【17】人間弾丸スリングショット
〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイは、自分の屋敷にお気に入りの少年達を囲っている。
引き取られた少年達は親がいなかったり、或いは捨てられたりといった訳ありの子ども達だ。
クラレンス・ホールもまた、そうして引き取られた子どもであり、メアリーが初めて引き取った子どもでもあった。
引き取られた子ども達はメアリーの屋敷で側仕えをし、一六歳になったら屋敷を出ていく。それがメアリーとの約束だ。
メアリーは子ども達に給金を出してくれるし、屋敷を出ていく時は紹介状を書いてくれる。望めば学校にも行かせてくれる。
だから、クラレンスは学ぶことを選んだ──少しでもメアリーのそばにいたかったからだ。
そうして、メアリーの星詠みの手伝いをする魔術師になった。
クラレンスにとって、メアリーは実の母親よりもずっと母親だ。
働くことが嫌いで、子どもを使って金を稼ぐことしか考えていなかった母親とは違う。
両親の詐欺紛いの仕事を手伝わされ、そのまま一生を終えるところだったクラレンスに、新しい未来をくれた人。
お母様と呼ぶのは畏れ多いので、クラレンスは彼女のことをこう呼ぶ。
──敬愛なるマイレディ。自分にとってただ一人の女性。
引き取られたばかりの頃、クラレンスは砂と土で城を作り、メアリーに見せたことがある。
『メアリー様、メアリー様、見てください!』
そう言ってメアリーの手を引いた幼いクラレンスは、土だらけの自分の手がメアリーの白い手を汚してしまったことを知り、さぁっと青ざめた。
ところがメアリーは、いつもと変わらぬ穏やかな笑顔でハンカチを取り出すと、クラレンスの頬についた泥を拭ってくれたのだ。
『とっても上手なお城ね。あたくし、ここに住んでしまおうかしら』
メアリーは近くに落ちていた小さな赤い実を拾い、砂の城に一つのせた。
『これがあたくし』
そう言って、彼女は少女のようにクスクス笑う。
立派なお城にポツンと一つ、赤い木の実。
それがなんだか寂しく思えて、クラレンスは小石をたくさん集めて、城にのせたのを覚えている。
メアリー・ハーヴェイは大勢の人に慕われ、囲まれているのに、何故かいつも一人でいるように見える、そういう寂しさのある人だった。
それはきっと、彼女が星を詠み、国の未来を視る、この国一番の予言者だからだ。
──誰も、彼女と同じものを視ることはできない。隣に立つことはできない。
あるいは、それができたであろう人──政治を動かし、国の未来を予見する元婚約者の男は別の道を選んだ。
クラレンスはメアリーの隣に立てずとも、彼女を支える存在でありたかった。綺麗な赤い実のそばにある、たくさんの小石の一つで構わない。
自分はもう半ズボンの似合う少年ではないが、それでも、彼女を慕う気持ちは少年の頃から変わらないのだ。
メアリーが他の少年達も連れて帰るようになった時、クラレンスは率先してその世話を焼き、教育係になった。それが、一番最初にメアリーに引き取られた、自分の役目だと思った。
そして今、クラレンスはメアリーに頼まれている。七賢人の弟子達の力を測ってほしいと。
ならば、年少者の面倒を見るのは、年長者である自分の役目だ。
* * *
クラレンスは腰から下げた砂袋の一つを新しく開封した。
戦闘に使った砂は一度手元に戻しているが、全てを完璧に集めることはできない。どうしたって、戦っている内に少しずつ減っていく。
(そろそろ決着をつけなくては……)
自分の右斜め前方の木の陰にはウーゴが隠れており、左斜め前方ではグレンが飛行魔術を使って浮き上がったところだった。
(ウォーカー君は近くにいないようだが……)
クラレンスは周囲に張り巡らされた水の糸と、千切れた糸で濡れた地面をチラと見る。
アイザックが色々と仕込んだこの場所には、あまり長く留まるべきではないだろう。できれば、場所を変えたい。
(せめて、地面だけでも乾かさないと……)
クラレンスは操る砂を分割しようとした。だが、それより早く頭上に飛び上がったグレンが詠唱を始める。詠唱が、長い。
(二重強化!)
グレンが二重強化の詠唱を始めたと、ウーゴも気づいたのだろう。ウーゴがグレンに炎の矢を放ったが、グレンは飛行魔術でそれを回避する。
ウーゴが頭を抱えた。
「うがぁぁぁ、当ったんねーんだわぁぁぁ!」
十数発放っても全回避。それだけ、グレンの飛行魔術の扱いが上手いのだ。
あの速度で、しっかり小回りも効く飛行魔術の使い手は、なかなかいない。
クラレンスも砂を細い鞭のように分けて、グレンを狙った。
この魔法戦では、飛行魔術で飛べる高さに制限がある。そうなると、どうしても木と衝突する危険性があるのだが、グレンは木と木の間をスイスイと飛び回り、砂の鞭も回避した。
「ギュギュッとして……」
グレンの両手の間に火球が生まれる。
砂の鞭から逃げ回っていたグレンは、速度はそのままに急旋回した。急旋回に身体が傾き、上下が逆になっても構うことなく、グレンは半身を捻って両手を前に突き出す。
「ドッカーン!」
クラレンスはありったけの砂を壁のように固めて、自身の前方に展開した。
魔力密度を高めた砂の壁は、並の魔術ならビクともしない強度だが、グレンの火球はそれを容易く吹き飛ばす。
クラレンスの左手首で、腕輪の宝石が赤く輝いた──魔力切れだ。
* * *
グレンの火球がクラレンスに被弾すると同時に、森の中に〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグの声が響いた。
『あっ、腕輪が光ってるや。〈天文台の魔術師〉クラレンス・ホール、脱落。残り三人、頑張ってくれよな!』
グレンは「よしっ」と拳を握りしめ、上下反転した体勢を立て直した。
一対多数の魔法戦で、グレンが特に苦手なのが、「誰を狙うか考えること」だ。
魔術の相性、戦略、位置関係などを複合的に考えるべきだと分かってはいるのだが、頭を使うのは、グレンに向いていない。ただでさえ、魔術式の計算で頭がいっぱいなのだ。
そうして狙う相手に迷っていると、魔術を発動してから狙うまでに時間差が生まれ、攻撃がかわされやすくなる。
だから、グレンは考えた。
──迷ったら、とりあえず一番年上の人から狙おう。年上って、やっぱ強そうだし。
単純である。だが、これぐらい単純な方がグレンは動きやすいのだ。
結果、迷いを断ち切った攻撃は見事、クラレンスを討ち取った。
次に狙うのはウーゴだ。だが、もしここにアイザックが参戦したら、年上の方を狙おう──と、そこまで考えてグレンは気づく。
(あれ? 会長とウーゴさん、同じ年だっけ? えーっと……まぁ、いいや。今は会長いないし)
グレンは考えながら、体を捻った。地上のウーゴが炎の矢を放ってきたのだ。
ウーゴの魔術は命中精度がそれほど高くないし、かわすのはそれほど難しくなかった。
アイザックがあちらこちらに張り巡らせた水の糸も、先ほどの二重強化の火球で吹き飛んでいる。
ふと、木々の間に幾つか残っている水の糸を観察したグレンは気づいた。
(多分、会長の水の糸は、高い位置には張りづらいんだ)
先の戦闘で、アイザックは水の糸を少し動かすことこそあったが、糸を自由自在に操る程ではなかった。つまり、糸を遠くまで飛ばすことができないのだ。
糸の先端にナイフをつけて重りにし、それを投げて木に引っ掛けるようにすれば、高い位置にも張れる──が、当然に手間がかかる。だから、高い位置の糸は少ないのだ。
水の糸は、グレンの身長より少し上ぐらいの高さになると、ぐっと数が減る。
ならば、ルール制限に引っかからないギリギリの高さを飛んでいる方が、糸に引っかかる確率も低いだろう。
グレンは高さが制限を越えないよう注意しつつ、飛行魔術を維持してウーゴの攻撃をかわした。
(さっきの二重強化の爆発音で、会長はオレの居場所に気づいてるはず……)
グレンの居場所に気づいていて、かつ、グレンが飛行魔術で飛び回っているのなら、そろそろくるはずだ。
バァン! と銃声が響いた。アイザックの狙撃だ。
狙撃を警戒していたグレンは、咄嗟に身体を捻った。左足に痛み──完全回避はできなかったが、掠めただけだ。
(会長、見っけ!)
木の陰に、鮮やかな金髪が見えた。アイザックだ。
今までグレンを狙っていたウーゴも、アイザックに狙いを変えたらしい。木陰に隠れて移動しつつ、アイザックに攻撃魔術を放っている。
アイザックを狙うか、ウーゴを狙うか──グレンは三秒悩んで、アイザックを狙うことに決めた。一対一で戦うなら、アイザックの方が怖いと思ったからだ。
グレンは飛行魔術でアイザックを追いかけながら詠唱をする。
その時、走って逃げていたアイザックが振り向きざまに銃撃を放った。水の散弾銃だ。その銃口がかなり上を向いていることに気づいたグレンは、すかさず高度を下げて回避した。
「もらったんだわー!」
追いついたウーゴが、炎の矢をアイザックに放つ。アイザックはかわしきれず、左腕に数発被弾した。この周辺は水の糸が吹き飛んでいるから、防御に使えないのだ。
アイザックが膝をついた。そのタイミングで、グレンの詠唱が終わる。
「ギュギュッとして……」
手の中に生まれた火球を圧縮。あとは放つだけ。当たれば、一撃で決まるはずだ。
そう思った瞬間、濡れた地面から何かが浮かび上がった。
──それは、水の網だ。
ただの網が地面に広げられていたら、流石に気づいていただろう。だが、濡れた地面に広がる水の網など、簡単に視認できるものではない。
やばい、と思ったグレンは間一髪のところで、火球の魔術を解除する。だが、グレンにできたのはそこまでだった。
低空飛行していたグレンと、地面に立っていたウーゴを、水の網がまとめてからめとる。
アイザックが何かを引き寄せる仕草をすると、二人は水の網ごと地面を引きずられた。凄まじい力だ。
水を自在に操るだけでも、それなりに魔力がいるのだ。成人男性二人を引き寄せるともなると、一体、どれだけの魔力が込められているのだろう。
先ほどまでの極細の糸と違い、網はそれなりの太さと強度があった。手で引っ張っても千切れない。
水の網を手繰り寄せたアイザックが、不敵に笑う。
「さぁ、これで終わりにしよう」
* * *
濡れた地面に水の網を仕込み、一気に引き寄せて敵を拘束する大技──その魔術をアイザックが使うには、幾つか条件がある。
まず前提として、アイザックは水の糸の強化と、複雑操作を同時にこなせない。
これは、糸を武器にするにあたって、非常に歯がゆいことであった。蜘蛛の糸のように、すぐに千切れる糸を操ったところで、武器にはならないからだ。
そこでアイザックは、水源地から水を引いてくることで糸を強化する方法を選んだ。
アイザックが魔術で生み出せる水の量には限度があるが、水源地──例えば近くにある川から水を吸い上げれば、大量の水を扱える。しかも、水を吸い上げるだけなら簡単な操作なので、詠唱して一手を使わずに済む。
ただし、このやり方は魔力の消費が激しく、長時間は使えない。なので、序盤は水の糸の先端を水源地に浸しておくだけにとどめていた。
そして魔法戦終盤、濡れた地面に水の網を仕掛け、ここぞというタイミングで一気に川から水を吸い上げて網を強化し、追加詠唱の複雑操作で糸を操り引き寄せ、敵を捕縛。
……という筈だったのだ。
ところが、肝心の水の吸い上げにアイザックは失敗した。訓練の時よりも、水源地から離れすぎたのだ。これはもう、アイザックの実力不足としか言いようがない。
詠唱をして一手追加すれば、吸い上げができる。だが、そうしたら、網を引き寄せる複雑操作の一手が足りなくなる。
水の強化か、引き寄せか──葛藤は一瞬。
アイザックは複雑操作を諦め、水の強化に一手を使った。
離れた川から勢いよく水を吸い上げ、地面に広げた網を強化。そして、グレンとウーゴが網の上に来たタイミングで、力一杯網を引き寄せた。
この時グレンは、己を引きずるこの網に、どれだけの魔力が込められているのかと考えていたが、なんてことはない。凄まじい力の正体は、腕力である。
詠唱の代わりに、ふんっ、と息を吐き、アイザックはグレンとウーゴを自分の近くに引き寄せる。
「さぁ、これで終わりにしよう」
水は便利だ。拘束さえすれば、簡単に敵の口を塞げる。
口を塞がれた魔術師は無力だ。詠唱無しで魔術が使える人間なんて、この世にただ一人──彼の師匠〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットだけなのだから。
ただ、魔法戦が終わるまで、この拘束を続けるだけの魔力がアイザックにはなかった。
攻撃魔術を使っても、グレンが敗北するより先に、アイザックの魔力が尽きる。
「鼻と口を塞いで、気絶させる方法も考えたのだけど……窒息は苦しいからね。穏便に、場外負けしてもらおうと思うんだ」
「えっ、まさかウォーカー君、俺らをここから結界の外まで引きずって行く気? 結構距離あるよ? 無理じゃない?」
ウーゴの言う通り、魔法戦の結界の外まで行くには、かなりの距離がある。成人男性二人を引きずっていくのは、少々骨が折れるだろう。
だが、場外判定で勝つ、もう一つの方法があるのだ。
アイザックは強化した水のロープを幅広の帯のように変形させ、大木二本の間に、ピンと張る。
「子どもの頃、投石器を作って遊んだことは?」
そう言ってアイザックは目の上に手を掲げて庇を作り、この森で一番高い木を仰いだ。
木のてっぺんには目印の旗──そこを超えたら、反則負けとなる。
何かを察したグレンが、青ざめた顔でアイザックを見上げた。
「か、会長ぉ……まさか……」
「水の帯は弾性を調節できるからね、すごくよく飛ぶんだ」
アイザックは水の網を変形させると、まずはグレンだけを拘束したまま引きずり、ピンと張った水の帯の中心に置く。
ガタガタと震えるグレンを安心させるように、アイザックは微笑んだ。
第二王子の顔なら、子どもを安心させるような優しい笑顔だが、今の彼では獲物に留めを刺す笑顔である。
「あの旗まで届かなかったら、もう一回やろうね? 大丈夫。ちゃんと水で受け止めてあげるから」
「ぎゃ──────っ!!」




