【23】極悪商人ウォーカー氏の宣言
休暇を半分ほど潰された〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーが、その翌日、城の執務室で黙々と書類を捌いていると、客人が二人やってきた。
ルイスは羽根ペンを置いて、笑顔だけは上品に二人を出迎える。
「これはこれは……私の休暇を台無しにしてくれやがった馬鹿どもが、何の御用で?」
休暇を台無しにした馬鹿二人、もとい〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットと、〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグは、それぞれ手に大きな袋をぶら下げていた。
まずはラウルが、ガチャガチャと音を立てる袋を、テーブルに置く。中身は大量の瓶だ。
「昨日のお詫びに持ってきたんだ。こっちが果実酒、こっちがジャム。果実酒の方は、いつから飲み頃か、ラベルに書いといたから」
ほぅ、とルイスは小さく呟く。すぐに詫びの品を持ってくるとは、この二人も少しは成長したらしい。
どちらも作ったばかりの物らしく、ジャムの瓶は、ほのかに温かかった。ちょうど昼前で小腹が空いていたので、ジャムの方は早速いただくとしようか。
ルイスがジャムの瓶を眺めていると、モニカが抱えていた袋をズイッと前に差し出した。
途端に、ヒンヤリと冷たい空気がルイスの方に流れてくる。どうやら、氷の魔術を使っていたらしい。
「あのっ、これ、すごいんですっ。わたしの弟子が作ってくれたんですけど、本当に本当に美味しいので……っ!」
弟子? とルイスは首を捻った。
そういえば、モニカに弟子がいると、どこかで聞いたような、聞いていないような……ここしばらくは忙しかったので、聞き流していたのかもしれない。
少なくとも、王都で大規模竜害が起きた後の作戦会議にはいなかったはずだ。
(ということは、まだ作戦会議に連れてこれない見習いか)
現七賢人の弟子と言えば、〈星詠みの魔女〉の弟子、クラレンス・ホール。〈砲弾の魔術師〉の弟子、ウーゴ・ガレッティ。そしてルイスの弟子のグレン・ダドリーの三名が浮かぶ。
〈深淵の呪術師〉のオルブライト家は、基本的に外部から弟子を取らないし、〈茨の魔女〉のローズバーグ家は、ラウルの祖母達の弟子が殆どで、現当主のラウルは弟子をとっていないのだ。
いつモニカが弟子をとったのだろうと、怪訝に思いつつ、ルイスはモニカから袋を受け取る。
袋の中から出てきたのは、布に包まれた蓋付きの器だ。蓋を開けると、中には白く凍った雪のようなものが詰め込まれている。
「氷菓ですか……」
ルイスは顔をしかめた。彼は甘い物が好きだが、氷菓の類は好んで食べない。
貧しかった少年時代、空腹に負けて雪を食い、腹を壊したことがあるのだ。
氷菓と言えば、大抵は果汁を凍らせた物だ。なら、溶かして飲んだ方が絶対に美味しいとルイスは常々思っている。
北部出身のルイスには、冷たい食べ物がご馳走と認識しづらいのだ。口にするなら、断然、熱々の方が良い。
「絶対美味しい、のでっ」
モニカは珍しく強気の態度で、スプーンを差し出してくる。
そこまで言うならと、ルイスはスプーンで氷菓をすくい、口に運んだ。
舌の上の冷たさに、顔をしかめたのは最初だけ。ルイスは目を見開き、硬直する。
トロリと滑らかに溶けるその食感は、ルイスが知る、どの雪とも違った。
新雪よりも柔らかく溶け、口の中にコクのある甘味がふわりと広がり、儚く消えていく。
果実を凍らせた物のような水っぽさはない。ミルクと、あとなんだかよく分からないが、すごく贅沢な味がする。
夢中でスプーンを動かし、器を半分ほど空にしたところで、ルイスはハッと我に返った。
「なんですこれ。知らない雪の味がするんですけど」
「あのぅ、雪じゃなくて、氷菓……です」
モニカがモジモジと控えめに訂正する。
その横でラウルが身を乗り出し、とっておきの秘密を打ち明けるような口調で言った。
「ルイスさん、それ……ジャムにも合うんだぜ?」
「有難く頂戴いたしましょう」
ルイスはご満悦の表情で、氷菓とジャムを抱え込む。
ラウルはジャムに合うと言っていたが、これは酒にも合う、とルイスは確信していた。
* * *
ローズバーグ家のお泊まり会一日目は、それぞれが疲れきっていたので、夕食の後は早めに就寝。
二日目の午前中は、ラウルの案内で野菜や果物の収穫をし、ジャムや果実酒、保存食などを作って過ごした。
そうして作った物の一部を、モニカとラウルがルイスに献上しに行き、二人が戻ってきたら昼食。
昼食の片付けを終えたら、午後はボードゲームの時間だ。
「ラウル、来客用カップの予備はどこにある?」
「えーと……多分そっちの棚の、どこかかな!」
茶の用意をしていたシリルがラウルにカップの場所を訊ね、ラウルが家主とは思えない雑な返事を返す。
シリルが怒鳴るより早く、アイザックは口を挟んだ。
「棚の右側、上から三番目の引き出し」
「……何故、アイクの方が詳しいのですか?」
「昨日、掃除したからね」
「助かるぜ!」
シリルが複雑そうな顔をし、ラウルはカラカラと笑って感謝している。
……が、なんてことはない。アイザックが食器の位置を完璧に把握しているのは、食器に何か仕込まれていないか昨日の内に調べたからである。主人が過ごす部屋に、何か仕掛けられていないか確認するのは、従者の務めだ。
シリルが茶を用意している間に、アイザックは軽くつまめる菓子や軽食を用意して、皿に盛りつけた。
チラリと横目でテーブルの方を見ると、モニカが金と白のイタチに、ボードゲームのルールを教えている。
「これを転がす?」
「こうかな?」
「そうです。コロコロって転がして、出た目の数だけ進むんです。で、これが金貨の代わりで……」
モニカが持参したそのボードゲームは、以前アイザックとネロを交えて遊んだシリーズの最新作だ。
カードゲームの類と比べると、少しかさばるのだが、お泊まり会にどうしても持って行きたいからと、モニカは荷造りに奮闘したらしい。
白いイタチが「えい」とサイコロを転がし、出目が判明するより早く、金色のイタチがサイコロにじゃれつく。
「あっ、あっ、駄目ですよ。それだと、出目が分からないから、もう一度……」
(……さて)
菓子の用意を終えたアイザックはエプロンを外すと、皿を持ってテーブルに近づき、ごくごく自然な動きでモニカの左隣に座った。
「説明は終わったかい?」
「はい、バッチリです!」
サイコロと戯れていたイタチ達は、人の姿の方が盤面を広く見渡せると気づいたらしい。一度机から下りて、それぞれ青年と若い娘の姿に化けた。
そこにシリルが茶を運んできて、ラウルがそれを各々に配り、着席する。
その席順を見て、アイザックは胸の内で呟いた。
(……よし)
このボードゲームは、サイコロを転がして擬似人生を体験するものだ。以前に遊んだ物と違い、最新作は職業を選べたり、土地や店を売買できたりと、戦略要素が増えたらしい。
だが、アイザックにとって重要なのは、新要素ではなかった。
大事なのは、旧版の頃から残っているマス。
『左隣に座る人間を誑かして、金貨十枚を得た。大豪遊する』
これである。
現在の席順は、モニカから左手に時計回りで、アイザック、トゥーレ、ピケ、シリル、ラウル。そしてモニカに戻ってくる並びだ。どうやっても、恋敵がモニカを誑かしたり、モニカに誑かされたりはしない、完璧な席順である。
悪く思うな、恋敵。勝負とは、かくも非情なものなのだ。
モニカの膝の上にはネロが猫のフリをして座っていて、ニャンニャンと可愛らしく鳴きながら、前足でサイコロを弄っている。どうやら、モニカに代わってサイコロを転がす気満々らしい。
そして、そんなネロの頭の上に、ちょこんと乗っている白いトカゲが一匹──ウィルディアヌである。
ウィルディアヌは普段、チェスやカードなどの卓上遊戯に興味を示さないが、擬似人生を体験できるこのボードゲームには少し興味を惹かれたらしい。機会があったら、彼も誘ってあげよう。
かくして始まったボードゲームは、序盤からなかなかに白熱した。
ピケが不動産王になったり、トゥーレが借金取りに追われたり。
ラウルが金鉱を掘り当ててトップに躍り出たと思いきや、次の回には詐欺にあって、物乞いまで転落。最下位争いをしているラウルとトゥーレは、「お揃いだな!」「お揃いだね」とのんびり笑い合っている。
モニカは比較的順調に進んでいるかと思いきや、ネロが横から手を伸ばして、冒険家コースに進めたせいで、「なんでぇぇぇ」と泣きながら、翼竜に追い回されていた。
そして、シリル。彼はいつも、借金をしないギリギリのラインで貧窮していた。
収入が入ってくるマスに止まったかと思ったら、次の回で全て持っていかれることの繰り返しだ。今も彼は、儚い幸せを噛み締めるように、「次こそは……次こそは……」とサイコロを振り、そしてスリに財布をすられた。
結局、全プレイヤーの中で、断トツの一位が不動産王のピケ。二位が比較的無難に金を貯めているアイザック。そして三位と四位がほぼ僅差で、高収入ながら治療費のやりくりに苦労するモニカと、ギリギリの生活を強いられているシリル。
最下位争いをしているのが、借金が際限なしに膨れ上がっているのに、何故か楽しそうなラウルとトゥーレである。
「すごいや、オレの借金、城が買えそうだ」
「お城が買えるの? わたしも買えるかな?」
「買える買える」
底辺の二人が、何故か一番のほほんとしている。
ゲームも中盤。お目当てのマスまで後少しだ。
シリルだけが、全体的に出目が小さいせいで集団から引き離されているが、それ以外の進み具合は概ね同じである。
そんな中、シリルが「六出ろ、六出ろ……」と呟きながらサイコロを振った。一が出た。
期待を裏切らない男は渋面で駒を進め、マスの文字に眉をひそめる。
「『運命の変革。このマスに止まった者は、もう一度サイコロを振り、運命の変革表の指示に従う』……?」
戸惑うシリルに、モニカがいそいそと端に寄せていた表を取り出した。
「変革表は新要素ですね。シリル様、サイコロを振ってください」
「分かった」
シリルは一つ頷きサイコロを振る。こういう時に限って六が出るのが、なんともシリルらしい。
ぐぅっ、と唸るシリルに、モニカが変革表の文字を読み上げる。
「えっと、六が出たら……『全員の席順を、所持金順に並び替える』」
恋敵この野郎。とアイザックは笑顔で思った。
現在の順位は、不動産王のピケに始まり、アイザック、モニカ、シリル、トゥーレ、そして借金王のラウルである。これからは、この順番で時計回りになるのだ。
(まずいな。下手をしたら、モニカがシリルを誑かすことになりかねない……)
アイザックが手に汗握っている間も、ゲームは進んでいく。
更に三巡したところで順位が入れ替わった。ピケが全財産の半分を失い、アイザックが一位になったのだ。
一方、運命の変革を起こした男、シリル・アシュリーは、数マス戻るマスに止まってばかりいた。全くゴールできる気配がない。
最下位のラウルは借金がとどまるところを知らず、いよいよ国を買ったのかと言わんばかりの額にまで膨れ上がっている。
(このままだと、無難に僕が一位かな)
だが、アイザックにとって大事なのは、一位になることではない。
お師匠様が、誰かに誑かされたりしないかどうかである。
気になる恋敵の動向を眼光鋭く見守っていると、サイコロを振ったシリルが「あ」と声をあげた。
数マス戻って、牛歩の如く歩みを進めていたシリルは、あろうことか、またもや運命の変革マスに止まってしまったのである。
シリルが強張った顔でサイコロを振った。次の出目は五。
モニカが変革表を読み上げる。
「えっと……『一位と最下位のプレイヤーの、所持金を入れ替える』」
空気が凍った。
現在一位だったアイザックは額に手を当て、天井を仰いで虚ろに笑う。
──やってくれたな、この野郎。
一瞬で、一位から借金王に転落である。
ほんの数分前の、「大事なのは、一位になることではない」という考えを、アイザックは心のクズカゴに叩き込んだ。これは悔しい。すごく悔しい。
アイザックは椅子の背にもたれたまま、目だけを動かしてシリルを見る。
シリルは今にも首を括りそうな顔で、カタカタ震えていた。
「ア、アイク、たっ、大変申し訳、ありませ……」
「アイクっ!」
アイザックの左隣で、モニカが椅子から腰を浮かせた。
シリルを脅すな、と叱られるかと思いきや、お師匠様は拳を握りしめ、頼もしい顔で言う。
「安心してくださいっ、アイクが路頭に迷ったら……わたしが、養いますからねっ!」
「モニカ。マイマスター。ちょっと、成人男性の尊厳について、考え直してくれないかい?」
今度はシリルが、苦悶の表情で声を上げた。
「私が責任をとって養います。生活は苦しいですが、切り詰めれば……次の巡では収入が入ってくるはず……っ」
「元凶は黙ってろ」
眼光鋭くシリルを睨むアイザックの靴を、ネロが前脚でポムポム叩いた。いかにも同情してやるぜ、と言いたげだが、その顔はニヤニヤ笑っている。
ムッとしたアイザックは、椅子にもたれていた背中を起こし、前のめり気味に盤上の文字を睨む。
「上等だ。国を買う資金ぐらい、軽く捻出してやろうじゃないか」
その時、マイペースにサイコロを振っていたラウルが「あっ」と声をあげた。
「『左隣に座る人間を誑かして、金貨十枚を得た。大豪遊する』だって! オレが、ピケを誑かすのかぁ」
「わたしが誑かされる? なら、氷菓で誑かされる」
「ニンジンじゃダメかい?」
「ダメ」
なお、このゲーム中で「誑かし」が発生したのは、この一回限りであった。
* * *
更にゲームは進み、白竜は物乞いから役者になり、〈茨の魔女〉は大牧場主になり、不動産王に飽きた氷霊は冒険の旅に出て、〈沈黙の魔女〉は竜に追い回されていたら温泉を掘り当てた。
そして、借金王から這い上がってきた男はというと……
「さて、徴収の時間だ」
目つきが悪いと評された顔に酷薄な笑みを浮かべ、全員から無慈悲に金貨を徴収していた。その姿たるや、まさしく非情で無慈悲な極悪商人である。
ゲーム開始から一貫してギリギリの暮らしを続けているシリルなど、失われていく金貨に、「お許しください……お許しください……」と泣き崩れている。
アイザックは、頬杖をついて金貨の山をつついた。
「地代の徴収は、最後の一人がゴールするまで続く。つまり、君がいつまでもゴールせず牛のように進んでいる限り、僕は儲け続けるわけだ。実にありがたい話じゃないか」
「ご慈悲を……このままだと、冬が越せぬのです」
「融資の相談なら、いつでも受付けよう」
「そんな……!」
盤面を見下ろせる棚の上でゲームを眺めていたネロは、人間と人外の悲喜交々に笑いを噛み殺す。
その横で、白いトカゲがポツリと呟いた。
「初めて見ました」
「ボードゲームをか?」
「いいえ」
白いトカゲは己の主人を見つめた。
爬虫類の顔に人間らしい表情はないが、呟く声は穏やかだ。
「マスターが、ゲームでムキになっているところをです」
テーブルの方で、またワッと歓声が上がる。
極悪商人に転職した男は金貨の山を積み上げて、それはそれは悪い顔で楽しそうに宣言した。
「さぁ、全員まとめて僕が養ってあげよう」




