【11】あ〜〜〜
ウーゴは二つ目の飴を口に放り込みながら、向かいの席に座るアイザックと、彼が机に立てかけている猟銃をチラチラ観察した。
魔法戦に武器を持ち込むことは禁止されていないし、剣や魔導具を持ち込む者は割といる。ただ、銃を持ち込む者はあまりいない。
(ウォーカー君、魔法戦は素人だな。猟銃なんて持ち込んだら、魔力放出は苦手って言ってるようなものなんだわー)
魔術と銃のどちらが優れているかについては、様々な議論がなされているが、ウーゴ個人の考えは、
──魔術師なら、わざわざ銃使う必要なくね?
これに尽きる。
なにせ銃は持ち運びが面倒だし、手入れは大変だし、弾は消耗品だし、とにかく面倒臭いのだ。
詠唱と弾丸装填のどちらが速いかは、技術と慣れの問題もあるので、一概にどちらが優れているとは言えない。
ただ、対人の魔法戦においては、間違いなく銃は不利だと断言できる。
(魔法戦って被弾面積が割と重要だから、小さい銃弾だと、ダメージ小さくて不利なんだよなー。さてはウォーカー君、そのことを知らないな?)
教えてあげた方がいいかなー、いやいや、実戦で思い知るのも大事だしー……とウーゴが迷っていると、扉をノックする音が聞こえた。
どうやら最後の一人である、〈星詠みの魔女〉の弟子が到着したらしい。
「失礼します」
そう言って入ってきたのは、紫がかったローブを着た黒髪の男だ。年齢は四〇歳程度。
「遅れてすみません。〈天文台の魔術師〉クラレンス・ホールです。今日はよろしくお願いいたします」
穏やかに挨拶する彼は、いかにも真面目そうな風貌で、ローブの腰周りには幾つもの皮袋をぶら下げていた。
皮袋の中身はおそらく、砂か土だろう。土属性の魔術師はあらかじめ魔力付与した砂などを持ち込むことがよくあるのだ。
ウーゴはそれほど驚かなかったが、グレンはクラレンスが大量にぶら下げている皮袋を見て、ギョッと目を剥いた。
「まさか……その皮袋を鈍器にして、敵をぶん殴るんすか?」
「えっ」
クラレンスが困惑の声を上げ、その困惑にグレンも「えっ」と困惑の声を漏らした。アイザックは腕組みをしたまま黙っている。
誰も何も言わず、気まずい空気になったので、ウーゴは恐る恐る口を開いた。
「グレン君、急に物騒なこと言うね? ちょっとビックリしたんだわー」
「ううう……オレ……師匠に毒されてる……?」
グレンがぐったりと項垂れ、両手で顔を覆う。なんだか今日の彼は、ずっと可哀想だ。
昨晩は師匠に追い回され、先ほどはアイザックに銃を突きつけられ宣戦布告をされている。
不憫に思ったウーゴは、飴をもう一個あげようかな、とポケットに手を突っ込んだ。
「あのー、クラレンスさんも座りませんか? 飴いりますー?」
「いいえ、それより移動しましょう。実は先ほど〈沈黙の魔女〉様と廊下でお会いしまして……」
〈沈黙の魔女〉の一言に、アイザックが分かりやすく反応した。
彼は切れ長の目を見開き、パッと顔を上げてクラレンスを見る。冷たく見える顔立ちが、今は目に見えてソワソワしていた。
「僕の師匠は……レディ・エヴァレットはなんと?」
訊ねる声も、心なしか弾んでいる。そんな彼に、クラレンスは穏やかに言った。
「魔法戦を始める前に試したいことがあるので、森で待っていてほしい、と仰っていましたよ」
* * *
魔法戦観戦用の白幕が設置された一室で、〈竜滅の魔術師〉サイラス・ペイジは大変気まずい気持ちで、〈沈黙の魔女〉の到着を待っていた。
ソファは三人がけのものが前列に二つ、後列に二つ、合わせて四つ並んでおり、サイラスは前列左端に腰掛けている。
そんなサイラスの後ろの席では、〈深淵の呪術師〉レイ・オルブライトが、己の腹を撫でながら、ボソボソと何かを呟いていた。
「……元気か……うん、俺は元気だ……フリーダの朝ご飯、美味しかったな……うん……うん……ふふ、ふふふ……いいぞ、育ってる気がする……」
怖い。一体、彼には何が見えているというのか。
こういう時は、ラウルあたりが「誰と話しているんだい?」などと言いそうなところだが、レイの隣に座るラウルは、やけにソワソワと扉の辺りを気にしていた。これはこれで不審だ。
そして、前列右端のソファでは、〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーが足を組んで座り、隈の浮いた目で不機嫌そうに白幕を睨みつけている。
その面構えたるや、チンピラも黙って逃げ出すような凶悪さである。大変に近寄りがたい。
サイラスから一番遠い、後列右側のソファでは、〈星詠みの魔女〉と〈砲弾の魔術師〉が、「楽しみねぇ」「楽しみだなぁ」と穏やかな雑談をしていた。正直、そこに交ぜてほしい。
幼馴染の弟分を応援するべく、張り切って最前席を選んだのが完全に裏目に出た。
(早く……早く来てくれ、沈黙の姐さん……っ!)
「失礼します!」
その時、サイラスの声に応えるかのように扉が開かれた。扉を開く音に続いて、ガラガラと何かを転がす音が響く。
振り向くとそこには、台車に乗せられて運ばれてくる〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットの姿があった。
モニカは座り込み、魔導具らしき水晶玉を両手で抱えてブツブツ何か呟いている。誰が見ても、まともに話が通じそうな状態じゃない。
〈深淵の呪術師〉は腹に話しかけているし、〈茨の魔女〉は挙動不審だし、〈結界の魔術師〉は物騒だし、〈沈黙の魔女〉は自分の世界に飛んでいる──大丈夫か、七賢人。
「ほら、着きましたよ!」
「……うん、うん……できたっ」
台車を転がしていた青年が声をかけると、モニカはパッと表情を明るくして立ち上がろうとし、コロリと床に転がった。足が痺れていたらしい。
「まったく、何をやってるんですか、貴女は!」
「うぅ……ごめんなさい……」
青年はモニカに手を貸して立ち上がらせると、他の七賢人達に頭を下げた。
「ご機嫌よう、七賢人の皆々様。アンバード領主バーニー・ジョーンズと申します。この度はエヴァレット魔法伯の要請を受け、魔法戦の会場に新型魔導具の設置をさせていただきました」
彼はここまで転がしてきた台車の持ち手に手を添え、不本意そうに息を吐く。
「それと、魔導具設置の際に、彼女が魔導具の改良案を思いついたと言い出したため、ここまで運搬……運んでさしあげた次第です」
ヨロヨロと立ち上がったモニカは、魔導具らしき水晶玉を胸に抱えて頭を下げた。
「えっと、ご厚意、深く感謝いたしますっ、アンバード伯爵」
「魔導具産業の未来のためなら、この程度、大したことではありません。魔導具の記録は、後日送ってくださいね、エヴァレット魔法伯」
アンバード伯爵は眼鏡を指先で持ち上げると、台車をゴロゴロ転がしながら部屋を出ていく。
扉が閉まる寸前、モニカは小声で言った。
「バーニー、ありがとうっ」
アンバード伯爵は足を止め、フンッと鼻を鳴らす。
「……どういたしまして」
パタンと扉が閉まったところで、モニカは胸に抱いていた水晶玉を、白幕前の台座に設置した。
水晶玉の中に魔法陣が浮かび上がる。モニカはそれを確認し、「うん、よし」と頷く。
その様子を見ていたルイスが、不機嫌を引っ込めて、「おや」と声をあげた。
「もしかして、あれが完成したのですか?」
「はいっ! ただ、実際に試すのは初めてで……えっと、ごめんなさい、サイラスさん。飛行魔術で、わたしを会場の森まで運んでくれませんか?」
そう言って、モニカがサイラスを見る。
話を聞いている限り、モニカは先ほどまで、その森で作業していた筈だ。何故、また森に行く必要があるのだろう。
不思議ではあるが、飛行魔術を使うことに文句はない。
「あぁ、いいぜ」
サイラスがソファから腰を浮かせると、ルイスが言った。
「そういうことなら、私が行きましょう。貴女が考えた、新しい結界──〈結界の魔術師〉として、大変興味があります」
ルイスはどこか挑発的な目でモニカを見ている。そんなルイスに、モニカはキリッと眉を持ち上げて、「お願いします」と頷いた。
* * *
魔法戦の会場となる森を歩きながら、アイザックは密かにグレンを観察していた。
グレンはどこか眠たげに欠伸を噛み殺していて、歩く足もどこかフラついている。どうやら、今日の彼は本調子ではないらしい。
(ダドリー君には悪いけど……これは、チャンスだ)
この魔法戦で、アイザックが最も警戒していたのがグレンだ。
アイザックは、一対一では絶対にグレンに勝てない。
グレンの魔力量は国内でもトップクラス。一方、アイザックは本来の半分の魔力量で挑まなくてはならない。
極端な話、アイザックが全魔力を使って攻撃をし、全てグレンに当てたとしても、アイザックが負ける。今のアイザックの魔力量では、グレンの膨大な魔力を削りきることができないからだ。
グレンが得意としている飛行魔術も、非常に厄介だ。
こちらの攻撃の届かない高さまで飛んで、高威力の攻撃魔術を連発するだけで、グレンは大抵の相手に勝ててしまう。
だから、アイザックは猟銃を見せつけて、グレンに宣戦布告のパフォーマンスをしたのだ。
こちらには銃がある。空を飛んだら撃ち落とす、と。
(……ちょっと意地悪だったかな)
この魔法戦が終わったら、とびきり美味しい肉料理を振る舞ってあげよう。
「それでさ、ウォーカー君は、どう思う?」
不意にウーゴに話しかけられ、アイザックは我に返った。
ウーゴが先ほどから、ペラペラと雑談をしているのは知っていたが、本当に他愛もない話だったので、聞き流していたのだ。
「失礼。何の話ですか?」
「一番尊敬している七賢人の話! 俺はやっぱ、お師匠だよね。マジかっこいいっしょ、うちのお師匠」
得意げに鼻を鳴らして胸を張るウーゴの横で、クラレンスが穏やかに微笑みながら言う。
「私は、〈星詠みの魔女〉様に拾われた日から、忠誠を誓っておりますので」
七賢人の弟子が尊敬する七賢人を挙げるなら、自分の師匠を挙げるに決まっている。
その例に漏れず、アイザックも答えた。
「〈沈黙の魔女〉以外の答えがあるとでも?」
「オレは、〈砲弾の魔術師〉さんっすかねー」
アイザックの横で、グレンがサラリととんでもないことを言う。
ウーゴは満面の笑みで、グレンの肩をバシバシ叩いた。
「グレン君、分かってるんだわー!」
「オレ、最近、多重強化魔術の勉強したんで。六重強化かっこいいなーって」
「でしょでしょ、うちのお師匠かーっこいいもん!」
それはちょっと聞き捨てならない。グレンは〈沈黙の魔女〉の凄さを、あんなに間近で見ているのに!
アイザックは静かに憤慨し、グレンに詰め寄った。
彼は、第二王子をしている時は、〈沈黙の魔女〉への敬意が溢れすぎるのを自重している。だが、今はアイザック・ウォーカーだから、隠さなくていいのだ。
「実に残念だ、ダドリー君。〈沈黙の魔女〉の素晴らしさは、以前も君に語ったけれど、どうやら語りたりなかったらしい。まずはミネルヴァ時代の彼女の魔術式研究が現代魔術の様々な定石を塗り替えたところから……」
早口になるアイザックのローブを誰かがチョンチョンと引いた。ウーゴだ。
何か反論があるのなら、聞かせてもらおうではないか、と冷たい敵意を向けるアイザックに、ウーゴはそっと耳打ちする。
「ウォーカー君さ……黙ってた方が、絶対モテるよ」
「…………」
「これ、アルパトラの伊達男のアドバイスね」
バチン、と得意気にウインクをされた。微妙に毒気を抜かれる青年である。
ウーゴはビヨンビヨンと跳ねる前髪をご機嫌に揺らして、グレンを見た。
「グレン君さ、うちのお師匠を褒めてくれるのは超嬉しいけど、今の話、〈結界の魔術師〉様には内緒にしといた方がいいよ」
「私が何か?」
頭上から響いた声に、空気が凍る。
見上げると、短い栗色の髪を揺らす〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーの姿があった。
飛行魔術で宙に浮いている彼の背には、薄茶の髪が見える。背負われているのは、モニカではないか。
モニカ、と声をあげたくなるのを、アイザックは堪えた。特訓中はモニカに会えなかったので、なんだか随分と久しぶりな気がする。
ルイスが着地すると、モニカはその背中から下りて言った。
「えっとですね、わたし、今回の魔法戦のために魔導具を用意して……まずは、移動しましょう。すぐそこ、なので」
実のところ、モニカの言う魔導具らしき物は、既に見えていた。
前方の木々の合間に、白い柱が見えるのだ。アイザックの身長よりも幾らか大きい柱だ。太さは丸太より幾らか細く、モニカの目の高さに水晶玉が埋め込まれている。
モニカは柱に駆け寄ると、埋め込まれた水晶玉に指で触れた。
「ここに、向こうの部屋の水晶玉の座標を記録して……接続…………うん、できました。サイラスさん、サイラスさんっ、聞こえますか?」
何故、この場にいないサイラスの名を呼ぶのだろう。
飛行魔術で空にいるのだろうか、とアイザックが宙を見上げると、頭上から兄貴分の声が響いた。
『おぅ、バッチリだぜ、姐さん!』
上空にサイラスの姿はない。ただ、声だけが聞こえる。
モニカは一同に向き直り、はにかみながら言う。
「拡声魔術の応用です。観戦席の水晶玉の声が、この結界内に響くようになってて……反対に、この結界内の音は、柱の周囲しか拾えないんです、けど」
モニカの横で柱を観察していたルイスが、納得したように呟く。
「なるほど、結界内の音全てを拾っていたら、やかましくて仕方ないですからね」
「はい、いずれは、音を拾う方の魔導具も小型化できればと思っているんですけど、移動しながら使うと、どうしても音が途切れちゃって……今は、これが精一杯、です」
精一杯などと言うが、これはとんでもない新技術だ。
そして、この音を届ける魔術にアイザックは心当たりがあった。
「もしかして、これは……レーンフィールドの祝祭で使った魔術?」
震える声で問うアイザックに、モニカはコクリと頷く。
「その応用です。これで……離れていても、アイクの応援ができます!」
アイザックはあまりの嬉しさに、指の先からつま先まで、全身が幸福で満たされていくのを感じた。
レーンフィールドの祝祭で使われた、街全体に音を届ける大魔術。見たくて見たくて仕方がなくて、エリオット・ハワード許すまじと密かに思っていた。それを応用した新しい魔術を、モニカはアイザックのために作ってくれたのだ。
人前で話すのが苦手なモニカが、アイザックを応援するために!
これが人前でなかったら、きっと自分は喜びの声をあげていた。あ〜〜〜、と言葉にならない声で、喜びを噛み締めるように叫びたい。
嬉しい、すごく嬉しい、どうしよう、どうしよう、どうしよう。
自分を見上げてニコニコしている、この小さなお師匠様を、大好きな女の子を、思い切り抱きしめたい。
(あぁ、好きだなぁ………………大好きだ)
込み上げてくる衝動を押し殺し、モニカに伸ばしかけた手を、己の胸に当てる。
「僕は、世界一幸福な弟子です。マイマスター」
もしこの魔法戦に勝利したら、もう少しだけ触れることを許してほしい。
そう、思った。
アイザックは基本的に、モニカへの好意を隠さないが、ただ一人──恋敵シリル・アシュリーの前では、モニカに対する好意が漏れすぎないよう気をつけている。
アイザックの恋心に気づいた恋敵が、身を引くような真似をするのが許せないからだ。
だがこの時、恋敵ことシリル・アシュリーは、記録係の仕事をするために観戦室に移動しており、白幕に映る光景を目にしていた。
頬を染めて、幸福を噛み締める青年の横顔。感極まって潤む碧い目。
『僕は、世界一幸福な弟子です。マイマスター』
愛しくて堪らないという声。
その声を聞いた瞬間、シリルは動揺した。
例えば、禁書室の掃除中、ラウルがモニカを抱き上げようかと提案した時。
例えば、アンバード伯爵と親しげなモニカを目にした時。
シリルの胸は、今みたいにざわついた。
駄目だ、駄目だ! と、心の奥でわがままな自分がそう叫んでいる。
(……何が駄目だというのだ)
これは酷く自分勝手な衝動だ。
「…………」
ザラついた感情を胸の奥に押し込み、シリルは白幕から目を逸らした。




