【9】暴力的ではない暴力講座〜ハウトゥー優しい足払い〜
最終日の日没と同時に訓練を終えたアイザックは、ヒューバードとノーマンに約束通りの報酬を支払うと、荷物をまとめて森の奥へ向かった。
夜の森は静かだが、虫や動物など生き物の気配を冬よりも強く感じる。
そんな夏の森の空気が、アイザックは割と好きだった。山や森を探検するような子どもだったので、山や森を歩くと少し懐かしい気持ちになるのだ──無論、野生動物には警戒しないといけないが。
不意に頭上の木がガサッと揺れる。音の重みで、アイザックはすぐにその正体を察した。
夜闇に溶ける漆黒の毛並みの中、金色の目がアイザックを木の上から見下ろしている。
「おぅ、そっちの訓練は終わったのか」
「あぁ。次は攻撃魔術の練習をお願いしてもいいかな、ネロ?」
「その前に飯だ、飯!」
「はいはい」
アイザックは荷物を置き、野営の準備を始めた。今までポケットに隠れていたウィルディアヌも、スルスルとトカゲの姿で這い出てきて、青年の姿に化ける。当然にいつもの侍従服だ。
木から降りてきたネロも人の姿をとったので、泥だらけの男と、侍従服の男と、古風なローブの男という、なんとも奇妙な組み合わせになった。
三人はテントを張って、火を起こし、食事を拵える。
気紛れなネロは手伝ったり、手伝わなかったりするが、ウィルディアヌはここ数日ですっかり慣れ、殆ど一人でテントを組み立ててくれた。
その間にアイザックは、ネロが気紛れに獲ってきた魚を捌く。大振りな魚は腹にハーブを詰め、厚い葉で包んで焚き火のそばに置き、包み焼きに。
小振りな魚は串焼きにするべく串を打っていると、近くの木にぶら下がって遊んでいたネロが、不満そうに言った。
「なー、なんで肉を獲ってきちゃ駄目なんだよ」
「仕方ないだろう。捌くのに時間がかかるし、片付けも大変だし」
「だったら、捌いてあるやつ、声デカの店まで買いに行ってやるぜ」
珍しくネロからお手伝いを申し出てくれたが、アイザックには首を縦に振れない理由があった。
言い淀むアイザックに、テントを張り終えたウィルディアヌが訊ねる。
「ここ一週間、マスターの食事量が明らかに減っています。もしかして、具合が悪いのでは……」
そう言ってウィルディアヌは、焚き火の前に膝を抱えて座った。無論、侍従服姿でだ。
どうやらウィルディアヌは、床や地面に座る時は、この座り方が一番コンパクトで良いと考えているらしい。
見慣れたけれど、やっぱりすごい絵面だなぁ……などと頭の隅で考えつつ、アイザックは口を開いた。
「別に具合が悪いわけじゃないよ。ただ、あまり肉を摂取したくないんだ」
「満腹だと動きづらいからか?」
ネロの言うことも間違いではないが、もっと大きな理由があるのだ。
アイザックは焚き火のそばに刺した魚の向きを調節し、小声で白状する。
「……僕は、たくさん食べてもそんなに太らないけど、食べて運動すると筋肉がつきやすいんだよ」
「それの何が問題なのですか?」
「筋肉なんて、あって困るもんでもないだろ」
キョトンとしている人外達に、アイザックはムスッとした顔で断言する。
「アークの顔に筋肉質すぎる体じゃ、バランスが悪いじゃないか」
「…………」
「…………」
人外達が黙り込み、辺りに焚き火の爆ぜるパチパチという音だけが響く。
アイザックは薪を動かし、職人さながらの手つきで火加減を調節しながら呟いた。
「アークはライオネル殿下に憧れていたみたいだし、まぁ多少は筋肉があってもいいけど、バランスは大事だろう?」
「……マスターの考えが理解できず、申し訳ありません」
「……人間って、よく分かんねー」
人外達は困惑しているが、アイザックにとっては死活問題である。
思えば、亡き父もそれなりに筋肉質な人であった。そして、どちらかと言うとアイザックは父親似なのだ。
──筋肉がつきやすい体質に悩む彼は知らない。一方その頃、恋敵が服の中にイタチを詰めて、「……これは、なかなか良いのではないか?」などと呟いていることを。
「マスター。魚の表面に焦げ目がつきました」
「うん、そろそろいいかな」
表面にパリッと金色の焼き目がついた魚の串を、アイザックはネロに差し出す。
「お先にどうぞ、ネロ先輩」
アイザックが言い終えるより早く、ネロはバクリと魚にかぶりつく。
二、三口で全て平らげたネロは、骨をバリバリと咀嚼しながらぼやいた。
「オレ様、やっぱ肉がいい」
「魔法戦が終わったらね。訓練に付き合ってもらったお礼に、リクエストに応えようじゃないか」
「肉で肉巻いたやつ作れよ」
「はいはい」
相槌を打ちながら、アイザックも焼き魚を手に取る。皮はパリッと、中はふっくらとした焼き魚は、塩を振っただけのシンプルな味付けだが、美味しかった。川魚特有の臭みも、アイザックは嫌いじゃない。
ただ、やっぱり肉が欲しいなぁ、とも思う。
明日の魔法戦が終わったら、存分に肉を食べよう。
「さぁ、これを食べたら、最後の仕上げだ。あの技……絶対に間に合わせるぞ」
膝を抱えて焼き魚を見守っていたウィルディアヌが、アイザックの方を振り向く。
「……間に合いますか?」
「間に合わせるさ」
魔法戦で実力を認めてもらうには、ただ魔術を放って当てるのではなく、魔術師としての工夫がいる。
そして、その工夫は頭の中で考えるだけでは駄目なのだ。魔術として発動することができて、初めて評価される。
アイザックの場合、やりたいこと、試したいことは山程あるが、魔術師としての実力が追い付いていないのが現状だ。
「まったく、ままならないな」
ポツリと呟くと、ウィルディアヌは言葉を探すみたいに黙り込む。アイザックは無理に言葉を促さず、黙って魚を食べた。
やがて、アイザックが魚を一匹食べ終えた頃、ウィルディアヌは静かに言う。
「ままならないのに、楽しそうです」
「あぁ、楽しいよ」
声にして、改めて自覚した感情を、アイザックは自分の胸に落とし込むように繰り返す。
「すごく楽しい」
やっぱり自分は、魔術の道を諦めたくない。
だからこそ、明日の魔法戦で結果を出すのだ。絶対に。
* * *
グレン・ダドリーは座学の類が苦手である。理解できない文字列や数列を見ると、とにかく眠くなってくるのだ。
そんなグレンの前で、ルイスは黒板に文字を書き込んでいた。
殴打、蹴り→×
足払い→△
絞め技→○
「いいですか。これが、魔法戦における物理攻撃の判定です」
そう言って黒板と向き合っていたルイスは、グレンを振り返る。
(オレ、何を勉強させられてんだろう……)
馬鹿正直に言ったらゲンコツが飛んできそうだったので、グレンはとりあえず疑問に思ったことを口にしてみた。
「えーと……足払いの△って、なんすか?」
「良い質問です」
良い質問なんだ、とグレンは思った。
褒められたけれど、あまり嬉しくなかった。
「私は常々、足払いは暴力の内に入らないと考えているのですが、魔法戦では、相手の足を払うと蹴りと判定されてしまうのです」
それはそうだろう、とグレンは思った。
ルイスは片眼鏡をクイと持ち上げ、続ける。
「ですが、相手の進行方向に足を置くだけなら物理攻撃扱いになりません。暴力ではない優しい足払いは、足を引っ掛けるようにするのがコツです」
(暴力認定されない暴力って、結局は暴力なんじゃ……)
学校に通っている時、「こんな勉強が将来、何の役に立つんだろう」と思ったことが何度もある。
だが、これほどまでに、役に立ってほしくない勉強があるだろうか。
「それ以外にも、実戦と魔法戦の違いは頭に叩き込んでおくように。実戦では急所狙いで一発ですが、魔法戦では被弾面積が大きいほどダメージが大きくなる。敵の攻撃をかわせないと思ったら、伏せるなり体を丸めるなりして、被弾面積を減らしなさい。木などの障害物を盾にするのも有りです」
明日、グレンは七賢人の弟子同士で魔法戦をすることになっている。
グレンとしては、「会長とも戦うのかなー」ぐらいの軽い気持ちだったのだが、ルイスの熱の入り様が尋常ではなかった。
これは師匠の名誉を賭けた戦いでもある。だから勝て。絶対勝て──と圧をかけ、連日、グレンに稽古をつけてくるのだ。
グレンは別に魔法戦が好きなわけでもないし、ルイスの名誉も割とどうでも良い。ルイスは名誉が欲しければ、自分で勝手にもぎ取ってくる人だ。
なので、グレンにやる気などなかった。正直、ゲンナリしている。
「〈沈黙の魔女〉の弟子は、水を飛ばすのが苦手なようなので、接近戦で挑んでくるでしょう。魔法戦は詠唱ができない状態になったら、ほぼ負けが確定する。魔法剣だけでなく絞め技も厄介なので、なるべく距離を取り……」
「えっ、会長、水飛ばせるじゃないすか」
頬杖をついて師匠の言葉を半分聞き流していたグレンだが、〈沈黙の魔女〉の弟子と聞いて、思わず口を挟んだ。
ルイスの動きがピタリと止まり、表情が消える。
グレンは口を押さえた。
「………………あ」
グレンは、普段からアイザックと交流があることをルイスに話していない。
師匠は第二王子嫌いって言ってたし、多分話したら怒るだろうなー……と思ったからである。
ルイスはあまりグレンの私生活や交友関係に口を出さないので、なおのこと、話題にする機会がなかったのだ。
実は初級魔術師試験の勉強を教えてもらったとか。アイザックの師弟の契りに立ち会ったとか。肉料理研究会でレシピ交換をする仲で、最近は腸詰め肉について熱く議論しているとか。
「グレン」
ルイスの声は恐ろしく平坦で、だからこそ恐ろしかった。
グレンは一目散に窓に向かって走り、飛行魔術の詠唱をする。
窓を飛び出すのとほぼ同時に、チョークが凄まじい勢いで飛来した。グレンの足を掠めたチョークは窓の外に飛び出し、木にぶつかって木っ端微塵に砕け散る。
「オレ、明日のために今日はもう休むんで、おやすみなさーい!」
「逃すか、クソガキ!」
ルイスもまた、飛行魔術の詠唱をして窓を飛び出す。
その晩、〈結界の魔術師〉師弟は深夜まで飛行魔術で飛び回り、無駄に疲労を深めることになった。
大変お待たせいたしました。次回から魔法戦当日編です。




