【14】ご家庭に一人は欲しい魔術師
〈結界の魔術師〉の弟子、グレン・ダドリーは木にもたれて、大欠伸をしていた。
流石に魔法戦の最中に居眠りをする気はないが、率先して動き回ろうという気も起きない。
自分の失言が原因ではあるが、前日の夜から師匠に追い回されて寝不足なのだ。
(師匠も、あんなにピリピリしなくていいのになー……)
初級魔術師試験の勉強をアイザックに見てもらい、そのおかげで合格できたことを白状したら、ルイスは膝から崩れ落ち、両手で顔を覆って項垂れた。
かと思いきや、地の底から這うような低い声で「馬ー鹿ー弟ー子ーぃぃぃ」と唸って、頭に拳をねじ込んできたのである。頭の両側が陥没したんじゃないかと思うぐらいに痛かった。
あふぅ、と欠伸を繰り返したグレンは、ハッとした。そういえば、この魔法戦は離れた会場で観戦されているのだ。
適当なことをするとルイスに怒られる。だが、やる気は起きない。
グレンは唇を尖らせて、うーんと唸った。
(……とりあえず歩いてみて、誰か見つけたら戦う、みたいな感じでいいかな)
飛行魔術を使おうとは思わなかった。これは、やる気がないからじゃない。アイザックが猟銃を持っているからだ。
グレンは直接見ていないが、第二王子を演じるアイザックが、レーンブルグの呪竜の眉間を正確に撃ち抜いた話は聞いている。
(会長、めちゃくちゃ銃の腕が良いらしいし……うん、やっぱ、飛ぶのはやめとこう)
魔術師に杖を向けられたら、漠然と「何かされる」と思う。攻撃魔術を使われるかもしれないし、防御結界を張られるかもしれない。
だが銃は違う。銃にできるのは「撃つ」ことだけ。故に、銃口を向けられると「撃たれる」と強烈に意識させる力がある。
まして、魔法戦開始前に、銃を突きつけられているともなれば尚のこと。意識せずにはいられない。
──それをアイザックが計算し、魔法戦開始前から猟銃を意識させていたことを、グレンは知らない。
グレンは適当に森を歩きだす。
歩く方向こそ適当だが、彼は決して油断はしていなかった。
グレンは事前に、ルイスから対戦相手の情報は叩き込まれている。ルイスは以前七賢人候補探しをしていたので、国内の有力な魔術師の情報に詳しいのだ。
そんな情報通なルイス曰く。魔術師としての実力が最も高いのは、砂を操る〈天文台の魔術師〉クラレンス・ホール。
七賢人候補には一歩及ばないが、飛行魔術さえ使えれば、魔法兵団に欲しいほどの実力者だという。
次にウーゴ・ガレッティ。中級魔術師だが魔力量が多く、扱える魔術の種類が多い。時間稼ぎが得意で、かつ魔力量がそこそこあるので、長期戦での反撃に注意。
そして、最後にアイザック。
魔術師としての実力は未知数の彼について、ルイスは二つの助言をした。
『近距離戦闘は避けろ。水場には近づくな』
グレンもアイザックの身体能力の高さを知っているので、油断する気はない。
グレンは歩きながら耳を澄ませた。そうして、周囲に人の足音や詠唱の声が聞こえないか、注意を払う。
……注意を払っていたのに、彼は何かに躓き、よろめいた。
「わっ、ととっ!?」
足首に何か引っかかった感覚があった。蔓か何かだろうか──そう思って足元を見たグレンは気がついた。
透明な糸。おそらく水の魔術。
(会長だ!)
水の魔術ならウーゴも使える。
だが、なんとなく、この罠はアイザックの仕業だと思った。
グレンは己の直感に従い、よろめいた足で地面を蹴って、前に転がる。
それとほぼ同時に、銃声がした。
かわした、と思った瞬間、左足に痛みが走る。
「ぎゃっ!?」
魔法戦の結界の中では、肉体は保護されているが、受けた攻撃の分だけ痛みはある。実際の銃撃よりだいぶマシな痛みだとは思うが、それでも痛いものは痛い。
グレンは痛みを堪えて木陰に逃げ込み、詠唱をした。火球の魔術だ。
銃撃に遠隔魔術を仕込むことはできない。故に、銃弾が飛んできた方角で、敵の居場所は割り出せる。
「だりゃあっ!」
グレンは一抱えほどある火球を、銃弾が飛んできた方角に放つ。
だが、火球はほんの数歩分飛んだところで、突然炸裂した。
自分の火球の爆炎に巻き込まれたグレンは、「ぎゃっ」と叫びながら、地面を転がる。
一瞬、火球が炸裂したあたりに、何かがキラリと光るのが見えた。木と木の間に、水の糸が張り巡らされているのだ。
(……会長に届く前に、火球が水の糸に当たったんだ!)
もし、グレンが放ったのが火の矢だったら、糸と糸の間をすり抜け、敵に届いたかもしれない。
だが、一抱えもある火球は張り巡らされた糸にぶつかり、そして炸裂してしまった。
爆発する性質があるグレンの魔術とは、相性が最悪の罠だ。
こうなると、グレンは下手に攻撃魔術を使えない。糸にぶつかった瞬間、火球が炸裂してしまう。
立ちあがろうとした時、また銃声がした。左腕に痛み。それも、一点を貫かれるような痛みじゃない。広範囲に痛みがある。
(なんか変だ、この弾……!)
グレンは痛む体を引きずり、木々を盾にその場を離脱した。
走りながら目を凝らして周囲を見ると、ところどころに極細の糸が見える。蜘蛛の糸じゃない。水の糸だ。
なるべく水の糸を避けるように逃げると、前方に見覚えのある柱が見えた。モニカが開発したあの魔導具の柱だ。
グレンはさぁっと青ざめる。
柱の前で猟銃を手に佇んでいるのは、右目の上に傷痕のある長身の青年──アイザック・ウォーカーだった。
* * *
魔術師が一度に同時維持できる魔術は二つまで。故に、下手に魔術を分割してしまうと、手数が足りなくなる──というのが、一般的な認識だ。
そこでアイザックは考えた。
水の糸は一度解除すると張り直しになるから、長時間維持する必要がある。
ならば、糸の強度を最小限にして、維持に必要な魔力量を削減。その上で、必要に応じて別の魔術と併用すればいい。
水中索敵魔術と併用すれば、高精度の索敵。
水の糸を強化する魔術と併用すれば、糸を盾や足場にできる。
先ほどグレンの火球を防いだのも、この方法だ。一時的にグレンの近くにある糸だけ強化し、糸に触れた火球を炸裂させた。
そうして、追い詰められたグレンが水の糸が少ない方向に逃げるように仕向け、先回りしたのだ。
グレンは顔に脂汗を滲ませて、アイザックの手の中にある猟銃を見ている。
「会長……その弾、なんか、おかしくないっすか?」
モニカが作った柱のそばでの会話だ。観戦者達にも、この会話が届いているだろう。
アイザックは穏やかな声で、グレンに応じた。
「珍しいだろう? 狩り好きの貴族達が出資している、散弾銃という技術の応用なんだ」
弾丸に予め魔力付与しておく戦い方は、魔導具とほぼ同じだ。魔法剣と違い、魔術の一手に数えない。
故に、水の糸の維持と操作に手数を割きたいアイザックにとって、猟銃を武器とする戦い方は都合が良かった。
ただし、銃は被弾面積が少ないので、魔法戦でダメージを与えづらいという弱点がある。
そこでアイザックが考えたのが、散弾銃だ。
散弾銃はまだ実用化に至っていない技術だが、水の魔術ならそれが再現できる。
「被弾する直前に、弾丸に付与した水の魔力が細かく飛散するから、攻撃の当たり判定が広くなるんだ」
散弾銃は飛距離と貫通力が落ちるので、対竜戦闘向きではないが、被弾面積が重要になる魔法戦では役に立つ。
水中索敵魔術で戦況を見極め、必要に応じて水の糸を足場や盾にし、そして水の散弾銃で敵を撃つ。
これが、魔術師アイザック・ウォーカーの新しい戦闘スタイルだ。
「すまないね、ダドリー君。ちょっと痛くするよ」
アイザックは猟銃を構え、申し訳なさそうに微笑む。
目つきの悪さ故に、傍目には敵を見下す嘲笑であった。
* * *
白幕の中では、アイザックが水の散弾を撃ち、グレンが必死になって逃げ回っている。
サイラスは口元を手で覆って、森に声が届かないよう気をつけつつ、隣に座るモニカに言った。
「アイクの奴、なかなか面白い技を使うじゃねぇか……にしても、あいつ、散弾なんてどこで知ったんだ?」
モニカの脳内で、美しい顔の第二王子が「王族だからね」と微笑んだ。
王族としての情報網や、新技術に関する知識もまた、アイザックの強みである。
モニカ達の座るソファの後ろから、ラウルがヒソヒソ声でモニカとサイラスに話しかけた。
「すごいじゃないか、アイザック。これ、あっという間に上級魔術師になれちゃうんじゃないか?」
「はい、わたしの弟子は、凄いんですっ」
プスプスと小鼻を膨らませて頷くモニカに、サイラスがニヤリと笑った。
「姐さん、今の内にあいつの二つ名、考えとけよ。あいつも師匠から貰った方が嬉しいだろ」
「いいな、それ! かっこいいやつ、考えてやろうぜ!」
サイラスの提案に、ラウルもニコニコ頷く。
〈沈黙の魔女〉や〈竜滅の魔術師〉といった二つ名は、実績のある上級魔術師に与えられるものである。
〈茨の魔女〉や〈深淵の呪術師〉のように受け継がれる場合もあるが、大抵は魔術師組合が決めて、本人に打診する。
中には師匠や本人が決める場合もあり、サイラスも自分から〈竜滅の魔術師〉を希望したらしい。
「アイクの、二つ名……」
モニカは顎に拳を当てて考える。
この手の二つ名は、得意としている魔術や性質からつけるのが一般的だ。
「水……水……うぅん、二つ名に水がつく魔術師って、結構いるんですよね……」
「アイザックって、水以外に得意な魔術はないのかい?」
ラウルの言葉に、モニカはハッと閃いた。
あるではないか。アイザックにしか使えない、特別な魔術が。
アイザックの手元に突然現れたり、消えたりする武器。
時に、どこからともなく素敵なお菓子を取り出し、彼はウインクをしてこう言うのだ。
──無詠唱収納魔術だよ。
モニカは新しい魔術式を思いついた時のような真剣さで、拳を口元に当て、呟く。
「無詠唱収納魔術の使い手…………つまり、アイクは……〈収納の魔術師〉……!」
「一気に家庭的になったな……」
半眼になるサイラスの背後で、ラウルが「片付け上手だもんな〜」とウンウン頷いた。
* * *
観戦席のお師匠様が、大変家庭的な二つ名を口走っていた、一方その頃。
アイザックは家庭的とは程遠い戦いぶりで、グレンを着実に追い詰めていた。
アイザックの操る水の糸は、強化の魔術に一手使うことで、糸の強度を変えられる。
触れれば切れる脆い糸が、突然頑丈になるのだ。その変化に、グレンは分かりやすく翻弄されていた。
そして、グレンの動きが止まったところを散弾銃で攻撃。
一見、アイザックが有利に見える状況だ。
それでも、このままだと敗北するのは自分だと、アイザックは冷静に判断していた。
(やはり、僕だけだと削りきれないな)
それほどまでに、グレンの魔力量は多いのだ。
アイザックは魔力付与した弾丸を事前に用意することで、攻撃に使う魔力を節約している。それでも、圧倒的な魔力量の差を埋めるには足りない。
アイザックは次弾を装填しながら、口を開いた。
「銃と魔術を比較した時、よく挙げられるのが、銃声だ」
「……?」
グレンが逃げ回りながら、怪訝そうにアイザックを見る。
アイザックはグレンの足元にある糸を強化して、行動を妨害しつつ、言葉を続けた。
「銃声は、敵に居場所を知らせてしまう。故に銃は不利だ、という意見もあるけれど……」
耳をすませば、慌ただしい足音が聞こえる。それも、二つ。
「居場所を知らせたい時には、便利だね?」
グレンの背後から、誰かが飛び出してきた。必死の形相で走るウーゴだ。銃声を聞きつけて、こちらに移動したのだろう。
少し遅れて、砂の矢がウーゴとグレンに降り注ぐ。
ウーゴがそれを防御結界で防ぎながら叫んだ。
「やーっと見つけた、グレン君とウォーカー君! 四つ巴の混戦なら、なんとかなる気がするんだわー! いけるいける、多分いける! 頑張れ俺!」
森の奥から姿を見せたクラレンスも、皮袋を開けながら、おっとり言った。
「これは、出し惜しみできませんね」
皮袋から流れ落ちる砂が、大蛇の形をとる。大蛇の頭は、グレンに向けられていた。
ウーゴもクラレンスも、アイザックよりグレンを警戒している。当然だ。この場で最も魔力量が多いのはグレンなのだから。
「会長……まさか、これを狙って……?」
グレンが引きつり顔でアイザックを見たので、アイザックは薄い微笑を向けた。
「人を動かすのは、得意なんだ」
それは年上の余裕の微笑である──が、傍目には、罠にかかった獲物に向ける酷薄な笑みであった。




