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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝after3:最強の弟子決定戦
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【3】見習い魔術師の試練

 ルイスはミネルヴァ時代の学友であるリディル王国第一王子ライオネルから、病弱な弟の話を何度か聞いたことがある。


『フェリクスはとても体が弱く、祖父の屋敷で療養しているのだ。だから、なかなか会うことができずにいるが……それでも、いつか元気になったら、一緒に遠乗りに連れていってやりたいのだ』


『剣の訓練の話をすると、驚いたように目を丸くしてな。兄上はすごいです、とニコニコしながら褒めてくれるのだ。だから尚更、剣の訓練には力が入ってしまったのかもしれない』


 いつか弟と遠乗りをしたい。何かあったら、自分の剣で守ってやりたい。

 ライオネルはよくそう口にしていた。

 そんなんだから、いつまで経っても魔術が上達せず、乗馬や剣の腕ばかり上達するのだ。馬鹿ゴリラ──と悪態を吐いたことを、今でも覚えている。

 ライオネルは善良で、お人好しで、暑苦しくはあるが、それでも弟想いの優しい兄だった。


 ──あのお人好しの馬鹿ゴリラが、弟をどれだけ大事にしているか……知っているのか、大嘘つきのクソ野郎。


 ルイスはそれを、死んでも口にしない。

 ライオネルが、自分のためにルイスが怒ることを喜ばない人間だと、知っているからだ。

 故に、〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーは、周囲にこう語る。

 自分が第一王子派なのは、あの胡散臭い笑顔の第二王子が気に入らないからだ、と。

 だから、第二王子を騙る偽物の失脚は喜ばしいことだし、隠居後、調子に乗っているのなら、絞めあげるのもやぶさかではないのだ。


 アイザック・ウォーカー。


 それは、かつて第二王子の正体を疑い、身辺調査をした時に見つけた名前だ。

 禁術である肉体操作魔術を使った疑惑の医師アーサーと同じタイミングで、死んだことになっている少年。

 確たる証拠があるわけではないが、おそらくこいつだ、とルイスは目星をつけていた。

 そして今、どういうわけか、アイザック・ウォーカーを名乗る男が、第二王子とは異なる顔で、〈沈黙の魔女〉の弟子になっている。

〈沈黙の魔女〉は第二王子の正体を知った上で、処刑を回避するように働きかけた人物だ。

 ならば、アイザック・ウォーカーに絆されたと考えるのが妥当。


 ──この小娘は、あろうことか罪人に絆され、弟子として受け入れたのだ。


 数字と魔術しか愛せないモニカなら、偽物王子に誑かされることもあるまいと高をくくっていたが、どうやら考えが甘かったらしい。

 今、目の前にいるアイザック・ウォーカーは右目の上に大きな傷のある、目つきの悪い青年だ。お綺麗な第二王子の顔とは、全く違う。

 どうやって、顔を変えたかは分からないが、それは、これから締め上げて白状させればいいだろう。

 今のルイスに、モニカを説得する気はさらさらない。

 口の上手い男に誑かされ、のぼせあがっている小娘に、「そいつ詐欺師ですよ」と言ったところで、耳を貸すはずがないからだ。



 * * *



「……自領で大人しくしているなら、見逃してやったものを」


 ルイスから漂う冷たい敵意に、モニカは息を呑んだ。

 第二王子フェリクス・アーク・リディルの処遇を巡る一件について、ルイスが第二王子を偽物であると確信していることは、モニカも知っていた。

 だが、アイザック・ウォーカーの名に辿り着いているとは思っていなかったのだ。ルイスの執念を甘く見すぎていた。


「ルイスさ……」


 モニカが全てを言い終えるより早く、ルイスは地面に突き立てていた杖からパッと手を離し、そして一気に距離を詰めてアイザックの腹に拳を繰り出した。

 アイザックは咄嗟に斜め後ろに下がって攻撃をかわすが、ルイスはすぐに距離を詰め、顎目がけて掌底を放つ。アイザックは軽く体を逸らせて、それも回避した。

 カシャン、と音を立ててルイスの杖が地面に倒れる。杖が倒れるまでの、僅か数秒でこれだけの攻防が行われたのだ。

 だが、ルイスの攻撃はそれで終わらない。ピッタリとアイザックと距離を詰め、容赦なく拳を振るう。

 無詠唱魔術を発動しようとして、モニカは焦った。


(狙いが、定まらない……!)


 この状況でルイスを無力化する方法は幾つかある。雷の魔術で痺れさせるか、或いは氷の魔術で足を凍りつかせるか。防御結界を使って、ルイスとアイザックの間に壁を作る方法でもいい。

 だが、俊敏なルイスの動きがそれを許さない。

 正確な狙撃が得意なモニカでも、常に動き続けている相手に攻撃を当てるのは難しいのだ。しかもこの状況、一歩間違えればアイザックに攻撃が当たってしまう。


(寧ろ、ルイスさんは、それを狙ってる……!)


 ルイスはモニカが放った攻撃魔術をかわし、アイザックにぶち当てる気満々なのだ。

 防御結界で壁を作るにしても、ルイスが素早く立ち位置を変えてしまうので、結界の座標軸が定まらない。

 とうとうかわしきれなくなったアイザックの脇腹に、ルイスの拳がめり込んだ。アイザックは息の塊を吐いて、ふらつく。その首を、ルイスは容赦なく片手で絞めた。

 アイザックは己の首を絞めるルイスの手に指をかけたが、ルイスの手はびくともしない。


「〈沈黙の魔女〉を誑かし、魔術師組合の幹部に近づき、何を企んでいる?」


 ルイスの言葉にモニカは青ざめた。ルイスは、アイザックが何かを企んでいると考え、それで怒っているのだ。


「ルイスさんっ、アイクは、何も企んでなんか……」


「何も企んでいないと、どうして言い切れるのです? 貴女や魔術師組合を味方につけて、クーデターを起こさないという保証がどこに?」


 ルイスはアイザックの首を絞めながら、器用に親指で喉仏を圧迫した。アイザックの顔が苦しげに歪み、喉からカフッと空気が漏れるような音がする。


「第一王子、第三王子を暗殺すれば、第二王子の王位継承権を復帰させようと考える者も出てくるでしょう」


 モニカは何も言い返せなかった。

 ルイスの言い分は正しい。寧ろ、立場を逸脱した行いをしているのはモニカなのだ。

 黙り込むモニカにルイスは鼻を鳴らし、アイザックを冷ややかに見る。

 アイザックは気道を圧迫するルイスの手に指をかけつつ、どこか凪いだ目でルイスを見ていた。

 その目が気に入らないとばかりに、ルイスは舌打ちをする。


「お前に許されているのは、余計なことを語らず、禍根を残さず、余生を過ごすことだけです」


 ルイスは首を絞めていた手を離す。

 解放するためじゃない。トドメの一撃を放つためだ。


「二度と遊び歩けない体にしてやりましょう」


 ルイスの拳がアイザックの顔面を狙う。アイザックは咄嗟に腕を上げてガードしたが、ルイスの勢いに押されてバランスを崩した。

 いつもなら、そのまま足払いを仕掛けるところだが、アイザックは反撃をせず、あえて床を蹴ってルイスと距離を取る。

 その瞬間を見逃さず、モニカはアイザックの周囲に防御結界を張った。

 だが、ルイスもそれを読んでいたのだろう。彼は短縮詠唱で己の右の拳に、小さな防御結界を展開する。小さいが恐ろしく強固な盾だ。その盾で、ルイスはモニカが張った防御結界を殴りつけた。


「──っらぁ!」


 硬質な音が響き、モニカの防御結界が砕け散る。

 モニカは咄嗟に次の防御結界を重ねたが、それもルイスは結界を張った拳で叩き割った。

 無詠唱で魔術を操るモニカに対し、ルイスが出した対抗策の一つがこれだ。


 詠唱するより殴る方が速い──真理である。


 ルイスが跳躍し、アイザックのこめかみ目掛けて回し蹴りを放つ。

 アイザックがそれをかわすと、ルイスは驚くほどしなやかに着地し、着地とほぼ同時に床を蹴ってアイザックに殴りかかった。アイザックはそれを慎重に回避し、受け流す。


「反撃しても、いいのですよ?」


「僕を処分する口実を与えてしまう」


 淡々と言うアイザックに、ルイスは八重歯を覗かせ、凶悪に笑った。


「察しが良くて結構」


 再び接近戦が始まった。ルイスの動きがあまりに滑らかで俊敏なものだから、モニカは狙いが定められない。竜の眉間を撃ち抜く方が遥かに容易だ。

 拳を繰り出しながら、ルイスがモニカに告げる。


「残念ですが、同期殿。貴女は、守る者がいると弱くなる」


 ルイスの言う通りだ。モニカの無詠唱魔術の強みは、先手を取れることにある。故に、防御に専念してしまうと、無詠唱魔術の強みが活かしづらい。


(それでも……)


 モニカはルイスの足元に遠隔術式を織り込んだ氷の魔術を繰り出した。ブーツが地面に張りついてしまえば、身動きが取れなくなる。

 だが、ルイスはダンスのステップでもするかのような器用な足捌きで、それをかわした。


(アイク、もう少し、耐えてください)


 モニカはそっと伸ばした指先で、壁に触れた。そこから壁の上を這うように氷の蔦が細く伸びる。

 察したアイザックが、己の体でモニカを隠すように立ち回っているので、ルイスは気づいていない。


(ここ!)


 氷の蔦は壁から床に静かに移動し、ルイスの右足を狙った瞬間、ルイスが左足で何かを蹴った。ルイスが先ほど床に転がした杖だ。氷の蔦はルイスの足ではなく、杖を氷漬けにする。

 ルイスは、氷漬けになった杖を爪先でつついた。


「今のは、なかなかヒヤリとしましたよ……思いの外、連携が取れているようで」


「わたしの、弟子ですから」


 守る者がいるとモニカは弱い、とルイスは言った。

 だけど、アイザックは守られるだけの人間じゃない。彼はもう、護衛対象の王子様ではなく、共に戦う弟子なのだ。

 

「ルイスさん、わたしの弟子に……魔術を学ぶチャンスをください」


 モニカは、アイザック・ウォーカーという弟子を諦めたくない。

 これからも、師匠でありたい。


「わたしが、責任をとります、から」


「犬猫拾って育てるのとは、訳が違うのですよ? その男に許されているのは、王位継承権をなくした王子として、慎ましく生き、静かに死ぬことだけです」


 ルイスは杖に張りついた氷を蹴って砕くと、取り出した杖の先端をアイザックに突きつけた。


「第二王子を名乗っておきながら、その責務を放棄して遊び歩こうなんて、あまりに虫が良すぎる」


 呟く声は低く、重い。

 嫌悪と侮蔑をありありと滲ませ、ルイスはモニカとアイザックを交互に睨む。


「そいつは、呑気に氷菓作りなどしていられる身分ですか? えぇ? ……随分贅沢な味がすると思いきや、わざわざエリン領で輸入しているバニラまで使って。そういう挑発かと思いましたよ」


 モニカは先日、自分が持っていった氷菓のことを思い出した。

 なんだかとてもリッチな味がすると思ったら、風味づけにバニラが使われていたらしい。


「えっと、あれは挑発じゃなくて、あのっ、本当に美味しいから、食べてほしくて……」


 口籠るモニカの横で、アイザックが膝をつく。

 そうして彼は頭を垂れて、丁重な態度で口を開いた。


「偉大な七賢人〈結界の魔術師〉ルイス・ミラー様に申し上げます」


「申し上げなくて結構。お前は両足をへし折って、自領に送りつけます」


「どうか私が、魔術を学ぶことをお許しいただきたいのです」


 アイザックがルイスに一切の反撃をしなかったのは、魔術を学ぶ許しを乞うためだ。

 それでもなお、ルイスの反応は冷ややかだった。


「何を語ったところで、お前の言葉に重みなどないのですよ」


 研鑽を重ね、相応の実力と実績がある人間の言葉でないと、ルイスは耳を貸さない。

 どうしたら、ルイスを説得できるだろう。

 モニカが唇を噛んでいると、コツコツという足音が聞こえた。誰かが、消音結界の中に入ってきたのだ。

 ルイスが顔を上げる。モニカとアイザックも足音の方を振り返った。

 美しいドレスの上にローブを羽織り、銀の髪を揺らしながら歩いてくるのは、この国一番の予言者〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイ。


「ご機嫌よう」


 狼狽えるモニカ、敵意を撒き散らすルイス、そして跪いたアイザック。

 三者を順番に眺め、メアリーは場違いなほど、おっとりと微笑んだ。

 そんなメアリーに、ルイスが苦虫を噛み潰したような顔をする。


「……〈星詠みの魔女〉殿。貴女は、どこまでご存知で?」


「まぁ、ルイスちゃんってば。あたくしは、〈星詠みの魔女〉なのよぉ?」


 その言葉が全てだった。

 眉間に深い皺を刻むルイスに、メアリーが言う。


「アイザック・ウォーカーの初級魔術師試験の申し込みは、正式に受理されているわ」


「なるほど、陛下も一枚噛んでいると……クソ甘いことで」


「エリン公爵領の領地経営は順調。〈暴食のゾーイ〉事件で被害の大きいサザンドールへの支援もしてくれた。隠居の身でも、王族としての務めは、充分に果たしていると言って良いでしょう」


 メアリーの言葉に、ルイスはしかめっ面で吐き捨てる。


「だから、道楽で魔術師も始めると? ……それもう、殺してよくないですか?」


「よっ、よくないですっ!」


 モニカが悲鳴じみた声で叫んだが、ルイスは素知らぬ顔だ。

 ただ、ルイスは物騒な発言こそしているが、殺意はもう引っ込めていた。

 アイザックの処遇に国王が関与しているのなら、ルイスが騒ぐことは不利益になると理解しているからだ。

 それでも、燻るものはあるのだろう。不満気なルイスに、メアリーが提案する。


「だったら、道楽ではないと、証明してもらいましょう」


 アイザックがハッと顔を上げて、メアリーを見た。

 メアリーはニコリと微笑み、己の唇にピトリと指を添えて提案する。


「ブラッドフォードちゃん風に言うならぁ……ドカーンと魔法戦で解決しましょ?」


「あ、あの、それってつまり、アイクとルイスさんが、魔法戦をするってこと……ですか?」


 狼狽えるモニカに、メアリーは首を横に振る。


「それじゃあ、ただの弱い者いじめになっちゃうでしょ? だから、七賢人の弟子同士で魔法戦をするの」


 メアリーは七賢人不在の事態に備え、七賢人の弟子同士の交流や、実力の把握が必要だと、以前から考えていたらしい。

 星詠む魔女はローブの裾を翻してアイザックの前に立つと、穏やかに、それでいて有無を言わさぬ威厳をもって命じた。


「その魔法戦で、あたくし達七賢人に、魔術師としての実力を認めさせなさい。アイザック・ウォーカー」



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