【14】こわいこわい森の中
それは、〈暴食のゾーイ〉にまつわる騒動で、ラウルがシリルと共に禁書室で調べ物をしていた時のことだ。
資料作りをしていたラウルは図形を描き写しながら、ポツリと言った。
「なぁ、シリル」
「なんだ」
「薔薇要塞使ってる時の、あれだけどさ……」
テーブルを挟んだ向かいの席で、シリルが作業の手を止めてラウルを見る。
ラウルは作業の手をそのままに、図形を眺めながら続けた。
「あれってやっぱ、精神干渉魔術かな」
──全力で戦う時、お前は初代様になるのです。
そう曽祖母達から言われて育った。
だから、これはきっと自己暗示みたいなものなのだろう、とそれ以上のことをラウルは考えてこなかった……否、きっと自分は考えるのを意図的に避けていたのだ。
だけど、ローズバーグ家の森でシリルと魔法戦の決闘をした時から、ずっとラウルの中に違和感があった。
シリルは右手中指の黒い指輪を、チラリと見て言う。
「あの時のラウルは、ソフォクレスの結界で魔力を遮断するのと同時に、元に戻った」
『……であるな』
「ならば、魔術による干渉を受けていると考えるのが妥当だろう」
だよなぁ、という言葉をラウルは飲み込んだ。
きっと、自分は何かをされている。
(おばあ様達か、或いは……)
ふと、十年以上前のことを思い出した。
* * *
あれはラウルが十歳ぐらいの時のことだ。書斎で自分の家の家系図を見つけたラウルは疑問を覚え、それをメリッサに訊ねた。
「なぁ、姉ちゃん。オレんちの家系図、おかしいよ」
「あぁ?」
「だってほら、ここ。母娘なのに、これじゃあ歳の離れた姉妹みたいだ。あと、ここと、ここと、ここ。『不明』ってなってるけど、全部ジョナスおじい様じゃん」
ラウルが家系図を指さして、自分が気づいたことを指摘すると、メリッサはそばかすだらけの顔をグシャリとしかめ、鼻から息を吐いた。
「そら、そうでしょうよ。それは、外向けに作られた家系図なんだから」
「……外向け?」
「うちは二代目〈茨の魔女〉の頃から王室御用達だから、世間体を気にする必要があんのよ」
「……?」
「意味が分かんないなら、忘れちまいな」
そっかー、と思ったので、その時のラウルは素直に忘れることにした。
そんなラウルの手の中にある家系図を見て、メリッサは忌々しげに吐き捨てる。
「……植物の交配図を見てる気分だわ」
* * *
今のラウルはもう大人で、その家系図が意味することが分かる。
目的に合った品種同士を掛け合わせて、初代様を顕現するべく作られたのが、ラウル・ローズバーグだ。
これはきっと、曽祖母達の仕業というより、ローズバーグ家の──〈茨の魔女〉の仕業と言う方が正しい。
ラウルは理解していた。周りが褒めちぎる薔薇要塞は、自分が努力して得た力ではないことを。
(……オレがこの力を持っているのは、初代様の意志なんだ)
ラウルは図形を描く手を止めて、羽根ペンの先をインク壺に浸す。
「人のものはさ、ちゃんと返さないと駄目だよな。シリルなら、返しにいくよな?」
「ラウル」
静かに名前を呼ばれ、ラウルは妙にギクリとした。そういえば、さっきからずっと手元ばかり見ていて、シリルの方を見ていない。
顔を上げると、シリルは厳しい顔でラウルを見ていた。
「自分の中で結論が出ていることを、私に言わせて安心するな」
それは、嘘や誤魔化しを嫌うシリルらしい言葉だった。
シリルの言葉は正しい。ラウルは、シリルが「そうだな、私もそう思う」と返すことを期待していた。
気やすい同意を貰って、自分は間違っていないと安心したかったのだ。
ラウルは机に肘をつき、クシャリと前髪をかいて苦笑する。
「シリルは厳しいなぁ……」
「もう、答えは出ているのだろう」
「うん」
「なら、私が同意しようが、するまいが、自分が納得するまで行動すればいい。もし、それが良くないことだと思ったら、私が全力で止めてやる」
その言葉は、安易な同意よりも、ずっと嬉しかった。
ラウルは椅子の上で足をブラブラさせて、ニヒ、と笑う。
「もし、この先さ、オレが初代様みたいになって、誰かを傷つけようとしたら……思いっきりぶん殴って、止めてくれる?」
「分かった」
シリルは一つ頷き、大真面目に付け加えた。
「ただし、歯が折れても文句は受け付けんぞ」
シリルの言葉に、羽根ペンの羽根でくすぐりあって遊んでいた金と白のイタチが交互に言う。
「シリルにそんな力はない」
「無理じゃないかな」
イタチ達に非力を指摘され、シリルはムッとしたように唇を曲げた。
そうして、二匹のイタチから羽根ペンを取り上げ、声を張り上げる。
「雑談はここまでだ! 作業に集中するぞ!」
はーい、とイタチとラウルは声を合わせて返事をした。
* * *
今、第五禁書室の『植物標本庭園』に放り込まれたラウルの右隣では、シリルの体を乗っ取ったソフォクレスが不貞腐れ、その右隣では、モニカが真っ赤に腫らした目でグスグスと鼻を啜っている。
ソフォクレスがシリルの体を乗っ取ったのは、非常事態だったからだ。
おそらく、ソフォクレスに悪気はない。
(それでも……そうと分かっていても……オレは、すごく怖いんだよ)
自分の望まぬ形で意識を乗っ取られ、誰かを傷つける恐怖をラウルは知っている。
だから、ラウルはソフォクレスに腹を立てていた。
ソフォクレスは、シリルの体で暴言を口にして、モニカを泣かせたのだ。シリルが意識を取り戻したら、どんな気持ちになるだろう。
友達が友達を傷つけるところなんて、ラウルは見たくなかった。
(それに、なにより、この状況……)
ソフォクレスへの苛立ちとは別に、ラウルはこの『植物標本庭園』に放り込まれた時から、ずっと恐ろしい予感を覚えていた。
(これは多分、ソフォクレスには相談できない)
本棚の魔物の話になった時、シリルの体を乗っ取ったソフォクレスは、頭痛を堪えるような、明らかに不自然な態度を見せた。
古代魔導具〈識守の鍵ソフォクレス〉は禁書室の番人だが、同時に禁書の知識に制限がかかる。おそらくその一環なのだろう。あの本棚の魔物の在り方は、禁書よりも古代魔導具に似ている。
ソフォクレスは、古代魔導具の正体に関する知識も制限されているのだ。だから、頼れない。
(モニカは古代魔導具の在り方なんて知らないだろうし、まして、今、すごく泣いてるし……)
モニカはソフォクレスの暴言に、顔をベショベショにして泣いているのだ。
そんな彼女に、確信の持てない不穏な相談をするのは気がひける。
ソフォクレスも、モニカも頼れない。
古代魔導具の正体に気づいているシリルは寝ている。
(シリルー……早く起きてくれよぉ……)
ラウルは旧時代の凄惨な争いを、初代〈茨の魔女〉の残酷な所業を、物心ついた頃から嫌になるほど聞かされている。
だから、古代魔導具や本棚の魔物の在り方を見た時、思いついてしまった。
……手段を選ばない残酷な人間なら、こういうことをするんじゃないか、という恐ろしい考えを。
それが、ラウルは怖くて怖くて仕方がない。
ソフォクレスへの苛立ちと、この状況への恐怖。その二つを胸に抱えながら、ラウルはソフォクレス、モニカと横一列に並んで歩く。
やがて、背の高い木々の奥に白い花が咲く木が見えてきた。
モニカがグスッと鼻を啜りながら、掠れた声でボソボソと言う。
「あれ、が……二つ目の魔力反応、です……」
モニカの感知の魔術に引っかかった、三つの大きな魔力反応。
一つ目は、ダフネ・オドラの木だったが、二つ目は全く違う木だ。
低木で、枝が横に伸びるその木には、白い花弁の花が咲いている。ダフネ・オドラのように小さな花が集まったものではなく、花弁一枚一枚が大きい花で、近づくと甘い香りがした。
「ガーデニアだ」
呟き、ラウルは足を止めて眉をひそめる。
「季節がおかしい……」
「であるな」
呟くラウルの横で、ソフォクレスも頷く。
モニカだけが、よく分かっていない顔をしていた。
「ダフネ・オドラは冬の終わりから春の頭にかけて、ガーデニアは初夏に咲く花である」
「他の植物もそうだな。最初の場所が春、ここは夏って感じがする。体感温度は変わらないのに」
ラウルはここまでの移動を思い出した。円形の庭園は十二分割したら、綺麗に一年の季節の移り変わりが再現できるのではないだろうか?
最初の地点から反時計回りに自分達は移動している。なので、順当に行けば次は秋だ。
観賞用に整えられ、季節を再現した、作り物の森。
魔力量が多く、香りの強い花。
(多分、香りの強いこの花は、誰かのための目印なんだ。誰かって誰だろう? 森を作った奴に目印なんていらないだろうし……やっぱり、この森を作ったやつとはべつに、管理人がいるんじゃ……)
そこまで考えた時、ラウルは己の足に何かが絡みついていることに気づいた。咄嗟に目を向け、ラウルは目を見開く。
それは、黄色い花を咲かせる蔓薔薇だ。一見、よくある品種に見えるが、実は微妙に違う。
──これは、ローズバーグ家の森にしか咲かない薔薇だ。
森に侵入した者を見つけ出し、どこまでも追いかける黄色い蔓薔薇。メリッサなどは、索敵によく使う。
そう気づいた瞬間、強い恐怖がラウルの全身を支配した。
ここにある植物は、その殆どがローズバーグの森と酷似している。
ならば、禁書『植物標本庭園』を作ったのは……。
「ラウル様、危ないっ」
モニカが叫ぶのとほぼ同時に、森の奥から幾つもの蔓が伸び、ラウルの体に絡みついた。
モニカは無詠唱魔術で蔓を切断しようとしたが、他の蔓や枝が一斉に伸び、風の刃の盾になる。
ラウルは咄嗟に種を取り出し、詠唱をした。だが、蔓に引っ張られ、ラウルの体がシリルの手から離れる。
ソフォクレスと接触していないと、今のラウルとモニカは魔術が使えないのだ。
「いかんっ、〈茨の魔女〉よ!」
「ラウル様ぁ!」
蔓はラウルを引きずり、森の奥へと連れていった。
ソフォクレスとモニカの声が、どんどん遠ざかっていく。
蔓に引きずられながら、ラウルは土の匂いとは別に甘い匂いを感じた。ダフネ・オドラともガーデニアとも違う、強く甘く香る花。
その時、ラウルの首と肩の付け根辺りが、チクリと痛んだ。小さな棘が刺さったような痛みだ。そこから、神経を辿っていくかのように、自分の中に何かが入り込んでくるのが分かる。
まるで、芽吹いた種が根を伸ばしていくかのように。
(怖い、こわい、コワイ、これはイヤなやつだ、ダメなやつだ、ハヤクなんとかしないと、オレが、オレが、ナントカ、しないと……オレが…………ワタシが……)
段々と思考が鈍っていく。
そうして焦りも、恐怖も感じなくなった頃、誰かが囁く声を聞いた。
『おかえりなさい、魔女様』




