【12】決め手は手
魔法戦観戦室は、部屋の奥に魔法戦の様子を映し出す白幕が設置されており、その前に七賢人達が座るソファが前列に二つ、後列に二つずつ並んでいる。
そしてソファの後方には、記録係用の簡素なテーブルと椅子が用意されており、そこにシリルは着席していた。
先ほどから彼の心臓は早鐘を鳴らしており、テーブルの上で組んだ指には、じっとりと嫌な汗が滲んでいる。
左肩の上に潜り込んだピケが、襟元から少しだけ顔を覗かせてシリルに声をかけた。
「暑い?」
「え」
「汗をかいてる」
「……大丈夫だ」
小声で言葉を返し、シリルは俯く。
白幕に映った光景──新しい魔術を誇らしげに語るモニカと、そんな彼女を見つめるアイザックの紅潮し、喜びに満ちた顔。
それを見た瞬間、シリルはビックリした。そう、とてもビックリしたのだ。
動揺し、混乱し、頭が真っ白になって、そうして動揺が少し落ち着いた頃、今度は、胸の奥から込み上げてくる自分勝手な感情に、シリルは二度ビックリした。
──私が、あの方に、そんな感情を抱くはずがない!!
焦ったシリルは、込み上げてきた感情を大慌てで胸の奥に沈めた。
今は箱の蓋を押さえて、出てくるな、出てくるな、と祈るような気持ちで自分に言い聞かせている。
本当に、最近の自分は全然清廉潔白じゃない。浅ましい感情を思い知ってばかりだ。
ふと、〈識守の鍵ソフォクレス〉の言葉が頭をよぎった。
『お主は、自分に対しても、他人に対しても、綺麗な部分しか見ようとしない悪癖があるぞ』
(あぁ、まったくもってその通りだ。貴方は正しい、偉大な賢人ソフォクレス)
それでも、もう少しだけ待ってくれ。と思う。
アイザックに対し抱いた、その感情を直視することが、シリルは酷く怖いのだ。
その時、バタンと何かが開く音がして、シリルはビクッと肩を竦めた。心の蓋が開いた音ではない。部屋の扉が開いた音だ。
(モニカ達が、戻ってきたのか……)
シリルはモニカにばれぬよう、サッと俯く。
……サッと俯く記録係を見て、モニカは思った。
(あ、シリル様だ)
見抜くのにかかった時間は僅か数秒。
決め手は手の形──具体的には指一本ずつの長さ、関節ごとの長さ、爪の形などである。
モニカは彼を構成する数字はかなり正確に記憶しているし、同じ数字を書類等で見かけては、胸をドキドキさせているから間違いない。
おそらく、ローブの肩の辺りの膨らみは二匹のイタチだろう。
(多分右肩がトゥーレで、左肩がピケ、かな?)
もうこの時点で、「次にシリル様に会ったら、どんな顔をしたら……」という乙女の悩みは霧散していた。だって、シリルの格好は、どう見てもそれどころじゃない。
(どうして、シリル様が変装して記録係を……)
ソファに座るラウルがソワソワとシリルの方を見ているから、きっとラウルは事情を知っているのだ。
モニカは考えた。
もしかしたらこれは、図書館学会役員としての重要任務なのかもしれない。モニカもまた、極秘任務で正体を隠してセレンディア学園に潜入した身である。
ここで「シリル様、こんにちは」と挨拶をしたら、きっとシリルは困るだろう。
ならば、変装している事情は後で聞けば良い。その上で、モニカに手伝えることがあったら、申し出れば良いのだ。
モニカは、シリルの方をチラチラ見たくなるのをグッと堪えて、ソファに向かった。
「姐さん、こっちどうぞ」
前列左側のソファに座っていたサイラスが、中央寄りの席をモニカに譲った。
モニカはペコペコと頭を下げて、サイラスの隣に座る。
「わ、すみません……」
「姐さんはアイクの師匠だしな。やっぱ最前列で見たいよな」
「あ、ありがとうございますっ!」
前列左側のソファには、モニカとサイラスが座り、その後ろの後列左側のソファには、弟子のいないラウルとレイ。
前列右側のソファには不機嫌そうなルイスが足を組んで一人で座り、その後ろの後列右側のソファにはメアリーとブラッドフォード、という配置になった。
一緒にアイザックを応援できるサイラスが同じソファなのは気楽だし、ありがたい。
モニカとルイスが着席したところで、メアリーが立ち上がり、水晶玉の前に立って手をかざした。
「あたくしの声は聞こえるかしら、クラレンス?」
『はい。マイレディ』
「それでは、これよりルールの説明を始めます。まずは全員、判定用魔導具の腕輪は受け取ったわね〜?」
白幕の映るクラレンスが左手首につけた腕輪を、こちらにも見えるように軽く掲げてくれた。他の三人も同様に、左手首に腕輪をつけている。
この腕輪は装着者の魔力量が十分の一以下になると、宝石部分が光る仕組みだ。
(アイクの魔力量は本来は一五三……今はあの顔を維持するために、七十五ぐらいまで減らしているはず)
モニカは膝の上に乗せた手を、ギュッと握りしめた。
魔力量七十五は、初級魔術師相当の魔力量。圧倒的に不利な数字だ。それこそ、グレンの高火力の魔術を喰らったら、一撃で敗北となりかねない。
こうなると、ひたすら逃げ回って、他の参加者同士で戦うように仕向け、魔力を消費させるのが最善手となる。
だが、アイザックはこの魔法戦で、ただ勝利するだけでなく、魔術師としての価値をルイスやメアリーに認めさせないといけないのだ。
(それが、難しいことだって、分かってる……でも……)
アイザックなら、きっとこの課題をクリアできるとモニカは信じていた。
それは、師匠としての贔屓目ではない。
彼が非常に優秀で、魔術に対して真摯であることを──そして、まぁまぁ狡賢くて強かで要領が良いことを、モニカは知っているからだ。
セレンディア学園時代、学園祭でグレンに主役をサラリと押し付けた要領の良さを、モニカは今も覚えている。
(アイク、頑張って……アイクなら、きっと、できます!)
モニカが胸の内で声援を送っている間も、メアリーの説明は続いている。
物理攻撃は無効。
ダメージの分だけ魔力量が減り、最大魔力量の十分の一を切ったら失格。
魔法戦の結界の外に出たら失格。
制限時間は一時間。時間切れになった場合、残存魔力量で勝敗が決まる。などなど。
「それと、飛行魔術を使う子は、森で一番高い木に結んだ旗を目印にしてね〜。その高さを超えたら、反則よ〜」
これに気をつけなくてはならないのは、主にグレンだろう。
白幕に映るグレンは、目の上に手をかざして、目印の旗を探している。
メアリーは参加者達に他の質問はないか確認すると、今度はクルリとモニカ達の方を向き直った。
「次は、観戦する側のルールを決めておきましょう。モニカちゃん、観戦室の声は結界全体に響くのよね?」
「は、はいっ!」
「ならば、観戦室から参加者の位置や行動などを教える行為は厳禁。師匠ができるのは、あくまで応援のみにしましょう?」
これは、声を届ける方法を提案した時、ルイスも言及していたことだ。
観戦室にいるモニカ達は、白幕に映る光景が見えているので、誰がどこに潜伏しているか、弟子に伝えることができてしまう。
それだと、魔法戦の前提が変わってしまうので、今回は応援のみにとどめておくのは妥当な判断だった。
メアリーは前列に座るルイスを真っ直ぐに見て、念を押す。
「良いわね、ルイスちゃん?」
「……何故、私に念を押すんです?」
「だって〜。声を届けることができたら、ルイスちゃん、応援するふりをして、符丁で敵の居場所を伝えるぐらいするでしょう?」
「そういうことなら、ご安心を」
ルイスは己の胸に手を当て、心清らかな聖人の顔で断言した。
「グレンに、符丁を覚える頭など、ありませんから」
『師匠ー、ふちょーってなんすか?』
白幕の中、グレンが柱に向かって訊ねる。
ルイスは、ほら見たことかと言わんばかりに肩を竦めた。
メアリーはクスクス笑いながら、再び水晶玉と向き合う。
「これより五分後に開始の鐘を鳴らします。開始までの五分間、飛行魔術で移動をしても良いし、罠を仕掛けても良いわ。ただし、敵にダメージを与える行為は禁止します。各々よく考えて動くように──それでは、移動開始」
* * *
『──それでは、移動開始』
頭上から響く声が、開始を告げると同時に、アイザックはその場を離れた。アイザック以外の三人も、それぞれ別方向に走っていく。
魔術は詠唱が必要なので、魔法戦の開始時は、ひとまず潜伏するのが定石なのだ。
アイザックは自分と反対方向に走っていくグレンの後ろ姿を、首を捻って確認した。
(やはり、ダドリー君は飛行魔術を使うことを躊躇したな)
森の中は障害物が多いから飛びづらい。木より上の高さを飛ぶと、目立って的になりやすい。うっかり高く飛びすぎると反則になる。だったら、走って移動した方が良い──とグレンは考えたのだろう。
それは、アイザックにとって非常に好都合だった。アイザックが使う魔術は、どれも飛行魔術と相性が悪いのだ。
「さぁ、始めるぞ、ウィル」
アイザックのローブの襟元に隠れているトカゲ姿のウィルディアヌが、小声で返す。
「驚きました……本当に、マスターが予想した通りの会場です」
「七賢人が揃って観戦することと、魔力量が多いダドリー君がいることを考えると、会場は限定されるからね」
アイザックの場合、魔法戦の会場が勝敗を大きく左右するので、予め会場に当たりをつけている。無論、対戦相手となる魔術師達の得意魔術や、魔力量も調査済みだ。
この魔法戦、アイザックはルールに則って、正々堂々と挑むつもりでいる。
言い換えると、ルールに反していないなら、できることは何でもするつもりだ。
情報収集は徹底的に。必要ならば、猟銃をちらつかせて心理戦も。隠し装備だって、色々と新調している。
魔術以外でも、勝つためにできることがあるのなら、やらない理由がない。
「さぁ、お師匠様の期待に応えよう」
アイザックは、他の参加者と充分に距離を取ったことを確認して、詠唱を始めた。
その手の中に、人の頭部ほどの大きさの水球が生まれる。アイザックは左手の上で水球を維持し、右手で水球の端を摘まんで引っ張る仕草をした。
(この魔術は、序盤でないと、あまり意味がない)
故に、初手はまず走る。
走って、走って、そうして新技の一つ目を披露しようではないか。




