【5】師にできること
四代目〈茨の魔女〉メリッサ・ローズバーグは、七賢人に就任したばかりの頃、魔法兵団の詰所に立ち寄ったことがある。
仕事のためではない。若い団長が良い男だと聞いて、ちょいとお近づきになろうと思ったのである。
噂によると、最年少で魔法兵団団長に就任した人物──〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーは大変礼儀正しく、紳士的で、社交界でも評判の良い人物であるらしい。
丁度その時、兵団詰所の外にある訓練場で実戦訓練をしていると聞いたので、メリッサは日傘をクルクル回しながら、鼻歌混じりに訓練場に向かい……。
──結界で同僚を殴り倒している、三つ編み片眼鏡の男を目撃した。
三つ編みの男は同僚が放った攻撃魔術を、拳に展開した結界で殴り飛ばす。更にそのまま距離を詰め、対戦相手のローブの裾を掴み力一杯ぶん投げた。
投げ飛ばされた男は、冗談みたいに軽々と宙を舞い、詠唱中だった仲間とぶつかって、地面を転がる。
魔法戦の結界内では物理攻撃が無効化されるのだが、服を掴んで投げるという行為まで感知はできないのだ。
(なにあの野蛮な奴)
どうやらこの魔法戦、「三つ編みの男」対「他の隊員」という構図であるらしい。
それにしても、三つ編みの男の戦い方ときたら、結界で殴るわ蹴るわ、やりたい放題だ。
魔法兵団の団長は、こんな奴を看過して大丈夫なのだろうか。まぁ、メリッサの知ったことではないが。
(……それより、噂の良い男はどこよ)
メリッサは辺りを見回し、近くを通った適当な団員達に声をかけた。
「ねぇ、あんた達。団長はどこにいんの? 〈結界の魔術師〉ってやつ」
その時、メリッサは珍しく七賢人のローブを着て、杖も持っていた。
なので、団員達はすぐにメリッサを七賢人と気づき、足を止めて姿勢を正すと、「あちらです」と全員一斉に訓練場を指差す。
指の先にいるのは、団員に飛び蹴りをかましている三つ編みだった。
ブーツの先端に展開した結界と飛行魔術。二つの魔術の高度な併せ技から繰り出される野蛮極まりない攻撃に、また一人、訓練中の団員が吹き飛ぶ。
メリッサは半眼で団員に訊ねた。
「……あれ?」
団員達は、色々なものを押し隠そうとして失敗した半笑いで頷いた。
「あの結界で暴れてる人です」
「あ、今、回し蹴りからアッパー決めた」
「今度は倒れた部下に結界付与して、ぶん投げたぞ……」
「人間弾丸じゃん……」
「倒した部下を武器にするって発想、どこから出てくるんだよ」
訓練場の方からは、結界で擦り潰すぞ! という物騒な声が聞こえる。
メリッサは罵声と悲鳴の響く訓練場から目を逸らし、無言でその場を立ち去った。
──そして今、数年前に見たのとよく似た光景が、メリッサの前で繰り広げられている。
魔法兵団詰所の訓練場で、ギャアギャア叫びながら飛行魔術で飛び回っているのは、〈結界の魔術師〉の弟子のグレン・ダドリー。
そんなグレンを結界付きの飛行魔術で追い回しているのは、〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーだ。
「無理無理無理っ! 無理っすよ、これぇぇぇっ!」
「魔法騎士の癖に馬に乗れないのだから、飛行魔術ぐらい乗りこなしなさい、馬鹿弟子」
「馬と飛行魔術は別物っすーーー!」
飛び回るグレンは、ルイスに追い回されているだけでなく、地上にいる魔法兵団の団員達からも攻撃魔術を向けられていた。
団員達は少し申し訳なさそうな顔をしつつ、グレンに炎や雷の矢を放っている。
「グレン、頑張って避けろよー!」
「ほら、追尾術式有りと無しが混ざってるから、よく見るんだ!」
「全員、集中しろ! うっかりミラー元団長に被弾したら、しばかれるぞ!」
どうやら、団員達はグレンのことを可愛がっているらしい。それでも攻撃の手を緩めないのは流石というべきか。
メリッサは足を止めて、上空を飛び回る師弟を見上げ、「へぇ」と声を漏らした。
メリッサは、グレンが戦うところをあまり見たことがない。
魔法騎士だなんてご大層な肩書を貰っているが、初級魔術師と聞いていたので、大して期待していなかったのだ。
ただ、実際にこうして見ている限り、飛行魔術に関しては、まぁ悪くないんじゃない。というのがメリッサの感想である。
あれだけ飛行魔術を使いこなせる魔術師は、そう多くない。
パシリにするのに丁度良さそうだ──なんてことを考えていたら、未来のパシリ候補が、風の弾丸を受けて悲鳴とともに吹っ飛んでいった。
優しい団員達が数名、風の魔術を起動してグレンを助けに行ったが、師匠であるルイスは助ける素振りすら見せない。
「おや、四代目の〈茨の魔女〉殿ではありませんか」
ルイスはメリッサに気づくと、ヒラリと静かに下りてきた。
「貴女が魔法兵団に来るなんて珍しいですね」
「あんたに用があったのよ。今度、弟子を集めて魔法戦演習やるんでしょ。魔法戦会場の申請通ったから、その連絡」
この手の仕事は本来ラウルがするべきところだが、ラウルは今、禁書の緊急修復作業に関する始末書作りで、手が離せないのだ。
留学の出発日が近いからなおのこと、始末書作りなんて仕事は、急いで終わらせる必要がある。
今朝メリッサが離れを覗いた時、ラウルはシリルに叱られながら始末書を書いていたから、まだしばらくかかるだろう。
書類を確認していたルイスは「おや」と呟き、片眼鏡の奥で目を丸くした。
「随分、良い場所が取れましたね」
「あんたが七賢人選考の時に魔法戦した森よね。メアリー様だけじゃなくて、ブラッドフォード様まで、大張り切りらしくてさ、気合い入れて良い会場押さえたらしいわよ」
たかが弟子如きの魔法戦に力を入れすぎではないか、とメリッサは思う。
ローズバーグ家では、弟子とは使用人とほぼ同義なのだ。
「あんたの弟子しごきも、魔法戦演習に向けてのものなんでしょ? 正直、そこまでやる必要あるわけぇ? 〈沈黙の魔女〉の弟子なんて、水もろくに飛ばせないド素人よ?」
「……貴女は、〈沈黙の魔女〉殿の弟子を、ご存知なのです?」
ルイスの目の色が変わった。
メリッサはニヤリと笑い、右手の手のひらを上に向け、クイクイと指を動かす。
情報に見合う対価を寄越せ、のジェスチャーだ。
ルイスは苦笑し、小さく肩を竦める。
「では、借り一つということで」
メリッサは真っ赤な唇を持ち上げて、ニタリと笑った。
ラウルの留学中は、メリッサが七賢人代理になる。
七賢人代理として過ごすなら、同僚になる〈結界の魔術師〉に貸しを作っておいて損はないだろう。
「典型的な水属性の魔術師ね。付与が得意で放出が苦手。魔法剣使い。飛行魔術は使わないけど身体能力が高いから、ちょっとした足場があったら、跳び移ってくる……つまり、離れたところから爆撃すれば、余裕よ余裕。あんたの弟子、そういうの得意なんでしょ?」
つい先日、その弟子にしてやられたことは伏せ、メリッサは余裕の笑みを浮かべる。
だが、ルイスは油断のない目で、なにやら考えこんでいるようだった。
「……魔力量は?」
「そこまでは知らないわよ。ただ、あれね。ウォーカーの強みって、魔術以外の部分だわ」
第二王子の部下だからか、アイザック・ウォーカーという男は恐ろしく用意周到なのだ。
それはモニカへの日常的な奉仕以外でも、しっかり発揮されている。
「……情報収集と根回しで、人を動かすのが上手いのよね。賭けても良いけど、今回の魔法戦も絶対に情報収集してくるわよ、あいつ」
「ほぅ?」
「魔法戦の会場の情報、伏せとくか、嘘の情報流した方が良いんじゃない? 特に水と土の魔術師は、場所で強さが変わってくるし」
魔法戦までの準備期間は、長ければ長いほどアイザックに有利に働くとメリッサは踏んでいた。
一週間もあれば、アイザックは会場と対戦相手の情報収集をして、策を練り、万全の態勢で挑んでくる。
なにせ、お泊まり会でも毒に警戒し、武装してくるような男だ。
「まぁ、アタシから言えるのはこれぐらいね……あ、そうだ。それと〈沈黙の魔女〉から、あんたに伝言。城に戻ったら、執務室に寄ってほしいってさ」
ルイスは怪訝そうに眉根を寄せた。
「〈沈黙の魔女〉が私に、ですか? ……何か企んでました?」
「さぁ、知らないけど……」
メリッサはモニカの様子を思い出し、意地の悪い笑みを浮かべる。
「目ぇギラギラさせて鼻息荒かったから、あんたに一発かましてやろうとでも思ってんじゃない?」
ルイスが、うわ立ち寄りたくない。という顔をした。
* * *
弟子への指導を終えたルイスは、慎重な足取りで〈沈黙の魔女〉の執務室に向かった。
メリッサの話では、モニカはただならぬ様子だったらしい。
(さて、何か罠を仕掛けてくるか。それとも探りを入れてくるか)
あの小娘は、弟子に唆されてのぼせ上がっているようだから、何をしでかすか分からない。
まったく、面倒なことだ……と執務室の扉をノックすると、すぐに内側から扉が開いた。
「ルイスさんっ」
扉を開けたモニカの背後、執務室の奥は想像通り酷い有様だった。
本と書類を適当に積み重ねて奥に押しやり、そこにまた物を置いて押しやり、ということを繰り返したら、こんな部屋になるのだろうか。
扉付近には、無理やり物を押し除けて作った僅かなスペースがあり、その床でモニカは書き物をしていたらしい。床に羽根ペンとインク壺が置いてある──机はもう、ゴミに埋もれて見る影もない。
「……人を呼びつけるんなら、もう少しまともな部屋に呼んでくれません?」
ルイスのぼやきも、今のモニカには聞こえていないらしい。
メリッサが言っていた通り、モニカは目を爛々と輝かせ、フスフスと鼻を鳴らし、ルイスを見上げた。
その手には論文の束が握られている。
「ルイスさん、学生時代に論文書いてました、よねっ。あのっ、魔法戦用の結界に追加術式を組み込む……っ」
それは、もう十年以上前の話だ。
当時は魔法戦用の結界が開発されたばかりで、色々と改良の余地があったのである。
物理攻撃無効は非常に優秀だが、それだけに魔力の消費も多く、結界の維持が困難になる。故にこれ以上術式を組み込むのは難しいと思われていた。
それを覆す方法を提唱したのが、当時まだ学生だったルイスの論文だ。
「おや、随分と懐かしいものを……」
その論文は、素行が悪くても高等科への進学を許してもらえた程度には、出来の良い論文であった。
そして、このルイスの研究発表に着想を得て、開発されたのが、魔法戦の様子を白幕に映し出す術式だ。
「ルイスさんの論文で提唱されている術式接続方法なら、この魔術も追加できます、よねっ?」
そう言ってモニカは、床に散らばっていた紙を数枚拾い上げて、ルイスに押しつける。
そこに記されているのは、魔法戦用結界を維持するための魔導具から、結界内に音を届けるというものだった。
従来の魔法戦用結界では、映像のみで音を届けることはできなかったが、モニカは観戦者の声を、魔法戦の結界内に響かせようとしているのだ。
ルイスはまず冷静に、それが可能かを考えた──可能だ。調整は必要だが、理論上不可能ではない。既に、〈沈黙の魔女〉はレーンフィールドの祝祭で、それと似たようなことを再現している。
次にルイスは、モニカがそんな魔術式を考えた意図を考えた。
「……なるほど。音を届けることで、弟子と情報のやり取りを可能にしたいと」
そうなると、魔法戦における戦略が大きく変わってくる。観戦者側である師は映像を見て、対戦相手の状況を弟子に伝えることができるからだ。
これは一層、師弟での連携や戦略性が重要度を増してくる。
そう考えるルイスの前で、モニカは恥ずかしそうに指をこねた。
「いえ、あの、わたし……師匠だから、弟子に、がんばれって、応援したくて……」
「…………」
ルイスは傾いた片眼鏡を指先で押さえた。
この小娘は本気で、弟子を応援するためだけに、リディル王国の魔法史に残る新技術を開発しようとしているのだ。それも一週間かそこらで。
これだけでも充分に驚きだが、モニカが誰かを応援するために声を届けたいというのも、別の意味で衝撃であった。
あの、人前でろくに喋れないから無詠唱魔術を開発したバケモノ娘が、誰かを応援!
ルイスは片眼鏡に指を添えたまま、ゆっくりと息を吐く。
このバケモノ娘が誰に恋して馬鹿になろうが知ったことじゃないが、この魔術式は検証する価値がある。
「……分かりました。魔術式の検証をしましょう」
「あっ、ありがとう、ございますっ!」
「とりあえず、場所を移しますよ。こんなゴミ部屋で検証会はごめんです」
* * *
モニカとルイスは場所を〈翡翠の間〉に移し、魔法戦用結界に音を届ける魔術式を組み込む方法についての検証を始めた。
モニカは、ルイスに話を聞いて貰えなかったらどうしよう、と不安に思っていたので密かにホッとしていた。
なにせ、魔法戦用の結界について、モニカが知る限り一番詳しそうなのがルイスなのだ。この件に関しては、他に頼れる人がいない。
ルイスはモニカが書いた魔術式に目を通しながら、淡々とした口調で訊ねた。
「そういえば同期殿、貴女は禁書室の件の始末書、書かなくて良いのですか?」
「あ、はい、大丈夫、です」
禁書室の緊急修復作業に関する始末書は、実際に修復作業をしたシリルが大部分を書くことになっており、それを緊急事態と判断して承認した側のモニカは、書くものが少ないのだ──それでもラウルは頭を抱えていたようだが。
(シリル様、どうしてる、かな)
シリルのことを考えたら、お泊まり会最終日の夜を思い出してしまい、モニカは赤くなった顔を隠すように俯いた。
とろけるような柔らかい笑顔。「かわいい」の一言。
思い出すだけで、ドッカーン! という爆音が耳の奥でこだまする。
(わたし、次にシリル様と会う時、どんな顔をしたら……)
恋する乙女は密かに頭を抱えたが、それはまったくの杞憂であった。
──何故なら、シリル・アシュリーは、今回もまぁまぁ結構な奇行に走っていたからである。
導入のルイスは、早く七賢人になりたいのに、ローズバーグ家が代替わりしてメリッサが新七賢人になり、ローズバーグ家潰してやろうか……とイライラしている時期でした。




