【4】七賢人の弟子最強の男伝説の幕開け
「その魔法戦で、あたくし達七賢人に、魔術師としての実力を認めさせなさい。アイザック・ウォーカー」
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ」
メアリーの言葉に、モニカは声をあげた。
メアリーがこの場をとりなしてくれたことはありがたい。だが、アイザックに魔法戦をさせるのは無理がある。
アイザックはまだ、魔術の実技を始めたばかりなのだ。
だが、「アイクはまだ未熟だから、魔法戦なんてさせられません!」は、アイザックに失礼ではないだろうか。
アイザックが努力家で、魔術式の理解力が極めて高いことをモニカは知っている。
弟子の尊厳やプライドを守りながら、魔法戦をやんわりと断るにはどうしたらいいか。
モニカは懸命に考え、そして言った。
「アイクは……わたしの弟子は、成長期なんです!!」
何言ってんだこいつ、という目でルイスがモニカを見た。
メアリーはいつも通りニコニコしており、とっくに成人しているのに成長期扱いされたアイザックは、神妙な態度のまま何か言いたげな顔をしている。
そんな空気の中、モニカは拳を握りしめて主張した。
「つまり、これからグングン伸びるんです! だから、今すぐ魔法戦というのは……」
「なるほど、成長期。それなら尚更、実技訓練をさせるべきでしょう」
ルイスが不気味なぐらい、にこやかに微笑み、アイザックを見た。
「構いませんよね? 成長期のお弟子殿」
「謹んで、お受けいたします」
含みたっぷりのルイスに、アイザックは膝をついたまま応じ、小さく咳払いをして、今度はメアリーを見上げた。
「釈明の機会を設けていただき、ありがとうございます。〈星詠みの魔女〉殿」
「どういたしまして。日程は……そうね、十日後ぐらいが良いでしょう? 詳細は追って連絡するわ」
その言葉に、アイザックの目がほんの少しだけ険しくなる。数秒遅れで、モニカはその理由を理解した。
メアリーは、アイザックの──否、正確には第二王子フェリクス・アーク・リディルの先の予定を把握しているのだ。
老獪な魔女は少女めいた可憐な笑みを浮かべ、ローブの裾を翻し、ルイスを促す。
「さ、行きましょ、ルイスちゃん」
ルイスはもうアイザックを見ていなかった。
お前など敵ではないのだ、と言わんばかりの態度で、アイザックに背を向け、メアリーと共にその場を立ち去る。
二人の姿が完全に見えなくなったところで、アイザックが激しく咳き込んだ。
潰れた喉で無理やり息を吐いているような不自然な呼吸に、モニカはギョッとする。
「アイク!?」
「魔術を使う相手は、まず、喉を潰す……正しい判断だ」
それは酷く掠れた、聞き取りづらい声だった。
先ほどの戦闘で、ルイスはアイザックの首を絞め、喉を圧迫していた。傍目にはどれだけ力を込めているのか分からなかったが、相当強い力だったらしい。
「あの、アイク……」
「うん」
「さっきまで、普通に声、出してましたよね?」
ルイスやメアリーとのやりとりでは、こんな掠れた声ではなかった筈だ。
モニカの疑問に、アイザックは苦しげに喉を押さえながら、不敵な笑みを浮かべた。
「僕が普通に声を発する度に、〈結界の魔術師〉が頬を引きつらせていただろう?」
つまり、モニカの気づいていないところで、挑発の応酬が行われていたのである。
ひぇぇ、とモニカが喉を震わせていると、アイザックは膝をついた姿勢のままモニカを見上げた。
「モニカ、すまない……ネロを呼んできてくれるかい?」
「ネロを?」
「肩を借りたい。脇腹を殴られたのが、かなり効いてる」
よく見ると、アイザックの額には脂汗が滲んでいた。呼吸音もヒュウヒュウと頼りない。
ずっと膝をついた姿勢を保っていたのは、立ち上がるのも辛いからだったのだ。
* * *
「人間は、面白いことを考えるよな」
負傷したアイザックに肩を貸したネロは、控え室に着くなり、大真面目な口調で言った。
「肉に肉を巻いて焼いてたんだぜ。おい、後輩。あれ作れ。すげーデカいの作れ」
流石は偉大なネロ先輩。アイザックが青白い顔でグッタリしていても、お構いなしである。
アイザックは椅子の背にもたれて、ゆっくりと呼吸を整えながら、ルイスに殴りつけられた脇腹をさすった。
「すまないが、しばらく我慢しておくれ。やるべきことが、できたからね」
七賢人の弟子を集めた魔法戦。そこでアイザックは、魔術師としての実力を証明しなくてはいけない。
だが、今のアイザックが使える魔術は初級の水属性魔術のみ。今から上級魔術を習得するには、準備期間が短すぎる。
険しい顔で考え込むアイザックに、モニカがしょんぼりと言った。
「アイク、ごめんなさい……わたしが、上手に取り成せなかったから」
「〈星詠みの魔女〉の提案は、僕の罪状を思えば結構な温情だよ。それに何より……魔法戦という形式は、僕にとって都合が良い」
アイザックはまだ、初級魔術しか使えない身だ。
それなら、「今使える一番強力な魔術を披露せよ」という課題より、状況判断能力が問われる魔法戦の方が、まだやりようがある。
なにより水属性の魔術は、対竜戦闘には向かないが、対人戦闘では役に立つのだ。
「でも、アイク……その顔で魔法戦をするとなると、魔力量が……」
「そうだね。魔力が半分に減っている状態で挑むことになる」
アイザックの魔力量は一五三と、上級相当の数値だが、問題なのは顔だ。
アイザックは魔力量が充分な時はフェリクスの顔に、魔力量が半分を切るとアイザック本来の顔になる。
つまり、アイザック・ウォーカーとして魔法戦に挑むのなら、開始時点で魔力量を半分に減らして挑まないといけないのだ。
魔法戦は受けたダメージの分だけ魔力が減り、魔力量が一定以下になると敗北になる。当然、魔術を使うにも魔力を消費するのだから、魔力量が重要なのは言うまでもない。
「マスター」
アイザックのローブの襟元から、白いトカゲ姿のウィルディアヌがスルスルと這い出てきた。そのままローブを伝って肩に移動すると、ウィルディアヌはアイザックを見上げる。
「魔法戦の最中にマスターの魔力量が減少したら、わたくしが供給いたしましょうか?」
「いいや、駄目だ。この魔法戦は、僕が自分の力で挑まないと意味がない」
キッパリと言うアイザックに、モニカがオロオロとし、ウィルディアヌは尻尾をウニョリ、ウニョリと動かした。
なお、ネロは話に飽きたらしく、成人男性の姿のままソファで、のびのびゴロゴロしている。
自由だなぁ、とネロを横目に見ていると、ウィルディアヌが控えめに進言した。
「魔法戦は、魔力を帯びた攻撃を主とするものであり、契約精霊の協力も認められている筈です」
「駄目。それでは、〈結界の魔術師〉が納得しないだろう?」
先日のローズバーグの森のように、魔力濃度の高い土地で急回復する緊急事態に備え、ウィルディアヌはポケットの中にいてもらうつもりだ。
それでも、緊急事態以外でウィルディアヌに力を借りるつもりはなかった。
「魔法戦で手助けするのは無しだ。いいね?」
アイザックが念を押すと、ウィルディアヌは無言のまま、尻尾を丸める。
尻尾で不満表明をするウィルディアヌに代わり、モニカが口を開いた。
「……悔しいです。魔力量も、ウィルディアヌさんとの契約も、アイクが努力して身につけたことなのに……」
魔術師として認めてもらうなら、上位精霊との契約は立派な判断材料だ。上位精霊との契約など、誰にでもできることではない。
だが、アイリーン妃の契約精霊であるウィルディアヌを、アイザックは人前に出せないのだ。
それが、モニカには歯痒いようだった。
(……君がそう言ってくれるだけで、僕は充分恵まれているんだよ)
胸の内で呟き、アイザックはあえて余裕たっぷりの態度で肩を竦めた。
「なに、〈結界の魔術師〉には、他のやり方で認めてもらえばいい。とりあえず、この準備期間で、今使える魔術を魔法戦用に調整するつもりだ」
七賢人に魔術師として認めてもらうのなら、ただ魔術を放って敵に当てるだけでは弱い。魔法戦ならではの工夫がいる。
初級魔術でも、研鑽し、工夫と応用をすれば、魔術師としての実力に違いが出るはずだ。
(そのためにも、まずは……あの魔術を完成させないと)
今、練習中の魔術がある。何度も失敗し、庭を水浸しにした大技だ。
アイザックは、それをこの十日間で仕上げるつもりだった。
「ウィル、訓練を手伝ってくれ」
「承知しました」
尻尾のウニョウニョがピタリと止まった。
相棒が納得してくれたところで、アイザックはモニカと向き合い、己の胸に手を当てる。
「偉大なる師〈沈黙の魔女〉レディ・エヴァレット。貴女の名に恥じぬ戦いをすることを誓います」
畏まるアイザックに、モニカはキュッと唇を噛み締めると、覚悟を決めた顔で頷いた。
「分かりました……だったら、わたしも、師匠としてできることをやります」
眉毛を心なしかキリッとさせた顔は、きっとモニカが考える格好良いお師匠様の顔だ。
そんな愛しい人を見つめ、アイザックは胸の内で呟く。
(……本当は、〈結界の魔術師〉に認めてもらうより、君に認めてもらう方が遥かに難しいんだよ、マイマスター)
魔法戦で下手な術式分割をしようものなら、たとえ〈結界の魔術師〉が認めても、モニカが認めない。
くだんの大技も、術式分割無しで扱えるようにならなくては、とアイザックは気を引き締め直す。
まずは魔術の訓練、対戦相手の研究、魔法戦会場の下見──己にできる全ての手を打って、魔術師アイザック・ウォーカーを認めさせるのだ。
アイザックは全身にやる気を漲らせ、力強い声で相棒に宣言した。
「勝つぞ、ウィル」
「はい、マスター」
* * *
〈砲弾の魔術師〉ブラッドフォード・ファイアストンの弟子である、中級魔術師ウーゴ・ガレッティ君は、クルンクルンした茶髪を引っつめ髪にした、二〇代前半の青年である。
そんな彼が、魔術師組合から届いた書類を師匠の元に届けに行くと、ブラッドフォードは封筒を受け取りながら、世間話のような口調で言った。
「おぅ、そうだ、ウーゴ。今度、魔法戦をすることになったぞ」
「お師匠が?」
「いや、お前が」
「なんで!?」
ウーゴは魔法戦があまり得意ではない。
攻撃魔術を狙って当てるのが苦手で、結界術を使って逃げ回っている内に、結界術だけ上達した魔術師なのだ。
なので、ブラッドフォードが詠唱をする際の、サポートや時間稼ぎは得意だが、単独での魔法戦には自信がない。
焦るウーゴに、ブラッドフォードは受け取った書類をパラパラと捲りながら言う。
「〈星詠みの魔女〉の提案でな。七賢人の弟子の交流も兼ねて、実戦演習をやりたいらしい」
「つまり、その魔法戦に参加するのは、七賢人の弟子ってこと?」
「おう、お前さんと、〈星詠みの魔女〉、〈結界の魔術師〉、〈沈黙の魔女〉の弟子の四人でだ」
ウーゴは素早く思案した。
〈星詠みの魔女〉の弟子クラレンス・ホールは、〈天文台の魔術師〉の二つ名を持つ上級魔術師だ。上級ではあるが、二つ名の通り天文台でメアリーの星詠みの補佐をしている研究者である。その手のタイプは、えてして実戦に弱い。
〈結界の魔術師〉の弟子グレン・ダドリーは、リディル王国初の魔法騎士の称号を得た魔術師で、特大火力の火炎魔術を得意としている。
つまりは、ウーゴの師であるブラッドフォードと似たタイプだ。故に、詠唱中に隙ができやすいという弱点がある。
そして、〈沈黙の魔女〉の弟子アイザック・ウォーカーは、ブラッドフォードが言うには、魔術を学び始めて日が浅い見習いであるらしい。まだ、初級魔術師資格すら持っていないのだ。
(あれ……これって……)
ウーゴはハッと己の口元に手を当てた。
(俺……勝っちゃうんじゃね?)
クラレンスは研究者、アイザックは見習い。ともなれば、グレンの特大火力にだけ気をつければ、どうにかなる気がする。
ウーゴは腕組みをすると、「夕焼けを背景に決め台詞を口にする、カッコいい俺」の姿を思い浮かべた。
『俺の名前は、ウーゴ。ウーゴ・ガレッティ。人は俺を、七賢人の弟子最強の男と呼ぶ……』
七賢人の弟子最強の男。とても良い響きである。
ウーゴはニヤニヤしながら、胸を叩いた。
「お師匠ー、お任せあれなんだわー」
「おう、珍しくやる気じゃねえか」
「まぁほら、グレン君はまだ若いし? ウォーカーって奴は見習いっぽいし? 先輩の俺が胸を貸してやるんだわー」
ウーゴは鼻歌のリズムに合わせて、体を左右に揺らした。ご機嫌な前髪がビヨンビヨンと揺れる。
現在進行中の脳内妄想では、七賢人の弟子最強の男ウーゴ・ガレッティが、年上のクラレンスに尊敬の眼差しを向けられ、グレンに『流石ウーゴさん! カッコいいっす!』と絶賛されている。
(アイザックって奴は会ったことないけど、〈沈黙の魔女〉の弟子なら、まだ子どもなんじゃね? 魔術を学び始めたばかりらしいし)
だったら、程々に手加減をして、大人の余裕を見せてやるのがいいだろう。
脳内イメージのアイザック・ウォーカー君(少年)は、キラキラした目でウーゴを見上げていた。
『ウーゴさんはすごいです! 尊敬する大先輩です! 心の師匠と呼ばせてください!』
そんな可愛い弟分に、ウーゴは腕組みをし、クールに笑ってこう言うのだ。
『やれやれ、困った奴だぜ』
勿論、背景は夕焼けである。
ウーゴの故郷アルパトラでは、良い男は夕焼けが似合うと決まっているのだ。
Q:アイザックとルイスが本気で勝負したら、どちらが勝ちますか?
A:魔術有りならルイスの圧勝です。
魔術無しなら状況によりけりですが、リーチの長さと関節技で攻めるアイザック、懐に入り凶悪なジャブを放つルイス。どちらも粘り強く執念深いので、不毛な泥試合に。
最終的に立っているのはルイスだけど、顔を死守し、かつ後に響くダメージを多く与えたのはアイザック、みたいになると思います。
契約精霊有りなら、リンが全員(ルイス含む)を吹き飛ばして勝利します。




