【終】羞恥心の理由
「この度は多大な迷惑をおかけしてしまい、大変に申し訳ありませんでした」
ヴァルムベルク辺境伯ヘンリック・ブランケは、どこまでも誠実そのものの態度で頭を下げる。
そんな彼の前に進み出たのは、アイザックだ。
「どうか頭を上げてください。ヴァルムベルク卿。貴方の行動が家族を想ってのことだということは、この場にいる誰もが存じております」
「失礼、貴公は……?」
ヘンリックは怪訝そうな顔をしながらも、しっかりと姿勢を正していた。アイザックを一目見ただけで、只者ではないと察したのだろう。
アイザックは第二王子の笑顔で、優雅に微笑む。
「エリン公爵フェリクス・アーク・リディルと申します」
「……! なんと……噂に名高いフェリクス殿下でしたか……非常に素晴らしいお人柄であると、お噂は我が帝国にも伝わっております」
「それは光栄だ」
アイザックとヘンリックが友好的に言葉を交わしている横では、グレンが〈砲弾の魔術師〉を見て目を輝かせていた。
「さっきの魔術、すっげーっす! こう、炎がギュギュギュッとなってドッカーンってなって!」
「ガッハッハ! 分かってるじゃねぇか、若いの。いいか、覚えとけよ。呪いみてぇなよく分からねぇモンは、高密度の魔力でドカーンとぶっ飛ばすのが一番なんだよ」
「こうみつど? はよく分かんないけど、なんかオレの魔術と全然ちがったっす! すげーっす!」
グレンが拳を握りしめて力説していると、彼の師であるルイスが片眼鏡を直しながら言う。
「まぁ、本当にすごいのは、その高密度の魔力をぶっ放されても、屋敷に傷一つつけなかった私の結界術なのですが」
「オレが本気を出して六重強化をぶっぱなせば、どんな結界も木っ端微塵だがな」
得意げなブラッドフォードの言葉に、ルイスが細い眉毛をピクリと跳ね上げた。
「私の防御結界なら、六重強化を食らっても無傷ですけど、なにか?」
「結界を壊した時点で、オレの勝ちだろ。オレが六重強化で完全にぶっ壊せなかったのは、茨の要塞ぐらいだぜ」
「あっはっは、オレの茨は再生力が売りだからなぁ」
ブラッドフォードの呟きに、ラウルが陽気に笑う。
ラウルは大したことではないような口ぶりだが、言っていることは割ととんでもなかった。
この国で最も火力の高い〈砲弾の魔術師〉の本気の一撃を、彼は防ぐことができると言っているのだ。
汎用性が高いのはルイスの結界術だが、ラウルの魔力が尽きるまで延々と再生を続ける茨の要塞は、時にルイスの結界術を上回る強度となる。
「そうだ! 久しぶりに七賢人同士の魔法戦やろうぜ! モニカもやるよな?」
ラウルの提案に、今まで聞き役に徹していたモニカがギョッと目を剥いた。
「ふへっ!? い、いいいいいえ、わたしは、見学で……っ」
「オレとチーム組もうぜ! 茨の要塞の中から、モニカが無詠唱魔術を連発すれば、ブラッドフォードさんとルイスさん相手でも勝てると思うんだ!」
このラウルの言葉に反応したのが、大人気ないオッサン二人である。
ルイスがパキポキと指を鳴らし、ブラッドフォードが拳を手のひらにパァンと打ちつける。
「おやおや、若造どもが随分と言ってくれるではありませんか」
「よっしゃ、ドカンと派手にやろうぜ。年長者の凄さってモンを思い知らせてやらぁ」
ルイスとブラッドフォードの言葉に、モニカが真っ青になってガタガタ震える。
……それらのやりとりを、シリルは離れたところから無言で見ていた。
(私は、何故ここにいるのだ)
アイザックは第二王子として場を収め、ヘンリックと交渉をしている。
そしてモニカは七賢人として、当たり前のように他の七賢人達と肩を並べている。
モニカが使った対呪い用の防御結界は、見事と言うしかなかった。呪いを防ぐ結界など、それだけで難解なのに、それを無詠唱で。
モニカの無詠唱魔術を見るのは初めてではないが、こうして高難易度の魔術を無詠唱で行使する姿を見ると、改めて彼女の凄さが分かる。
そして、思い知らされる……己の未熟さを。
シリルはモニカ達に背を向けて、そっとその場を離れた。
(……私は、自分が不甲斐ない)
今日のシリルは、自分の未熟さを思い知らされてばかりだ。
オーレリア嬢との縁談も、まともに受けられず。
呪いで暴走したレイを前に何もできず。
きっと自分は後継者として認められたことで、気が緩んでいるのだ。今一度緩んだ気を引きしめて、自分が成すべきことをしなくては。
(……まずは目標を明確にしよう)
シリルは己が目指すものを、頭に思い浮かべる。
養父の期待に応えること。実母を喜ばせること。
そして……。
──シリル様は、すごいんですっ!
──だから……わたしが尊敬するシリル様のこと、悪く言っちゃ、イヤ、です……
頭に浮かんだのは、自分を見上げる小さな少女。
かつてモニカにその言葉を言われた時、シリルは目が覚めた心地だった。
誰かに認めてほしいと願いつつ、シリルを認めていないのは、他でもない自分自身だったのだと。
モニカは大きな声で何かを主張するのが苦手だ。そんな彼女が、あの時、あの言葉を口にするのに、どれだけの勇気が必要だったのだろう。
人見知りで、口下手で、臆病で……努力家で、ひたむきで、震えながら、それでも一歩ずつ前に歩くような少女が、自分のことを「すごい」と言ってくれたのだ。
だから、力になりたい、と思った。
彼女が困っていたら助けてやりたい。手を差し伸べたい。
なによりも、彼女に頼られる自分でありたい。
(つまり、私はモニカに先輩として尊敬されたいということだな)
今後も、先輩としてモニカに尊敬される振る舞いを心がけよう。
シリルがそう結論づけた、その時……。
「あ、あのっ、シリル、様っ」
背後から自分を呼び止める声に、シリルの心臓が跳ねた。
振り向けば、今まさに頭に思い描いていた少女が、真っ赤なドレスの裾をズルズルと引きずりながら、こちらに駆け寄ってくるではないか。
また裾を踏んづけて転ぶのではと内心ハラハラしつつ、シリルはモニカに歩み寄る。
「私に何か用か?」
「あ、あのっ、その、えっと……っ」
モニカはスカートの裾を掴んでいた手をパッと離すと、俯きながら指をこねた。
こうしていると、とても七賢人とは思えない幼さだ。
それでもこの二年で少しだけ背が伸びたように思う。十九歳という実年齢より幼く見えるのは相変わらずだが、今日は薄く化粧をしているので、十代前半の子どもに間違われることもないだろう。
今着ている真っ赤なドレスはいただけないが、その前に着ていた水色のドレスは、とてもよく似合っていたと思う。
シリルがそんなことを考えていると、モニカは意を決したように顔を上げ、口を開いた。
「あ、あのっ、ごっ、ごこんやきゅっ、おめでとうごひゃいま──」
いつも以上に呂律の怪しいモニカが全てを言い終えるより早く、パサリと布が落ちる音がした。
シリルとモニカは凍りつく。
モニカが着せられていた真っ赤なドレスは、あまりにもサイズが合っていなかったので、実は胸回りを軽く詰めるように糸で留めていたのだ。
その糸が、どうやら切れてしまったらしい。
完全に脱げてしまったわけではないが、それでも袖が落ちて華奢な肩が露わになり、何よりも胸元が大きく開いてコルセットが露出してしまっている。
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?」
モニカは声なき声で悲鳴を上げつつ、なんとかずり落ちたドレスを持ち上げようとした。だが、ずれた袖を持ち上げようとすれば反対の袖がずり落ち、胸元の生地もどんどん下に落ちていく。
涙目で「あうあう」と奇声をあげているモニカに、シリルは咄嗟に自分の上着を脱いで被せた。
「これを羽織って、近くの部屋に隠れていろ! 着替えのドレスは、すぐに使用人に届けさせる!」
「ひゃ、ひゃいっ!!」
シリルはすぐにモニカから目をそらし、使用人を探すべく早足で歩き出す。
その顔は、耳まで真っ赤に染まっていた。
* * *
シリルに上着を借りたモニカは、立ち去るシリルの背中をしばし見送っていたが、やがて、その場にヘナヘナとしゃがみこむ。
そうして真っ赤になった頬に手を当てて、小さな唇を震わせた。
「………………は、はずかしい」
うずくまり恥じらうモニカの姿を、廊下の角から見ていた人物がいた。
スラリと長い手足に、女の子なら誰もが憧れるような美しい顔立ちの王子様──モニカを追いかけてきた、アイザックだ。
アイザックはしばしモニカの背中を見つめていたが、やがて、モニカに気づかれぬよう足音を殺してその場を立ち去る。
もし、今のモニカに話しかけて、いつもと変わらぬ態度で「どうしたんですか、アイク?」と言われたら……いつもみたいに笑える自信が無かったのだ。
早足で廊下を歩くアイザックの耳の奥、蘇るのは〈星詠みの魔女〉の預言。
──いずれあなたは、その眼に映る世界の半分を失うでしょう。
家族、親友、自分の顔と名前……次は何を失うのだろう。
(優しい王子様の君なら、こんな時、どうするのかな……)
アーク、と亡き友の名を呟く声は、縋るように震えていた。




