別室に通じているらしく、扉が一つある。

 アイザックはさりげなくそちらの扉に意識を向けつつ、紅茶を口にした。毒は入っていない。別にライオネルを疑っているわけではなく、癖だ……と自分に言い訳する。


「結婚式の招待状、ありがとうございます。精霊神に祝福された、兄上とツェツィーリア姫の晴れ姿、とても楽しみです」


「あぁ、ありがとう。実は上着の仮縫いをしたら、採寸の時より筋肉がついてしまってな。しばらく剣を振るなと叱られてしまった」


 実は僕も節制中なんです、とは言わず、兄の言葉に驚き笑う弟の顔を作る。

 その時、ライオネルが壁際に控えている従者に目配せをした。従者は小さく会釈をして、部屋を出ていく。

 そのやりとりで、アイザックは確信した。

 人払い。ともなれば、話すことは決まっている。


(やっぱり、陛下は僕のことを話したんだな)


 ライオネルが次期国王になることは、ほぼ決まっている。

 ならば、王家の血を正しく残していくために、王がライオネルに真実を話すのは当然。

 ライオネルは姿勢を正し、堅い表情で口を開く。


「以前から、訊きたかったのだ」


 何故、そんな愚かなことを? とでも訊くつもりだろうか。

 美しい王子の顔の裏で、卑屈に笑うアイザックを、ライオネルは真っ直ぐに見つめ、告げる。


「もしかして、貴方が『アイク』なのではないか?」


 呼吸が一瞬止まった。

 ライオネルが自分の名前を知っていることは想定内。だが、何故、愛称を口にするのか。ライオネルの周辺で、アイザックのことを愛称で呼ぶ人間が思いつかない。


 ──もしかして、いや、まさか。そんなことがあるはずが……。


 フェリクスの顔を歪めるようなことはしたくない。

 アイザックは極力動揺を押し殺して問う。


「……何故、その名を?」


「おぉ、やはり! 貴方が、フェリクスの友人のアイクなのだな」


 とうとう、完璧な王子様の笑顔が崩れた。

 アイザックが動揺に歪む顔で言葉を探していると、ライオネルがサイドチェストに乗せていた小箱を手に取る。鍵付きの薄い箱だ。

 ライオネルはポケットから鍵を取り出すと、小箱を開け、中から一通の手紙を取り出した。


「父上……陛下から貴方の事情を聞いた時、昔フェリクスに貰った手紙を思い出したんだ」


 そう言ってライオネルが手紙を差し出す。

 アイザックは震える手で、手紙を広げた。

 まだ幼く拙い子どもの字──忘れるものか。この字で書かれた日記を、アイザックは何度も何度も読み返している。


『ライオネル兄上へ

 この手紙は、お祖父様にも、父上にも内緒の手紙です。

 私には、どうしても話したい秘密があります。

 どうか、みんなには内緒にしてください』


 祖父や父に話せないことも、兄になら話せる──そして、秘密を守ってくれるとフェリクスは信用していたのだ。

 そのことに胸の疼きを覚えつつ、二枚目の便箋を捲る。


『その秘密とは、私に秘密の友達ができたことです。

 友達の名前はアイク。

 アイクは頭が良くて、物知りです。木登りも乗馬も上手で、いろんなことができます。

 アイクはとても器用で、この間は、私のために鳥の巣箱を作ってくれました。

 熱を出して寝込んでいても、窓から鳥達が見えると、少し元気になれます。


 アイクは秘密の友達なので、他の誰にも、アイクのことを話せません。

 でも私は、アイクのことをどうしても誰かに話したくて、自慢したくて、我慢できず、兄上に手紙を書きました。

 いつか、アイクを兄上に会わせたいです』



 古い記憶を思い出す。

 幼いフェリクスが、体調の良い日に手紙を書いていた。

 書き終わった手紙を、家令に渡してきますね、と預かろうとしたら、フェリクスはこう言ったのだ。


『ううん、送らないで。これは秘密の手紙だから、兄上にこっそり渡すんだ』


 ライオネル宛に送った手紙は、大人達に見られる可能性がある。

 だから、直接渡すのだとフェリクスは言う。


『秘密の手紙ですか?』


『うん。アイクにも秘密』


 そう言って、フェリクスは人差し指を口元に当てて笑った。いつも気弱に笑う彼が、珍しく悪戯っぽい笑顔で。


『……分かりました、秘密にします』


 物分かりの良い従者の顔で応じながら、内心、アイザックは拗ねていた。

 僕にも秘密なんだ、ふぅん……と。



 過ぎし日のことを思い出すと、懐かしさと、恥ずかしさと、切なさと、優しさと、色んな感情が込み上げてきて、胸がしめつけられる。

 それはもう、心臓に爪を立てるような痛みを伴うものではない。

 暖かな腕で思い出を優しく抱きしめるような、そういうしめつけだ。

 便箋を手に俯くアイザックに、ライオネルが穏やかな声で言う。


「当時の私は、弟に秘密を打ち明けられたことが嬉しくてな。こうして鍵付きの文箱を用意してしまった」


「……では僕も。一つ、隠していたことを打ち明けます」


 アイザックは便箋から顔を上げて、笑う。

 きっと今の自分は、完璧な王子様の顔で笑えていない。それでも良かった。


「彼が、『兄上は、剣が強くて乗馬が上手くて格好良い』としきりに褒めるから……僕は貴方に張り合って、剣と乗馬の練習に力が入ってしまった」


 アイザックの告白に、ライオネルは穏やかに笑い、紅茶を一口飲んだ。


「私はフェリクスに、兄の背中を見せることができたのだな」


 それはティーカップに砂糖をポトンと落とすみたいに、言葉を胸に落として溶かすような呟きだった。

 ライオネルはカップをソーサーに戻し、アイザックを真っ直ぐに見る。


「ならば、これからも、そうあるように努めよう」


 胸に込み上げてきた感情は、やっぱり複雑で、上手く言葉にできない。

 だって、内心ずっと張り合っていた相手なのだ。騙していた相手なのだ。

 歴史に名を残すことに執着していた頃は、必要ならライオネルを切り捨てることだって視野に入れていた。

 複雑な感情を一つにまとめて言葉にするなら、きっとこうだ。


(……敵わないなぁ)


 アイザックは便箋を丁寧に畳んで、ライオネルに返した。

 優しい王子様の小さな隠しごとは、あの鍵付きの文箱の中で、静かに眠りつづけるべきだ。


「この国の王族は、僕に甘すぎる。陛下も、貴方も…………アークも」


 そういう優しい人達のおかげで、自分は今ここにいる。

 そのことを、忘れないようにしよう、と強く思った。



 * * *



 フェリクスがティールームを退室したところで、ライオネルは部屋の奥にある扉に目を向けた。

 扉が開く。姿を見せたのは、短い栗色の髪に片眼鏡の男──七賢人が一人〈結界の魔術師〉ルイス・ミラー。ライオネルにとって、ミネルヴァ時代の学友だ。

 ルイスは片眼鏡を外すと、ズンズンと大股でライオネルに近づいた。

 そうして、椅子に座るライオネルを見下ろし……、


「オラァ!!」


 頭突きをした。


 ──数秒の沈黙。


「うぐぉぉぉ」と唸りながら撃沈したのは、頭突きを仕掛けたルイスの方だ。

 額を押さえてしゃがむルイスに、ライオネルは慌てて手を差し伸べる。


「すまない、私は昔から石頭なのだ!」


「知っとるわ」


 北国訛りで低く唸り、ルイスは額を押さえてライオネルを見上げる。

 下唇を突き出して不機嫌を隠さない顔は、ミネルヴァの悪童と呼ばれていた頃のそれだ。髪を短くし、片眼鏡を外していると、ヤンチャな学生時代の面影が強い。


「お、ま、え、は、どこまでお人好しなんだ、クソゴリラ」


「気を悪くしたのなら、すまぬ。お前がこの件で、気を揉んでいると聞いたのだ」


「…………〈星詠みの魔女〉め」


 ルイスはライオネルの向かいの席に座ると、外していた片眼鏡をきちんとはめた。指先でグッと押し込むように。

 そうして顔を上げた彼は北国訛りを封印し、七賢人に相応しい言葉遣いでぼやく。


「あの男、扉の向こうで私が聞いてたことに気づいてましたよ」


「あぁ、そうだろうな」


「…………」


 ルイスは相槌の代わりに深く長い息を吐き、小皿に盛られていたジャムをスプーンで掬って頬張った。

 ジャムのお代わりを用意した方が良いだろうか。

 ライオネルが人を呼ぶか迷っていると、ルイスが咥えたスプーンを口から離す。


「お人好しの貴方が、あの男に恩を売るなら、それで結構」


 灰紫の目が好戦的にギラリと輝き、第二王子が退室した扉を睨む。


「私は適宜、その取り立てをするだけです」


 なんともルイスらしい言葉だ。

 好戦的で、自分は勝手に動くと宣言して、だけど、ライオネルが一番大事にしているものは、きっと守ってくれる。

 ライオネルは冷めた紅茶を飲み干し、噛み締めるように呟いた。


「私は、友人に恵まれたな」


 ルイスは無言で口の端を持ち上げ、八重歯を覗かせて笑った。



 * * *



 その日のモニカは、私服姿でアスカルド大図書館を訪れていた。

 昨日の魔法戦で使用した音を届ける魔導具や、アイザックが披露した魔術の改良のために、必要な資料を集めようと思ったのだ。

 勉強熱心な弟子に負けないよう、自分も常に新しい知識を取り入れたい──という意気込みを胸に、図書館を訪れたモニカは、必要な本を探し、その足でシリルを探していた。図書館の職員に、今日はシリルが来ていると聞いたのだ。

 それにしても、ふくらはぎが痛い。昨日の打ち上げで、慣れないダンスをしたせいだ。階段の上り下りをすると、足がプルプルしてしまう。


(でも、楽しかったな……)


 賑やかなひと時を思い出しながら、モニカは児童書を集めた本棚を目指す。シリルがいるなら、きっとそこだ。

 銀髪を結った後ろ姿は、すぐに見つかった。

 シリルは丁寧な手つきで本棚から本を取り出し、そっと表紙を捲って文字を目で追う。

 彼はとても物を大事にする人で、特に本や茶器などを扱う時、大事な物に触れるような優しい手つきになる。それを見るのがモニカは好きだ。

 足を止めてシリルを眺めていると、本を閉じたシリルがモニカに気づいた。


「モニカか」


「こんにちは、シリル様」


 シリルの青い目が、モニカのブラウスを見る。

 今日のブラウスは、少し光沢のあるパフスリーブに丸襟の白いブラウスだ。


「今日は、違うつけ襟なんだな。似合っている。かわ……」


「す、すみません、これ、つけ襟じゃなくて……」


「え」


「おろしたてのブラウスなんです」


「…………」


 シリルが片手で顔を覆う。指の隙間から見える頬は、赤くなっていた。


「……すまない」


「いえっ、あの、えっと……」


 モニカはよく外出着をラナに選んでもらうが、今日のブラウスは違う。王都で見かけて、袖の形が可愛くて気に入り、自分で買ったものだ。

 ブラウスを手にした時、可愛いな、と思った。

 同時に、可愛いと言ってほしいな、とも思った。


「これ、自分で選んでみたんです……に、似合ってます、か?」


 誰かに褒め言葉をねだるのは、恥ずかしいことだ。

 はしたないと思われないだろうか、と不安になりながらシリルを見上げる。

 彼は、優しく微笑んでいた。


「あぁ、とても似合っている……可愛い」


 心がピョンと跳ねるのに合わせて、自分もピョンと飛び跳ねたい──が、ここは図書館なのだ。

 我慢我慢、と足をモジモジさせたら、ふくらはぎが引きつり、モニカはうっかり奇声をあげた。


「ひぎゅぅ……っ!?」


「ど、どうした!?」


 折角ブラウスを褒めて貰えたのに、奇声をあげてしまった。情けなさに泣けてくる。

 モニカは借りた本を胸に抱き、ぎこちなく目を泳がせた。


「えっと、ちょっと、筋肉痛で……シリル様は、筋肉痛にはならなかった、ですか?」


「あぁ、勿論だ」


「ふぅん?」


 あっ、とモニカが思った瞬間、シリルの背後に立った人物が、シリルの膝裏を軽く蹴った。

 よろめいたシリルは、転ばぬよう床をしっかり踏ん張り──そして「ぐおう」とくぐもった声をあげる。

 現在進行形で筋肉痛のモニカは、シリルの表情でその痛みを理解した。よく見ると、シリルの足もモニカのようにプルプルしている。

 シリルは頬を引きつらせて、膝裏を蹴った人物──アイザックを睨んだ。


「アイク……イタズラがすぎます」


「筋肉痛でないのなら、大したことないだろう?」


 黙り込むシリルに、アイザックは鋭い目を細めて揶揄うように笑う。

 質素なシャツとベスト、右目の上に古傷のある顔──今の彼は、アイザック・ウォーカーだ。

 今日は城に用事があると聞いていたけれど、その用事は済んだらしい。


「やぁ、モニカ。初めて見るブラウスだ。夏らしく爽やかで良いね。袖のデザインが君によく似合ってる。すごく可愛い」


 流暢にブラウスを褒めるアイザックに、シリルが口をキュッと結んだ。

 アイザックは、モニカとシリルを交互に見て、それぞれが腕に本を抱いていることを確認する。


「お目当ての本が見つかったのなら、一緒に食事に行こう。僕の奢りで。今日は君達に優しくしたい気分なんだ」


「優しく……? 膝裏……蹴って……」


 シリルが信じられないものを見るような目で、アイザックを見る。

 アイザックはニヤリと笑い、殊更丁寧な態度で腰を折った。


「おや、足を痛めていらっしゃる? 手を貸しましょうか、レディ?」


「…………」


 シリルは唇を曲げて、グヌヌと唸る。

 そんな二人のやりとりに、モニカがハラハラしていると、シリルは珍しく──本当に珍しく、口の端を持ち上げて、挑発的な顔でアイザックを見上げた。


「……では、今日は貴方に奢られます。貴方のお勧めの店を教えてください、アイク」


 シリルの返しに、アイザックは満足気に笑う。きっと、畏まられるよりもその方が嬉しいのだ。

 シリルもそれを理解して、不慣れな挑発に挑んでいる。


「任せてくれ。エールが美味しい店、ワインが美味しい店、肉料理が美味しい店、軽食向きの店、デザートが美味しい店、異国料理を扱っている店、各種取り揃えているから」


「お待ちください。それは、詳しすぎるのでは……」


 眉を寄せるシリルに、モニカは背伸びをして小声で耳打ちする。


「シリル様、アイクはプロなんです」


「プロ……?」


「遊んだり、素敵なお店を見つけるのが、とっても上手なんですよ」


 つまりは夜遊びのプロである。

 小声のやりとりも、この距離ではしっかり聞こえているのだろう。アイザックがフフフと楽しそうに笑う。

 切れ長の目の目尻が少し下がって、頬が緩んだその顔は、今まで見た笑顔のどれとも少し違った。

 今そこにある幸福を柔らかく抱きしめ、噛み締めるような、そういう笑みだ。

 その笑顔がとても素敵に思えたから、モニカは訊ねた。


「アイク、なんだかとっても嬉しそうです」


「うん、そうかもね」


「何か良いことがあったんですか?」


「秘密」


 アイザックは人差し指を口元に当てて、パチンとウィンクをした。

 きっと、それは優しい秘密なのだろう、とモニカは思う。


(だって、アイク、優しい顔をしてる)


 人は誰しも秘密を抱えている。

 それは時に、辛く苦しいものだったり、己の心を苛む毒になるかもしれない。

 だけど、全ての秘密がそうではないことを、モニカは知っている。

 アイザックの抱える秘密はきっと、彼の心に優しく寄り添ってくれる暖かなものなのだろう。


 ──その秘密が、アイクを強くしてくれる、宝物でありますように。


 それが、沈黙の価値を知る魔女の、ささやかな願いだ。


「さぁ、行こう」


 アイザックの言葉に、シリルとモニカは声を揃えて「はい」と頷く。

 三人は並んで歩き、図書館を出た。王都の通りは人が多く賑やかで、話す声も自然と大きくなる。

 まだ日は明るいが、気の早い店はランタンに灯りをつけていた。どこからともなく香るのは、スパイスを使った串焼きだろうか。

 アイザックが鼻をひくつかせた。


「良い匂いだ。これは絶対、エールに合う」


 その呟きに、シリルが真剣な顔で「アイク」と進言する。


「アルコールはほどほどにしてください。昨晩は貴方の飲酒量に驚きました」


「そうだね、食事メインの店にしよう」


「……食事量にも驚きました」


「アイクは、グレンさんと同じぐらい、いっぱい食べますもんね」


「今日は節制するよ。流石に上着がきつくなる」


 そう言ってアイザックは屋台の前で足を止め、串焼き肉を三つ購入する。

 モニカとシリルは唖然とした。節制とはなんだったのか。


「まずは夕食前の前哨戦だ」


 串焼きを受け取ったシリルは「節制? 前哨戦?」と唸る。モニカも同じ気持ちである。

 アイザックはモニカに串焼きを渡しながら、ウインクをした。


「小さい串焼きなんて、オヤツみたいなものだろう」


「た、確かに、いつもアイクが食べてる量を思えば、少ない……かも?」


 モニカがボソリと呟くと、アイザックは正当性を得たりと言わんばかりに頷く。


「それにほら、シリルは校舎裏の焼肉パーティに参加できなかったから」


「その件については、詳細の聞き取りをしたいと思っていました。とにかく、食事前に串焼きを食べるなど、節制しているとは言いがた……」


 クドクドと説教を始めるシリルの前でアイザックは串焼き肉を齧り、ムッシャムッシャと平らげて言った。


「シリル、一つアドバイスだ」


「融通が利かないことは自覚しております。しかし……」


「串焼きは横向きに持たないと、脂が垂れるよ」


「え? ……あぁっ!?」


 アイザックが声を上げて笑っている。

 シリルが怒ったり呆れたりしながら、それでも楽しそうにしている。

 二人とも、以前は見せなかった、初めて見る表情が増えた──きっと、モニカも。

 これからも、嬉しい初めては増えていく。


「お肉、美味しいです」


 二人の間でモニカは満面の笑みを浮かべ、串焼きを頬張った。


これで完結です。

最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

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