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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝after3:最強の弟子決定戦
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【終】わたし達は、ここにいる


 日の沈んだ夜の王都を、一匹の黒猫が屋根の上から見下ろす。

 黒猫──ネロが向かう先は、今日モニカ達が打ち上げに使うらしい店だ。

 アイザックの訓練を手伝ったネロは、後でたっぷりと肉料理を作ってもらう約束をしているが、それはそれ、これはこれ。今夜の肉も、しっかり頂戴しにいくつもりだった。

 ところが屋根の上から見ていたら、モニカ達は店には入らず移動を始めてしまったではないか。


(にゃんだ、にゃんだ、店を変えるのか)


 このまま解散したりしないだろうな、と屋根の上から見ていると、背後に気配を感じた。

 ネロはピクとヒゲを震わせ振り向く。


「夏なのに元気じゃねぇか、白いの」


「ピケが一緒だからね」


 振り向いた先では、民族衣装を着た白髪の青年が微笑んでいた。その肩には、金色のイタチに化けた氷霊アッシェルピケが乗っている。

 白竜は寒さに強く、暑さに弱い珍しい竜だ。だからピケがピッタリ寄り添って、トゥーレを冷やしているらしい。


「今日はイタチじゃないのか」


「この姿じゃないと、お買い物ができないもの」


 そう言って、白竜トゥーレは片手にぶら下げた布袋を持ち上げた。

 布袋の中には酒瓶が数本入っていて、ずっしり重たげだ。


「シリルにお駄賃を貰ったから、お酒を買ってみたんだ」


「あ? 駄賃?」


「うん。筋肉のお駄賃」


 なんだそりゃ。とネロが金色の目を半眼にしていると、トゥーレは酒瓶を一つ取り出し、ネロに差し出した。


「黒いのさんも、一緒にどうぞ」


「持ち寄りパーティか? オレ様今日は手ぶらだぞ」


 トゥーレはゆっくりと瞬きをし、肩に乗ったピケを見る。


「ピケ、こういう時は、何て言うんだっけ」


「奢り」


「そうだ、奢り。奢りをどうぞ、黒いのさん。人の営みに交じるのは、とても楽しいけれど、時々、離れたところから眺めたくなるんだ」


 にゃるほどな、とネロは胸の内で呟く。

 同じ竜だ。トゥーレの気持ちが、ネロにはよく分かる。

 ネロもまた、時々離れたところから人の営みを眺めたくなる──そういう時、人の輪に自分以外の竜がいるのは、面白くないのだ。

 トゥーレは肩に乗ったピケに、指先を差し出す。その指先にピケが前足でタッチした。


「それにね、今日はピケと一緒に反省会なんだ」


 金色イタチはトゥーレの民族衣装に潜り込んでモゾモゾし、襟から顔だけ覗かせる。


「モニカ、すぐに気づいてた」


「筋肉の勉強が足りなかったね」


「何の話か知らねーが、奢られてやろう。寄越せ」


 ネロは黒猫から青年に姿を変えると、トゥーレから酒瓶をふんだくる。

 香りの良い蒸留酒だ。ネロは酒を呷りながら、屋根の上を歩きだした。モニカ達から近すぎず、遠すぎない距離を保ちながら。

 その後ろを、肩にピケを乗せたトゥーレが続く。



 人の姿を借りた竜達は、酒瓶片手に屋根の上を闊歩する。

 人々の営みを楽しげに眺めながら悠々と、密やかに。



 * * *



 メリッサ推薦の店を離れたモニカ達一行は、その足でサイラス行きつけの店に向かった。

 先ほどの店は比較的高級店寄りの通りにあったが、サイラス行きつけの店は比較的庶民向けの店が並ぶ通りにあるらしい。


「あんまりお上品な店じゃねぇが、姐さんに絡む奴がいたら、俺が睨みを利かせてやるから安心しろよ」


「は、はぁ……」


「基本的に気の良い連中だからよ。うるせぇって思ったら、楽器握らせときゃいい……っと、そうだ」


 先頭を歩くサイラスは、ふと思い出したように振り返り、アイザックを見て言った。


「アイク、お前、楽器はできるか? 何か一つぐらいできんだろ、器用だし」


「できるけど、東部曲の演奏は無理かな」


 アイザックの返事に、サイラスは黙り込む。その眉根には深い皺が寄っていた。


「……もしかして、中央(こっち)で習ったのか?」


「そんなとこ」


 サイラスとアイザックのやりとりが少し気になり、モニカはアイザックを見上げて訊ねた。


「アイクは、楽器、弾けるんですか?」


「確か、ピアノとバイオリンを嗜まれていたと記憶していますが」


 シリルが口を挟むと、アイザックは「嗜み程度にね」と複雑そうな顔で頷く。

 苦笑と皮肉と自虐と気遣いが、少しずつ混じった顔だ。


「楽譜通りには弾けるけど、東部曲となると、ちょっと難しいかな……東部地方では、楽譜の通りに弾いたら叱られるから」


 モニカとシリルがキョトンとした顔をすると、サイラスが「そうそう」と腕組みをして頷く。


「特に爺さん連中がキレる。『楽譜に忠実に弾くとは何事だ!』ってな」


「えっと、あの、楽譜通りに弾いちゃ、駄目、なんですか?」


 音楽の心得がないモニカは、楽譜とは音楽における最適解である、と認識している。

 魔術式を正しく、美しく、完璧に再現するように、音楽も楽譜の通りに弾くのが、最も正しく美しいに違いない……と思っていたのだが、東部地方出身者達に言わせると違うらしい。

 アイザックが一つ頷き、言葉を選びながら言う。


「東部の曲は、基本的に同じフレーズの繰り返しなんだ。繰り返す度に装飾音がついて……で、大抵はその都度テンポが上がっていく」


「そのテンポに、何か特殊な法則が……?」


「重要なのは、その場のノリかな」


 モニカは難解な数式と向き合う時よりもなお気難しい顔で、アイザックが口にした言葉を復唱した。


「ノリ、ですか?」


「酔っ払いが酒場で盛り上がるための音楽だからね。あぁ、ほら、聞こえてきた」


 アイザックが前方の店に目を向ける。年季の入った店からは、賑やかな笑い声と楽しげな音楽が聞こえた。

 それは、王宮内で聞く上品な曲とは違う軽やかさだ。動物がはしゃいで飛び跳ねるように軽快で、なるほど同じメロディを繰り返す度、どんどんテンポが速くなる。

 モニカが店から聞こえてくる音楽に耳を傾けていると、ポツリとアイザックが呟いた。


「僕は、楽譜通り正確に弾くのが、染みついてしまったからね」


 見上げた横顔に滲むのは、穏やかな寂しさと故郷への哀愁。

 最近の彼は、表情の幅が本当に増えた。きっと、隠すのをやめたのだ。


(……だって、殿下の顔だったら、アイクはきっと、ああいう顔をしない)


 モニカはアイザックに何か声をかけたかった。けれども上手い言葉が思いつかず、結局口をモニョモニョさせる。見れば、シリルも同じような顔をしていた。

 元生徒会役員の二人は、目と目で会話をする。


 ──どうしましょう、シリル様。


 ──ここはそっとしておくべきか、何か励ましになる言葉をかけるべきか……。


 シリルが判断に迷っているようだったので、モニカは拳を握ってフスッと鼻を鳴らした。


 ──励ましたい、です。


 ──よし、分かった。ならば私も……。


 かくして、視線のやり取りによる元生徒会役員会議は終わった。

 モニカとシリルは、アイザックを励ますために声をかけようと口を開く。

 だがそれより早く、サイラスがズンズンと大股で店に向かい、扉を開けて大声で言った。


「おい、おやっさん! 靴を貸してくれ!」


「お前が履くのか?」


「違う違う、こいつに!」


 そう言って、サイラスは親指でアイザックを示す。

 追いついたモニカは、サイラスの陰から店内の様子を伺った。入ってすぐのところにカウンターがあり、奥には年季の入った丸テーブルが幾つも並んでいる。

 客の入りは半分ほどで、何人かは楽器を手にしていた。壁にも幾つか楽器がかけられていて、どうやら好きに演奏して良いらしい。

 サイラスは店主から黒革の靴を借りると、アイザックに押しつけた。


「ほれ、そんな重たいブーツじゃ、足が上がんねぇだろ」


「……何をさせる気だい?」


 鋭い目をジトリと細めるアイザックに、サイラスはニヤリと笑って告げる。


「『東の男は、酒と喧嘩と踊りの誘いは断るな』ってな」


「今すぐ喧嘩に誘おうか?」


「兄貴分命令!」


「なんて横暴な兄貴分だろう」


 アイザックはヤレヤレとため息をついて、靴を履き替える。その間に若い店員がやってきて、モニカ達にテーブル席を勧めた。

 着席したモニカはソワソワとサイラスを見る。


「あの、サイラスさん、何を……」


「あいつに、勘を取り戻させてやろうと思ってな」


 そう言ってサイラスは自分の分の注文を済ませると、何を注文するか迷っているウーゴやグレンにお勧めの料理を教えてやる。

 モニカとシリルは、困り顔で顔を見合わせた。この手の店は初めてで、勝手が分からない。ついでに、サイラスの真意も分からない。

 楽しげに店内を見回していたラウルが、のんびり言った。


「良いな、こういう店。オレ、こういうとこ、あんまり来たことないから、ワクワクする」


「ラウルは、何か楽器をやるのか?」


 落ち着かなげにしていたシリルが訊ねると、ラウルが頷く。


「笛なら吹けるぜ! シリルとモニカは?」


「私は特には……」


「わ、わたしも、音楽は……あまり……」


 あまり得意じゃないです、と続くモニカの言葉に、シリルが何か言いたげな顔をしたので、モニカは正直に白状した。


「……すごく、得意じゃないです」


 シリルが、そうだな、という顔で頷いた。

 シリルは知っているのだ。モニカが音楽の授業も、ダンスの授業も落第寸前だったことを。

 人前で声を出すのが苦手だったあの頃、歌唱の授業は無詠唱(口パク)でやり過ごし、ダンスの試験はグレン共々、再試験でようやく合格した。


(懐かしいなぁ……ダンスの練習)


 モニカが当時を懐かしんでいる間に、アイザックは靴紐を結び終えたらしい。

 サイラスがニヤニヤ笑いながら、壁にかけられたフィドルを手に取った。大柄で無骨な彼が手にすると、なんだか楽器が小さく見える。

 サイラスは慣れた手つきで曲を弾き始めた。音楽は素人のモニカだが、素直に上手だな、と思える、力強い演奏だ。

 それを聴いた数人の客が、「あれか」「俺いけるぞ」とそれぞれ楽器を手に取る。

 アコーディオン、ブリキの縦笛、木製のフルート、他にも木を使った打楽器などなど。モニカが知っている楽器もあれば、初めて見る物もある。

 やがてサイラスの演奏する曲がキリの良いところまでいくと、楽器を手にした他の男達も各々演奏に混ざり始めた。

 サイラスが最初に弾いたのと同じ旋律だが、装飾音と楽器が増えて、一気に音が膨らんだような気がする。

 どこか懐かしくて、それでいて疾走感のある、草原に吹く風のように気持ちの良い曲だ。


「楽器を弾ける人、いっぱいですね……」


 楽譜も見ずに、いきなり他人と合奏できるなんて、とてつもなく高度な技術ではないだろうか。

 モニカが感心していると、シリルが演奏を眺めながら呟いた。


「同じフレーズの繰り返しだから、覚えやすいのだろう。あと、この手の音楽は、どのパートも演奏が基本的に同じだから、楽器が変わっても演奏しやすい」


 楽器を手にしていない酔っ払い達も、口笛を吹いたり、手拍子をしたりしている。

 その合間に、トントントンと靴の底でリズムを取る音が聞こえた。アイザックだ。

 彼は運ばれてきたエールをグイと呷ると、プハァと息を吐いて、口元を雑に拭う。

 切れ長の目は、どこか挑戦的に笑っていた。


「ちょっと、格好つけてくる」


 アイザックが前に進み出る。

 数人の男が口笛を吹き、それに応じるかのように、アイザックも口笛を吹いた。

 ピューイというご機嫌な口笛の直後、タタンと硬い音が響く。彼の靴底が床を叩いた音だ。

 アイザックの足が軽やかに動き、曲に合わせてリズムを刻む。

 それは上半身が殆ど動かない、足元だけのステップダンスだった。

 靴底が楽器のように、気持ちの良い音を奏でる。長い足が時に交差し、時に派手なスイングを交えて床を蹴る。


(すごい! すごい!)


 その時、サイラスがフィドルを弾く手を止めて、モニカを手招きした。

 誘われるままモニカが近づくと、サイラスはフィドルを他の親父に手渡し、自身は壁に立てかけてあったモップを手に取る。


「姐さん、これを俺と一緒に持ってくれ。柄を下から支える感じだ。良いか、下からだぜ?」


「は、はい? 分かりました……」


 サイラスとモニカはモップを横向きにし、それぞれの端を持って、床から少し浮かせた位置で固定した。


(えっと、下から支えるように……でも、なんで下からなんだろう?)


 モニカが不思議に思っていると、サイラスがアイザックに野次を飛ばす。


「アイク! 足が上がってねぇぞ!」


「言ったな」


 アイザックは不敵に笑うと、モップの柄を跨ぎながらステップを踏んだ。

 タタン、タタン、と軽快なリズムはそのままに、時にスイングする足が、軽やかにモップの柄を超える。

 酔っ払い達の音楽は、回を重ねる毎に速くなっていく。それは時にデタラメで、だけどとびきり陽気で楽しくて──そして、その奥に確かに芯となる物がある。

 アイザックのステップは、その芯を捉えているのだ。

 楽譜通りではない音楽の意味が、ようやく分かった気がする。


(すごい、すごい、すごい)


 モニカが頬を紅潮させ、そのダンスを見ていると、曲の終わりが近づいてきた。

 アイザックはニィと笑い、モップの柄を下から上に蹴り上げる──だから、サイラスは下から支えるように持てと言ったのだ。

 蹴り上げたモップをダンスのパートナーのように抱き寄せ、アイザックは一礼をする。

 わっ、と歓声があがった。モニカも夢中で拍手をする。


「すごいですっ、アイク、すごい!」


「……格好良かった?」


 モニカがブンブンと頷くと、アイザックは汗に濡れた前髪をかきあげ笑った。快活で、飾らない笑顔だ。

 そんなアイザックの肩をサイラスが叩いた。


「アイク、モップ代われ! 次は俺の番だ」


 はいはい、とモップを受け取ったアイザックは、流れるようにそのモップをシリルに押しつけた。


「よろしく」


「…………」


 モップを受け取ったシリルは、どこか釈然としない顔で、名前も知らないオッサンと一緒にモップ持ちをする。

 その上をサイラスが跳ねるように踊った。

 アイザック以上に背の高いサイラスのステップには、迫力がある。弟分をけしかけただけあって、ステップは達者だった……が。


「あ」


 ステップを誤り、サイラスの足がモップの柄を踏み抜いた。

 バキィッと豪快な音を立てて、モップの柄が折れる。

 モップを持っていたシリルがビックリしていたので、モニカは慌ててシリルに駆け寄った。


「シリル様、だ、大丈夫ですか?」


「私は平気だが……」


 その時、二人の背後で大笑いする声が聞こえた。振り向いた先で、腹を抱えてゲラゲラ笑っているのはアイザックだ。


「踏んだ! 折った! あれだけ人のことを煽っておいて!」


「うっせぇぞ、アイク!」


 ヒィヒィと笑うアイザックと、顔を真っ赤にして怒鳴るサイラス。

 そのやりとりを見つめていたシリルが、ポツリと言った。


「あの方は…………いや」


 シリルは一度目を閉じ、開く。

 その横顔は、何かを吹っ切ったようにも見えた。


「彼は、アイクなんだな」


 そう言ってシリルが笑ったから、モニカも小さく微笑んだ。


「はい、アイクです」


 サイラスがアイザックを小突こうとし、それをアイザックがスルリとかわす。

 そうして今度は腸詰めを頬張りながら、腸詰めは茹でるか焼くかを、グレンとウーゴを交えて真剣に語る。七賢人の弟子達は、魔術のことより肉の食べ方に真剣だ。

 腸詰めをエールで流し込んだアイザックは、今度はサイラスと一緒に、東部の笛の違いをラウルに語っている。

 その様子を、シリルはどこか穏やかに見ていた。きっと、モニカも同じ気持ちだ。

 そこに料理が運ばれてくる。先ほどまではレイの呪いでゲッソリしていたシリルだったが、少し食欲を取り戻していたらしい。


「モニカ、そっちの取り皿を取ってくれるか」


「はい、どうぞ……あっ、これ、食べ方知ってますか?」


 パンと肉と野菜が並ぶ皿を前に、シリルがキョトンと手を止める。

 モニカは少しだけ得意気にパンを手に取り、パンの切れ目を広げて、野菜と肉を挟んだ。


「こうして、こうして……こうです!」


 ぷっ、とシリルが吹き出した。

 自分は何か変なことをしただろうか、とモニカが密かに焦っていると、シリルは肩を震わせ、己の口元を手で覆う。


「いや、すまない。その口振りが、先ほどのアイクを思い出して……」


「あ」


 流れるようなスリーステップの「こうしてこうしてこうだよ」のイタズラを思い出し、モニカもクスクス笑う。


「いつのまにか、うつっちゃったみたいです」


 そう言ってモニカは肉を挟んだパンを齧る。

 肉には、果実を混ぜた少し甘めのタレで味付けがしてあるので、野菜はたっぷり、あればレモンのスライスも添えるのがモニカは好きだ。

 シリルは手元の小皿のソースを肉にのせて、パンと一緒に齧った。


「こっちのソースも合うな」


「わたし、そっちは初めてかもです」


「少し酸味がある」


 食事の皿を囲い、共に語る。その他愛ないやり取りをする時間が、モニカには愛しかった。

 夜の酒場で、子どもじみた容姿のモニカは不釣り合いではあるけれど、モニカの周りにいる人達は当たり前にモニカを受け入れている。

 そしてモニカ自身も、それを受け入れている。

 沢山の人に囲まれているのに、知らない人だっているのに、今のモニカは「ここにいたくない、帰りたい、消えてしまいたい」なんて思わない。


(わたし、ちゃんと、ここにいるんだ…………きっと、アイクも)


 かつてのモニカは人が怖くて、人の輪に自分の居場所を見出せなかった。

 かつてのアイザックは完璧な王子様であることに固執し、アイザック・ウォーカーとして生きることを諦めていた。

 数字の世界に逃げた魔女と、妄執の亡霊だった二人は今、未来を見据えてここにいる。沢山の仲間達に囲まれて。人として、人の中で生きていく。


「そんなに、この料理が好きなのか?」


「え?」


「嬉しそうだ」


 そう言うシリルも笑っている。この場の陽気な空気に当てられたみたいに、楽しげに。


 ──きっとこの時間は、引き出しには入りきらないモニカの宝物だ。


 モニカは口の端を持ち上げ、微笑んだ。


「楽しいですね、シリル様」


「あぁ」


 離れた席ではラウルがサイラスに教わりながら笛を吹き、ウーゴが「これ出来たらモテんじゃね?」と見様見真似でステップを踏んでいる。グレンは小さな小皿にお酒を注いで、こっそりウィルディアヌに勧めていた。

 その様子をシリルと共に眺めていると、ウーゴにステップを教えていたアイザックがこちらに近づいてくる。

 踊って、飲んで、食べて、喋って、そして笑って、この時間を全身で楽しんでいる彼は、モニカとシリルに手を差し伸べた。


「おいで。二人にもステップを教えてあげる」


「わ、わたし、ダンスは……ううん、分かりましたっ、やりまふっ」


「はい。是非、私にもご教授お願いします、アイク!」


 何事も挑戦と意気込むモニカの横で、シリルもハキハキと応える。

 アイザックはニヤリと笑い、右手でモニカ、左手でシリルの手をとって、軽やかにステップを踏んだ。


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