【10】おはよう……おはよう……(とても優しい声)
〈砲弾の魔術師〉の弟子ウーゴ・ガレッティは、フンフンと鼻歌混じりに、魔法兵団詰所の廊下を歩いていた。
今日この後、王都付近の森で七賢人の弟子四名による魔法戦が行われる。ウーゴも当然に参加するのだが、彼はこの魔法戦を楽観視していた。
なにせ魔法戦に参加するウーゴ以外の三人は、研究者気質の者か見習いなのだ。
ウーゴは〈沈黙の魔女〉の弟子アイザック・ウォーカーとは面識がない。
ただ、ウーゴの師匠である〈砲弾の魔術師〉ブラッドフォード・ファイアストンが、〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイと、こう話しているのを立ち聞きしていた。
『沈黙んとこの弟子は、いずれは俺の六重強化にも勝つつもりらしいぜ』
『まぁ、強気。成長期って良いわねぇ〜』
『成長期?』
『モニカちゃんが、そう言ってたのよ〜。わたしの弟子は成長期なんです、って』
つまりウォーカー少年は、「俺は〈砲弾の魔術師〉も超えてやるぜ! そしていつか、誰にも負けない最強の魔術師になるんだ!」という気概に満ちた、成長期の少年なのだろう。
ならば、そのヤンチャ小僧に、大人の余裕を見せてやろうではないか。
(うっかりウォーカー君、泣かせちゃった時のために、飴も持ってきたしー。もう、準備は万全なんだわー)
やがて、ウーゴはお目当ての扉を見つけた。
これから魔法戦に挑む弟子達は、師匠達とは別の部屋に集合することになっているのだ。
「失礼しまーっす」
軽く声をかけて扉を開けたウーゴは、ギョッとした。
室内では、青いローブの青年が椅子に座ってテーブルに突っ伏しているのだ。その金茶色の髪には見覚えがある。〈結界の魔術師〉の弟子、グレン・ダドリーだ。
グレンはウーゴが入ってきたことに気づくと、ノロノロと首を動かして、突っ伏したままウーゴを見上げた。その目は眠そうにショボショボしている。
「ウーゴさん、どもっす……」
「どしたの、グレン君。既に激戦を終えてきたみたいな空気だけど」
ウーゴの知るグレン・ダドリー君は、いつも快活で声の大きい青年である。
そのグレンが、今はげっそりとした顔で、ボソボソと声を発した。
「ちょっと、師匠に一晩中追い回されて……」
「えっ、なにそれ理不尽」
「仮眠は取ったんすけど……正直、もう帰りたいっすー……」
何があったかは知らないが、言葉通り師匠と激戦を終えてきたばかりらしい。
ウーゴはグレンの隣の席に座り、ポケットから紙に包んだ飴を取り出した。アーモンドを砕いて、煮詰めた飴と絡めた菓子だ。ウーゴの故郷はアーモンドの菓子が豊富なのである。
「飴いる?」
「どもーっす……」
グレンは突っ伏していた上半身を起こし、ムグムグと飴を食べ始めた。
見るからに疲弊した様子で、ちょっぴり可哀想だが、今日の魔法戦は勝ち確定だな、とウーゴは密かに確信した。
対戦相手三人の中で、一番ウーゴが警戒していたのがグレンだ。グレンはまだ未熟ではあるが、魔力量が多いので一撃の威力が大きい。
そのグレンがこの調子なのだ。
(グレン君にはちょっと悪いけど、これは俺、勝っちゃうわー)
自分も一つ飴を食べようかとポケットに手を突っ込んだ時、扉がノックされた。
「失礼します」
そう一言告げ、室内に入ってきた男を見て、ウーゴとグレンは仲良く目を丸くする。
その男は黒いローブを着た背の高い男だった。金髪碧眼。年齢はウーゴと同じ二十代前半だろうか。目つきが鋭く、右目の上には目立つ古傷がある。
そして何よりも目を惹くのは、背中に背負った猟銃だ。杖でも剣でもなく、猟銃。
男は扉を閉めると、鋭い目でウーゴを見て言った。
「初めまして。〈沈黙の魔女〉の弟子、アイザック・ウォーカーです」
静かだが、気迫に満ちた声だった。
声だけではない。その男は全身に戦意を漲らせている。軍人ではないウーゴでも一目で分かるほど、只者ではない空気を醸しているのだ。
彼が一歩歩くたびに、ズン、ズン、という音が聞こえる気がする──というと大袈裟かもしれないが、それだけ彼の足音は重かった。履いているブーツはやけに厳ついし、ローブの中にもおそらく武器を仕込んでいるのだ。
ヤンチャな成長期の少年ではなく、戦意に満ちた大男が来てしまった。
固まっているウーゴの横で、グレンが恐る恐る訊ねる。
「会長、その猟銃は?」
何の会長なのかウーゴにはよく分からないが、グレンとアイザックは知り合いらしい。
アイザックは薄い唇を微かに持ち上げて笑った。親しみとは無縁の、酷薄な笑みだ。
「すまない、ダドリー君。僕は君のことを気に入っているのだけれど……今日の勝負は負けられないんだ」
アイザックの手が動いたと思った瞬間、背負っていたはずの猟銃が、いつのまにか彼の手の中に移動していた。
アイザックは片手で猟銃をクルリと回し、グレンの額に狙いを定める。
酷薄な笑みが、崇拝する何かを想う陶酔に溶ける。
「僕のお師匠様の、名誉の礎となってくれ」
ひぇぇ、とグレンの喉が鳴った。
ウーゴも顔を引きつらせて、生唾を飲む。
(なんか、思ってたのとだいぶ違うの来ちゃった! デカい! 目つき悪い! おっかない! ……でも、あの傷はちょっとカッコイイ!)
無論、傷に楽しい思い出がある人間は、そういないだろうし、「その傷カッコイイね!」なんて無神経なことを言うつもりはない。
ただ、ウーゴは思ったのだ。
雰囲気あるなー、足長いなー、陰のある感じがちょっとカッコイイじゃん、黒いローブ超似合うじゃん……と。
なので、アイザックが向かいの席に座ったタイミングで、ウーゴは話しかけた。
「ウォーカー君さ」
「なにか?」
碧い目が冷ややかにウーゴを見る。
ウーゴは大真面目に言った。
「ちょっと壁にもたれて腕組みして、『ヤレヤレだぜ……』って言ってみない?」
「…………」
返事がない……というより、返事に困っているような空気を感じた。きっとシャイなのだろう。
ウーゴはポケットから飴を取り出し、アイザックに差し出す。
「飴いる?」
「試合前なので」
「そっかー」
ウーゴは自分の口に飴を放り込みながら、ウォーカー君は夕焼け空が似合いそうだわー、超かっけーんだわー、とこっそり考えた。
* * *
魔法兵団詰所一階の廊下を、一人の男が歩いていた。
男は地味な色のローブを着ており、目深に被ったフードからはみ出しているのは、クルクルと長い白髪。顔の下半分はモジャモジャした髭で覆われており、表情が殆ど見えない。
白髪と髭故に老人に見えるが、それにしてはやけに姿勢が良く、肩から腕にかけてはガッシリとしている。
そのガッシリとした肩が、モゾモゾと動いたので、男は慌てて人のいない廊下に飛び込み、肩に話しかけた。
「ピケ、あまり動かないでくれ。くすぐったい」
「退屈」
「魔法戦が始まるまで、我慢してくれ。あと、トゥーレ。もう少し首側に寄れるか? 左右で偏っている気がする」
「シリル、これでいいかな?」
「あぁ、ありがとう」
そう言って、シリル・アシュリーは己の両肩をローブの上から交互に撫でる。
こっそり応援をしてアイザックをビックリさせる──ラウルが提案したイタズラを実行するため、シリルはこうして肩にイタチを詰めて、ローズバーグ家の弟子の一人に成りすまし、魔法兵団詰所に赴いていた。
この詰所の入り口まではラウルと一緒だったが、七賢人である彼は今、別室に集まっている。
魔法戦維持等の手伝いをするローズバーグ家の人間には、別に休憩室を用意されているのだが、シリルは休憩室をこっそり抜け出して、魔法戦が始まるまで時間を潰していた。
ローズバーグ家の弟子達は、このイタズラをラウルから聞かされている。
なので、彼らはシリルのことを不審に思ったりはしていないのだが、シリルのことをやたらと丁重に扱うのだ。
ローズバーグ家の当主であり、初代〈茨の魔女〉の生まれ変わりとまで言われているラウルは、ローズバーグ家の弟子達に、畏れ敬われている。
ラウルは「友達とイタズラするから、こっそり協力してほしいんだ!」と説明したらしいが、弟子達のシリルに対する態度は、「重大任務に挑む当主様を補佐する、大事なご友人」のそれである。
その丁重さに居た堪れなくなり、シリルは部屋を抜け出してきたのだ。
廊下を歩いていたら、モニカやアイザックと遭遇する可能性もある。あの二人は、それぞれ別の意味で観察眼が鋭いのだが、今の自分はどこから見ても、筋骨隆々とした大男なのだから、きっとバレないだろう。
(筋肉……)
シリルは己の二の腕辺りをフニフニと押した。トゥーレとピケはそれぞれ、シリルの頭の方を向いて肩に乗り、二の腕の辺りにフワフワの尻尾を垂らしていた。
つまり、今のシリルの逞しい肩はイタチの頭と胴体、太い二の腕はイタチの尻尾である。
「ピケ、すまない。もう少し頭を下げられるか? これだと、肩にコブがあるみたいで……」
「……おい」
背後から声をかけられ、シリルはビクッと身を竦めた。
恐る恐る振り返ると、紫の髪の男──〈深淵の呪術師〉レイ・オルブライトが不審者を見る目で、シリルを見ている。
変装をしているとは言え、直接話しかけられてシリルは焦った。彼はレイと面識があるのだ。
「怪しいやつだな……魔法兵団の制服を着ていないし……」
「わ、私は、ローズバーグ家の者です。本日の魔法戦の記録係を務めに……」
シリルが慌てて言い訳を捲し立てると、レイの宝石じみたピンク色の目がギラギラと輝き、シリルの肩を凝視した。
「さっき、肩に話しかけていただろう……」
見られていた。青ざめるシリルに、レイが低い声で問う。
「そこに、何を隠している……」
咄嗟に言い訳を考えたが、肩に話しかける事情など、そうそう思いつくものではない。
焦ったシリルは、しどろもどろに言った。
「き、筋肉に、話しかけていましたっ!」
「…………」
「話しかけると、育ちが良くなると聞きまして……」
我ながら苦しすぎる。
あぁ、駄目だ。バレた。魔法戦が始まる前に全てバレてしまった。
絶望するシリルの前で、レイは全身を戦慄かせ、クワッと目を見開く。
「そうだったのか……!」
驚きと衝撃と、一縷の希望を見出した声だった。
シリルが唖然としていると、レイは背中を丸め、己の腹をサワサワと撫でながら呟く。
「おはよう、腹筋……」
レイはもう、シリルのことなど眼中にない様子だった。彼はシリルに背を向け、テクテクと廊下を歩く。
己の腹に「おはよう……おはよう……」と優しい声で話しかけながら。
(と、とりあえず誤魔化せたが……)
話しかければ筋肉が育つなど、思いつきの出鱈目だ。ラウルが植物に水やりをしながら話しかけていたのを思い出し、咄嗟に口走っただけだ。
(私は、なんという残酷な嘘を……!)
シリルは罪悪感に胸を痛めた。
彼もまた、立派に割れた腹筋に憧れを抱く者なのだ。
シリルが片手で顔を覆い、項垂れていると、トゥーレとピケがローブの下から小声で言った。
「シリル、シリル、筋肉って話しかけると育つの?」
「じゃあ、今日からシリルの腕に話しかける」
「いや、違う……違うんだ……」
シリルが唸っていると、背後でガラガラと何かを転がす、大きな音がした。
シリルは思わず振り向き、イタチ達もローブの首元から少しだけ顔を覗かせる。
廊下の奥から、早足でこちらに向かってくる人物がいた。その人物は板に持ち手を付けた簡素な台車を、ガラガラゴロゴロと転がしているのだ。
そして台車の上では、小柄な人物がちょこんと座って、何やら作業している。
シリルはギョッとした。
台車を押しているのはアンバード伯爵バーニー・ジョーンズ。そして、台車に座っているのはモニカではないか。
(──モニカ!?)
モニカは七賢人のローブを着込み、杖を抱えて台車に座り、手にした水晶玉に魔術式を付与している。
余程作業に集中しているらしく、シリルに気づいた様子はない。シリルの横を通り過ぎた時も、モニカはずっと水晶玉を凝視していた。
「まったく、なんだって貴女は、いつもそうなんですかっ! 昔っから提出期限ギリギリで新しい術式を思いついて……!」
「うん……ちょっと待ってね……振動を記憶する術式は、こっちのやり方の方が安定すると思うの。あとちょっと……あとちょっと……」
「貴女の『あとちょっと』は、信用できません!」
「あとちょっと……ちょっとだけ……」
バーニーが廊下の角を曲がったので、二人の姿は見えなくなった。
それでも、まだ微かに声が聞こえる。
「階段は自分で上りなさい!」
「うん……」
「階段を上る時は作業しない!」
「うん……」
今のは一体。
ポカンとしているシリルの肩で、トゥーレがローブの中に頭を引っ込めながら、おっとり言う。
「仲良しなんだね」
「え」
「今の人とモニカ」
アンバード伯爵とモニカは、ミネルヴァで同級生だったという。ならば、多少砕けた話し方になることもあるだろう。
そう分かっているのに、何故かシリルの胸はざわついた。




