【13】意味のある分割
森の中を適当に走っていたウーゴは、そこそこ木が密集した場所を見つけると、そこで足を止めて呼吸を整えた。
(うーん、そろそろ鐘が鳴る頃かなー……)
魔法戦開始の鐘が鳴るまでの五分間。この間に何をするかは、人によって様々だ。
ひたすら移動にあてて、自分が有利な位置に待機する者。
魔導具などで罠を仕掛ける者。
そして、索敵の魔術で敵の位置を調べる者など。
この索敵の魔術、一見便利そうに見えるが、実は扱いが非常に難しい。
術者を中心に一定の範囲内にある魔力反応を調べるものなのだが、魔術を使っていない者は、まず索敵に引っかからないのだ。
魔導具は性質によりけりだが、発動していない状態なら、見つけられないことの方が多い。
それならばと索敵の精度を上げると、今度は微弱な魔力にも反応してしまい、潜在魔力量の多い通りすがりの動物や、たまたま周囲を漂っていた下位精霊も索敵に引っかかってしまうのだ。
更に言うならこの魔術、あくまで魔力反応を調べるだけなので、索敵に引っかかっても、それが誰かまでは分からない。
魔力反応が高速移動していたから、きっと飛行魔術を使っているグレンだろう──という具合に推測するしかないのだ。
(でもって、索敵魔術の最大の難点……自分が索敵魔術使ってる最中に、他の奴が索敵魔術使ってたら、それに引っかかっちゃうんだよねー。結局、索敵魔術も魔術なわけだし)
ということを踏まえて、ウーゴは詠唱を始める。
魔法戦における初手の最適解。それ即ち──。
(開始と同時に、半球体型防御結界! これが最適解なんだわー!)
リィン、リィンという鐘の音が頭上から響いた。魔法戦が始まるのだ。
ウーゴは鐘の音が鳴るのとほぼ同時に、自分を全方向から守る半球体型防御結界を展開する。これで、いきなり攻撃を仕掛けられても安全だ。
ただ、この初手防御結界作戦には、致命的な欠点があった。
──開始と同時に何も起こらないと、とても格好悪いのだ。
ウーゴは結界を維持しながら周囲を見る。
敵の攻撃は、ない。
これではウーゴが、周囲に敵はいないのに無駄に防御結界を張った臆病者みたいではないか。
ウーゴはニヒルな表情を取り繕い、意味深にフッと鼻を鳴らした。そうして気取った仕草で指を持ち上げ、引っ詰め髪から一房飛び出した前髪をピンと弾く。
「やれやれ、俺としたことが………慎重になりすぎちまったな」
弾いた前髪がビヨヨンと揺れて定位置に戻る──その瞬間、ウーゴの背後で音がした。
ザァッという音だ。風が、細かな何かを運ぶ音に似ている。
振り向くと、ウーゴの後方から十本近くの砂の矢が飛び出し、半球体型防御結界に直撃した。
「おあぁぁぁぁっ!?」
ウーゴは比較的防御結界が得意なのだが、その防御結界にヒビが入るほどの攻撃だ。
ウーゴは慌てて結界に魔力を流し込む。
(あの砂、魔力密度やばっ……! 初手で全力攻撃じゃんっ!!)
防御結界に塞がれ霧散した砂は、地面に落ちることなく、そのまま砂塵となって宙に漂っている。
その砂の一粒一粒が、防御結界のヒビを押し広げて侵入してくるのを感じた。
(やばっ、やばっ、やばっ……!)
ウーゴは慌てて防御結界を解除し、木陰に逃げ込もうとした。だが、あと一歩のところで砂が鞭のようにしなり、ウーゴの尻を強かに叩く。
「あいったぁ!!」
べショリと地面に倒れたウーゴは、その勢いのままゴロゴロと転がり、木陰に逃げ込む。
押さえた尻がじんわり痛い。ついでにダメージの分だけ魔力も削られた。
砂を操る魔術──いたではないか。魔法戦の参加者に、それっぽいものを持ち込んでいた人が。
ウーゴが頭に思い浮かべた人物が、木々の陰から姿を見せた。
黒髪の落ち着いた雰囲気の中年男性、〈天文台の魔術師〉クラレンス・ホール。
彼は片手に口の開いた皮袋を握りしめ、穏やかにウーゴを見つめていた。
「初手で防御結界……流石、〈砲弾の魔術師〉様の守護者。慎重なのですね」
(〈砲弾の魔術師〉の守護者? なにそれカッコいい! 俺って周りにそういう風に思われてんの? そこんとこ詳しく聞きたいんだけど、それどころじゃないー!)
木陰に隠れたウーゴが打たれた尻を押さえていると、周囲に漂っていた砂塵が、クラレンスの皮袋の中に戻っていく。
砂でパンパンに膨らんだ皮袋は、ボンヤリと発光していた。おそらく、魔力を付与し直したのだ。その手際の良さに、ウーゴはちょっぴり嫌な予感を覚えた。
「クラレンスさんさ、もしかして……戦闘慣れしてる?」
「いいえ」
クラレンスは穏やかな口調で否定し、砂袋の口をウーゴに向ける。
「我が師〈星詠みの魔女〉様の身に何があってもお守りできるよう、備えているだけでございます」
「備えが重くない??」
ウーゴは〈暴食のゾーイ〉騒動の時に連絡係をしていたので、クラレンスとは何度か言葉を交わしている。
学者気質の魔術師は、他者との交流が苦手な者も少なくないのだが、クラレンスは人当たりが良く、話しかけやすい人物だ。
以前話した時のような温和な空気はそのままに、クラレンスは詠唱をしながら二つ目の皮袋にも手をかけた。
皮袋から溢れる砂が、矢に形を変える。その数、ざっと三十以上。
顔を引きつらせているウーゴに、クラレンスは、はにかみながら言う。
「この度の魔法戦、マイレディが観戦されると聞いて……少々張り切って、砂を詰めてしまいました」
温和なはにかみ顔と、砂の矢の殺意が釣り合っていない。
ウーゴは胸の内で「わぁー」と呟きながら、早口で防御結界の詠唱をした。
* * *
ヒラヒラと空を飛ぶ蝶が、何もない空中でピタリと静止した。
よく目を凝らせば、その蝶は極々細い糸状の何かの上にとまっているのだが、この場でそれに気づいた者はいない。
蝶は再び、羽を動かして飛び立っていく。木々の間に張られた糸を微かに揺らして。
その糸は蜘蛛の糸ではない。木綿や絹とも違う。魔術を使って水の塊から紡ぎだした、極細の糸だ。
それが森の至る所に張り巡らされており、糸の末端は全て、一人の男の指に伸びている。
黒いローブを着て、猟銃を背負った長身の男──〈沈黙の魔女〉の弟子、アイザック・ウォーカーは両の指に絡めた糸を見下ろした。
「これで、めぼしいところには行き届いたかな」
呟くアイザックに、襟元に隠れたウィルディアヌが訊ねる。
「対戦相手が感知や索敵の魔術を使ったら、この糸の存在に気づかれるのでは?」
「この糸は、ギリギリまで魔力量を落としてあるんだ。索敵魔術を使われても、相当精度を上げない限り、まず見つからない」
もし、索敵魔術の精度を上げたなら、森の広域に張り巡らされたごくごく細い糸に気づくだろう。
だが、魔法戦で索敵の精度を極端に上げる者は滅多にいない。
精度を上げすぎると、関係のない魔力反応も拾ってしまう。そのことを、索敵に慣れている者ほどよく知っているからだ。
「仮に索敵で気づかれたところで、大した問題ではないよ。このごく僅かな水が脅威になるなんて、誰も考えないだろう?」
手元の糸は、蜘蛛の糸のように細く頼りない糸だ。触れただけで、ぷつりと切れる。
アイザックはこの糸を決して自由自在に操れるわけではない。多少の操作はできるが、一定距離を離れたら操作は不可能。
広域に糸を張り巡らせるには、ひたすら走り回るしかないし、当然に時間がかかる──だからこそ、この魔術は序盤に使いたかったのだ。
「さぁ、始めるぞ」
アイザックは水の糸を維持したまま軽く目を閉じ、詠唱を始める。
口にするのは索敵魔術の詠唱──ただし、一般的な索敵魔術とは違う。彼が独自に開発した、水中索敵の詠唱だ。
水中索敵魔術は、その名の通り、水中の敵の位置を正確に把握するための術だ。地上で使っても意味はない。
だが、この森の全域に広げた水の糸に水中索敵術式を重ねれば──少し、面白いことができるのだ。
(水中索敵術式、発動)
閉じた瞼の裏側に、張り巡らせた糸の模様が広がり、そこに光の点が重なった。
* * *
〈竜滅の魔術師〉サイラス・ペイジは、自分の声が森に届かないよう口元に手を当て、隣に座るモニカに小声で訊ねた。
「姐さん、あれって……水中索敵魔術だよな?」
モニカも口を両手で覆って、小声で応じる。
「そうです。アイクが開発した、あれです」
「水の糸に水中索敵重ねるって発想は面白いが……それ、普通の索敵でいいだろ、ってならねぇか?」
サイラスの疑問も尤もだ。
普通の索敵魔術なら、糸を張る手間はいらない。その場で詠唱するだけでいい。
だが、あの糸にはいくつかの意味があるのだ。
「従来の索敵魔術だと、魔力反応を調べるだけですが……アイクの水中索敵魔術は、すごく精度が高くて、対象の体の大きさとかも、ある程度分かるんです」
アイザックが開発した水中索敵魔術は、討伐の難しい水竜の位置を正確に捉えるために作られたもので、通常の索敵魔術とは似て非なる代物なのだ。
地上でこの魔術を使う場合、張り巡らされた水の糸が、触れた物の情報を正確に伝えてくれる。
「今のアイクには、誰がどこにいるか。どのぐらいの威力の魔術を使って、残り魔力量がどれぐらいか……手に取るように分かっているんです」
アイザックの最大の武器は情報収集能力と、それを活かす頭脳にある、とモニカは常々思っている。
水の糸と水中索敵魔術の併用。戦場の正確な情報を集められる、彼らしい魔術だ。
モニカが小声で解説をしていると、後ろのソファに座っていたラウルが、背もたれに顎をのせて、小声で訊ねる。
「でも、いいのかい? あれだと、モニカの嫌いな術式分割になっちゃうだろ?」
アイザックが今使った魔術は、水の糸を張るのに一手。水中索敵術式に一手使っている。
索敵のために、二手使ってしまっている状態なのだ。一見、非常に無駄が多いように見える。
だが、モニカはフスッと鼻から息を吐き、サイラスとラウルを手招きした。
顔を近づける大男二人に、モニカは得意気に耳打ちする。
「あれは、意味のある分割なんです。すぐに分かります、よっ」
* * *
水の糸に触れる者の情報を、水中索敵魔術を使ってアイザックは正確に読み取っていく。
流れてくる情報は膨大だが、情報の解析や分析は彼の得意分野だ。
現在交戦中なのは、クラレンスとウーゴ。二人の魔術師としての技量は事前に調べている。
上級魔術師クラレンス・ホール。最大魔力量一六〇、得意属性は土。砂に魔力付与して戦う。中〜近距離戦闘が得意。
中級魔術師ウーゴ・ガレッティ。最大魔力量二〇〇、得意属性は火だが、全属性を扱える。ただし、攻撃魔術よりも防御結界の方が得意。
現状、優勢なのはクラレンスの方らしい。
砂の魔力がウーゴをジワジワと追い詰めている。
(これは、あまり良くない状況だな……)
アイザックでは、魔力量のバケモノであるグレンを倒せない。
故に、この魔法戦ではクラレンスとウーゴの二人に、グレンを削ってもらう必要があるのだ。
ここで、ウーゴかクラレンスのどちらかが脱落するような事態は避けたい。
(混戦に持ち込みつつ、ダドリー君を狙わせるように仕向ける必要があるな)
一方グレンはというと、交戦中のウーゴ達に気づいていないのか、一箇所にとどまって動かない。今日の彼は、本調子ではないのだろう。
アイザックとしては、グレンに全力を出されても困るが、消極的な戦い方をされても、それはそれで都合が悪い。
圧倒的に魔力量の多いグレンは、戦闘を避け、終了時刻までダラダラ逃げ回っているだけで、この魔法戦に勝ててしまうからだ。
(……ダドリー君には可哀想だけど)
アイザックは水の糸は残したまま、水中索敵魔術だけ解除した。
そうして、両の指に絡みついた糸を一度全て左手に集める。
この糸にはまだ使い道があるのだ。一度解除してしまうと、また一から張り直しになるから、このまま残しておきたい。
「ウィル」
「はい」
「ちょっと、ダドリー君に意地悪をしに行こう」
最後に確認したグレンの位置を頭に思い描き、アイザックは猟銃に手をかけた。




