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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝after3:最強の弟子決定戦
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【2】ご機嫌よう、クソ野郎

 モニカと〈砲弾の魔術師〉ブラッドフォード・ファイアストンが談笑しているのを聞きながら、アイザックはモニカの横顔を見つめていた。

 品のある化粧に、丁寧に編んだ髪──どちらも、アイザックが施したものだ。

 化粧は知的に上品に。髪は毛先が飛び出ぬよう、丁寧にピンで留めて。

 モニカの髪の毛は少し癖があって柔らかいのだが、編み込んでまとめ髪にするには丁度良かった。

 寧ろ、練習台にした恋敵の方がずっと扱いづらかった。本人の性格を反映したように硬質で真っ直ぐな髪の毛は、すぐ元の位置に戻りたがるのだ。

 編み込みから毛束が飛び出し、ピンはツルリと髪を滑って抜け落ち、何度コテで巻いても真っ直ぐになり……この野郎、こんちくしょう、と胸の内で呟きながら大量の整髪料を消費した。

 化粧も、恋敵の時は練習台だからと、石膏職人のごとく厚塗りしてやったが、勿論大事なお師匠様にそんなことはしない。

 この国の魔術師の頂点に立つ、〈沈黙の魔女〉に相応しい上品な仕上がりになっている。

 モニカに化粧を施す時は、らしくもなく緊張した。

 目を瞑った彼女の、柔らかな頬に触れることが許される──その距離に胸が高鳴った。ちょっと意地悪な気持ちで頬をつねるのとは、また別の喜びだ。


(なんて光栄なことだろう)


〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットは度重なる危機から国を救った、本物の英雄だ。アイザックが憧れた偉大な魔術師だ。

 隠れて彼女の論文を集め、ランタンの灯りの下でこっそりと読み耽り、それでも魔術師の道には進めぬのだと諦めていた自分が、今は〈沈黙の魔女〉の弟子として、ここにいる。

 アイザックは緩みそうになる顔を引き締めた。

 この場にいるのは、いずれも実力のある上級魔術師や、魔導具産業、魔術師組合の重鎮ばかり。そんな中で、〈沈黙の魔女〉は最も注目されているのだ。

 ならば、その弟子である自分は、それに相応しい振る舞いをしなくては。

 アイザックが己にそう言い聞かせている間に、ネロは次の料理を求めてどこかに行ってしまった。

 自由だなぁ、と密かに呆れていると、モニカと談笑していたブラッドフォードがアイザックに目を向け、モニカに訊ねる。


「ところで、そいつがお前さんの弟子か?」


「はい、紹介しますっ。わたしの弟子の、アイク……アイザックです!」


 モニカはフスフスと鼻から息を吐き、少し意気込んで答えた。

 わたしの弟子。その言葉だけで、アイザックは踊りだしたいぐらい、嬉しくて嬉しくて堪らない。

 そんな喜びを押し隠し、アイザックは胸元に手を添えて一礼をした。


「お会いできて光栄です、〈砲弾の魔術師〉様。〈沈黙の魔女〉の弟子、アイザック・ウォーカーと申します」


 アイザックの挨拶に、ブラッドフォードが感心したような声を漏らし、顎髭を撫でる。


「礼儀正しい奴だな。あー……確か、竜滅のと共同研究してるんだったか?」


「っす。俺とこいつは、同郷の幼馴染なんで」


「竜滅のは、魔法学校に通ってなかったよな? ウォーカーも独学か?」


 ブラッドフォードの言葉に、モニカが少しまごついた。

 アイザックのことを、どこまで話せば良いか迷っているのだろう。そんなモニカに代わり、アイザックは口を開いた。


「はい。浅学の身ではありますが、我が師と、〈竜滅の魔術師〉様の助力を得て、研究に携わらせていただいております」


「ほぅ、魔法戦はするのか?」


 訊ねるブラッドフォードの声は、どこかウキウキと弾んでいた。〈砲弾の魔術師〉は魔法戦が大好きなのだと、アイザックは何度か耳にしている。


「まだ、実戦に通用するほどの技術はありません。ですが……」


 今の自分は魔術師としては未熟者だ。七賢人には遠く及ばない。

 それでも、アイザックは決めているのだ。〈沈黙の魔女〉の支えになる、魔術師になると。


「我が師の力になれるなら、六重強化に耐えるまで、研鑽を続けましょう」


 アイザックの言葉に、ブラッドフォードが「ほぅ」と呟き、眉毛を持ち上げた。

 六重強化魔術はブラッドフォードだけが使える、最高火力の魔術だ。

 それに耐えるまで研鑽を続ける──ブラッドフォードに対する挑戦状とも取れる、不敵な言い回しである。

 横で聞いていたサイラスが、「生意気言いやがって」とアイザックの脇をつついた。足を踏んづけてやりたいが、ここは師の前だと我慢する。

 アイザックの不敵さに、ブラッドフォードは機嫌良く笑った。


「負けん気の強い奴は嫌いじゃない。気に入ったぜ。良い弟子じゃねぇか、沈黙の」


 その言葉にモニカが目を輝かせ、背筋を伸ばし、胸を張る。


「はい!」


 モニカが誇らしげに頷く。それだけで、アイザックはもう胸がいっぱいになってしまって、こっそりローブの胸元を握りしめた。

 偉大な〈沈黙の魔女〉に許され、認められ、そうしてアイザック・ウォーカーはここにいる。


 ここに、いるのだ。



 * * *



 懇親会はまだしばらく行われるが、閉会までいても、途中で抜けても、どちらでも構わない。中には挨拶だけ済ませたら、さっさと帰る者もいる。

 モニカは閉会の挨拶まで居続けるつもりだったようだが、何人かと挨拶したところで顔色がおかしいことにアイザックは気がついた。


「モニカ?」


「……はひ」


「具合が悪い?」


「……コルセット……締めすぎました……」


 モニカにとってコルセットとは、体型を美しく見せるための物ではなく、背筋を伸ばすための物であるらしい。

 立派なお師匠様として背筋を伸ばせるようにと張り切ったモニカは、いつも以上にコルセットをギュウギュウに締めてしまったのだ。

 そうでなくとも、人前に出ることが本来得意ではないモニカだ。講演に挨拶にと、慣れないことの連続で疲弊してしまったのだろう。


「控え室に戻ろう。挨拶が必要な人には、大体挨拶できたから」


 この会場に来ていた七賢人はモニカ以外だと、サイラスとブラッドフォードの二人だけだ。この二人とは挨拶したし、それ以外だとミネルヴァの学長、魔術師組合の幹部など、最低限挨拶しておきたい人物には挨拶できている。


「……そう、でしたっけ……えっと、ごめんなさい、わたし、今日の参加者、あんまり把握してなくて……」


 アイザックはモニカを安心させるように「大丈夫だよ」と言いながら、ヒューバード・ディーとアンバード伯爵バーニー・ジョーンズの存在をしれっと伏せた。

 ヒューバードは、絶対にモニカに近づけたくない危険人物ダントツの一位だ。モニカに近づけないようにするのは、弟子の使命である。

 アンバード伯爵はモニカと学友で、医療用魔導具の件で色々と世話になっている。なので、挨拶の優先順位は高かったが、ヒューバードに絡まれていたので、アイザックはさりげなくモニカから遠ざけたのだ。見殺しにしたとも言う。


「歩けるかい?」


「はい……あ、ネロは」


「まだ、食事に夢中だね」


 いつも自由なネロは、今も皿を片手に食事のテーブル周辺を徘徊している。控え室の場所は分かっているはずだし、放っておいてもその内戻ってくるだろう。

 そう判断したアイザックは、サイラスやブラッドフォードにモニカの体調が優れないことを告げ、会場を後にした。

 アイザックに支えられたモニカは、フラフラと廊下を歩きながら、か細い声を漏らす。


「今日のアイク、とっても頼もしいです……あ、えっと、いつも頼もしいんですけど」


「光栄です、マイマスター」


 偉大なお師匠様に、そして大好きな女の子に頼もしいと言われて、嬉しくないはずがない。

 丁寧な口調で応じたアイザックは少し屈んで、モニカの耳元に唇を寄せた。そうして、小さな秘密を打ち明けるような口調で言う。


「実は、とても張り切っていたんだ。君の弟子として紹介されるから、恥ずかしくないようにしないと、って」


 モニカはパチパチと瞬きをしてアイザックを見ると、苦しげだった顔をヘニャリと緩めるように笑った。


「わたしも、張り切ってました。アイクの師匠として、恥ずかしくないようにって」


「じゃあ、同じだ」


「はい、おんなじですね」


 お互いに同じことを考えてた。

 モニカが自分のために張り切ってくれた。


(あぁ、嬉しいな)


 込み上げてきた喜びを、素直に享受できるというのは、なんて幸福なことだろう。それを噛み締めながら、アイザックはモニカと顔を見合わせて笑いあう。

 優しくて、幸福で、穏やかな時間──そこに冷やかな声が響いた。


「おやおや、随分と絆されたようで」


 二人の進行方向に佇むのは、短い栗色の髪に片眼鏡、七賢人の杖とローブを身につけた男──〈結界の魔術師〉ルイス・ミラー。

 接近に気づかなかった。気を抜いていたわけじゃない。ヒューバード・ディーのいる会場で、アイザックは常に周囲を警戒していた。


「ルイスさん?」


 モニカがキョトンと目を丸くした。

〈結界の魔術師〉は別の仕事があり、今日の会合には不参加であると、アイザックは聞いている。その彼がどうしてここにいるのか。仕事が早めに終わったから、懇談会にだけでも顔を出そうとしたのだろうか。

 だが、撒き散らされる不穏な空気は、懇談会に赴く者のそれではない。

 気配を隠して近づき、そして、姿を見せると同時に強烈な殺意を敵に叩きつける──敵の戦意を挫き、威圧し、制圧する行為だ。

 ルイスは早口で何かを詠唱し、手にした杖でトンと地面を突いた。途端に、会場の方から聞こえていた声がピタリと聞こえなくなる。音を遮る消音結界だ。

 ルイスは杖で地面を突いたまま、薄く微笑む。


「ご機嫌よう、同期殿。それと……」


 片眼鏡の奥の目が、その声と同じぐらいの冷ややかさでアイザックを見据える。

 その目に宿るのは、様々なものを飲み込んだ人間の、深く激しい怒りだ。


「国を欺いたクソ野郎」

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