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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝after2:禁書室のお掃除大作戦
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【11】報連相の価値を知る貴重な精霊

 ガラスボウルの中でゆっくりと発酵を進めつつあるパン生地を、白いトカゲが尻尾をウニョリ、ウニョリ、と動かしながら見守っている。

 その横では、人間に化けたトゥーレとピケが、ボウルの中の氷菓を匙ですくってつまみ食いしていた。

 パクリと匙を咥えたトゥーレが、窓の外を見る。窓の外では、薔薇の蔓が蛇のように徘徊している。


「アイクとメリッサは、追いかけっこかな? トカゲさんは、行かなくていいの?」


 パン生地を見守っていたウィルディアヌは、尻尾の動きをピタリと止めた。


「疑問があるのです」


 トゥーレは匙を咥えたまま、首を右に左にコトン、コトンと傾ける。


「疑問? 分からないこと? 不思議なこと?」


 分からないことと、不思議なことは、同じようでいて少し違う気がする。

 自分の場合、当てはまるのはどちらだろう? とウィルディアヌは考える。

 多分、どちらもだ。人間は、分からなくて、不思議だ。


「人間は、我々精霊より脆いのに、どうして無茶をするのかと、疑問に思います」


 ピケとトゥーレは、ボウルを匙でつつきながら交互に言った。


「シリルもよく、無茶をする」


「うん、するね」


「うっかり死にそう」


「そういう時は、おとうさんに叱ってもらうんだよ」


 なるほど、ならば自分の主人の場合、師匠であるモニカに叱ってもらうべきかもしれない。

 ただ、こっそり無理や無茶をしていることを、アイザックは他の誰よりもモニカに知られたくない、ということをウィルディアヌは理解していた。

 水霊であるウィルディアヌは、自身が人間に比べて感情が乏しいことを自覚しているが、それでも明確に理解している感情がある──心配、だ。

 思えば、アイリーン妃に仕えていた頃から、自分はずっと己の主人にハラハラしている。


「人間は、報告、連絡、相談に重きを置くのだそうです。ですが、わたくしの主人は……些か、相談が足りないかと」


 頭の回転が早く、すぐに結論を出すアイザックは、あまり他人に何かを相談するということをしない。必要だと思ったら、誰にも相談せず、即座に行動に移る。

 不安を抱えるウィルディアヌに、ピケが断じる。


「人間はうっかり死ぬ。言いたいことは、さっさと言っておいた方がいい」


「……わたくしのいないところで、うっかり死にそうになる前に、助けを呼んでほしいと思います」


「じゃあ、そう言えばいい」


 なるほど、相談が足りないのは自分も同じだったのかもしれない。

 ウィルディアヌは少しだけ穏やかな気持ちで、尻尾を丸める。


「マスターが戻ってきたら、そうします」


 ピケは偉大な先輩の貫禄で頷きながら、残り少なくなったボウルの氷菓をガシガシとかき集めた。



 * * *



 邪悪な魔女に理不尽に追い回されているアイザック・ウォーカーは、なるべく痕跡を残さないように気をつけつつ、森の中を移動していた。

 このまま森の外に脱出するのも一手だが、それだと夕食の準備が間に合わなくなってしまう。

 できれば穏便にメリッサを説得か、無力化したいところだ。

 三〇分ほど走り回ったところで、アイザックは木の陰に隠れ、息を潜める。


(追ってきている)


 風もないのにザワザワと茂みが揺れた。動物の気配のそれとは違う。

 薔薇の蔓が森の中を這い回っているのだ。

 背中に括り付けている短剣を置いてきたのは、失敗だった。よもや、相手がこれほどの強行手段に出るとは思っていなかったのだ。

 アイザックはベストの中に隠した薄いナイフを取り出し、自分に近づいてきた薔薇の蔓を切り捨てる。

 その手応えを確認して、すぐにまた、逃走を開始した。


(これは、少し厄介かもしれない)


 アイザックは周囲の気配を探るのが得意である。その彼が確認できる範囲に、メリッサの姿はない。

 それなのに、薔薇はアイザックを追いかけているのだ。

 薔薇の蔓を操るのは、〈茨の魔女〉が得意としている魔術だが、ラウルの薔薇要塞と、メリッサの薔薇の蔓は、根本的に違う。

 メリッサの薔薇は、威力も範囲もラウルのそれに劣るし、何より、一本一本を自身の魔力で操っている。つまり、彼女が見えない場所にまで攻撃は届かないのだ。

 一方薔薇要塞は、〈茨の魔女〉の命令に忠実な、意識を持つ魔物に近い。故に、術者が視認できない範囲にも攻撃が及ぶ。


(今、僕を追いかけている薔薇は、意思を持つ薔薇要塞に近い……あれほど強力ではなさそうだけど)


 メリッサは「この森で、〈茨の魔女〉から逃げられるやつなんていない」と言っていた。

 ローズバーグ家が所有するこの森には、〈茨の魔女〉にとって有利な薔薇が咲いている可能性が高い。


(そう考えると、僕を追いかけているのは、索敵用の薔薇なのかもしれない。今切断した薔薇からは、香水の匂いはしなかった)


 おそらく、残った香水はそう多くない。

 だから、索敵用の薔薇にまで香水を振り撒く余裕はないのだ。


(問題は、レディ・メリッサの思惑だけれど……)


 つまりは、何故アイザックに薬を盛ろうとしたか、である。

 メリッサはあの性格なので、「気紛れの憂さ晴らし」「新薬の実験台を探していた」という可能性も、おおいにあり得るのだが、これについてアイザックは一つ考えていることがあった。


(僕の想定通りだとしたら……尚さら、森から逃げるわけにはいかない)


 追いかけてくる薔薇の数が増えてきた。先ほど切りつけたことで、居場所に気づいたのだろう──だが、それは想定内。

 アイザックは同じ場所を、大きくグルグルと回るように移動して逃げた。結果、薔薇の蔓は糸巻きに糸を巻くように、蔓が木に巻かれていく。

 下手に薔薇の蔓を広げるより、こうして木に巻きつけまとめておいた方が、逃げやすいからだ。


「小賢しい真似してくれるじゃない」


 ふわりと漂う薔薇の香り。

 咄嗟にアイザックは左手で口と鼻を塞ぐ。

 アイザックの背後から姿を見せたのは、メリッサだ。その手には香水瓶。


(彼女はあの匂いを嗅いで、大丈夫なのか?)


 ローズバーグ家の人間なら、そういう訓練を受けている可能性もあるが、よくよく見ると、メリッサは口の中で何かを転がしていた。

 キャンディ──おそらくは、惚れ薬の中和剤だ。


「別に痛いことしやしないわよ。ちょーっと、お薬飲んで、経過を見るだけ。アタシは優しいから、モニモニ達が帰ってくる前に終わらせてあげるわ」


 その台詞で、「憂さ晴らし」の線は消えた。

 メリッサの目的が憂さ晴らしなら、「家の前に吊るす」ぐらいのことは言う。


「薬の実験がしたいのなら、ご自分で試されては?」


「馬鹿の所業ね。やるわけないでしょ」


 アイザックは油断なくナイフを構えつつ、周囲の薔薇を観察した。

 先ほどからアイザックを追い回していた薔薇の蔓──こちらは、ところどころ黄色の小さな薔薇が咲いており、蔓が細い。あまり戦闘向きではないのだ。

 そして、メリッサの足元で蠢いている蔓は、花が赤く、蔓は太さが親指と人差し指で輪を作ったぐらいある。こちらが、メリッサの本命の武器だろう。


(あちらは、切断に苦労するな)


 魔法剣を使えば、少しは切断が容易になるかもしれないが、アイザックは正面からまともにやり合うつもりはなかった。

 魔術師としての格は、圧倒的にメリッサが上なのだ。いくら魔法剣で切りつけても、最後は包囲されるのが目に見えている。

 アイザックは比較的薔薇が少ない場所を目指して走った。黄色い花と赤い花の薔薇が追いかける。

 アイザックは木々の間に紛れ、蔓が木に引っ掛かるよう誘導しながら走った。

 思惑に気づいたのかメリッサが舌打ちをして、移動する。このままだと、自分が薔薇の蔓に包囲されると気づいたのだろう。

 ……そうして、メリッサを動かし、背後から軽く背中を突いて、飴を吐き出させる。

 あとは、香水瓶を取り上げ、無力化完了。


 ……となる、はずだった。


 木々の合間を走るアイザックは、顔の皮膚が引き攣るような違和感を覚え、息を呑む。


(まさか……!)


 咄嗟に指先で右目の上をなぞる──傷痕がない。

 今の彼は、フェリクス・アーク・リディルの顔なのだ。


(馬鹿な。ここに来るまでに、充分に魔力を減らしてきたはずなのに……!)


 あと一時間ほどしたら、念のためウィルディアヌに魔力を吸ってもらおうとは思っていたが、予定よりも戻る時間が早すぎる。

 そこでアイザックはようやく気づいた。この森──特に今いるあたりは魔力濃度が濃い。つまりは、魔力の回復がいつもより早いのだ。

 魔術勝負ではメリッサに敵わないからと、身体能力に頼ったことが裏目に出た。

 魔術を使い、消費すればいい……が、流石に一時間近く走り続けてきたせいで、息があがってきた。走りながらの詠唱は少しきつい。

 更に悪いことに、アイザックが使える魔術は総じて消費魔力が少ないのだ。

 この場所でアイザック・ウォーカー本来の顔を保つために、延々と魔術を使い続けるはめになる。


(まさか、消費魔力の少なさが、仇となるなんて……)


 我ながら間抜けすぎる。

 アイザックは美しい王子様の顔を片手で覆い、ため息をついた。

 ちょうど近くに茂みがあったので、そこに隠れ、アイザックはポケットの懐中時計に手を伸ばす。

 契約精霊と契約主は魔力の糸で繋がっていて、簡単な意思疎通ならできる。

 普段アイザックは、ウィルディアヌに「来てくれ」「待機」ぐらいしか指示を出さない。

 そんな彼が、この時ばかりは美しい王子様の顔を青ざめさせ、「助けてくれ」と必死で念じた。



 * * *



 アイザックを追い回していたメリッサは、足を止めて眉間に皺を寄せた。


(ウォーカーの動きが変わった?)


 先ほどまで小憎たらしいほどの余裕を見せて走り回っていたアイザックが、突然潜伏しだした。これは、何かを企んでいるのだろうか。

 ふむ、と呟き、メリッサは少しひらけた場所で足を止める。

 そして、まずは自分の周囲をグルリと囲うように、赤い薔薇の蔓で壁を作った。

 このローズバーグの森は〈茨の魔女〉の魔力に満ちていると言われている。そのためかどうかは分からないが、この森ではメリッサの薔薇は通常時より強化されるし、この森でしか成長しない品種も扱える。索敵用の黄薔薇がそれだ。

 メリッサは薔薇の蔓で己の身を守り、その隙間から索敵用の黄薔薇を放った。


(潜伏して、我慢比べをしようって腹なんでしょうけど、甘いのよ。見習い風情が)


 アイザック・ウォーカーは身体能力こそ高いが、飛行魔術を使えないし、魔術を飛ばすことが不得手だ。故に、メリッサに攻撃を仕掛けるには、距離を詰める必要がある。

 ならば、茨の壁でグルリと周囲を囲ってしまえば、アイザックはメリッサに近づけない。

 あとは黄薔薇で索敵し、発見したら、香水をたっぷり塗った赤薔薇をけしかければいい。

 ……だが、黄薔薇はいつまで経っても、アイザックを見つけられずにいた。

 地面を這う黄薔薇は、足音を察知して襲いかかる性質がある。それなのに、アイザックの足音が見つからない。


(完全に動きを止めているか、木に登ったか……?)


 次の一手を思案していると、口の中で転がしていたキャンディーが無くなった。

 このキャンディーは、魔女の惚れ薬の中和剤だ。香水タイプの薬をばら撒く時は、自分が影響を受けないように、これを舐めておく必要がある。

 メリッサが新しいキャンディを取り出し、指で摘んだその時、頭上に陰ができた。

 最初は大きな鳥かと思ったが、違う。水を纏わせたナイフを手にしたアイザックが、言葉通り、上空から降ってきたのだ。

 驚いたメリッサの手から、キャンディがポロリと落ちる。

 アイザックはそれを素早くキャッチして、自身の口に放り込むと、水を纏わせたナイフの切っ先をメリッサに向けた。


「勝負あったようですね、レディ?」



 * * *



 救援要請を受けて駆けつけたウィルディアヌに魔力を吸ってもらったアイザックは、迅速に勝負に出た。

 メリッサは、アイザックが飛行魔術や遠距離攻撃を使えないと思いこんでいる。それは正しいが、アイザックにはウィルディアヌという切り札がいるのだ。

 そこで、サザンドールの黒竜戦の時のように、ウィルディアヌの水を足場にして跳躍し、薔薇の壁を乗り越えて、即座に攻撃をしかけたのである。


「……どんな跳躍力よ。あんた、犬じゃなくて、猿だったわけ?」


 ナイフを突きつけられてもなお強気である。

 アイザックはメリッサが、妙な素振りをしないか見張りつつ、鋭く訊ねた。


「今回の件は、ローズバーグの魔女の差し金かな?」


 その言葉に、メリッサは驚いたように瞬きをする。


「あんた、知ってたの? うちのお祖母様達が……」


「モニカをローズバーグ家に嫁がせようとしている件なら、とっくに。そんな状況下で、モニカがローズバーグ家に泊まりに来たら、何かしら仕掛けてくる可能性が高い」


 アイザックが調理場に陣取り、食事の用意を申し出たのも、モニカに変な物を盛られないようにするためだ。

 もしかしたら、差し入れと称して、モニカにだけ薬入りの食べ物や美容薬が寄越されるかもしれない。アイザックは、そういうシチュエーションをうんざりするほど知っている。


「そうなると、僕が邪魔になる。だから、僕に一服盛って排除してから、モニカに薬を盛ろうとしたのだろう?」


「いや、お祖母様から渡された薬を処分するのに、あんたを利用しようと思ったんだけど」


「………………うん?」


 アイザックは目つきが悪いと言われる目を少し見開いて、小さく首を傾げる。

 メリッサの言葉の意味を、すぐに理解できなかったのだ。

 メリッサはうんざりしたような顔で、肩をすくめる。


「お祖母様が、愚弟とモニモニに一服盛って来いって言うんだけどさぁ。身内にそんなん盛りたくないじゃない」


「…………」


「お祖母様は薬の効き具合を記録しろって言うから、適当な奴に使って、観察記録作ろうと思って。そしたら、あーら丁度良いところに、健康な若い男が」


「…………」


 アイザックは正直に思ったことを言った。


「貴女にも、一抹の良心があったのですね、レディ」


「やっぱ吊るすわ、あんた」


 アイザックにとって、傍迷惑かつ悪辣であることにかわりないが、メリッサがラウルとモニカの婚姻に賛成していないのなら、やりようがある。


「貴女を人質に、ローズバーグ家の魔女達と交渉しようと思ったのだけど、そういうことなら……」


 アイザックはナイフを下ろし、その顔にクロックフォード公爵を思わせる酷薄さを滲ませて、薄く微笑んだ。


「貴女には、芝居に付き合っていただこう。レディ・メリッサ」



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