【16】……ふぅん⤵︎
魔法戦の会場である森の中、空から七賢人達の声が聞こえる──アイザックの師である、モニカの声も。
アイザックは水の糸を手繰り寄せて、ウーゴが放った炎の矢を逸らしながら、唇の端が持ち上がりそうになるのを、必死で堪えていた。
あぁ、昔の自分に教えてやりたい。
──信じられるか? あんなに焦がれ、憧れていた人が、声を張り上げて、僕を応援してくれている!
偉大な師に一礼をしたい気持ちと、好きな女の子に手を振りたい気持ちがあったが、アイザックはそれをグッと堪えた。そうするだけの余裕がなかったのだ。
先ほどからアイザックは水の糸に索敵魔術を併用して、全員の位置を把握したり、糸を強化して移動妨害や防御をしたりと、常に忙しく立ち回っている。
常に全員の動向と糸の位置を把握し、必要に応じて詠唱を繰り返しているので、本当に余裕がないのだ。
(詠唱の長さを把握する訓練は、無駄じゃなかったな)
ヒューバードとノーマンに手伝わせたあの訓練は、一般的な魔術師が詠唱に使う時間、詠唱してから魔術が発動するまでの間を把握するためのものだった。
それが、この場にいる全員の攻撃を把握するのに、役に立っている。
グレンの火球は詠唱が長いので、対処しやすい。火球は水の糸で炸裂させることで防げるが、自分も巻き込まれないよう距離に注意。
ウーゴはこの中で唯一、雷の魔術が使える。そこで、ウーゴの周囲には水の糸を少し多めに配置しておいた。常にウーゴが水の糸に触れている状態にすれば、ウーゴは自分が感電することを恐れて、雷撃を使わなくなる。
そして、クラレンスは……。
(……来たか)
指に繋がる糸に微かな重さを感じた。糸の強化を解除し、早口で詠唱をして水中索敵魔術を発動。
アイザックから見て左後方の糸が浸食されている──これは、砂だ。
「まずは、貴方を制圧するべきと考えました」
そう言ってアイザックの背後から姿を見せたのは、〈天文台の魔術師〉クラレンス・ホール。
アイザックは水中索敵魔術を解除し、猟銃を構えた。
「それは、貴方が敬愛する予言者殿の助言かな?」
「私個人の勘です」
クラレンスの手は張り巡らされた水の糸に触れていた。そこから、砂が入りこみ、水の糸を浸食している。
アイザックが水、クラレンスが砂を操るとして、水と砂が混ざった時はどうなるか?
答えは明快だ。魔力量が多く、魔力操作技術が多い者が優位になる。そして、アイザックは魔力量でも魔力操作技術でもクラレンスに劣っていた。
故に、ここで取るべき選択は……。
(──切断)
アイザックは砂で浸食された糸を全て切り離し、手元の糸を強化した。
更に、詠唱をしながらローブに隠したナイフを一本取り出す。ナイフは、柄頭に金属製の小さな輪が埋め込んである特注品だ。この輪に水の糸を通して、離れた木に投擲。
低い位置にある糸を足場に高く飛び上がり、手元の糸を手繰り寄せるようにして、木と木の間を跳躍する。
つまりは、一時撤退だ。
* * *
白幕を睨みながら、ルイスはアイザックが操る水の糸について思案していた。
魔術師が同時維持できる魔術は二つまで。なら、アイザックの内訳はどう見るべきか?
(水の糸を遠くに飛ばすのに、ナイフを錘にした……ということは、魔力操作で糸を遠くに飛ばすことはできない)
アイザックの最初の一手は、水の糸を生成して操る魔術だ。
ただし、水の糸を大量に作ることに比重を置いており、糸の強度や操作精度は極めて低い。
アイザックの戦い方は、水の糸の量がそのまま索敵精度と妨害性能に繋がる。故に、糸の量を重視したのだろう。
(糸を操る能力は相当低いな。手元の糸を少し動かすぐらいはできるだろうが、自由自在とはいかない。特にこの手の魔術は、術者から離れるほど操作精度が落ちる)
例えばクラレンスは砂を蛇の形状にし、そこから分裂、変形させることができるが、アイザックの水はそれができない。
グレンの火球から身を守る時、少しだけ糸を動かしていたが、おそらくそれが限界なのだ。
その代わり、アイザックはそこに追加でもう一手使うことで、索敵と糸の強化を使い分けできる。もう一手使うなら、糸の複雑な操作も可能だろう。
つまるところ、現時点で考えられるアイザックの魔術の組み合わせはこうだ。
糸の生成(簡単な操作)+高度水中索敵
糸の生成(簡単な操作)+糸の強化(妨害、防御)
糸の生成(簡単な操作)+糸の複雑な操作
索敵、強化、複雑な操作を併用できないのが、アイザックの弱点だ。
(だが、はたしてグレンがそこに気づくか……)
無理だな、とルイスは一秒で結論づけた。
白幕の中では、アイザックがクラレンスから距離を取り、それを追っていたクラレンスがグレンと遭遇。互いに、木に隠れながら攻防を繰り広げており、ウーゴは一人ウロウロしている。はぐれたらしい。
(また、四人がバラけたな……)
こうなると、戦闘が長引くのだ。
ふと思いつき、ルイスは提案した。
「膠着状態が続いたら、追加ルールを作りません?」
「まぁ、どんなルール?」
メアリーが頬に手を当て、おっとり訊ねる。
ルイスは大真面目に言った。
「魔法戦の会場に〈深淵の呪術師〉殿を放り込んで、適当に呪いを撒き散らしてもらうのです。呪われた奴は負け、ってことで」
「お、俺のことを、なんだと思ってるんだ……!」
観戦そっちのけで腹に話しかけていたレイが、顔を上げて呻く。
ブラッドフォードが呆れたように言った。
「却下。それじゃあ、飛行魔術を使える、逃げ足の速いやつが有利だろうが」
そう、逃げ足の速さというのは、それだけで武器なのだ。
なのに、今日のグレンは何故、飛行魔術を使わず、ダラダラしているのか。
ルイスが苛立っていると、アイザックが動き出した。速い。彼は明確な意思をもって、どこかに向かっている。
次は一体、何を企んでいると思いきや、アイザックは森の中央にある柱──声を届ける魔導具に向かった。
アイザックは柱の前で足を止め、口を開く。
『サイラス兄さん、頼みがあるんだ』
観戦室の七賢人達が、一斉にサイラスを見た。
サイラスは驚いてはいたが、どこか満更でもなさそうな顔をする。
「なんだよ、アイク。アドバイスはルール違反になっちまうが、まぁ、兄貴分から激励の一言ぐらいなら……」
『声量を下げてくれ。モニカの応援が聞こえない』
数秒の沈黙。
そして響く、サイラスの怒声。
「おいこら、弟分っ! 兄貴分に対する敬意が足りねぇぞゴルァ! 大体お前は昔っから……」
「アイクっ、アイクっ、わたし、もっと大きな声で応援しますから、ねっ!」
なんだこの気の抜けるやりとりは、とルイスはずれた片眼鏡を押さえる。
白幕の中では、サイラスの怒声を予想していたアイザックが耳を塞ぎ、スタコラとその場を立ち去るところだった。
それを見たルイスは片眼鏡の奥で目を見開き、頬を引きつらせる。
(……やりやがった!)
ルイスの後ろのソファで、ブラッドフォードも小声で「上手いな」と呟いた。
少し遅れて、モニカもアイザックの狙いに気づいたらしい。彼女はアワアワと唇を震わせて、白幕と魔導具を交互に見ている。
「あ、アイク……まさか……まさかぁ……」
白幕の中で、グレン、ウーゴ、クラレンスの三名が同時に動いた。
彼らが目指すのは、森の中央にある柱──サイラスの怒声を聞いて、アイザックが柱のそばにいると考えたのだろう。
つまり、サイラスはグレン達を一箇所に集めるためのダシにされたのだ。
ようやくそのことに気づいたサイラスが、顔中に青筋を浮かべて叫ぶ。
「アイクお前この野郎ぉぉぉぉぉ!!」
グレン、ウーゴ、クラレンスが柱の前で遭遇し、再び戦闘が始まった。アイザックの姿はない。彼はサイラスを怒鳴らせると同時に、素早くその場を離れている。
グレン達と遭遇しない完璧な逃走ルートは、高度な索敵のおかげだろう。
(全員、あの男に踊らされている……)
ルイスはギシギシと歯軋りをした。
今日のグレンの攻撃は精彩を欠いている。今も、クラレンスとウーゴの攻撃を捌ききれず、ジワジワと押されていた。このままだと、真っ先に落とされかねない。
師匠からの助言は禁止。ならば、助言でなければ良かろう、とルイスは口を開いた。
「グレン」
響く低い声に、白幕の中のグレンがビクッと肩を震わせる。
「無様な負け方したら、シメる」
助言が駄目でも脅迫なら良いだろう、という屁理屈である。
その時、グレンが何かに気づいたように、ハッと目を見開いた。
グレンの近くにある魔導具の柱が、グレンの呟き声を拾う。
『オレ、気づいたっす。この中で、オレだけ……』
どうやらグレンは、ようやく気づいたらしい。
自分だけの強み──圧倒的な魔力量と、飛行魔術を活かした戦い方に。
まったく世話の焼けるクソガキだ。ルイスがため息をついていると、グレンの声が観戦室中に響く。
『オレだけ、師匠が怖い!!』
観戦室にゴフゥ、と笑いの吐息が広がる。
最も盛大に吹き出したのは、ブラッドフォードであった。もはや隠そうともせず、腹を抱えてゲラゲラ笑っている。
メアリーも口元に手を当て、「あらあら」と笑いを噛み殺しているし、レイとラウルは、さもありなん、と言わんばかりの顔でうんうん頷いている。
サイラスとモニカだけが、それを言って良いのか、とオロオロしていた。
そんな中、砂の矢の猛攻から逃げ回っていたグレンが、生気のない顔でボソボソと呟く。
『他の師匠はみんな、頑張れーって雰囲気なのに、オレだけ、負けたらシメるとか言われるし……』
クラレンスとウーゴが攻撃の手を止めて、グレンを見た。
年長者二人に同情の目で見られながら、グレンは投げやりな口調で言う。
『なんかもう、帰りたくなってきた……』
ルイスの頭に、数々の暴言が浮かんだ。
あまりにたくさん浮かびすぎて、どれから口にしようか迷っていたその時、観戦室の背後でガタッと音が響く。椅子が倒れる音だ。
「えぇい、なんだその腑抜けた態度は! グレン・ダドリー!」
サイラスの怒声の比ではない大声に、ルイスはかなりギョッとした。
* * *
わぁ……とモニカは声にならない声を漏らす。
椅子を蹴って立ち上がり、怒鳴り散らしているのは、白髭の記録係であった。
カツラとつけ髭をしていても分かる、怒りに燃える青い目、キリキリ吊り上がった眉毛──つまりは、いつものシリル・アシュリーである。
「魔法戦は互いに正々堂々と全力を尽くすのが礼儀! そんな腑抜けた態度で挑むなど失礼千万! セレンディア学園の卒業生としてあるまじき振る舞いだ! そもそも貴様の武器は、高威力の攻撃魔術と飛行魔術の併用にある。火球の制御の未熟さを補って余りある飛行魔術の機動力が貴様の強みだというのに、何故飛行魔術を使わない!」
白幕の中で、グレンはポカンと空を見上げている。その目にみるみる輝きが戻っていった。
モニカには、グレンの気持ちがとてもよく分かる。
ああいう、くさくさした気分の時、シリルの声はとても効くのだ。シリルのお説教の裏には、「応援している。頑張れ」という気持ちがあることを、モニカもグレンも知っている。
グレンが空に向かってブンブンと両手を振った。
その様子を、クラレンスとウーゴは攻撃せずに温かい目で見守っている。優しい。
『副会長ぉー! 応援に来てくれたんすかー!!』
「わ、私は副会長ではない。通りすがりの記録係だ」
『よーっし。ちょっと元気出てきた!』
グレンは己の頬を挟むようにパンと叩き、快活な顔で空に向かって宣言する。
『副会長ー! ビシッと決めるんで、応援しててくださいっすー!』
「無論、応援している。全力を尽くすように。それと、私は副会長ではなく、通りすがりの記録係……」
シリルが、はたと口を噤んだ。観戦室中の視線を独り占めしていることに、ようやく気づいたらしい。
モニカの横の席で、サイラスがボソリと呟く。
「あれって、図書館卿の兄ちゃんだよな? 何してんだ、あんな格好で」
モニカは焦った。
何故、シリルが変装をしてこの場にいたか分からないが、きっとシリルのことだから深い理由があるのだ。
大事な仕事の最中なのだろう。そう考えたモニカは、上擦った声をあげた。
「ひ、人違いだと、思い、まひゅっ」
「あぁ、あれはシリルじゃないぜ! だって見ろよ、あの立派な筋肉!」
ラウルも、その端麗な顔に汗をびっしりと浮かべ、白髭の記録係の立派な体を指差す。
サイラスが眉根を寄せた。
「いや、どう見ても中に何か詰めて……」
「イタチなんて詰めてないぜ!」
「あ? イタチ?」
ますます胡乱な顔になるサイラスと、アワアワするモニカとラウル。
その後ろでは、レイが顔を歪めて、
「……筋肉じゃなかった……騙された……呪われろ呪われろ呪われろ……」
と静かに呪詛を撒き散らしていた。
* * *
森の中を移動していたアイザックは、大変聞き覚えのあるキンキン声に足を止め、空を見上げた。
そうして碧い目を僅かに細め、無表情に一言。
「……ふぅん」
語尾下りの低い声に、呆れだけではない何かを感じたのか、ローブの襟元からウィルディアヌが顔を出す。
「あの、マスター……」
「ウィル。そろそろ決着をつけよう」
素っ気なく言って、アイザックは猟銃を担ぎ直し、歩き出した。
ウィルディアヌが参戦したら、水の糸の維持、強化、操作などのサポートができるので、手数が増えて相当強いです。
ウィルディアヌは上位精霊の中では力が弱く、大量の水を操るのは苦手です。
なので、魔力節約のため水の量を制限し、極細の糸にして戦うアイザックの戦闘スタイルとは相性が良いと思います。




